横浜三塔 #3

「象の鼻防波堤」から最後の塔であるクイーンの塔へは、大さん橋通りからはずれ、「象の鼻パーク」を通り抜けるのが近道のようです。
この象の鼻パークは、あの物議を醸し出した開港150周年に合わせて整備された公園です。したがって2009年にオープンされたものなので非常に新しく斬新なアイディアも数多く盛り込まれているようです。

象の鼻パーク 開港波止場

勿論、先ほどの「象の鼻防波堤」もパークの一部ではあるのですが、このパークの見所は、1.開港波止場、2.開港の丘、3.スクリーンパネルの3ポイントです。
先ずは港沿いを通って「開港波止場」へ向います。
途中、このようなクールなスポットもあり、これもまた港・横浜のもうひとつの顔といっても良いのでしょう。
横浜COOL

そして「開港波止場」がこちらで、いわゆる安政6年に開港された東西2本の波止場の時のイメージです。
日本波止場 日本波止場

ここからは現在遊覧船などが発着しているようです。
この先に「象の鼻防波堤」が見えるのですが、ここから見ると防波堤の先の部分が他の部分と違う石材で組まれているのが見て取れます。
象の鼻

この分が当時震災で沈下した石材なのでしょう。ここから見て初めて判りました。

ここにも波止場の説明があります。

象の鼻地区の波止場
象の鼻地区の波止場は、時代とともにさまざまな愛称で親しまれてきました。開港当初の波止場は東西2本の直線状の突堤で、東側の突堤は「東波止場」と呼ばれ、主に外国からの輸出入貨物の積卸しに使用されました。西側の突堤は「西波止場」と呼ばれ、国内貨物の積卸しに使用されました。
元治元年(1864)、貿易量の増大に伴い、現在の山下公園中央付近に新たに「東波止場」が造られると、象の鼻地区の2つの突堤を総称して「西波止場」と呼ぶようになりました。
フランス人建築家クリペによる「横浜絵図面」には、慶応元年(1865)当時の西波止場の姿が描かれています。当時の水際線は、現在の横浜開港資料館の海岸通りの位置にあり、 2本の突堤はそこから海に突き出ていたと考えられます。
東波止場はフランス人居住区の前面にあったので「フランス波止場」とも呼ばれました。明治2年(1869)、象の鼻地区の前面にイギリス領事館(現在の横浜開港資料館の所在地)が建てられると、西波止場は「イギリス波止場」とも呼ばれました。西波止場の西側の突堤は、国内貨物用だったので「日本波止場」、税関の建物に近いので「税関波止場」とも呼ばれました。
象の鼻パークでは、西波止場の西側の突堤の位置を、広場内の舗装パターンを変えることで表現しています。
(現地案内板説明文より)

知れば知るほどややこしいことになりそうです。
そしてこの案内板のあるところの舗装部分の色が他の部分と違うので、ここが「日本波止場」だったということでしょう。
日本波止場

山下臨港線プロムナードをくぐると波止場の後ろ側は広場になっていて、茶色と白のコントラストの綺麗なチェッカー模様の広場が広がります。
開港広場

黒いパネルのようなものが「スクリーンパネル」で夜には照明となり、背後には「キング」と「クイーン」の塔を従えた美しい夜景となるのでしょう。
そして中央には横浜税関の遺構が残されていました。
鉄軌道と転車台

