古い地名に往時の瓦葺村をしのぶ

概要

「ぐるっとくん」を瓦葺氷川神社で下車し、やや北西へ100mも歩くと「瓦葺中入口」の交差点となる。右折して屋敷森のある住宅地の中を東へ400m余りも歩くと、前方に瓦葺中学校の校舎が見えてくる。道路は湾曲して東南に進むことになるが、瓦葺中の校地にそって100m余り歩くと、もうそこは見沼代用水路の「宿橋」であとる。見沼代用水路と綾瀬川が交差ずる「瓦葺伏越」は、宿橋より100mほど東方で、「立合橋」の北の位置なる。
現在の見沼代用水路は、綾瀬川の下をくぐる「伏越」の構造であるが、昭和36年までは綾瀬川の上を渡る「懸渡井(掛樋)」の構造で、立合橋からも明治41(1908)年築造のレンガ造りの懸渡井遺構が見られる(「見沼土地改良区史」)。

ところで「伏越」のある瓦葺地区は、江戸時代の初めは一村であったが、その後の元禄15(1702)年には「本瓦葺・上瓦葺・下瓦葺」と三村に分かれている。「本瓦葺村」は「元瓦葺村」とも記された小村であるが、村の位置がどの辺りなのかは不明確である。上尾市域の江戸時代の村は45ケ村であるが、村の位置が不明確なのは「本瓦葺村」のみである。古い記録にも「地境上瓦葺村に犬牙シ、ワヅカニ民戸6軒の小村ナリ」とあるので、上瓦葺村のうちに取り込まれた位置にあったとみられる(「上尾市史」第3巻「新編武蔵風土記稿」)。
享保12(1727)年に井沢弥惣兵衛が最初に築造した懸渡井は、川底は木製で左右は土の堤防になっている。ところがその後土の堤防は崩落したため、享保15年に左右側面も木製に作り変えている。長さ24間・横4間・高さ6尺と、当時の懸渡井の規模が記録されている(「蓮田市史」近世資料編)。

立合橋を起点に、県道5号線の高台橋まで約2kmの西縁用水路の堤防を歩くことにするが、堤防上は舗装された車道になっているところも多い。宿橋から100mほど歩くと、右手に「大島上圦」の標示がある。そしてその先に「大島下圦」の標示もある。「圦」は取水施設を示すが「大島」は上瓦葺村の小字名である。国道をくぐり、尾山台小に沿って進むと「溜橋」と出会う。明治初年には「長6間・幅1丈・土造」とあり、このあたりには「古溜」という小字名もみられる。現在は都市化が進んでいる地域であるが、時々出会う古い地名は、昔の瓦葺村の様子を歩行者にも伝えてくれる(「武蔵国郡村誌」)。
(元埼玉県立博物館長・黒須茂) -「公報あげお」より引用-

見沼代用水路堤防を歩く

スタートの「瓦葺氷川神社」に参拝です。
埼玉県には100以上の氷川社があり、上尾市内でも10以上の氷川神社があるようで、さすがに埼玉県(当時の武蔵国)一の宮が氷川神社だけのことはありますね。
瓦葺氷川神社 それほど広くはない境内ですが、社号標と鳥居は結構新しく立派です。

創建などは不詳のようですが、地域住民には崇敬されている【瓦葺氷川神社】です。
ユニークなのはご利益で、学問とスポーツの両道にご利益がある神社だとか。学生の頼もしい味方といえるでしょう。

折角なので、隣の「楞厳寺」にも参拝します。

一旦、「瓦葺氷川神社」からでると、神社の隣の「瓦葺自治会館」では消防体験のようなものが開催されていました。
消防体験 消防車やら救急車が何台か停められ、「FS式煙体験ハウス」といった体験施設がありました。

