上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

史跡散策

予定よりも大分早く着いてしまいました。
このまま祭りに向かっても良いのですが、開始はPM2:00なので昼食をとってもまだ時間がありすぎるので、ここは少し寄り道をして時間をつぶすことにしました。
こういうときに便利なのがやはりナビで、以前児玉を訪れた際にポイントした散策個所で、関越道本庄児玉ICから児玉駅周辺までのなかでの散策ポイントを検索してみました。
2ヶ所ほど散策ポイントがあったので、先ずはそこに向かってみました。

古墳と首塚

最初の寄り道は「鷺山古墳」です。
鷺山古墳

史跡 鷺山古墳
この古墳は、一辺が約37メートルの後方部と撥型に開く前方部によって構成される。
全長60メートルの前方後方墳である。この古墳からは、底部穿孔の壺形土器等が出土しており、4世紀前半の築造と推定される埼玉県内最古の古墳と考えることができる。
(現地案内説明文より)

別な角度から見ると、それとなく古墳かなと思える形には残っているようです。
鷺山古墳
行田市を中心として古墳を見てきましたが、埼玉県内最古級というのも凄いことですね。
児玉町の歴史を辿ってみると、最古の遺物は旧石器時代、約2万年前の石器が出土しているようです。縄文時代となると前期・中期の遺跡や出土品も多くあり、集落としての定着も確認できるのだそうですが、後期になると遺跡数が減少し、晩期には数える程度の土器などが出土するのみで、弥生時代における遺跡はかなり少なく、僅かな小集落が作られた程度だったようです。
しかし、古墳時代になって突然の人口増加が起こります。いわゆる集落や古墳などの遺跡が爆発的に増加したのです。
4世紀前半のこの鷺山古墳を初めとして、5世紀前半には金鑽神社古墳 (大形円墳)、6世紀前半には生野山銚子塚古墳(前方後円墳)が築造されているのです。更に6世紀後半以降は、長沖古墳群、秋山古墳群、飯倉古墳群など、数10基~数100基で構成される古墳群が造営され、横穴式石室や埴輪がたくさん出土されていることから、かなり大きな集落が形成されていたのではないかと考えられているからなのです。
こうして児玉地域は結構古墳の名所ともなっているようです。それにしても前方後方墳という形状は初めて耳にしました。丁度、砂時計のような形でしょうかね。
流石に県下一の古さであることから、県の記念物・史跡に指定されているそうです。

意外なくらい貴重な鷺山古墳を散策した後は、車で10分程度の「平重衡の首塚」に向かいます。
何故、平家のと思いますが、それはそれで興味深いことです。
さて、到着すると隣に神社があるので、お楽しみは最後とばかりちょっと参詣することにしました。「駒形神社」というようです。
一部児童公園のようにもなっていますが、やや草臥れてはいながらも元は白亜の鳥居だとでも言いたげな鳥居と、かなり立派な注連縄が目を引きます。
駒形神社
広い境内で、どっしりと町に根を下ろした落ち着いた感じの神社です。
拝殿もどちらかと言えば質素で素朴ですが、意外と本殿は彫刻などが施されており、壮麗さが醸し出されています。
駒形神社 駒形神社 駒形神社
こう言っては失礼ですが、意外ばかりの神社なので由緒を調べてみると、こちらもまた意外な由緒を持っていました。

社伝によると、この駒形神社は児玉党の本宗家2代目の児玉弘行が神田を若干寄進したとあり、この弘行が社殿を修理した時期は、児玉党祖である児玉惟行の没後と考えられており、11世紀末からこの蛭川の地が児玉氏本宗家の所領内であったと伝えているそうです。まあ、児玉町ですから当然察しはつくのですが。
この児玉党の本宗家は、ここに記載されているように平安時代後期から末期にかけては「児玉」氏ですが、その後、平安時代末期から鎌倉時代初期は「庄」氏、そして鎌倉時代前期から室町時代までを「本庄」氏が継いでいくのです。
このうち「庄」氏から分派した氏族に「蛭川」氏がいます。この蛭川氏は児玉党の本宗家4代目庄太夫家弘の四男である庄四郎高家が、当時児玉郡の今井郷蛭川荘の蛭川村に移住して蛭川氏の祖となった事から始まったのですが、文字通りこの駒形神社のある児玉町蛭川が発祥の地なのです。したがって、これ以上の由緒は不詳ですが、蛭川氏からの尊崇の篤かった駒形神社といえると思われるのです。
この児玉党は南北朝時代以降弱体化し、本宗家である本庄氏も小田原の役で没落し、事実上の解体となったのです。
殆ど地元以外では知られていないであろう(と、思われる)神社に、意外な由緒があったのを知ったのは貴重でした。

