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さいたま市浦和うなぎまつり

朝8:30過ぎに自宅を出ると、雨天のせいもあるのでしょうか道路も実にスムーズで9:30前には浦和に到着してしまいました。途中途中で懐かしい風景を見ながらでしたので、若干沈んでいた気持ちもややハイになってきた感もあります。
「さいたま市役所」は元の浦和市役所で埼玉県庁の近くです。さすがに県庁近くの17号線沿いは埼玉県の官庁街の名残はあるながらも県庁以外はすっかりさいたま新都心に機能が移ってしまった感じです。まあ、土曜日ということもあるのでしょうが。
近くのコインパーキングに車を停めて10:00開催にはかなり早かったのですが、とりあえず会場に向かってみました。
開演30分以上前にも関わらずすでに来場者が随分といるようです。

市役所前の交差点にある正門には「うなぎまつり」の入場ゲートがしつられてあり、ゲートの先には3つの鐘が釣られています。
うなぎまつり入場門 トルーカの鐘
まるでマカロニウェスタンを彷彿させるような造りの鐘ですが、それもそのはずで、この鐘は姉妹都市であるメキシコのトルーカ市から贈られた鐘で、「トルーカの鐘」と呼ばれているものだそうなんです。
こう言っては失礼ですが、市役所にしてはなかなかおしゃれなモニュメントです。

入場してみるとサンプリングが行われていました。
グッズサンプリング
「さいたま地方法務局・埼玉県人権擁護委員連合会」という団体がボールペンなどをサンプリングしていて、色々もらえますから袋もどうぞと、レッズカラーの袋もいただきました。丁度、入れ物もなかったのでありがたかったと同時に、何か貰っていかねばというさもしい根性がむくむくと湧き上がり始めました。

この「浦和うなぎまつり」は、さいたま市旧浦和地区の歴史ある食の名物である“うなぎ”を広く市内外にPRし、浦和のうなぎの育成、旧浦和4区の活性化を図り、イベントを通じ「うなぎの街 さいたま」を広く周知し、さいたま市の活性化と観光振興を図る事を目的として開催されていて2002年から始まり今年で8回目をむかえるそうです。比較的最近行われ始めたということでしょうか。
プログラムには主催が、さいたま市浦和うなぎまつり実行委員会となっていて、事務局は浦和区役所内に置かれています。
うなぎまつりポスター
ただこれはあくまでも後援や協賛・協力を得るための表向きで、実際の運営母体はどうやら「浦和のうなぎを育てる会」という団体のようです。
この「浦和のうなぎを育てる会」はプログラムによれば、浦和にある19社(店舗)で組織されています。
本書の説明にもあったとおり嘗ては60店舗以上のうなぎ屋が存在していたのですが、現在少なくなっているのは、勿論、需要と供給のバランスにあるわけで、まずは需要喚起のため2000年にはこの「埼玉ふるさと自慢100選」に無理やり選定させ(特別推薦なのでそう思えないこともなく、また特別推薦の1位と2位が旧浦和市というのも出来すぎの感があります)、2002年には「うなぎまつり」を開催し始めたというところでしょうか。
あくまで下衆の勘ぐりですが、やはり住民達の復活にかける熱い思いとした方がただしいでしょう。

そこでまずは「浦和のうなぎ」についての発祥や由来についてくらいは知らなければならないでしょうが、その前に「うなぎ」の食そのものの歴史から理解したいと思います。
「三河淡水グループ」という企業のサイトにその辺りのことが掲載されているので、引用・抜粋させてもらいます。