鉄軌道と転車台
明治33年(1900)に発行された「横浜税関一覧」の付図には、横浜税関の上屋や倉庫の背後に、縦横に走る鉄軌道(線路)やその交差部に設置された転車台(ターンテーブル)が描かれています。右図に示されているのが象の鼻パークの整備工事中に発見された4連の転車台です。
これらの鉄軌道や転車台は概ね明治20年代後半に整備されました。明治40年代の写真(右下)には、鉄桟橋(現在の大さん橋)方向に向かって敷かれた鉄軌道、転車台、鉄軌道の上を走る台車状の車両が写っています。
鉄軌道の幅員は1.06mあり、我が国の一般的な鉄道の車軸幅と同じです。
また、転車台は、鉄部の直径が約2.5mありました。この大きさでは回転の出来る車両の規模も限られることから、発見された鉄軌道は敷地内での荷役作業を行うために設けられたものであると考えられます。
当時の工事記録によれば、当初は、鉄桟橋からの鉄軌道は税関敷地内を通って海岸沿いに大岡川河口部に至り、横浜停車場(初代の横浜駅、現在の桜木町駅)に連絡する計画であったようです。
(現地案内板説明文より)

この展示は4連の転車台を仕組みがわかるように、1.発見された状態、2.転車台中央部のハッチ撤去、3.鉄テーブルの半分を切断、4転車台ピットの4種類の形で展示されているそうです。
鉄軌道と転車台

といったものの写真では上手く撮れなかったので、やはり実際に見たほうが良いでしょう。

広場の角には「横浜港港湾労働者供養塔」と刻まれた記念碑がひっそりと建っています。
横浜港港湾労働者供養塔

この「象の鼻波止場」は開港時から港湾労働者の中心地点で、特に戦後の復興期の横浜港は着岸待ちの貨物船でごった返していたそうです。そうした発展も多くの人々の労力によって支えられてきたのです。そうした中、沖合での荷役作業中に不慮の事故で亡くなる人も多かったそうで、「象の鼻波止場」はそうした亡くなった方を迎えた場所でもあったそうです。
その様な港の発展につくしてくれた人々を忘れないための供養塔といえるのでしょう。

そして県庁との境の道路近くには、由来の記載された案内板があります。

「海の日」の由来
明治9年(1876)明治天皇が東北巡幸の帰途、船で青森を出発し、函館を経由、7月20日に横浜に帰着しました。この航海には、岩倉具視、木戸孝允などの明治の元勲160人が同行していました。
「横浜毎日新聞(明治9年7月22日号)」の記事には、20日午後7時30分頃相州金田沖(現在の横須賀市金田湾沖)を航行、その後艀に乗り換えて午後10時に大波止場(現在の象の鼻地区)に上陸したと記されています。
使用された船は「明治丸」。明治7年(1874)英国グラスゴーの造船所で造られ、翌年横浜に回航された汽帆船で、就航当初から天皇の御乗船(ロイヤルヨット)としても利用されていました。現在は復元整備され、重要文化財として東京海洋大学構内に保存されています。
「海の記念日」は、この7月20日にちなんで昭和16年(1941)に制定されました。国民の祝日である「海の日」は、平成8年(1996)「海の記念日」を踏襲し「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを目的に制定されました。その後平成15年(2003)の祝日法改正により、7月第3月曜日が「海の日」となりました。
(現地案内板説明文より)

人間とはなんとも都合の良い動物で、「海の日」が祝日になって初めて「海の記念日」があったと知ったわけですから、いい気なもんです(私だけ…?)。それでも流石に港・横浜の面目躍如といったところの由来です。

その隣には「クイーンの塔」である横浜税関についての説明があります。

横浜税関(神奈川運上所)
安政6年(1859)、幕府は開港のため神奈川奉行所を設けました。その下で、通関事務のほか、船の入出手続き、洋銀両替、各国領事との交渉や違法行為の取り締まりなど幅広い業務を取り扱ったのが、神奈川運上所でした。運上所の庁舎は波止場の中央正面に建てられていました。
明治4年(1871)には運上所業務のうち通関事務などが大蔵省の所管とされ、明治5年(1872)には全国の運上所の名称が「税関」に統一されました。
明治6年(1873)「横浜税関」となってからの初代本庁舎が初代運上所の建屋があった位置よりやや海側に石造り3階建てで建設され、明治16年(1883)にはこの庁舎は神奈川県に譲渡されました。明治18年(1885)になると、中央に塔を配した煉瓦造2階建ての2代目本庁舎が建設されました。
大正12年関東大震災により横浜港の港湾施設は壊滅的な被害を受け、昭和9年(1934)に震災の復興事業の一つとして建設されたのが現在の3代目本庁舎です。この庁舎にそびえる高さ51メートルのエキゾチックな塔は一般に「クイーンの塔」と呼ばれ、今も広く親しまれています。
(現地案内板説明文より)

