大桟橋通り #3

「横浜開港資料館」を後にして、いよいよ2つ目の三塔ビューポイントのある大桟橋に向います。
「横浜開港資料館」の前の通りを歩いていくと、何気ない店の壁にこのような飾りが付けられています。
街角 街角

こういったところもまた横浜の人気のある理由の一つなのでしょう。

大桟橋

大桟橋通りを進むと「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」と記載されている高架をくぐります。
大さん橋通り 大さん橋通り

これは“山下臨港線プロムナード”という遊歩道です。
プロムナードの橋脚の下には初期の大さん橋の大きな写真が掲出されています。
山下臨港プロムナード下の写真

当たり前のことでしょうが、多くの数の船が集っているところが結構驚きです。何となく日露戦争の艦隊のような雰囲気です。
しばらく進むといよいよ「大さん橋」が姿を現し始め、そのまま進むとターミナルの入口となります。
大さん橋ターミナル 大さん橋ターミナル

ターミナルの中に入りと、そこは広々とした空間になっています。客船での出入国ロビーとなっていて、この広大な空間がこの大さん橋の一つの特徴になっているのです。
ターミナル内

つまり建物内部には柱が一つも無いということです。天井部分は三角錐を組み合わせた構造で、壁面には強化ガラスウォールによって構成されていて、大空間を作り出しているそうです。

そしてその大空間の一角には「客船ノルマンディ」号のスケールモデルが飾られています。
ノルマンディ号

この「客船ノルマンディ」は1935年~1940年にかけての世界最大の客船だったそうです。しかも単なる世界最大だけでなく、“洋上の宮殿”と謳われた華麗さと、就航期の短さから神格化すらされた伝説的な客船なのです。
その伝説となった歴史は1931年の建造に始まり、翌年「ノルマンディ」と命名された、全長が始めて300mを超えた巨大客船でした。
建造にあたってはフランスの威信をかけ、国家的な援助のもとで建造されており、当時最新の造船理論と流線型を多用する華麗な船容、そしてアール・デコ様式満載の豪華な内装から「洋上の宮殿」の異名を取ったそうです。
1935年の試運転で31.9ノットを記録してブルーリボン章に輝きました。このブルーリボン章は勿論、映画のことではなく船舶関連では、大西洋を最速で横断した船舶に与えられる賞のことなのです。
その後、クイーンエリザベスに抜かれるのですが、再度、新記録を打ち立ててブルーリボン賞を奪い返しますが、再びGEに奪い返された後第二次世界大戦となり、客船受難の時代に突入するのです。
大戦勃発時にノルマンディは、ニューヨークに入港していたのでそのまま係船されました。その後、1940年にフランスがドイツの占領下におかれ、1941年にドイツがアメリカに宣戦布告したことから、ノルマンディはアメリカに接収され軍の輸送船に改装されることになったのです。そして船名もラファイエットに改名され改造工事が始まったのですが、途中、作業中の不注意から火災が発生し、翌日転覆したそうです。
その後、引き揚げられたのですが損傷が酷かったため解体されたそうです。
まさに天国と地獄を味わったかのようなノルマンディもまた、時代に翻弄された伝説の客船だったのでしょう。

そばには大さん橋の歴史が掲出されています。

大さん橋の歩み
1859(安政6)年6月:横浜開港(6月2日)。幕府により2本の石組みによる波止場が造られた。
1892(明治25)年11月:鉄さん橋工事が始まる。(イギリス人技師H.S.パーマー設計。最初の築港工事)
1894(明治27)年3月:鉄さん橋(大さん橋)が完成。幅約19メートル、長さ約457メートル。
1895(明治28)年4月:鉄さん橋に第一船「グレナグル」(イギリス船)入港。
1917(大正6)年11月:拡張工事が完成(第2期築港工事)。
1932(昭和7)年6月:映画監督・俳優チャップリンが「氷川丸」で帰国。
1936(昭和11)年5月:拡張工事が完成。(第三期拡張工事)
1945(昭和20)年9月:進駐軍(米軍)が大さん橋を接収。進駐軍は、大さん橋をサウスピアと呼ぶ。(1952年接収解除)
1953(昭和28)年3月:皇太子陛下(現在の天皇陛下)が、イギリス女王エリザベス2世の戴冠式出席のためアメリカ客船{プレジデント・ウィルソン」で出航。
1975(昭和50)年3月:イギリス客船「クイーン・エリザベス2」初入港。大さん橋に着いた最大船。停泊中(3日間)の大さん橋周辺の見学者約52万人。
2000(平成12)年3月:大さん橋国際客船ターミナルの新築工事が始まる。
2002(平成14)年6月:大さん橋国際客船ターミナルがオープン。第一船の客船「クリスタル・ハーモニー」(49,400総トン)入港。
YOKOHAMA OSANBASHI
(現地案内パネルより)