うなぎの”食”の歴史とその効用
古くは縄文時代の遺跡から骨が出土しているようです。当然、貝塚などがあるくらいですので、海水魚や淡水魚なども多く出土されていて、鰻の骨も縄文時代の紀元前8、7000年~紀元前200年頃の遺跡から出土しています。調理法は不明だそうですが、さすがに古代人といえども生では無理なので、恐らく火を用いるようになってからだと言われています。
時代は下って万葉集には、大伴家持は病弱な知人石麻呂に送った歌が残されています。
「石麻呂に吾もの申す夏痩せに吉しという物ぞ武奈伎とり食せ」という歌で、「武奈伎」が「うなぎ」のことで、石麻呂よ、夏痩せによいという、うなぎをとって食べなさい、とすすめている歌なのです。
奈良時代の風土記や醍醐天皇(885~930年)が撰集させた薬物の書の中にムギナ(武奈伎)が挙げられているそうで、滋養や薬として扱われていたようです。
そして、室町時代の料理書には、蒲焼きは鰻を蒲の穂(がまのほ)状に丸のまま焼く、と記載されているそうです。
これが「蒲焼き」という名前の由来のひとつだったそうです。当時は頭から尻尾に串をさして塩焼きにしていた様子から、先の蒲の穂→「蒲焼き」の由来というのが有力だそうですが、他にも、焼けた皮の色が樹木の樺の幹に似ている説、焼く匂いが素早く行き渡るから「香疾焼」(かばやき)という説などがあるそうです。
そして現実の食としての「うなぎ」が花開いたのは江戸時代です。
寿しや天ぷらなどの日本料理と同じく、江戸時代後期、関西で現在のように開き、薄口醤油とタレをつけて焼くようになったといわれています。その後、江戸に伝わり、濃口醤油とみりんを使ったタレになり、現在の味が完成したそうです。
文化・文政期から嘉永期に「うなぎ」は人気商品となり、当時隅田川の蔵前、深川で捕れた鰻が上物といわれたようです。
(「三河淡水グループ」webサイトより)

そして、この現在の味の完成についてもう少し説明があります。

長い間、鰻は筒切りを串に刺して焼く調理方法でしたが、腹を開いて金串を刺し、タレを付けて焼くという革命的な調理方法が関西で開発されました。江戸に伝わったのが正徳年間(1711~1715年)といわれています。
江戸でも当初は関西と同じ方法で焼いていましたが、関東の鰻は脂肪が多く肉も堅いため、新たに「蒸し」の技術が加わりました。
流れのゆるやかな河川を下るために大きく肉も堅く、川魚臭も強い関東の鰻も、蒸すことで柔らかくなり臭みも抜くことができました。
腹開きの関西に対し、武士が力の大きい関東では、「切腹」を連想するため、背開きになったといいますが、「蒸し」をする際、背開きで串を四本刺しにするのに都合がよいということもあるようです。
そして、蒲焼きのおいしさを決定付けたのがタレの開発です。それまで醤油に酒を加える程度だったものが、関東の濃口醤油とミリンの普及により、蒲焼きのタレも旨味と風味と照りを一段と増し、ついに「江戸前大蒲焼き」が完成しました。
(「三河淡水グループ」webサイトより)

大まかのアウトラインは理解できたところで、本題の「浦和のうなぎ」の由来について調べて見ても、本書の説明以上のことは余り詳しく説明されていないようですが一応紐解いてみます。

江戸時代、浦和近郊は沼地が多く川魚が多く生息する水郷地帯で、魚釣りなどを楽しむ行楽客で賑わっていました。この行楽客の人たちに沼地で獲れた「うなぎ」を出したのが始まりといわれ、美味しいことが評判になって当時中山道を上り下り行き来する人たちまでが、宿場だった浦和宿にわざわざ足を運んだといわれているそうで、ここから「浦和のうなぎ」の名声が広まったようです。
そしてこのときに「うなぎ」料理として出されたのが「蒲焼」といわれていました。「蒲焼」の語源は、先にも述べたように当初は筒切りにしたウナギに縦に串を打ち、焼いたものに山椒味噌などを塗って屋台などで供され、その形が「蒲の穂」に似ていたことから蒲焼の名がついたともいわれています。そこから浦和が「蒲焼発祥の地」と言われるようになったようです。
その後、大正時代になって水田耕作などで地場の鰻は獲れなくなったのですが、「うなぎの蒲焼」という伝統の味は残っていたといわれています。
本書の説明を加味すると、浦和で蒲焼きが振舞われていたのが「宝永年間」とありますので、1704年から1710年の頃ということになります。
ちょうど現在の蒲焼きの基本とも言うべき関西の蒲焼きが始まったのが1700年頃で江戸に伝わったのが1715年頃ですから、理論的に言えば関西→浦和→江戸という伝来経路と言えないこともないようです。
この経路は東海道経路ではなく中山道経由で伝わったという、少し辻褄が合いすぎるかなと逆に気持ち悪い事も無いですが、とりあえず浦和は「うなぎの蒲焼き」の発祥の地といっても良いのでしょう。