これは「地面に近いほど煙が少ない」ということを実際に体験する簡易施設で初めて知りました。

楞厳寺 そして「瓦葺自治会館」の隣が「楞厳寺」の境内域で、塀に沿ってかなり大きな燈籠が100m近く並んでいるでしょうか。
実に荘厳であり圧巻です。

楞厳寺 この【楞厳寺】もまた、明確な創建年は不詳ながら、400年以上の歴史をもった古刹であることは間違いないようです。

ここには700年以上前の上尾市最古の板碑があるので必見でしょう。

まずは名刹・古刹を参拝してから瓦葺を散策します。

瓦葺中学校入口、交差点 屋敷林 一旦、「瓦葺氷川神社」に戻ってから、概要の通りに北西に進んで「瓦葺中入口」を右折して屋敷林のなかを進みます。

瓦葺懸渡井官費営繕之真景図 その先の左手に文化財の標柱がありました。「瓦葺懸渡井官費営繕之真景図」だそうです。

案内板があるのですが、残念ながら風雪の為半分以上判読不能となっていますので、ここは上尾市のHPから引用します。

市指定有形文化財(歴史資料)
【文化財名】  瓦葺懸渡井官費営繕之真景図
【指定番号】第62号【種別】有形文化財・歴史資料【員数】1点【指定年月日】昭和61年3月31日【所在地】上尾市教育委員会
概要  
この図には『見沼代用水路武陽足立郡上瓦葺村地内懸渡井官費営繕之真景図「王欽古」』とあります。画面は縦86.8cm幅146.0cmで図柄は構図、色調ともに当時の様子が詳細に描かれています。また、ほぼ同一の図が埼玉県立歴史と民俗の博物館に所蔵されています。
画面中央の標柱に明治五壬申年三月と銘文が見られるところから成立期が明治5(1872)年以降であることは明らかです。いずれにしても瓦葺懸渡井官費営繕之真景図は産業遺構を知る上で貴重な資料といえます。
江戸幕府が編さんした『新編武蔵風土記稿』に、上瓦葺村の北方埼玉郡の境を流れる川幅十間の中間に掛樋を造り下蓮田村より見沼代用水を引き入れ東西の二派に分かれ、郡内西南と東北の水田に用水として使用することになった―とあります。
「瓦葺懸渡井」は、享保13(1728)年に見沼代用水が開削され太時に綾瀬川との交差点に設けられたものです。後に享保15(1730)年大風雨による洪水で壊れ宝暦6(1756)年に架替が行われ、明和4(1767)年東西両縁の用水引分口に打切抗が設けられました。寛政3(1791)年関東大風雨により綾瀬川の溢水のため掛樋が浮き上がり天保7(1836)年に打切抗に変わる堰枠に改造され、後に元の打切抗にして何度か改造を繰り返し、昭和 6(1931)年見沼通舟廃止まで、200年に及ぶ歴史が残っています。
(上尾市オフィシャルサイトより)

「王欽古」とは京の人で本名は磁田好直で、加藤家を継いだことから加藤を名乗り、号を欽古・王欽古などと称した画家です。
天保元(1830)年、京都の医師磯田文右衛門の次男に生まれ、明治38(1905)年、75歳で没しました。 諸国を遊歴して画業を磨き、自然の風景を描く妙を修得し、多くの作品を残し各地の画展で入選していたそうです。
歴史的にも貴重なのでしょうが、美術品としても貴重なものといえるのでしょう。
実際の図の写真がこの案内板に掲載されているのですが、これもあまりよく見えませんので上尾市のHPで確認されると良いでしょう。