最初の波止場の様子が、プロムナードの橋脚にあった写真のこの部分ですが、ここ写真の頃は鉄さん橋のころでしょう。
大さん橋

それにしてもこの鉄さん橋が、このような大さん橋に代わったわけですから、時代の流れもともかく、その技術に改めて驚嘆を憶えます。

ターミナルから一旦外に出た右岸からの風景は、まさに一時代を作ったまさに“THE YOKOHAMA”の光景です。
山下公園

中央の緑の帯の部分が「山下公園」で、タワーがあの「横浜マリンタワー」です。そして左手に係留されている船が「氷川丸」です。
更にマリンタワーの右側にある高層ホテルが「HOTEL NEW GRAND」ですが、その隣の低層の建物が旧館です。
ホテルニューグランド

恐らく横浜に観光をされに来た人は一度は訪れているかもしれない定番中の定番でしょう。

山下公園は1930(昭和5)年に開園された日本最初の臨海公園で、関東大震災の復興事業として行われたものだったそうです。
マリンタワーは1959年の横浜開港100周年記念行事の流れの中から、横浜港を象徴するモニュメントを建設しようという計画の中で1961年に建設された展望塔燈台です。
灯台としても創設時から機能していたのですが、2008年に業務の終了とともに廃止されたのです。
氷川丸は偶然ながら山下公園と同じ1930年に竣工された日本郵船の貨客船です。長く北太平洋航路で運行されていたのですが、これも偶然ながら1961年、横浜開港100周年記念事業として山下公園前の横浜港に係留されることになったものです。
そしてホテルニューグランドは横浜の老舗ホテルで、震災で多くのホテルが倒壊したのを受け、横浜市の復興計画の一環として1926年に設立され、当初は現在で言う第三セクター方式で発足しました。ホテル名は、同地にあり、関東大震災で倒壊し廃業した横浜を代表する外国人向けホテルであった“グランドホテル”に因んで公募によって命名されたそうです。
開業時からチャップリンやベーブ・ルース、そしてマッカーサーなどが滞在したホテルとしても知られている存在です。また、ホテル内には先のノルマンディ号をイメージした「ル・ノルマンディ」というレストランもあります。
このように横浜のシンボルが凝縮された観光名所なのです。

大さん橋を奥に進みます
ちょうどターミナルの後にあるホールの屋上を迂回します。
ホール屋上

右岸には「横浜ベイブリッジ」を見ることができます。
ベイブリッジ

そして、こちらが大さん橋の先端からの風景です。
大さん橋の先端

さらに左岸からは「みなとみらい」の風景を見ることができます。
みなとみらい稜線

一番高いビルは言うまでもない「横浜ランドマークタワー」ですが、このランドマークタワーからの建物はそれぞれ意味をもっているのです。
「横浜ランドマークタワー」は港の灯台をあらわし、3つの建物で構成されている「クイーンズスクエア」は海の波をあらわし、「インターコンチネンタルホテル」は海に浮かぶヨットをあらわした綺麗な稜線を描いているのです。
このようなことまで考えられた都市計画もまたすばらしく、感動的でさえあります。

そして今回の主目的である三塔ビューポイントに向います。
ビューポイントはホールの屋上にあります。
この大さん橋はターミナルロビー部分と、ホール部分が2コブラクダのように盛り上がっているのですが、これは波をイメージしたものなのだそうです。
そしてホール階上のビューポイントに立って大さん橋を眺めると、ウッドデッキで作られた美しい曲線の構造を見ることができます。これが通称「クジラの背中」と呼ばれる由縁なのです。
くじらの背中