駒形神社の参拝を終えて「平重衡の首塚」を詣でます。
平重衡の首塚
神社境内の隣接地にあります。

本庄市指定文化財 平重衡の首塚
この地は、一の谷の合戦の後、捕らえられた平重衡の首を児玉党の蛭河庄四郎高家がこの地へ持ち帰り供養した首塚であると伝えられている。
(現地標柱案内文より)

少なくとも平安時代末期からの首塚といえるわけです。
平重衡の首塚
先ずは平重衡から確認しておきましょう。
平重衡
重衡は勿論平家一門で、平清盛の五男です。平家の大将として各地で戦い、特に南部焼き討ちを行って東大寺大仏や興福寺を焼亡させたのは有名で、墨俣川の戦いや水島の戦いなどでも勝利し活躍しています。
特筆すべき事項はその将才で「武勇の器量に堪ふる」といわれ、更にその容姿は牡丹の花に例えられたと言われています。 簡単に言ってしまえば、「性格がよく、武士の力強さと、文人の優雅さを持っているイケメン」といえば…、余りにありえない人物でしょう。
多少の美化はあるにしても、様々な書物に書かれているので、とにかく男女共に好かれ頭の良い人だったようです。

こんなスーパースターですが、その最後は一の谷の合戦でした。
寿永3(1184)年2月の一の谷の戦いで平氏は範頼・義経のの源氏軍に大敗を喫し、敗軍の中で重衡は馬を射られて捕らえられたのです。
このとき重衡を捕らえたのは「平家物語」では梶原景季と庄高家、「吾妻鏡」では梶原景時と庄家長とされるそうです。
その後、鎌倉に護送され頼朝と会い、頼朝は重衡の器量に感心して厚くもてなし、あわよくば配下にとまで考えていたふしもあったようです。しかし、以前の南都焼き討ちに怒っていた衆徒の強い要求により、南都へ引き渡され東大寺へ送られたのでした。
そして元暦2(1185)年6月23日、木津川畔にて斬首され、奈良坂にある般若寺門前で梟首されたのでした。享年29だったそうです。
その後、妻の輔子はうち捨てられていた重衡の遺骸を引き取り、南都大衆から首ももらい受けて荼毘にふし、遺骨を高野山に葬って日野に墓を建てたのだそうです。

ということで、史実としてはこの首塚は現れませんが、「平家物語」で言うところによれば、庄高家の発祥地のここ蛭川に首塚があるのはもっとなことで、しかも駒形神社の隣というのも頷けます。
平重衡の首塚
将門の首塚が大手町にあるのと同じように、あくまで伝承ですから事実はわかりませんが、悠久の平安時代から鎌倉時代の平家の歴史の一端が、ここにも残っているという証です。

児玉町散策

ちょっと寄り道をした後は、祭りの行われる児玉町に向かいます。
寄り道をした割には、それ程時間もたっていなくて結局12:30少し前くらいで到着しました。今日は交通規制があるので、臨時駐車場となっている児玉小学校に車を止めて、先ずは昼食と町の散策と決め込みました。
小学校からまず児玉駅に向かいます。

前回、訪れたときも車だったので児玉駅は初めて見るのですが、瓦葺の屋根が印象的な駅舎です。
児玉駅
その中でも特に鬼瓦が特徴的です。鬼瓦といっても厄除や装飾目的もあることから、鬼の形状でなければならないわけではないようです。
児玉駅 この駅舎の鬼瓦はズバリ「児玉駅」という誰が見ても判りやすい鬼瓦です。

児玉駅から県道191号線を西に向かいます。
駅前には殆ど人も居ませんでしたが、西に向かうごとに屋台も見え始め、人も結構出始めているようです。
上町
通りの左側に「上町会館」があります。ここには上町の山車庫があり既に引き出されているようです。当たり前ですね。
上町会館
それにしても上町会館の建物は意外といっては失礼ですが随分と立派なのですね。財力に余裕があるのでしょうか。
更に西に進むと上町の山車でしょう、丁度戻ってくるところでした。
上町山車
かなり大きな山車に驚きです。 本番の曳きまわしが楽しみです。

駅入口交差点を左折して、今度は国道254号線を南下します。児玉町のメインストリートといっても良い通りです。
こちらにも屋台が並んでいて、嫌でも祭りの雰囲気を盛り上げています。
上町
そろそろ昼食をということで、通りの左手にあった「美味倶楽部なかまち」というところで昼食をとることにしました。
美味倶楽部なかまち
以前、児玉町旧配水塔から競進社模範蚕室へ向かうときに通った路地(にしては結構広い)の前にあって、その斜め前に「久米六の井戸」があったところだと思い出しました。
結構広い飲食店で、和食・中華・洋食、そして夜はアルコール(この日は祭りですので昼からですが)もOKという何でもありのオールマイティ食堂といった佇まいです。
丁度ランチタイムでもあったので、ヒレカツ定食と中華そばで空腹を満たしました。
美味倶楽部なかまち 美味倶楽部なかまち 美味倶楽部なかまち
ボトルの水差しがオシャレでしたね。

