NHK放送博物館 #1

「西久保八幡神社」を後にして「江」縁の地の最後である愛宕山方面のNHK放送博物館へ向います。
西久保八幡から一旦北上し、神谷町交差点を右折して東方向に進みます。

青松寺

芝公園三丁目と書かれた歩道橋のある交差点に到着します。
遠く南の方角に見えるのが増上寺で、北方向の左手に大きな山門がちらりと見えます。
芝公園三丁目 芝公園三丁目
近づいてみるとかなり立派な山門で「青松寺」という江戸名所図会にも記載されている名刹です。
青松寺 青松寺
当時はかなり広大な境内域を持つ寺院だったようです。
青松寺 《江戸名所図会》
現在においても大きな寺院のようです。

万年山青松寺
  同南に隣る。曹洞派の禅刹にして、江戸三箇寺の一員たり。本尊は釈迦如釆、開山を雲崗俊徳大和尚〔雲岡舜徳、一四三八-一五一六〕といふ。文明年間〔一四六九-八七〕、太田左衛門佐持資〔太田道灌、一四三二-八六〕草創す。はじめは貝塚の地にありしを、後(あるいはいふ、天正[一五七三-九二〕、また慶長〔一五九六-一六一五〕とも) この地に遷さる(ゆゑに、いまも俗に、貝塚の青松寺と称せり。一に青松寺の旧地は、いまの平川馬場の商の方なりと云々。南向亭〔酒井忠昌、一八世紀中頃〕云く、青松甲斐といふ人、草創す。その旧跡は、椛町の貝塚、当時、玉虫八左衛門といへる屋舗にありて、かの墓を甲斐塚といふと。
菊岡沾涼[一六八〇-一七四七。俳人〕は、青松宮内といふ人の建立なりといへり。また、当寺に太田道灌の塚ありといへども詳らかならず)。
当寺の後ろの山を、含海山と号く。眺望、愛宕山に等しく、美景の地なり。惣門の額「万年山」の三大字は、みんの沙門道霈の筆なり。
(江戸名所図会より)

この青松寺は当時、江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476年)に創建された由緒ある寺院です。
元々は現在の千代田区麹町周辺にあったようですが、江戸城拡張の為に現在地に移転したそうです。
境内には「獅子窟学寮」という僧侶の学校があり、明治9(1876)年には、港区高輪の泉岳寺学寮、文京区駒込の吉祥寺学寮「旃檀林」と統合し、現在の駒澤大学になったのだそうです。
そしてここに記載されている江戸三箇寺とは、江戸時代に関三刹の配下として江戸府内の曹洞宗の寺院を司った3箇所の寺院をいうそうで、江戸僧録、江戸触頭ともよばれたそうです。他の2寺は、泉岳寺(港区高輪)と、總泉寺(板橋区小豆沢)で、関三刹とは大中寺:下野国(栃木県栃木市大平町)、總寧寺 :下総国(千葉県市川市)、龍穏寺:武蔵国(埼玉県入間郡越生町)のことをいうそうです。
このように「青松寺」は当時としてはかなり有名な寺院だったのです。

山門には見事な四天王が安置されています。
青松寺 青松寺
このように横に並んでいるのも珍しいかもしれません。
山門を抜けて先に進むと中雀門があります。
青松寺中雀門 青松寺中雀門
全てが新しいのですが、壮麗さを持った造りです。
左手にあるのが鐘楼で、後ろの高層ビルが愛宕グリーンヒルズで、まさに都会の中の寺院代表とも思える光景です。
青松寺鐘楼 青松寺鐘楼
参道を進み中雀門を抜けると広い境内となり正面に本堂が鎮座しています。
青松寺本堂 青松寺本堂
本堂もまた新しくて綺麗なのですが、掲額とその両脇の阿吽の仁王像だけが何となく歴史をとどめているような気がします。
また、本堂の左手には「観音聖堂」があり、右手には「座禅堂」があります。
観音聖堂 座禅堂
どちらも現代にあったモダンなデザインでありながら、そこはかとなく落ち着きを示していて、非常に見ていて気持ちの良い堂宇です。
本堂での参詣を済ませて戻りますが、ここからは先の鐘楼の辺りから、境内の西方向に回ります。

鐘楼と愛宕グリーンヒルズの間にある通路を進むと「法輪大観音」があります。
法輪大観音

法輪大観音
坐禅堂の西側におわす観音菩薩様です。法輪とは、「仏の教え」のことで、また、仏さまがその教えを説かれることを「転法輪」というのですが、「法輪」のお名には、世の中に仏教の教えが広く説かれるように、人々の心に届くようにとの願いが込められております。 お参りの折には、ぜひとも、ゆっくりと心静かに観音菩薩様の優しいまなざしを受けてお手をおあわせください。
(青松寺オフィシャルサイトより)

かなり大きなこの像は観音菩薩でした。
法輪大観音 法輪大観音
ただその手前にあった十観音のレリーフと石碑が何を意味するのかは判りません。
それにしてもこの法輪大観音と高層ビルとのコントラストは、またも都会の不思議空間のような色合いです。