プログラム内容に戻ります。
「うなぎまつり」の内容は、うなぎ調理の実演、うなぎ蒲焼の試食、うなぎ弁当の販売、うなぎレストラン実演販売、うなぎつかみ取り体験、市内商農産物・市内土産品の販売、などとあります。更に、ステージではセレモニーや演奏、踊り、コンサートなど多彩な出し物が控えています。ということでまだ時間は早いのですが、会場内を見て回ることにしました。

ステージではオープニングセレモニーの前の演奏(9:45~)のスタンバイが行われています。小学生達がバケツリレーのようにバックヤードからステージまで椅子やら面台などを運んでいます。

庁舎の建物の方へ向かうと、特設テントにうなぎ店が準備をしています。なにやらすでに「うなぎ弁当」の引き換えチケットを配布しているとかで、とりあえず良くわからないが貰っておくかと3枚いただきました。

それから10分くらい駐車場の方の物産販売ブースを見ましたが、まだ準備中なので一旦ステージに戻りました。
ステージ上ではそろそろオープニング演奏が始まりそうです。
ステージでのコンサート
岸町小学校金管バンドクラブの演奏ですが、折角の晴れ舞台が雨でかわいそうです。

そうしているうちに、先ほどの引き換え券配布の方を見るとすでに長蛇の列です。
実演販売での整理券配布 実演販売での整理券配布
まだ、開会してもいないのにこの有様は、入間市の新茶まつり以来です。

一応先ほど引き換え券は貰っていましたので構いませんが、隣でなにやら香ばしい香りがするのでいってみると、試食用の蒲焼を配っています。
これはあえて頂かねばと思い多少並びましたが頂きました。
試食うなぎ蒲焼
本当に一串ですが、やはり蒲焼の焼きたては実に美味しいものです。
一串を味わっているホンの2~3分後には試食も長蛇の列ですから、恐るべしうなぎのパワーといったところです。

少しの間ステージの演奏を聞いてから、再び駐車場のブースへ向かいました。市内の企業・店舗がずらっと軒を連ねているようです。
大会本部の手前には「うなぎレストラン」があります。ここはウナギの実演販売で整理券は10時から配布とありましたが既に配布されていたので、とりあえず1枚だけいただいておきました。
うなぎ弁当販売
特に実演は見飽きているくらいですので特に見ようとも思いませんが、既に焼き始めているようです。販売は11:00からとありますが…

全国的に有名な企業や全く地元のマイナーなお店まで様々ですが、うなぎに関連する店舗はそれ程多くはありません。
目に付いたのがこちら「和菓子の富士屋」です。
和菓子の富士屋
うなぎの暖簾があるので何かうなぎ関連しているのでしょうか。
このには「うなぎおこわ」などが置かれていますが、一際目を引いたのが「うなぎまんじゅう」です。
簡単に言えばウナギをまんじゅうの皮でサンドしたようなものです。
お店の方から「とりあえず食べてみて、美味しかったらお土産に買っていって」と言われ、2ケ1パックのものがあったので、とりあえず1パック買いました。

駐車場の中央には休憩用のテントがあるので、そこで「うなぎまんじゅう」を食べてみました。
これが「うなぎまんじゅう」です。
うなぎまんじゅう
食べてみると…意外と不味くは無いです。うなぎの蒲焼のたれが甘いので結構美味でしたね。

