江戸東京博物館 #1

向島でのスタンプラリーを終えて、いよいよ最後の散策地である「江戸東京博物館」に向います。
隅田川「水辺ライン」の水上バスで両国まで行くのが本来のラリーのルートであり、かつ粋な所作なのですが、何しろ乗船まで1時間以上の待ち時間があったので、結局タクシーを飛ばして(と言うほど遠い距離ではない)両国に向いました。
車中、タクシードライバーからスカイツリー開業での集客はありがたいことではあるが、周辺の道路の整備がまだなされていないことから、スカイツリー開業後しばらくは周辺の道路はとんでもない渋滞になるのでは、とのことを話していました。
確かにそれでなくても今回のラリーの一つのタイトルでもあるように、迷路のような街である下町ですから、その恐れは充分考えられますね。
様々な意味で今注目のスカイツリーなのです。

ヴェネツィア展

そうこうしている内に最後の目的地である「江戸東京博物館」に到着しました。
江戸東京博物館
第1印象はかなり奇抜で大きな建造物であることです。
文字通り江戸と東京の歴史と文化に関する資料の収集・展示を目的に、平成5(1993)年に開館された比較的新しい博物館です。
造りは高床式を模した建物のようです。

階段をあがると高床式のフロアーとなり、ここで先ずはチケットを購入するのですが、このフロアーにも既に展示物がありました。
江戸東京博物館 浅草寺観音堂大棟鬼瓦
なんと浅草寺観音堂大棟の鬼瓦だそうです。

浅草寺観音堂大棟鬼瓦
この鬼瓦は、浅草寺(台東区浅草)の本堂である観音堂を飾る鬼瓦として、享保6年(1721)から昭和4年(1929)まで大棟に使われていたもの。観音堂は明治40年(1907)、国宝の指定を受けていたが、関東大震災による修復の際、この鬼瓦は様式が合わないという理由で屋根から取り外された。瓦の銘には、享保6年(1721)に浅草寺領である浅草諏訪町、浅草瓦町で制作されたことや、「作者 平井助左衛門」と鬼瓦師らしい人物の名が刻まれている。浅草寺の瓦が寺領から供給されていたことを裏付ける、由来の明らかな資料として価値が高い。なお旧国宝浅草寺観音堂は昭和20年(1945)3月10日、空襲により焼失している。
(現地案内板説明文より)

偶然の産物というものでしょう。
同じパネルに江戸名所図会の中のこの鬼瓦が描かれています。
浅草寺観音堂大棟鬼瓦 《挿絵:現地案内板より》
実際の観音堂にあればこれほど間近に見ることはできないでしょうから、実に貴重な展示品といえるのでしょう。

ここでチケットを購入します。
チケット売り場
チケット売り場の方へ歩くと、この博物館の先には両国国技館の屋根を見ることができます。
両国国技館
様々な問題でちょっと活気を失った感のある相撲界ですが、また活気を取り戻すのでしょうね。なんと言っても国技なのですから。

今回は特別展であるヴェネツィア展と折角の機会なので常設展と両方を見学します。
特別展は1400円で、常設展は600円であわせて2000円となるのですが、特別展・常設展共通券なら1600円と割引になるようです。
しかも今回は吾妻橋の観光案内所で、仮面舞踏会のような割引券をいただいてきたので鬼に金棒です。
割引券
早速、チケットを買い求めると、無、無念…。共通券は割引にはならないと。
最もと言えばもっとな話ですが、ちょっと残念でしたが、粋なチケットを購入して先ずは特別展である「ヴェネツィア展」に向います。
特別展・常設展共通券 特別展・常設展共通券

このフロアーが建物の3階にあたるため、特別展へはエスカレーターで1階に下りることになります。
1階のエントランスには、シンプルに1枚の大きなタイトルパネルが設置されており、このパネルの前の椅子に腰掛けて記念写真を撮ると、あら不思議、ヴェネツィアのゴンドラに乗ってしまうという、トンデモなパネルなのです。
ヴェネツィア展エントランス
まあ、心憎い手法とみるか、子供だましと見るかは勝手ですが、個人的には面白い演出だと嫌がる家内を無理矢理座らせて見ました。
ヴェネツィア展エントランス
実際に20数年前に行った時のベニスは、ちょうどヨーロッパが大寒波で、40年ぶりの降雪とやらでベニスのゴンドラもほぼ開店休業状態で乗ることができませんでしたから、なおさら何となく懐かしく感じるものでした。

ここから早速入館しますが、当然こちらは館内撮影禁止なので館内の写真はありません。
ここではポイントだけ整理しておきます。
このヴェネツィア展の見所は多いのですが、その中での見所ポイントの一番はこちらでしょう。