法輪大観音から南に向うと樹木の中に祠のようなものがあります。
奴地蔵(槍持勘助墓) 奴地蔵(槍持勘助墓)

港区の文化財 奴地蔵(槍持勘助墓)
勘助(本名芦田義勝)は、美作国(岡山県)津山藩松平越後守宣富の足軽でした。主人越後守の槍は大変長く、重かったので倒さぬように持つための苦労が多く、倒して打首になった者もいました。義侠心の強い槍持勘助は、身をもってこの難儀を後に残すまいと、槍の柄を1メートルほど切り落とし、その場で切腹しました。元禄14年(1701)9月のことといいます。その後、松平家では再び切られるのを恐れて、槍の柄の鉄の筋金を入れたといいます。
(現地案内柱説明文より)

この勘助には別に勘助地蔵伝説というのもあるようです。
勘助は大変な酒好きなためいつしか痔を患うようになりました。妻子が心配するので禁酒を始めたそうです。
そんなある日、主君である細川侯の長槍を持って鷹狩に同行させられました。鷹狩から帰った勘助は天下泰平の時代にこんな長槍は無駄な骨折りだと愚痴をこぼしたところ、この愚痴を聞き及んだ主君細川侯は、切腹を命じたのです。
命じられた勘助は、それなら禁酒する必要もないので、最後に腹一杯酒を飲んでから切腹したのだそうです。
この話を哀れんで勘助地蔵という地蔵尊をたて、痔に悩む人々がお参りに来たそうです。
現在この地蔵は青松寺の墓地にあるそうなのですが、全く知りませんでした。この槍持勘助の話は結構有名だそうで、当時講談としても演じられていたようです。

この墓の先は公園のように整備された境内で、こういった湧き水があったり、多くの石仏なども置かれています。
湧き水 石仏
その突き当りには稲荷社もあるようです。
稲荷社
更にここから西に進む先には階段があり、そこを上がると「智正庵」という茶室となります。
智正庵
樹木に覆われた一画に建っていました。
その横には見晴台があるのですが、現在は樹木に覆われて眺望は殆ど望めません。
見晴台 見晴台
しかしながらこの辺りが江戸名所図会でも記載されていた「含海山」なのでしょう。「眺望、愛宕山に等しく、美景の地なり」とありますので、当時は非常に景観がよかったのでしょう。
景観は全て新しくなっていますが、その歴史は武家にも庶民にも尊崇されていた奥深さを感じました。

愛宕山 NHK放送博物館

「青松寺」を出てそのまま北上した左側に愛宕山が見えます。
愛宕山
その下には愛宕トンネルがあり、トンネル入口手前には愛宕山に登るエレベーターが設置されています。実にコンビニエンスです。
愛宕トンネル 愛宕山エレベーター
早速、エレベーターに乗って愛宕山に上がると、意外と高いのに驚きました。 確かにかつての眺望はすばらしかったのでしょうが、現在はやはりビル、ビルの風景でしかないようです。
それでも緑が残っているので、非常に気持ちも和むものです。

そしてエレベーーターから鳥の巣のような橋を渡ると、左側に大きな建物があります。
愛宕山
ここが「NHK放送博物館」です。
NHK放送博物館 NHK放送博物館
今回の散策のテーマである「江」を作り出した張本人と言っても良いNHKです。
ここはじっくり見学してみたいものです。

エントランスから入場するとパンフレットと「江」の絵葉書をいただきました。
NHK放送博物館 「江」絵葉書
勿論、入場は無料ですが、嬉しいことに写真はOKなのだそうです。著作権等で絶対だめだと思っていましたが意外でした。

ようこそNHK放送博物館へ
NHK放送博物館は世界最初の放送専門のミュージアムとして、昭和31年に“放送のふるさと・愛宕山”に開館しました。日本の放送が始まってから80余年。その間ラジオからテレビへ、さらに衛星放送やハイビジョン、そしてデジタル放送へと大きく進歩・発展してきました。
放送の歴史に関する、約2万件の資料と約7干点の図書を所蔵し、順次公開しています。
(パンフレットより)

個人的に非常に興味があるので、モチベーションもマックスです。

放送のはじまり

1階のテーマは「放送のはじまり」で、文字通りラジオ・テレビの歴史の第1歩が展示されています。
「放送の始まった日」と記載された展示コーナーがあります。

放送が始まった日 東京放送局仮放送所
1925年(大14)3月22日、東京芝浦にある東京高等工芸学校図書館の一隅に開設した東京放送局仮放送所から、日本初のラジオ放送がはじまりました。
同年7月、愛宕山に新局舎が完成し本放送を開始するまでの約4ヶ月間、マイク1本の仮放送所スタジオから、ニュース、天気予報、音楽演奏、講演、ラジオ劇など、さまざまな番組が次々と放送されました。
(解説パネルより)