クイーンの塔の歴史は概ね判っていたので、取り立てて説明の必要もないでしょう。
興味深いのはこの案内板にその各時代の庁舎の写真が掲載されていました。
横浜税関歴史 《写真:案内板より》

個人的には2代目の煉瓦造りが一番荘厳な感じがあり好きですね。また3代目と現在のとは階数が違っているようですし、何より塔の屋根が赤から青に変わっているのが特徴的です。
ということで、「象の鼻パーク」はまだ開港の丘が残っているのですが、先にクイーンの塔を訪れます。

クイーンの塔

先ずは建物の外観を見てみます。
クイーンの塔 横浜税関 クイーンの塔

肝心の「クイーンの塔」ですが、その塔の屋根は銅板の一文字葺きで、数十年を経たことから赤銅色から緑青色に変色したものだそうです。
したがって3代目の庁舎の塔の屋根は改修されたのではなかったということです。
創建当時は塔屋の6階の外部に装飾照明が8個設置されていたそうで、ライトアップなどという粋なものが無かった時代に、燈すシルエットは非常に魅力的なものだったのかも知れません。
現在は一応塔のある面が正面なのだそうですが、もともとの正式なエントランスはちょうど裏側になるそうです。
横浜税関エントランス

このエントランスは、5階の窓と同じように3連アーチが特徴だそうで、様々な建築様式が交じり合った多国籍建築とでもいえるものでしょう。
まあ、税関といういわば日本の玄関口にある建造物ですから、ワールドワイドなのも最もな話かもしれません。

塔に向って左側の入口が「横浜税関資料展示室」です。
横浜税関資料展示室

右側にある“ゆるキャラ”は「カスタム君」というそうで、実は麻薬探知犬をモデルにしている余り“ゆるく”ないキャラクターなのです。
早速入館しますとコラージュ風の展示があり、近代化産業遺産の認定などのプロローグ的なアプローチです。
横浜税関資料展示室

特にこの展示室は「クイーンのひろば」と呼ばれているようです。
係りの方に撮影許可を尋ねると「バンバン撮ってください」とのこと。実にありがたい話です。

順路に沿って進むといきなり度肝を抜かれる小さな展示品が・・・。
横浜税関資料展示室

題して「模造麻薬見本 -手に取ってご自由にご覧ください-」。
「覚せい剤」「大麻草」「アヘン」「ヘロイン」「コカイン」・・・と名前だけは良く聞くものですが、実際のものを見るのは初めてで、ある意味感動的でもあったりします。
流石に税関の展示室ですから、甘く見てはいけませんよ、これは。

しかしその先にはホッとする歴史が展示されています。

通商条約と横浜税関
1853(嘉永6)年、アメリカ合衆国のペリー提督が4隻の軍艦をひきいて浦賀沖にあらわれ、日本の開国を要求。
次の年に日米和親条約が結ばれました。
アメリカはさらに貿易を行うことを要求し、1858(安政5)年には、日米修好通商条約が結ばれました。
オランダ、ロシア、イギリス、フランスの4カ国とも同じ条約が結ばれ、次の年には貿易がはじまります。この時に横浜港が開かれ、神奈川運上所も作られました。

開国の時から麻薬は持ち込み禁止!
「日米修好通商条約」には、「阿片の輸入厳禁」の文字が見られます。これは4カ国との条約にも盛り込まれています。この時から今日までずっと、わが国では麻薬の国内持込を禁止しています。
麻薬を水際で止めることは運上所の時代から今日まで、税関の大切な責務です。
(現地案内板説明文より)