真鯛のカルパッチョ
実は日本からの逆輸入!?
イタリアでは冷蔵や配送の問題もあって、いわゆる「なま物」は敬遠されてきていました。でもカルパッチョはあるわけで、シチリアへ行けば「なま?」みたいなものも多く出るのですが、たいていが薫製がかっていたりと、敢然な生であるのは少ないのです。
もともとカルパッチョは牛肉で作られていた料理で、薄く肉をスライスして、オリーブオイルとレモン、塩と頂いていたものをお魚に変えたのは日本の刺身が影響しているとか。そのカルパッチョですが、火も電力も使わずに簡単に美味しく召し上がれるコツも含めてご紹介します!
真鯛のカルパッチョの材料(2人分)
カルパッチョの材料
鯛 ひとさく・ニンニク 1片・エクストラバージンオリーブオイル 大さじ2杯・塩 ひとつまみ・レモン 1/4個
真鯛が手に入らない場合、白身魚のお刺身であればなんでもOKです。切り身でも美味しくいただけますが、できるだけ自分で薄くスライスして下さい。
(プラチナレシピより)

今回の特別展はすべてこれに凝縮されていると言っても過言ではないでしょう。
奇しくもこの料理のカルパッチョと同じ名前の画家、ヴィットーレ・カルパッチョの描いた世界で最も美しい板絵といわれている「二人の貴婦人」が日本初公開されることなのです。
二人の貴婦人 《二人の貴婦人》

まずはこのヴィットーレ・カルパッチョのプロフィールを確認しておきます。
ウィキによれば、ヴィットーレ・カルパッチョ(Vittore Carpaccio, 1455年頃 - 1525年頃)はイタリア、ヴェネツィア派の画家で、同じくヴェネツィア派のジェンティーレ・ベッリーニに師事したそうです。風景描写に優れていたカルパッチョはとりわけ、「聖ウルスラ物語」として知られる、9枚の絵画よりなる連作で著名なのだそうです。
という事で極々簡単なプロフィールですが、先ほど「奇しくも…」と言った料理は偶然ではなく必然だったのです。つまり料理のカルパッチョはこの画家を由来としているのです。
ヴィットーレ・カルパッチョが薄切りの生牛肉にパルミジャーノ・レッジャーノ(チーズの一種)をかけた料理が好きだった、と言うような幾つかの説があるようですが、1950年にベネチアの「ハリーズ・バー」というレストランバーの創設者“ジュゼッペ・チプリアーニ”が、生の牛ヒレ肉を薄切りにし、マヨネーズとマスタードを混ぜたソースをかけた料理を考案しました。
その当時、ヴィットーレ・カルパッチョの回顧展が開催されていたり、赤い肉と白いソースの配色が、彼の作品の特徴である赤と白の色使いを連想させることから名付けられたというのが、イタリアでは有力のようです。
カルパッチョ
そういった目で先ほどの「二人の貴婦人」や彼の代表作の一つである「聖ウルスラの夢」などを見ると、確かに赤と白のイメージがピッタリのような気がしてくるのも不思議なものです。
聖ウルスラの夢 《聖ウルスラの夢》
いずれにしても歴史は実に面白いものです。

さて今度は作品に注目してみます。
そのポイントはオフィシャルサイトに掲載されています。

日本初公開!《二人の貴婦人》東京展特別出品作品
「世界でもっとも美しい板絵」----ジョン・ラスキン(19世紀・イギリス批評家)
物思いにふける二人の貴婦人。
狩に出かけた夫たちを待つ親子と思われますが、謎めく二人は一体何を考えているのでしょうか? 欄干から顔をのぞかせる少年は誰? 犬や鳥などの動物たちが意味するものは? 美しくも謎の多いこの1枚は、ヴェネツィア絵画史で最も著名な作品のひとつ。 東京展のみの特別出品となる、大変貴重なこの機会をお見逃しなく!

世紀の発見----実は上部があった! 
20世紀の中ごろ、1枚の板絵がローマの古物商で発見されました。現在、アメリカのポール・ゲッティ美術館が所蔵する《潟(ラグーナ)での狩猟》です。この作品が、実は今回出品されるコッレール美術館の《二人の貴婦人》の上部であったことが判明。もともとは戸棚の両開き扉のうちの片方であるといわれています。まだ未発見のもう片方の扉が発見されれば…、謎多きこの絵のミステリーが解けるかも!?
(「ヴェネツィア展」オフィシャルサイトより)

