横浜三塔 #1

「日本大通」には、キングの塔である「神奈川県庁舎」があります。
残念ながら日曜日は休日のため全く中に入ることもできませんので、あくまで外から眺めるだけの「キング」です。
但し、毎月第3日曜日には一般公開しているそうですから、チャンスがあれば見学してみたいものです。

キングの塔

キングの塔である「神奈川県庁舎」は、まさに威風堂々としたレトロ感溢れる造りの建造物です。
神奈川県庁舎 神奈川県庁舎

この庁舎のポイントは以下の4点です。

1.平成8年に国の登録有形文化財(建造物)として登録。
2.昭和3年(1928)に建てられた、本県本庁舎としては4代目。
3.日本趣味のある洋風建築で、昭和初期に流行した「帝冠様式」建築の先駆け。
4.知事が執務する現役の庁舎としては、大阪府庁本館に次いで全国で2番目に古い都道府県庁舎。

先ずはその歴史を追ってみます。
1866(慶応2)年の豚屋火事で運上所など周辺の殆どを焼き尽くした翌年の1867(慶応3)年に、現・県庁舎の地に神奈川運上所が再建され、現・横浜地方裁判所の建つ地(本町通を挟んだ県庁舎の西隣)に石造り二階建ての「横浜役所」が建てられました。
翌年の明治維新を経て新政府の元、運上所と横浜役所は行政機関としての機能を発揮するのですが、1871(明治4)年の廃藩置県のより横浜役所が「神奈川県庁」と改称されました。そして同時期に神奈川運上所も「横浜税関」と改称され、こちらもこれを機に石造りの建物に改修されたそうです。
という事で、明治の初期においては現在の県庁の場所に「横浜税関」があり、その西隣に「神奈川県庁」があったということになります。
当時、神奈川奉行所定式請負人であった河合右衛門という人により造られたこの初代県庁舎は、官庁の建築を洋風にした初期の頃のもので、擬似洋風建築であったそうです。
つまり、大屋根の下にベランダを設ける一方で、塔屋と入母屋式唐破風屋根も構えられたという和風のテイストが随所に散りばねられた建造物だったのです。

こうして造られた初代県庁舎ですが、明治15年の失火により焼失すると、埠頭側に移転の決まっていた横浜税関の建物を買い取り2代目県庁舎としました。この建物は日本最初の駅舎である新橋・横浜駅を設計したプリジェンスによるもので、石造り3階建ての本格的な欧米建築様式だったそうです。
この時に県庁舎は現在の地に落ち着いたわけです。

この2代目県庁舎は明治末期まで使用されたのですが、老朽化のために改築を余儀なくされました。そして1913(大正2)年、ルネッサンス様式の壮麗な3代目県庁舎が完成したのです。
この3代目県庁舎は地上3階地下1階建てで、玄関の円柱は御影石、扉はチーク材、大階段はケヤキ製、そして廊下にはジュウタンが敷き詰められるという贅をつくしたものだったようです。
3代目県庁舎 《写真:(C)おバカなプーたろう》

「横浜港の偉観」と評された建造物だったようですが、1923(大正12)年の関東大震災により壊滅的なダメージを受けたのだそうです。

これを受けて再建されたのが現在の第4代目の県庁舎です。
この第4代目の建設に当たっては、初めて建設設計を公開コンペにより幅広く建築家を募集したそうです。
このコンペの結果、採用されたのが「小尾嘉郎」という方の案でした。
小尾嘉郎(おびかろう)という人は、1898(明治31)年、山梨県出身の建築技手です。名古屋高等工業建築科に入学し、当時建築科長であった夏目漱石の義弟である鈴木禎次の助手として松坂屋の設計を多く手掛け、卒業後は1921(大正10)年、東京市電気局工務課に勤務する傍ら住宅の懸賞設計にこつこつと応募していたようです。
そして、1926(大正15・昭和元)年、神奈川県庁舎コンペで賞金5,000円の1等に当選したのでした。
昭和初期の金銭価値から言えば、当時の米10kgが3円20銭、コーヒー1杯が10銭のだったようですので、当時の1円は現在の凡そ2,000~3,000円と換算されると考えれば5,000円は1,000万円となるでしょう。極々妥当な懸賞金ですね。
その後も軍人会館(現・九段会館)のコンペでは佳作(賞金500円)に入選したようです。
そして、日本住宅営団東京支所第三課長、東京復興産業(株)建築部長を経て小尾建築工務所を開設し、1974(昭和49)年亡くなったそうです。

参考:【神奈川県庁舎設計コンペ一等当 選者・小尾嘉郎とその他の入選者達】http://lib.baidu.jp/view/7c19bdeb19e8b8f67c1cb99a.html

そして、昭和2年1月に起工し、建築工事費約275万円をかけ昭和3年10月に完成した第4代県庁舎は、翌月の1日の開庁式で震災復興事業として華々しいデビューをかざり、全体が西欧古典主義建築ながら、一方で東洋的な雰囲気を醸し出し、その帝冠様式の堂々とした意匠は後の官公庁の建物に大きな影響を与えたのだそうです。

そこでプロフィールの一つである「帝冠様式」とは一体どのような建築様式なのかを調べてみました。
一言で言えば、現代的なビルに日本の伝統的な屋根を載せた特徴的な意匠をもつ建造物で、簡単に日本的な意匠を表現できることから日本内地よりも外地や満州国に多く建てられ、関東軍司令部、満州国国務院、満州国軍事部、満州国司法部など軍事関係に用いられたことから「軍服を着た建物」という異名をもつ建築様式と言われていたそうで、その先駆け的モデルとなったのが、この神奈川県庁だったのです。
日本の軍国主義的イメージである帝冠様式も、現在では軍国イメージと結びつけることは殆どなく、かえって日本的な歴史的建造物として価値が高いようです。
愛知県庁舎 満州国軍事部 左:愛知県庁舎 右:満州国軍事部(現・吉林大学校舎)