ちょうと休憩所で「うなぎまんじゅう」を食べていると、何所からかお店の方がやってきて「にしんの佃煮」のし食品をサンプリングしにきました。
あまりにしんは好きなほうではないのですが、佃煮にすると結構いけますね。酒の肴にはもってこいかもしれません、ということでお店に行ってみました。
「良菜倶楽部まるしん」と言うお店です。
良菜倶楽部まるしん 焼にんにくのり
にしんの佃煮以外にも色々あって試食が出来ます。
特に美味しかった「焼にんにくのり」というにんにくが丸ごとが入った海苔の佃煮と件のにしんの佃煮の「味にしん」をお土産に買いました。
ま、うなぎでなくても良いでしょう。

うなぎに関連する食べ物も結構あります。
「うなぎ弁当」に始まり「うなぎ寿司」「うなぎちゃんこ」「うなぎやきそば」「うなぎチャーハン」「うなぎおにぎり」「うなぎおこわ」「うなぎうどん」などなどあるのですが、いずれもヘビーな食べ物なので今食べることも出来ませんし、全てをお土産にというわけにもいきませんし…

大きな黄色いアーチのある方の店舗に向ってみますと、ちょっと耳慣れない看板が立っています。「浦和軟化蔬菜出荷組合チコリー部会」とあります。
浦和軟化蔬菜出荷組合チコリー部会
「チコリー」という野菜のベーコン炒めを味見できるようですが、「チコリー」とは一体どんな野菜なんでしょうか。
原産はヨーロッパから中央アジアで別名キクニガナ(菊苦菜)と言うように葉や根に独特の苦味があり、主にサラダとして食されるそうですが、ベルギーではグラタンに使用されたり、イタリアでは肉・チーズとあわせて色々な料理に使用されているようです。
試食してみますと、確かにかなり強い苦味があります。この種のものは馴れると美味しく感じるものが結構あるものです。チコリーもその種の一つで、恐らく好きな人はかなり好きで…的な野菜なのでしょうね、と遠まわしで口に合わないと…。

その隣には「グループAT(青畳研究会)」という畳やイグサ製品を販売しているらしいのですが、なんとなくイグサの束をいただいてしまいました。
イグサの束
こればかりはどうすればよいのでしょうかね。

そこからステージに戻る途中にサッカーの銅像と碑がありました。
埼玉サッカー発祥の地碑
「埼玉サッカー発祥の地」という銅像でした。

埼玉サッカー発祥の地碑文
埼玉のサッカーは明治41年6月に埼玉師範(現在の埼玉大学)で始まり、多くの指導者が浦和を中心に教師として赴任したことにより、不休・発展をとげました。
ここ浦和市役所は埼玉師範の跡地に建てられたものであり、正に埼玉サッカー発祥の地であります。
未来に向けて、サッカーの街づクリをより一層推進するため、埼玉師範が全国大会で初優勝を飾ってから60周年目の本年、埼玉サッカー発祥の地の記念碑を建設いたしました。
平成9年4月 浦和市長 相川宗一

埼玉大学の前身、埼玉師範の初優勝とありますが、これは現在の「全国高等学校サッカー選手権大会」のことです。
「全国高等学校サッカー選手権大会」は今年で第87回という歴史を持っています。
1917年度<1918年(大正7年)>に大阪府の豊中グラウンドで大阪毎日新聞(現:毎日新聞)の主催による「日本ヒートボール優勝大会」として創設されたそうです。この年は奇しくもスペイン風邪(インフルエンザ)の大流行の年でもありました。
当初は関西地区のみの大会でしたが、1925年度の第9回大会から全国大会となり、名称も「全國中等學校蹴球選手権大會」となり、戦後の学制改革で現在の名称となっても関西での開催が続きましたが、第55回大会から関東地区で開催され現在に至っています。
そのような歴史の中で、1937年第19回大会で埼玉師範は見事、神戸一中を6-2で下し初優勝したのです。
東日本では初めての優勝校だそうです。
そのような名誉と誇りを像と碑文として残したのです。
そしてその後、浦和高校、浦和西、浦和南、浦和市立などが相次いで優勝し浦和市として輝かしい歴史をつくりあげたのです。