ミステリー小説の表紙を見ていて購入しようかなと思っているところに、犯人を教えられてしまったような気分です。
最もこの事実が判明したのが1963年という50年近く前のことですから、美術関係者や絵画ファンには十分知れ渡っている話しなのでしょう。しかし「知らなくて何が悪い!」「全世界70億人の人口の何%が知っているのだ!」と力説したいところですが、力んでみたところで詮無いことです。
そういってもこの発見は素人目にも驚くほどのことで、恐らく偶然の上に偶然が重なって、といった経緯かもしれませんが、その繋いだ絵画がオフィシャルサイトに掲載されています。
世界でもっとも美しい板絵 《「ヴェネツィア展」オフィシャルサイトより》
この偶然の決め手になったのが、左上の部分の欄干に置かれた壺なのだそうです。
《二人の貴婦人》では、壺の中にいけられた花が描かれているのですが、枝だけ描かれていて花びらがありません。単体であれば壺だけとか、もう少し下にずらして花びらも入れるのが常識的(当然常識にとらわれない絵画は山ほどあるのですが)だと考えるはずで、実に不自然さのある作品だったのです。
一方、《潟(ラグーナ)での狩猟》では、これまた画面の下から唐突に一輪の花(ユリ)が描かれるという不自然さをもっていたのです。手前がユリ畑でもあるなら別ですが、特に狩猟の場面でこのような描写は余り考えられないという、これまた常識的ではない作品ということです。
この常識的ではない、或いは奇妙な2点の作品が繋がっていると発見するのは、そう難しくはないでしょう。1963年ですから当然2つの作品は写真などに撮られ出版物や目録などに掲載されているでしょうから、同じ画家のものとして、専門家であれば気付く可能性は高いのでしょう。そして実物の材質などを確認すれば裏は取れるということになるはずです。
いずれにしても細かいところに気付くがどうかがポイントだったのでしょう。もう少し発見させるまでの過程の詳細を知りたいところですが…。

そして更に画面左端の描写で、少年の胴体の一部が切られ、犬は頭と前足しか描かれていないことなどから、左側にも絵が存在するのではないかということが、また、ひとつのミステリーとなっているそうです。
ここにも記載されているように、左扉が見つかれば上部以上の大発見として、一財産は築けるのでしょうか…。
因みにこれまでに、この2枚の板絵がたった一度だけヴェネツィアで同時に展示されたことがあったそうです。そのときは切り離されてかなりの時間的経過により、板の反り方が違うため2つピタリと重なるという具合にはいかなかったようです。

実に面白い絵画ですが、この絵画にはまだエピソードがあるのです。
それはこの絵のタイトルが長らく《二人の娼婦》だったことなのです。
何故、娼婦と考えられた根拠は、大きく胸の開いたドレスと、奥の女性の前に置かれたぽっくりのような靴が、当時の高級娼婦である“コルティジャーナ”のトレードマークだったからなのです。
しかし、上部が見つかり絵の構図がはっきりしてくると、様々な解釈からこれは高級娼婦ではなく貴婦人だという、天と地とも差のあるような解釈がなされ、現在の《二人の貴婦人》となったわけなのです。
最も娼婦というとTVドラマにある娼婦をイメージしがちですが、日本の花魁なども高級娼婦とはいえ、知識も芸も優れた才能を持った娼婦ですから、高級娼婦と貴婦人は紙一重かもしれません。
展示会場ではこれらのことがビデオ説明されていますから、やはり何も知らないで行った方が、より興味深いものを感じると思います。

このほかにも目を奪われるような展示品が目白押しで、かなり出品点数が多いのに驚きました。
確か目録では158点出品されています。実にボリュームのある展示会です。

そしてもうひとつ楽しみにしていたのが、ベネチアングラスです。
ここでは15世紀末~16世紀初頭にかけてのクリスタル製水差しを筆頭にシャンデリアなど幾つかのベネチアングラスが出品されていました。
20数年前にベネチアで購入した赤いベネチアングラスの花瓶は、10数年前に割ってしまい現在はありませんので、ベネチアングラスにはそこはかとなく郷愁を感じてしまうのです。
懐かしい気分に浸ることの出来た展示会でもありました。

最後はやはりカルパッチョの「サン・マルコのライオン」を締めくくりにしたいと思います。
サン・マルコのライオン 《サン・マルコのライオン》
当時、サン・マルコ広場では大勢の観光客は窃盗のターゲットとなるので十分気をつけてくださいと、アナウンスされていたのでそのつもりで行ったところ、余りの寒さで殆ど人がいない状態だったのも懐かしい思い出です。
いろいろな意味で懐かしさを思い出させてくれたヴェネツィア展でした。

特別展を見学した後は常設展に移ります。
常設展は6階となりますので、一旦3階のエントランスに戻り、ここから更にエスカレーターで6階に上がるという具合です。
意外と来場者が多いので、結構見学も疲れるものです。
丁度、3階のチケット売場の近くには休憩所があるので、しばしここで休憩を取り、吾妻橋で購入した、あの「芋きん」を食して体力回復をはかります。
休憩所 「芋きん」と「きんつば」
それにしても「芋きん」も「きんつば」もどちらも美味しかったです。 流石にクチコミで有名なだけあるようです。

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