ちなみに小尾嘉郎が佳作となった九段会館は、川元良一という人の設計した入選作で、これも同じように「帝冠様式」の建造物です。
九段会館

このような歴史と価値を持った神奈川県庁舎ですから、キングと呼ぶに相応しい建造物であると思わざるを得ないようです。
現在では1966年に完成した13階建ての新庁舎もあるのですが、やはり由緒ある本庁舎故に知事室はこちらに残されているのでしょう。

この県庁舎の前の日本大通を挟んだ歩道に、最初の三塔ビューポイントがあります。
半円形の羅針盤をイメージさせるプレートがはめ込まれています。
ビュースポット

ちょうど中心に県庁舎があり、右にクイーンの塔、そして左にジャックの塔が一緒に見える・・・、はずなのですが、街路樹によって全く見ることができませんでした。
ビュースポット

多少位置をずらして左右それぞれを別々に見ます。
右側には樹木の間に僅かながらクイーンの塔を見ることができます。県庁と樹木の僅かな隙間で、実に絶妙な位置といわざるを得ないでしょう。
クイーンの塔

そしてジャックの塔についてはプレートの近辺では全く見ることができないので、樹木を避けて県庁側の歩道に進むと、県庁舎の左側にジャックの塔を見ることができました。
こちらも県庁と樹木との間の絶妙な位置にありました。
ジャックの塔

三塔の日が語呂合わせながら3月10日になったのも頷かれます。基本的には樹木の葉が枯れる冬の時期でないと三塔同時には見えないということになるからでしょう。
それゆえに、もし夏季期間に三塔同時に見えたら願いは30倍くらいになって叶うのではないでしょうかね。

神奈川運上所跡

残念がら最初のスポットでは三塔同時は見られませんでしたが、続いて左側に見えた「ジャックの塔」に向います。
県庁舎沿いを進むと庁舎の角に1つの石碑が設置されていました。
「史跡 神奈川運上所跡」と刻まれた石碑です。
神奈川運上所跡

先ほどから再三出てきた運上所のことです。

神奈川運上所跡
開港にともない、関税と外交事務を扱う神奈川運上所が、今の神奈川県庁所在地に設けられ、神奈川奉行の支配に属していた。
慶応2年(1866)類焼、翌年新築、横浜役所と称した。
明治元年(1868)明治政府に移管され同5年(1872)横浜税関に改められた。
(財)横浜観光コンベンション・ビューロー・横浜市
(現地案内板説明文より)

横浜が開港していち早く創設されたのがこの「運上所」で、1859(安政6)年に設置されたそうです。“運上”とは江戸時代の税金を意味しているのですが、単に税金を徴収するだけでなく、一般的な物の出入りを管理する機関として神奈川奉行所の管轄下にありました。
主な業務は外交事務や関税を取り仕切るのは勿論のこと、幕府の外務、その他の港の行政・刑事、そして船の製造や修理の監督まで行なう総合的な役所だったようです。
その後、県庁舎などの歴史にもあった通り、1866(慶應2)年の豚屋火事で運上所は焼失し、翌年、日本最初の石造り洋風2階建ての新庁舎が建設され横浜役所と呼ばれたのです。
1968(明治元)年、明治維新で明治新政府が発足すると神奈川奉行所も新政府に吸収され、1871(明治4)年の廃藩置県の際に運上所は大蔵省の管轄となったのです。

そしてその翌年の1872(明治5)年11月28日に、それまでの横浜役所から紆余曲折を経て「横浜税関」と改称し現在に至るのです。
この時点で全国各地にあった運上所は7ヶ所だったようです。
当時。鎖国を解いた日本は神奈川・函館・長崎・兵庫・新潟 の5港を開港したのです。そして1859 (安政6)年に、箱館(函館)と神奈川(横浜)に運上所が設置され、その後、1863 (文久3)年、長崎、1867 (慶応3)年、築地(東京)・川口(大阪)、1868 (慶応4)年に兵庫(神戸)、そして1869 (明治2)年に新潟にそれぞれ運上所が置かれていました。
この当時の運上所は、現在の税関とは違いあくまで開港場所のみを管轄する形式だったようです。
そして1872(明治5)年11月28日を機に神奈川のみならず全国の7運上所がすべて「税関」の呼称に変わり、「函館税関」「新潟税関」「東京税関」「横浜税関」「大阪税関」「神戸税関」「長崎税関」なり、1890年から函館、新潟、横浜、大阪、神戸、長崎の6税関に初めて管轄区域が設定されたのです。
その後、1902年に「新潟税関」は廃止され、「名古屋税関」「門司税関」「沖縄地区税関」が加えられ現在9税関となっているのです。

そして全国の運上所が税関に改称された1872(明治5)年11月28日を「税関記念日」として、現在でも11月28日周辺日には様々なイベントが行われているのです。
なかなかクールな記念日です。横浜税関ではかつて記念日イベントとして「海賊版・還流レコード撲滅キャンペーン」と銘打ったイベントも行われていたようですから、意外と面白いイベントかもしれません。一応、今年はチェックしてみるのも一興でしょう。
流石に懐の深い歴史を持った史跡をあとにして、「ジャック」に向かいます。

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