そのようなサッカーの街「浦和」の頂点が「浦和レッドダイヤモンド」の発足でしょう。
熱狂的なサポーターとともに日本サッカーの頂点を極めた「レッズ」のエンブレムにも、この浦和師範の歴史が残されています。
レッズエンブレム
「レッズ」オフィシャルサイトにエンブレムの説明があります。

「新しいエンブレムを構成するその他のモチーフ」
(1)サクラソウ:この土地のシンボル~埼玉県の花、浦和市の花、わが国唯一の自生地は国の天然記念物
(2)鳳翔閣:ずっとサッカーに親しんできたこの町の歴史のシンボル~埼玉サッカー発祥の埼玉師範学校校舎
(3)菱形:この町のプロサッカークラブ・レッドダイヤモンズのシンボル~固い結束力を持つチーム
(浦和レッズオフィシャルさいとより)

ということで当時の埼玉師範の校舎「鳳翔閣」が入れられており、現在、その校舎が復元されて旧浦和市博物館として残されているそうです。

「うなぎ」とは関係ないところでウンチク三昧となってしまいましたが、ついでながらもう一つ。
当時の浦和市長・相川宗一氏は奇しくも先月行われたさいたま市長選挙で落選してしまいましたが、旧浦和市長時代には「レッズ」のファン(レッズ後援会会長)であることを公言していたようです。しかし旧浦和市が合併し新市、さいたま市の市長に在任中は、さいたま市として合併した旧大宮市に本拠を置く大宮アルディージャの存在に配慮して公言は控えていたそうで、これはアルディージャ後援会の会長に就任したことによるものなのです。
かつては“埼玉ダービー”でしたが現在は“さいたまダービー”となっていることがちょっと面白い現象です。
そして、さいたまダービーでは「自分が会場に行くと角が立つ」と言う理由でもっぱらテレビ観戦だったそうです。
因みに先月の市長選では浦和レッズの元監督ギド・ブッフバルトが応援演説を行ったそうです。

浦和のサッカーなら幾らでも歴史を掘り起こせるのですが、今回は「うなぎ」ですのでこれくらいにしておきましょう。
それにしてもこの100選に何故レッズが選ばれなかったのでしょうかね。

ステージ付近に戻ると「うなぎ弁当」の引き換えが始まっていました。
うなぎ弁当販売
とりあえず3ケ3,900円で購入しました。

近くでは「うなぎのつかみ取り」も開催されていましたが、ちょうど次回は11:00からだそうでした。
うなぎのつかみ取り

特にもうすることも無いので、試食がてら「うなぎ弁当」を食べようと再度、休憩所に向いましたが一杯で席も無いのでこれにて会場を出ることにしました。
まだ10:30ころなので、折角来た浦和ですから、せめて懐かしの市街を散策することにしました。

帰りがけに「ちんどん屋」のパフォーマンスがありました。
早稲田ちんどん研究会
最近は随分と若い方がされていて「早稲田ちんどん研究会」ということですから、早稲田大学か何かのサークルなんでしょうね。
また、うなぎ取りならぬ「どじょうすくい」も行われていて、その隣の「さいたま市交通防犯課」のブースでは、自転車用のチェーンや反射バンドなどをいただきました。
どじょうすくい さいたま市交通防犯課サンプリング

そしてイベント恒例の所謂、”ゆるキャラ”の登場です。
ゆるキャラ
体に「KEN」と書かれていますが名前はわかりません。一応人気が有るのでしょう。

ということで早々と「うなぎまつり」を後にすることとなりました。
現在がどうこうというよりも、これから「浦和のうなぎ」をPRする町興しと考えれば、是非がんばっていただきたいものだと思うほかありません。
折角の歴史と文化ですから上手に活かされるといいですね。(素人に言われるまでも無い…ごもっともです)
これから少し「蒲焼き発祥の地」浦和を散策します。

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