いわき七福神 #2

久ノ浜の「波立寺」から好間の「長興寺」まで車でも30分ほどかかりますので、「いわき七福神」巡りをするのは結構大変かもしれません。
しかしながら4つ目の七福神“大黒天”のある「聖樹院」は、あの白水阿弥陀堂のある内郷地区ですから、「長興寺」からはホンの10分程度の距離です。

大黒天:聖樹院

山号標のある境内入口から急な坂道を登りきったところが「聖樹院」です。
聖樹院

聖樹院由来
当寺は山号を白桜山と称し、臨済宗を宗旨としており、京都市右京区花園妙心寺町にある妙心寺を本山としておりますので妙心寺派に属しております。開基は今を去る690余年前の永仁2年4月20日伏見天皇治世(西暦1294年)、癡鈍空性和尚により開山されたといわれております。
最初の堂宇は平上荒川字笑堂地内にありましたが童堂(笑堂)の火災の折類焼し、元禄年間、御厩町下宿130番地に移転しました。当時は檀家も僅か数戸であり、小さな寺ながらも、境内にはグミ、しだれ桜等の古木や、寺院の北側には杉木立に囲まれた閑静な地で、又東の端には清冽な清水の湧き出る菖蒲池があって、その故は「閼伽寺」と一般には呼ばれていました。
昭和40年11月、敷地の大部分が、平内郷線の連絡道路用地となるために現在地の清水57番地に移転しましたが、この地はもともと墓地でありましたので、更に墓地を取得し、檀家も増え現在に至っております。
(現地案内板説明文より)

やっと徳一大師以外の開基の由来が登場です。それでも700年近い歴史を持っているのですからまさに古刹といえるのでしょう。
そして正面にあるのが「大黒堂」です。
大黒堂

甲子大黒天縁起
大黒様は家庭円満、社会繁栄、商売繁盛、無病息災の神様で、又慈悲深く奉仕の精神に徹しており、聖樹院の大黒様として広く信仰を集めてきました。又、近年は、「いわき七福神」に指定され、その先頭に立っております。例祭は毎年の5月15日、縁日はその名の通り甲子の日であります。
本尊は石で、その台座には安永4年3月と銘がありますので250年前のものであり、作者は現在は不詳ですが彫刻としてもすぐれたものであります。
今日まで何度か、洪水・火災・移転等の為遁失の厄に遭いながらも不思議にもその度にいづくからともなく再現してその霊験のあらたかさに一層の信仰を集めております。
(現地案内板説明文より)

「いわき七福神」は比較的最近指定されたのですね。その先頭に・・・、という意味がよくわかりませんが、これからこの七福神を活性化しようということでしょうかね。「長興寺」では幟もなかったくらいですから、まだまだ認知度も低いのかもしれません。
そして霊験新たかな石像の本尊がこちらです。
大黒天

小さな石像ですが、綺麗な白色で確かに霊験あらたかそうな気がしてくるから不思議です。

そしてこれは後に知ったのですが、大黒堂の後にある石碑は「芭蕉の句碑」だそうで、“百年のけしきを庭の落葉かな”と刻まれており、これは1691(元禄4)年に彦根市で詠まれた句だそうです。
芭蕉句碑

大黒堂の左手には「手水舎」があり、先ほどの説明にあった「閼伽」についての説明がありました。
閼伽

閼伽
「閼伽」とは梵語で御仏に供える清浄な水のことをいう。聖樹院を曽っては別名を閼伽乃寺(あかの寺)と呼ばれて親しまれてきた。
平成2年3月建立
(現地案内板説明文より)

確かいわき市の水石山の方に「閼伽井嶽」があったはずです。そしてそこには【閼伽井嶽薬師】を訪れましたが、いわき市は清流に恵まれた地であるという証となるわけでしょう。
最後に本堂を参拝して「聖樹院」を後にしました。
聖樹院 本堂

福禄寿:建徳寺

「聖樹院」の後は5つ目の七福神、福禄寿のある「建徳寺」に向かいます。
「建徳寺」は常磐藤原町にあり湯本からも近くで、以前【常磐の伝承と民話-雨降り地蔵】で昨年の7月ですから、丁度1年ほど前に訪れています。
そのときには、特に七福神という案内は何もなかったような記憶があるのですが・・・。