瓦葺中学校 先に進むと「瓦葺中学校」が正面に見えてきます。

瓦葺伏越 宿橋 宿橋 「瓦葺中学校」沿いを進んだ先が見沼代用水で、中学校の一番端のところに「宿橋」が架けられています。

短い端で5m程度の橋です。これは見沼代用水の西縁用水路に架けられた橋ですので短いのでしょう。

高橋 高橋 そして「宿橋」を渡ると直ぐ次の橋があります。これが「立合橋」かと思えばさにあらず、「高橋」という橋です。

この「高橋」も5mくらいの短い橋で、こちらは東縁用水路に架けられた橋です。

掛樋井史跡公園 この「高橋」の左手に広がる敷地が「掛樋井史跡公園」です。

立合橋 立合橋 この公園を左手に見ながら進んだ先が「立合橋」です。「立合橋」は綾瀬川に架けられているので20、30m位ある橋です。

瓦葺掛樋遺構 瓦葺伏越 そして「立合橋」と並行して綾瀬川を渡っているのが、一つは「瓦葺掛樋」の遺構で、もう一つは「瓦葺伏越」なのです。

この遺構と共に【瓦葺伏越】はその時代の英知が注ぎ込まれた場所でもあるのです。

綾瀬川 綾瀬川 綾瀬川 この「立合橋」は、ちょうど上尾市と蓮田市の境界となっていて、橋の手前が上尾市で、向こう側が蓮田市となります。
このあたりは見渡すかぎり住居はありません。まあ、綾瀬川の河川敷といっても良いかもしれません(実際は河川敷ではありませんが)。

「僅かに6軒の小村…」というのも頷けます。現在は殆ど人家を見ることはできません。

JR宇都宮線 見えるのは国道16号線バイパスと、側を走るJR宇都宮線だけです。このような立地ですから無理もないことです。

ヘルシーロードと国道6号線 見沼代用水の水路沿いは「緑のヘルシーロード」として遊歩道となっており、行田市から川口市まで続いているそうです。

ヘルシーロードと記念碑 ちょうど「瓦葺伏越」沿いのロードには見沼代用水の記念碑が建てられていました。

歴史的にも資源的にも貴重な見沼代用水ですが、その中でも更に貴重な施設の一つでしょう。

「立合橋」から見沼代用水の西縁用水路を進みます。
西縁用水路 残念ながら「大島」という地名表示を見つけることはできませんでしたが、長閑な風景に癒されそうです。

西縁沿い集落 常夜灯 暫く進むと用水沿いに集落が現れ、このような常夜灯のある家屋もあります。

もしかすると結構古くからある名家なのかもしれませんね。

6号線下用水路 国道6号線沿い 北側 この先は国道16号バイパスに突き当たり、水路は6号線の下を通過していきます。

国道6号線沿い 南側 西縁用水路と尾山台小学校 そして16号線を越えて先に進むと、水路はまた地上に現れ、水路の左手に見える黄色い校舎が「尾山台小学校」です。

ヘルシーロード案内図 ちょうどここに「緑のヘルシーロード」の案内図があり、「尾山台小学校」の先にめざす「溜橋」の文字を見ることができます。

用水路道標 西縁用水路 最後のゴールを目指して水路沿いを進むと、路上にこのような道標が嵌められています。

「大宮市 西縁終点へ2km」とあるのは上尾市内での終点という意味でしょう。西縁は当然川口市まで続いているはずですから。

溜橋 溜橋 溜橋 そして旧大宮方面に用水沿いを歩くと橋らしきものが見えてきました。
これが「溜橋」です。

当時の長さを換算すると長さ6間=約10m、幅1丈=約3mといったところで、更に土造とあるので「土橋」だったと思われます。
溜橋 従って木造の橋ですから、その後に架け替えられたのでしょう。

幅も2車線道路ですから恐らく6m近くあることから、かなり時代が下がってから造られたものと考えられます。

西縁用水路 見沼代用水、西縁用水路は「宿橋」から始まって、この「溜橋」が4つ目の橋で、この後川口市の「元西福寺前分水口」までに約100ヶ所以上の橋が架けられているそうです。

歴史と文化と産業の一端を垣間見れる見沼代用水路です。

2011.03.02記

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コメント

  1. 薄荷脳70 | -

    bgさん、ありがとうございます。

    コメントありがとうございます。
    以前からbeさんのブログを拝見させていただいておりました。
    同じ上尾市在住で嬉しい限りです。
    10年以上上尾市に在住していながら、あまり上尾のことをよく知らないという私なので、ここも最近知ったのです。
    今後とも色々教えていただけるとありがたいです。
    私もbeさんのブログを楽しみに寄らせていただきます。
    今後ともよろしくお願いいたします。

    ( 04:11 )

  2. 薄荷脳70 | -

    bgさん、大変失礼いたしました。

    先のコメント返信の文中のお名前を“be”さんとスペルを間違えました。
    “bg”さんに訂正させていただくとともに、お詫び申し上げます。

    ( 04:23 )

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