これらを含めてこの大さん橋の建設に当たっては、国際デザインコンペが行われ世界41カ国、660作品の応募があり最優秀作品に選ばれたのはイギリス在住の建築家、アレハンドロ・ザエラ・ポロとファッシド・ムサヴィ両氏の作品が選ばれたそうです。

そしてここが第2の三塔ビュースポットです。
ビュースポット

第1のスポットにはプレートが埋め込まれていましたが、ここはウッドデッキを生かしたペンキで表されています。
そして屋上から下のデッキにも三塔のマークが描かれており、このマークとともに遠い彼方に三塔を同時に見ることができました。
三塔スポット

三塔をクローズアップしますと、ジャックの塔がかなり小さいながらもはっきり見て取ることができます。
横浜三塔

広瀬氏の絵葉書の三塔は停泊中のベトナム号からだったので、もっと右岸よりだったことから、キングとジャックが重なっていたのでしょうが、大さん橋の中心からだとこのように綺麗に見ることができます。
これで願いが叶うわけですが、未来永劫この風景が残っていることを願っておきましょう。
こうして目的を果たした大さん橋を後にして、最後の「クイーンの塔」に向います。

象の鼻

「大さん橋」から大桟橋通りを戻ってくると右側に「象の鼻」があります。
象の鼻

「象の鼻」と「神奈川台場」について
日本が開国した当時、国際港には波止場とあわせて台場(砲台)が備えられており、明治4年(1871年)岩倉具視を全権大使とした使節団が西洋諸国に「象の鼻(波止場)」から出発した際にも、「神奈川台場」から祝砲が打たれた記録が残っている。
「象の鼻」と「神奈川台場」の2つの史跡は現在もその遺構の一部が残っていることから、横浜市では、平成21年(2009年)開港150周年を記念して、開港当時の歴史を現在、そして後世に伝えるため、「象の鼻」の復元工事、「神奈川台場」の周辺整備工事を行った。

象の鼻とは
安政5年(1858年)に米、蘭、露、英、仏と通商条約が結ばれ、翌年(1859年)横浜港が開港する。港には波止場が造られ、そのうちの一つ西波止場(イギリス波止場、後の「象の鼻」)は、国際航路に乗船した旅客の出入りや輸出入品の上げ下ろしに利用された。
初代の波止場は、2本の平行な形状だったが、慶応2年(1866年)の大火をきっかけに周辺道路が再整備されたのにともない、波止場の延長工事が行われた。その際、東側の波止場は、波除として機能するよう大きく湾曲した形状に造りかえられた。こうして、後に「象の鼻」と呼ばれる防波堤が誕生した。

神奈川台場とは
安政6年(1859年)5月、幕府は伊予松山藩に命じ、勝海舟の設計で台場(砲台)を神奈川宿(現在の神奈川区)の沖合いに構築した。
台場は、総面積約26,000㎡(約8,000坪)の海に突き出た扇形で、約7万両の費用と工期約1年を要し、万延元年(1860年)6月竣工した。
国交のある国々と礼砲や祝砲を交換するという、当時の国際港としてなくてはならない重要な役割を担った施設である。
明治32年2月に廃止されるまで台場として使われていたが、大正10年(1921年)頃から埋め立てられた。現在は、周辺整備工事により石垣の一部を見ることができる。
(現地案内板説明文より)

先ほどの大さん橋の歴史とも関わってくるのですが、2本の平行な波止場の東側が湾曲して伸びたということです。
1866(慶応2)年から1901(明治34)年までの変遷を見ると良く理解できます。
大さん橋の歴史-1 大さん橋の歴史-2 大さん橋の歴史-3 大さん橋の歴史-4 大さん橋の歴史-5 《写真:(C)社団法人日本埋立浚渫協会》

1881年~1901年の間の1894(明治27)年に鉄さん橋ができるわけですから、1901年の地図が象の鼻と鉄さん橋ということになります。
したがって、象の鼻自体が元々は大さん橋の祖であったということになるのです。
先の大さん橋の写真で言うと明治の象の鼻には建物が造られていたようです。
象の鼻