兎にも角にも「建徳寺」に到着しましたが、ただならぬ気配を感じます。
その気配がこれでした。
建徳寺

駐車場の直ぐ横の手水舎が無残な形で倒壊していました。どうしても今回の災害は津波がクローズアップされましたが、津波の来ないこのような内陸の更に高台でもこう言った被害が起きていたのですね。
そういわれてみれば、この「建徳寺」近くにある「スパ・リゾート・ハワイアン」もまた震災の影響で現在閉鎖されているわけですから、押して知るべしでしょう。
そして参道に向かうとあの山門も倒壊しています。
建徳寺 建徳寺

また、その隣の地蔵堂(だったか・・・)も倒壊しています。
建徳寺 建徳寺

更に、本堂はと見れば本堂もこのように倒壊寸前の様子です。
建徳寺 本堂 建徳寺 本堂

以前、来訪した際の写真と比べてみるとその様子がはっきりとわかります。

他の寺社仏閣で石仏や石塔などが倒壊しているのは多いようですが、ここまで建造物が倒壊しているのを見るのは初めてです。
そこで、この地震について少し調べてみたところ、これは3月11日の東日本大震災時に倒壊したものではなく、その1ヵ月後の4月11日に起きた余震によって倒壊したものだそうです。
言われてみれば、3月11日後から2~3週間後に湯元の自宅を整理したときには仏壇が倒れていただけでしたが、大きな余震があったと報道された後に行ったときには箪笥も倒れていましたから、ある意味余震のほうがこの周辺地区では、被害が大きかったのではないかと想像していましたが、そのような結果だったのですね。
更にこの余震について調べてみると、実は余震ではなかったそうです。
この4月11日の起きた地震は、湯ノ岳断層による直下型地震だったそうなのです。断層による直下型地震といえば、あの阪神淡路の震災を思い浮かべますが、断層から大きなパワーを引き出したM7(震度6弱)の大地震だったのです。
この湯ノ岳断層とはいわき市遠野町入遠野地区付近から常磐藤原町付近まで続き、文字通り「湯ノ岳」を東西に貫く断層です。この断層、かつての研究では活断層と見られていたようですが、福島原発の耐震性を考慮する際に東京電力が調査し、「12万~13万年前以降の活動はない」と認定し、2006年に制定された新耐震指針によれば、過去12万~13万年以降に動いていない断層は、再び地震を起こさないという考察が認知されていたようです。
この死断層と考えられていた湯ノ岳断層が、3.11の地震やその余震により誘発されたものではないかと考えられているそうです。
そしてその湯ノ岳断層は、なんとこの「建徳寺」の参道沿いを走っていることから、参道上にある山門、本堂はもとよりその周辺も倒壊してしまったということのようです。
従って「スパ・リゾート・ハワイアンズ」も同じようなことから、被害が大きくなったといえるのでしょう。 何とも皮肉なことに「七福神の石碑」の前がその断層のようで、参道の石畳とははっきり段差があるのがわかります。
湯ノ岳断層

津波の陰に隠れていますが、ここでも大変な被害が起きていることを認識させられました。
それにしても被害は建物だけだったのでしょうか・・・。庫裡のほうは多少の被害程度のようですから御無事だったのかもしれません。復旧を祈念いたします。
建徳寺 建徳寺

ということで、ここでは七福神どころではないので、次に移ります。

毘沙門天:妙光寺

「妙光寺」は遠野町にある寺院です。「建徳寺」から「妙光寺」へは県道14号線、通称、御斎所街道を進めば恐らく20~30分程度で到着できるでしょうが、ちょうどクレストヒルズゴルフ場の入口の先に、先日の4月11日の震災の際の土砂崩れがあり通行止めとなっています。
それ以外のわき道もわかりませんし、ナビも全く誘導してくれないので仕方なく植田方面に一旦南下して、県道20号線を北上して14号線を反対から廻り込むという大変な迂回をしました。
本当にお寺があるの、と思いたくなるような長閑な風景の中を進んで結局1時間以上掛ったでしょうか、とにかくも「妙光寺」に到着しました。

結構広い境内のようです。
妙光寺

山門を入った左手に「毘沙門天」像が建立されています。
毘沙門天 毘沙門天

恐らく本尊は本堂に安置されているのでしょう。普段でもお参りがしやすいようにこういった像が作られたのだと思います。
広い境内も背景となる竹林で、なかなか風雅です。晴天ならもっと風流かもしれません。
妙光寺 妙光寺

本堂もかなり立派で中央に“卍”が記されています。まさに「ザ・テラ」ですが、残念ながら縁起は例の徳一大師の開山としかわかりません。
妙光寺 本堂

鐘楼自体は新しそうですが、梵鐘は江戸中期のもので音が非常によく逸品なのだそうです。
妙光寺 鐘楼

本堂の左奥には「東堂山」という社が建っています。何を祀られているのか、どんな由緒なのか全く不明です。
何となく謂れがありそうな予感がするのですが、何とも残念です。
東堂山