その仮放送所スタジオを再現したのが、このスペースなのです。
放送が始まった日
勿論、この仮放送所は見たことはありませんが、個人的にはとっても縁の地なのです。
東京高等工芸学校は、この後千葉工業大学付属工芸専門学校となり、付属工芸専門学校が東京工業大学に移管されたことから、この芝浦の校舎は東京工業大学工学部付属工業高等学校となったのですが、ここが私の母校だったのです。
校内の一角に「放送記念碑」があったので、初めての放送が芝浦から行われていたのは知っていました。
現在は東京工業大学附属科学技術高等学校に改称されていますが、ちょっと懐かしさが甦ってきます。

隣にはその仮放送所で使用した最初のラジオ放送機が展示されています。
放送が始まった日
アメリカのGE社製の無線電信電話機を東京市から譲り受けて放送用に改造したものだそうです。

そしてその隣のコーナーにはテレビの始まりが展示されています。
高柳式テレビ
「高柳式テレビの復元機」です。

高柳式テレビ
送像機
円板に小さな穴を渦巻き状にあけた「ニプコー円板」による機械式走査です。円板を回転させ、1つの穴が像の前を通過すると、1本の光の線(走査線)ができます。その結果、穴の数と同じ数の走査線で像が描かれます。走査線成分に明るさの変化を電流の変化に変えて受像機に送ります。
受像機
世界ではじめてブラウン管を使った電子式テレビ受像機です。
(解説パネルより)

技術的なことは…、ですが、この当時の走査線数が40本で、現在のテレビが525本(ハイビジョンは1125本)と聞くと技術の革新がうかがえます。
展示されているのは有名な最初に写された「イ」の文字と、それの元になる雲母板に書かれた「イ」です。
まさにはじめの一歩、イロハの“イ”です。
高柳式テレビ ここで高柳健次郎氏についての略歴にも触れておきます。
1899(明治32)年静岡県浜松市似生まれ、1923(大正12)年、神奈川県工業高校の教師時代にテレビの研究を始めたそうです。
そして1926(昭和元)年、浜松高等工業学校助教授の時にこの「イ」の字を映し出すことに成功し、昭和3年には人物の顔を映し出すことに成功したそうです。
1937(昭和12)年にNHKに移り、テレビ実用化の研究を始め、その後、日本ビクターに入社し、放送文化賞、文化勲章を受章し、1990(平成2)年91歳で亡くなられたそうです。
ラジオとテレビの始まりがこの1階で知ることができました。

藤山一郎作曲ルーム

1階からゆったりとしたスロープ沿いはフォトギャラリーとなっていて、放送の風景や、ロスオリンピックでの放送の模様などの貴重な写真が展示されています。
フォトギャラリー フォトギャラリー
そしてスロープをあがった壁面には、全国の放送局のコールサインポスターが展示されています。
コールサインポスター
マニアには垂涎の的かもしれません。

ここが中2階となっていて、その一画の展示室が「藤山一郎 作曲ルーム」となっています。
現在では藤山一郎を知らない人の方が多いかもしれません。という私も懐かしのメロディで知っている程度ですが、とりあえずこの楽譜を見れば「ああー」と思い出す方もいるかもしれません。
「青い山脈」の楽譜
そう「青い山脈」の楽譜です。
藤山一郎 これを歌った人が藤山一郎なのです。

何、それでも知らない人がいる…。確かに戦後まもない頃の歌ですから仕方ないでしょう。
それならこれはいかがでしょうか。
作られたのは1951年(昭和26年)9月というからかなり古いのですが、国民の大多数は聞いたことがあると思います。
ラジオ体操の歌
そう、「♪~新しい朝が来た 希望の朝だ … それ 一 二 三」のラジオ体操の歌です。
これを作曲したのが藤山一郎なのです。

当初コロンビアの専属歌手だったそうですが、1954(昭和29)年、NHKの嘱託となり、紅白歌合戦には1950年の第1回から1992年の第43回まで、歌手または指揮者として連続出演したのです。
そして1992年(平成4年)、スポーツ選手以外では初めて存命中に国民栄誉賞を受賞しました。
1993年(平成5年)8月21日、急性心不全のため死去された後は、遺品は遺族からNHKに寄贈され、この作曲ルームとなったそうです。
ざっと見てもレコード大賞の楯をはじめとした数々のトロフィ、そして指揮棒や台本など、日本の歌謡界、そしてNHKをはじめとする放送界に貢献してきたことが窺えます。
藤山一郎作曲ルーム 藤山一郎作曲ルーム 藤山一郎作曲ルーム
知っている人は懐かしく、知らない人は新しい発見として、一見の価値はあるでしょう。

その隣には「体験スタジオ」があります。
文字通り日頃見ている放送中の仕掛けを知ることができるスタジオです。
これは電車の窓の風景を合成するシステムです。
体験スタジオ
まさに旅情…、でしょうか。
3台並んでいるカメラは全てリモコン操作のできるTVカメラです。
体験スタジオ
こちらはニュースや天気予報などで使われるシステムですね。
体験スタジオ
バックに画像や地図などを流しながら放映するものです。実際に試してみると結構面白いものです。
そして人気キャラクターに囲まれているのは、愛宕山のお天気カメラです。
体験スタジオ
こういったバックヤードの部分も知ることができるのも、面白さの一つでしょう。

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