台場といえば東京のお台場が今や全国的にも有名ですが、やはり神奈川にもあったのですね。
この案内板の写真からは台場方向が見えるような写真が掲載されています。同じアングルでの写真です。
神奈川台場方面

しかしながら実際は非常に離れていて、現在のJR貨物の東高島駅付近だったようです。
当時の位置関係を示す地図と、当時の神奈川台場の写真がこちらです。
神奈川台場 神奈川台場 《写真:(C)株式会社三陽物産》

非常に離れているのがわかりますが、この象の鼻周辺を警戒するためにこの位置になった、重要拠点として発展していく横浜の過渡期の証としたものでしょう。

余談ながら、この三陽物産とは「モンテローザ」という屋号の洋菓子店で、「横浜菓子物語」シリーズと題したお菓子を製造・販売しています。
築造を命じた勝海舟に因み、この神奈川台場の形をかたどった“勝サブレ”や、何と横浜三塔をイメージした“横浜三塔物語”、更に“「象の鼻物語」サクサクマカロン”、“横浜バウムクーヘン玉楠の木”といった楽しくなるようなお菓子もあります。

参考:【モンテローザ】http://3yo.co.jp/

早速、「象の鼻」を散策してみます。
象の鼻防波堤

象の鼻防波堤
安政6年(1859)の横浜開港に伴い、幕府は開港場の中央部に波止場を建設し、その中心地点に運上所(税関)を設置しました。この波止場は、2本の突堤が岸から真っすぐに海に向かって突き出た簡素なもので、東側の突堤は外国貨物の、西側の突堤は国内貨物の積卸に使用されました。
突堤には外国の大きな船舶が直接横付けできないため、沖に停泊している船舶から小船に貨物を移し替えて運んできましたが、強風による高波の影響で小船の荷役作業はしばしば妨げられました。慶応2年(1866)の横浜大火により被害を受けた税関施設などの復興と共に、慶応3年(1867)、幕府は東側の突堤を延長して象の鼻のように弓なりになった防波堤を築造しました。これが「象の鼻」の始まりで、この防波堤によって囲まれた水域で行う荷役作業は一気に効率が上がりました。
象の鼻パークの整備工事においては、残されている写真や工事記録などを参考にして、全体の姿が明治中期頃のものになるように復元工事を行いました。工事中に大正12年(1923)の関東大震災で沈下したと思われる象の鼻防波堤の石積みと舗装の石材が発見されたため、一部をそのままの形で保存・展示するとともに、復元した石積にも利用しています。
(現地案内板説明文より)

発見された当時の石積の写真と、その石積を利用した部分の図が描かれているのですが、今ひとつ図の読み方が判らずにどの部分なのかがわかりませんでした。
象の鼻防波堤 《写真:案内板より》

また、防波堤に立っている照明塔は明治時代のガス灯を模したものだそうです。

そして象の鼻の中央部分に差し掛かったときに、驚愕の事実が・・・、何と三塔が同時に見えるではないですか。
大さん橋ほどはっきりせず、ジャックの塔の尖塔がかすかに見える程度ですが、それでも同時に見えるには違いありません。
横浜三塔 横浜三塔ジャック

という事で、何と第4のビューポイントを見つけたと、小躍りしたい気持ちを抑えつつ写真を撮っていると、何とプレートらしきものが埋め込まれています。
三塔のビューポイントのプレートです。ということは既に4番目のポイントとして認知されていたということになるわけです。
横浜三塔スポットマーク

新発見とばかりに喜んだ私がアホだったか、まあ、それでも第4のポイントを見つけられただけでも良しとしましょう。

象の鼻防波堤 そして象の鼻の突端です。

ここからは、みなとみらいの稜線と赤レンガ倉庫、そして先ほどの大さん橋が見えるという、非常に眺めの良いロケーションです。
みなとみならと赤レンガ倉庫 赤レンガ倉庫 大さん橋

しばらく休憩をかねて港の風景を楽しんでから次に進みます。

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