ということで、ここにはその「安政の五カ国条約」が展示されているほか、様々な資料が展示されています。
安政の五カ国条約 横浜税関資料展示室

「安政の五カ国条約」は、領事裁判権を認める、関税自主権がない、などといった不平等条約だったと社会の歴史の時間に習ったあの有名な条約ですが、そこに既に麻薬に関しての記述があったとは驚きです。
麻薬を最初に身近に感じたのが1973年のローリング・ストーンズの来日公演でした。初来日とあって盛り上がりも最高潮だったときに、ミック・ジャガーの大麻不法所持による有罪判決が原因で入国拒否され、来日公演が中止となったことでした。高校生の頃でしたが、当時世界的な流行だったフラワームーブメントの最後の時代でしたから、日本の入国拒否という対処をより鮮烈に記憶しました。

次のコーナーには、税関の建物などについてのパネル展示です。
こちらが歴代の税関長だそうで、威厳に満ちた人たちです。
歴代税関長

この中で中央の第4代横浜税関長である「星亨」氏は、税関長時代、英国のクイーンを「女王」と訳し、「女皇」と訳すべしとする英国公使の抗議に、自説を主張し一歩も譲らず、所謂「女王事件」を引き起こし、引責辞任した明治の傑物といわれた人だそうで、後に逓信大臣となり暗殺されたのだそうです。
この横浜税関長を拝命した人は、その後出世する人が嘗ては多かったようで、近年ではこのポストを最後のポストにしようと考えている人も多いとか言われているそうで、意外と侮れないポストのようです。

隣には先にも出ていた「クイーンの塔」の建物の歴史パネルと資料が展示されています。
歴代税関本庁舎 資料

初代庁舎 1873-1883(明治6-明治16)年
現神奈川県本庁舎の位置に建てられた石造り三階建ての本格的な欧米建築様式の建物。設計はアメリカ人建築家R.P.プリジェンス氏。1883(明治16)年、庁舎新築・移転にともない県に約8万円で譲渡されました。
2代目庁舎 1885-1923(明治18-大正12)年
日本大通の突き当たりに建てられた煉瓦造り二階建ての建物。ギリシャ式建築様式が使われていたり、建物中央に六角の塔がそびえるなど、横浜港で異彩を放っていました。
1923(大正12)年9月1日に起こった関東大震災により倒壊しました。
3代目庁舎 1934-2003(昭和9-平成15)年
「ロマネスク」などの西欧建築様式が混在するエキゾチックな建物は「クイーンの塔」の愛称で広く親しまれており、神奈川県庁本庁舎の「キング」、横浜市開港記念会館の「ジャック」と並び「横浜三塔」と呼ばれています。
4代目庁舎 2003(平成15)年-
歴史的建造物である3代目庁舎の景観を生かしつつ、現代の建築技術を取り入れて設備を全面改装。
歴史文化を物語り、情報化社会の高度な業務にも対応できる、新たな時代の横浜にふさわしい建物に生まれ変わりました。
(現地パネルより)

IT時代を予測することは不可能であったろう3代目庁舎から、それらの機能にも対応できる、いわば「羊の皮を被った狼」・・・、といったところでしょうか。

その隣には「大礼服」が展示されています。
大礼服

大礼服とは国家での制服にあたるもので、明治時代から第2次世界大戦まで使用されていたものです。
武官と文官によって違うそうですが、文官は中央省庁本省の次官・局長、府県の知事などが着用することになっていたそうです。 従って歴代(大戦前までの)の税関長は着用が決められており、それゆえにプライドも高かったようです。
その一例がこの「クイーンの塔」の高さの問題にも現れたのです。
関東大震災で倒壊した庁舎を再建する際、時の第22代税関長であった金子隆三氏は3代目の庁舎建設に着手しました。その際、設計図を見た税関長は、塔の高さが47mであることを知り、「日本の表玄関たる国際港横浜の税関の庁舎とするなら、高くすべき…」と言及して設計図が書き換えられ、当初より4m高くして、神奈川県庁の49mを凌ぐ51mとしたのでした。
この辺りも「国=横浜税関」>「県=神奈川県庁」>「市=横浜市開港記念会館」といった力学が働いたのかも知れません。ユニークなエピソードです。
税関に関する歴史は以上で、この後は税関の業務についての展示ですが、ここからはかなりダークサイドな展示となります。