また、境内の左手には「鎮守山王堂」なる社もありますが、こちらもまた不詳です。
鎮守山王堂

境内の中央に御自宅でしょうか、何やら不審者のように目を付けられていたので、何となく落ち着かないので早々と退散します。
まあ、このような時期に、しかも道路が遮断されているときにお参りに来るのも怪しいかもしれませんから、仕方ないでしょう。
何となく素通りしただけの七福神といった感じでした。

布袋:龍春寺

最後の七福神の布袋尊が祀られているのが「龍春寺」です。
「龍春寺」は瀬戸町というところにあり、勿来方面といえばわかり易いかもしれません。いずれにしてもいわき市の南に位置しています。
今回の七福神めぐりは、雨降りの中ということもあるのかもしれませんが、徐々にテンションが落ちてきます。
1月の初春ならもっと賑わって、七福神巡りらしい風情もあるのでしょうが、この時期、そして天候ですから、どこに行っても怪しいオッサンとしか見られないことも悲しいものがあります。
最後の「龍春寺」では、すっきりと七福神巡りを終わりたいと思いますが・・・。

「龍春寺」もまた長閑な風景の中にある寺院です。
寺域の前にはこのような小川も流れていて、天気がよければ“ひねもすのたり”風情かも知れません。
小川

この寺院もかなりの急坂を上っていきます。
龍春寺

駐車場から最後の坂道を上がったところが境内です。
龍春寺

落ち着いた雰囲気の中に歴史の漂いそうな本堂があります。
龍春寺 龍春寺

龍春寺について
尾玉山龍春寺は臨済宗妙心寺派のお寺です。
1595年(文禄4年)、佐竹又七郎が磐城領の総検地を行った際、領主岩城貞隆が龍春寺に山林を与え、徳川時代の鳥居忠政も、その寺領をそのまま認めたということです。
ご本堂は1852年(嘉永5年)にすべて焼失してしまい、明治31年に仮のご本堂を建てて今に至っております。
道路から山門までの長い坂道は、二月には寒ツバキ、四月は桜、六月はアジサイ、九月には彼岸花そして紅葉と四季折々に色とりどりの花で埋まり参拝者の心を和ませてくれます。
特に彼岸花のころには真っ赤な花が火の海の如く咲き乱れ、その中に囲まれた三十三観音像が幻想的な雰囲気を醸し出してくれます。』(「龍春寺」オフィシャルサイトより)

他の寺院と比べれば歴史は新しいといえるかも知れませんが、確実な歴史を持っていると考えれば400年の歴史は由緒ある古刹でしょう。
悲しいことにこの時期は一番花がないので、心はあまり和みませんが、それでも自然溢れる境内は一服の清涼剤です。
外観に比べて本堂内は非常に綺麗です。どちらかに布袋尊が祀られているのでしょう。
本堂

境内を見渡すと古い鐘楼があり、その前に地蔵堂なのでしょうか、小さな堂宇があります。
鐘楼 堂宇 堂宇

何が祀られているのか皆目わかりませんが、現在でも信仰をあつめているようです。
この「龍春寺」では、七福神の幟すら見当たりません。「長興寺」と同じように、いわき七福神としてあまり積極的ではないのでしょうかね。
本堂をお参りして今回の散策は終了ですが、残念ながら最後までテンションは下がりっぱなしでした。

そもそもいわき市は広いということを身をもって知っていましたが、今回の七福神巡りではその広さを改めて感じさせてくれました。クルマを利用して、かなりの駆け足で廻っても半日以上はかかる七福神を、公共機関で廻れば間違いなく2~3日かかるでしょう。
少し淋しい七福神巡りでしたが、機会があれば正月にもう一度めぐって見たいものです。ご開帳などがあると思いますので。

久しぶりに再開した散策でしたが、震災から5ヶ月経過した現在でもその爪あとは大きく残っているようです。
亡くなった方のご冥福を祈り復興を祈念してやみませんが、こういった大災害が今度は関東でも起きえることは充分考えられます。
そのときのために今どうすべきかを個人レベルで考える機会でもありました。
福島では他の県と違い特に原発の問題が大きくのしかかっています。いち早くそれらの災いが解消されて、元の美しい海岸が取り戻せることを願います。
そして美しい自然と悠久の歴史をまた楽しみたいものです。

2011.09.07記

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