おなかも一杯になって、腹ごなしもかねて散策を続けます。
右側には懐かしい「梅月堂」がありました。
梅月堂
以前は保己一最中を確か買ったのでした。
先の交差点が仲町の交差点で、その付近で山車を一旦収めようとしているののが仲町の山車です。
仲町山車
こちらも見事な山車です。丁度昼時なので、各町会の方も昼食をとるために一旦山車を収めているようです。
通りの反対側には仲町の会所があります。
会所の中には「神功皇后」の人形が奉納されています。
仲町会所 仲町会所
神功皇后とは第14代仲哀天皇の皇后で、”神の子を産む聖母”として代表的な存在で、息子の応神天皇と一緒に神として祀られ母子神信仰されている神なのです。母子神信仰とは霊力の高い女性(巫女)が、処女受胎して神の子を産むという考え方に基づく信仰で、代表的な例がキリスト教の聖母マリアとその子のイエス・キリストです。
「記」における神話では、初め応神天皇の父は仲哀天皇とされていたそうなのですが、いつの間にか仲哀天皇の存在感は消え、やがて神功皇后が処女懐胎によって応神天皇を産んだ聖母伝説に変化していったのだそうです。
神話の世界ですから物語は興味深く出来ていて、特にこのような高貴で神秘な世界が「神功皇后」を奉る一端ともなっているのでしょう。
但し、この人形は5年に1度山車に載せるのだそうです。どういった理由かはわかりませんが…。

さてこの仲町の交差点の右手の道路の先にも山車が見えるので行ってみることにしました。
このような祭がある場所の地名には、「上」「仲」「本」「下」「新」が付く町名が多いです。私の住んでいるところも、正式な地番ではなくなりましたが、未だにバス停などに「上町」「仲町」「下新町」といった名称を見ることができます。
そしてこれも同じことがいえるのですが、そういった町名のある通り沿いには、必ずといってよいほど蔵つくりの家が残っているのです。
この通りにもこのように蔵つくりの家が現在も使われて残っています。
蔵の家
このように町名の響きと蔵つくりの景観を見ると、何かしらホッとすのは日本人ゆえなのでしょうか、それとも歳のせいなのでしょうか…。
蔵つくりの建物の前には旅館があります。
旅館
特に老舗とかいった佇まいではないのですが、看板が無ければわからない様に町に溶け合っているところが、何ともいえない風情を感じます。

そして先に進むと相当立派な山車、ではなく屋台があり、通り沿いに屋台庫もあります。
新町屋台 屋台庫
「新街」とあるので新町町会なのでしょう。
煌びやかな装飾や幕はかなり綺麗なので、新しい屋台なのでしょう。しかもかなり大きな屋台です。
新町会所
ここもお昼時なので、多くの方が昼食をとられています。本番に向けてのガソリン補給でしょう。
今日1日は長いですから。

この新町の会所の隣にひっそりと山門があります。「実相寺」というようです。
実相寺
時間もあるので、ちょっと参詣していきます。
参道を進むと二又に分かれていて居ますが、分かれた先には「成田山」があります。境内社ですがどういった由来なのかはわかりません。
成田山 成田山
参道の右手には、綺麗な鐘楼があり、参道の突き当たりに本堂が鎮座しています。
鐘楼 本堂
本堂を見て、何か違和感を感じたのですが、それは本堂の造りにあるのに気がつくまで若干の時間が経過しました。 それは土蔵造りの本堂だったのです。
特に珍しいものではないのでしょうか、個人的には余り見たことのない様な(記憶的に忘れているかもしれませんが)造りなのでちょっと驚きました。

ここで分かる範囲で由緒を調べてみました。
室町時代までは児玉党がこの地を支配していたのですが、前述したようにその支配力も無くなり、戦国時代の後半においてこの地は山内上杉氏が雉岡城を築いて配下の夏目豊後守定基を城主としたのだそうです。
そしてこの夏目定基が城下町の整備を開始し、当時生野山にあったこの実相寺を新町に移転させ、城下に浄眼寺や東福院といった寺院を開基し、更に八幡山から東石清水八幡神社も現在地に移したのも、この頃だったそうです。
生野山は現在で言うところの児玉町と美里町にいたる辺りで、丁度、鷺山古墳や駒形神社から程近い児玉ゴルフコース辺りです。したがってこの辺りは生野山古墳などの古墳群もあり、その後も児玉党の領地として栄えたと考えられることから、実相寺もそちらにあったのではないかと推測されます。そのように考えると少なくとも400~500年の歴史は持っているのではないかと思われます。
結構ディープな歴史が持っているようです。とにかく児玉の古刹を参拝して祭りに戻ります。
祭りに戻ろうとすると、家内から妙なところを撮影しろと言われたので、その通りに撮影してしげしげと眺めるとこうゆうことでした。
さだまさし
何故「さだまさし」なのでしょう。よくわかりませんが、…そうゆうことです。

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。