まず最初の解説は麻薬犬、正式には「麻薬探知犬」です。
麻薬探知犬

麻薬探知犬は昭和54年に導入したのが始まりで、現在では全国の税関に120頭を超える麻薬探知犬が配備されていて、ここ横浜税関には9頭が配備されているそうです。

麻薬探知犬として使われている犬の種類は、主にジャーマン・シェパード、ラブラドール・リトリバーの2種類で、麻薬探知犬のタイプとしては、航空貨物や海上貨物の検査の際、麻薬の入った貨物をひっかいて知らせようとするアグレッシブドッグと、入国検査場で旅客の携帯品に隠された麻薬を座って知らせようとするパッシブドッグがいるそうです。
現在ではかなりの貢献度を示しているようです。
ちなみに犬は麻薬の匂いは覚えますが、麻薬中毒にはならないそうです。

次からの展示はすべて違法なモノについての展示です。
「白い粉の恐怖」「黒い武器の恐怖」とおどろおどろしく書かれたパネルが身を引き締めさせます。
麻薬と武器

展示は様々な麻薬の密輸方法を展示しています。
麻薬関連展示 麻薬関連展示 麻薬関連展示

缶ビールの中に隠したり、置物の台座に隠す方法、更に大胆にも一斗缶で密輸した例など違うことに頭を使えば良いのにとつい思ってしまいます。
あたかも税関をあざ笑うかのような置物の不敵な笑いですが、税関は見逃しませんでした。
そしてもう1つはモーターボートによる鉄砲と実包の密輸した際の木箱が展示されています。
武器関連展示

そしてその展示の前の足元には、床底に展示された麻薬と鉄砲が展示されています。
麻薬関連展示 武器関連展示

いわゆる末端価格何億というやつと、本物の拳銃です。
こう言ったものも本物を見る機会は、一般人では殆ど無いでしょうから、実に貴重な経験といえます。

麻薬、銃関係の次は様々な商品や装飾品が所狭しと展示されています。
違法コピー商品とワシントン条約違反 違法コピー商品や、ワシントン条約違反 違法コピー商品や、ワシントン条約違反

決して税関土産ではありません。
商標権や著作権などの知的財産を守るための違法コピー商品や、ワシントン条約違反の生物や商品などが展示されており、改めて知的財産などについて考えさせられる展示でした。

展示室の一画には、かつて現在の神奈川県庁の地にあった運上所を再現した門があります。
運上所の再現 運上所の再現

勿論、レプリカですが、裏には時代ごとの制服を着たマネキンも展示されており、窓からは当時の地である神奈川県庁本庁舎の「キングの塔」を見ることができます。
神奈川県庁舎

歴史を彷彿とさせる展示とロケーションでした。

そして、この展示室の最後を締めくくるのはこちらです。
展示

そう、「手に取って御自由にご覧下さい」の“模造麻薬見本”です。
とにかく最初と最後は麻薬撲滅のアピールということで、社会的にも危機感が高いということでしょう。

単純に「クイーンの塔」内を見学くらいの気持ちでしたが、実に貴重な経験をさせてくれる展示室でした。
「写真はバンバン撮っていいですよ」というのは、そうすることによって少しでも社会の悪を無くすための啓蒙活動の一環として捉えられるといったことからでしょう。
恐らく国民の多くはこういったことに一生関わらないでしょうが、いつこのような落とし穴が待ち受けているかはわかりません。
そういった意味でも正しい知識や見聞を広めておくことは良いことでしょう。
機会があれば是非一度訪れてみることをお勧めします。

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