「うなぎ」と関係ない浦和

「調神社」を出る前に神社の裏手にある公園「調公園」を一回りします。
調公園
神社の裏手ということもあってか、霊碑や慰霊塔などがあります。きれいに整備されている公園で、恐らく夏は水遊びが出来るようなつくりです。
特に私にはどうといったことも無いところですが、家内が嘗て子供を連れて遊びに来たことを懐かしがっていた様子でした。

これで「調神社」を後にして、市役所近くの駐車場へ戻るとします。
「調神社」前の旧中仙道を一旦浦和駅方面に戻ります。途中来るときには気がつかなかった鯛焼き屋がありました。
「すずの木」という鯛焼き屋です。
すずの木
何故か魅かれたのはたいやきの原料です。チラシに書かれています。

「すずの木」たいやき
北海道産高級小豆「豊祝」を使用。砂糖には最高級ザラメ「鬼ザラメ」を使用。
生地には北海道産小麦を使用。焼は一匹一匹手焼の薄皮になっています。1匹 150円

どうやらこれは「一丁焼たい焼き」という名前らしいです。
すずの木
何かめちゃめちゃ期待できそうなたい焼きだしたので、1匹ずつ2匹買い求めました。
はっきり云ってこんな美味しいたい焼きは滅多にお目にかかれないかもしれません。
確かにザラメの甘さ、香り、食感です。かなり甘いのにべたべたした感じが無い甘さです。皮はパリッとしていますが云われるとおり薄皮で、ビックリするくらい餡子が一杯です。
ここまで餡子が詰まっているたい焼きも、そうないでしょうね。
で、ずばり…「めちゃくちゃ、美味しいです」
この後、昼食ですから1ケで止めておきましたが、お土産に買って帰ればよかったです。ま、また行く機会があれば食べたいものです。これは損は無いと思いますね。

しばらく歩いて県庁方面へ左折します。県庁通り商店街ですが流石にレッズにお膝元で、フラッグがずらっと掲げられています。
県庁通り商店街
やはり浦和はレッズの街なんですね。
といっていると、ちょうど県庁前です。
埼玉県庁
何の用だったか随分昔に一度だけ来た記憶がありますが、もっと大きかったような記憶があるのですが。

しばらく県庁をグルッと半周する感じで17号線に出て、やっと駐車場に戻りました。2:00少し前くらいだったでしょうか。
雨も上がって「うなぎまつり」会場へ行く人帰る人が結構行き来しています。
本来ならばここは「うなぎ」を食するところですが、やはりいつもの様に「そば」です。
駐車場の近くに「内藤流手打ちそば・あさきや」という蕎麦屋です。

建物は結構年季が入っていますが、店頭のディスプレイとともにいい風情を醸し出しているようです。
内藤流手打ちそば・あさきや
中に入ると、随分と昼の時間を過ぎているのですが、7割くらいお客がいましたが、入り口近くのテーブル席に座れました。
奥には座敷があるようで、大人数のグループが気分も盛り上がっているようでした。
右手にはそば内部屋がありガラス張りで中が見えるようになっていて、そこには「今日の蕎麦・福井産」と書かれていました。
内藤流手打ちそば・あさきや
早速注文します。私は「真田六文銭陣中そば」を注文しました。メニューには「六枚重ねの楽しい変化のあるそばです」と書かれています。
家内のほうは、「手毬唄」で、「かき揚げの天丼、そば、サラダをセットしました」と書かれています。どちらも楽しみな感じです。
料理が出でくるまで、メニューに記載されていた内藤流…とやらの由来を読んでいました。

内藤流手打ちそば
日本唯一の流儀をもつ手打ちそばです。
その昔、信州佐久郡の内藤某なる武士が棒術を以ってそばを打ち時の将軍家に献上せし云々…との古事により、長野県下屈指の手打ちそばの名手内藤峰吉翁が更に苦心工夫を加え信州の民芸としてその手打ちそばを作り上げました。
信州安曇野の人吉村慶二郎先生は翁なきあとその遺徳を継ぎ翁の技法に至難とされた早打ちの打法を加え内藤流を創設されました。
当、「あさきや」はこの技法を伝承いたしまして山野にあるがままの風味を生かすべく日夜心がけている次第です。
当店は信州内藤流の正統なる流儀保持者であります。

まるで忍者の奥義のようなミステリアスな蕎麦、と言う事でムクムクと興味が沸いてきます。
するとお膝元の信州に「信州手打ちそば ふじや」という蕎麦屋のさいとがあり、その説明にこうあります。

信州手打そば ふじや
創業元禄年間 宗家内藤流
<食う人癒す打つ心、打つ人癒す食う心>
内藤流そばの由来…
創業元禄年間、内藤流そばは、その起源は明らかではないが…
内藤峯吉翁の口伝によると、元禄年間祖内藤道観が江戸へ出府の折(そば切り)を食し、その珍味に魅せられ修得せる荒木流棒術(剣術)を捨て、その棒術をもって音打の打法をあみ出し、そば打ちを業としたのが内藤流そば打ちの始まりと云われています。
店名の「ふじや」は当家の家紋で有り生家内藤は信濃国入布施村成佛山麓に室町末期より伝えられる不動明王(寛政5年再建)を祭り、一族の心のよりどころとして現在に至る。
たまたま我代に至り、3本の麺棒を用い、当地方に在りし押切りに改良を重ね、苦心の末に現在の近代そばの打法をつくり再興したのが内藤流です。
蕎麦粉は地元蓼科産の霧下そばを使用して、高冷地で育まれた霧下そばは風味も一味違います。

ということはこの店が内藤流の宗家ってことでしょうか。ただもう一軒「石臼挽手打ちそば 水車」という店が”宗家内藤流そば本陣”と銘打っていますが…。
いずれも長野県小諸市ですから、このあたりが発祥なのではないかと思います。

参考:【蔵王の四季(信濃の国・そば三昧)】http://www.aa.e-mansion.com/~kawada3/sinano/page_78.html

一方、首都圏にもやはり内藤流を名乗る蕎麦屋は当然あり、その中の一軒のサイトに面白いコメントが掲載されています。
埼玉県朝霞市にある「松月庵」でやはり”信州内藤流手打ちそば”を名乗っています。

信州内藤流について
信州安曇野で内藤流創始者内藤翁より、吉村慶次郎氏が唯一の伝承人となり、更に吉村氏より、当店主石川を含む三名に内藤流は伝承され、今日に至っております。
私、石川はその技法だけに満足することなく、更に独自の工夫を重ね、蕎麦粉のみでつなげる生粉打ち(きこうち)を完成いたしました。
(以下省略)

では一体他の2名が誰なのかが知りたくなりますが、残念ながら判りませんでした。直接聞かないとわかりませんね。

参考:【松月庵】http://www.teuchisoba.biz/soba/naitou.html

また、「つれずれ蕎麦’09」というブログにはこのような店が掲載されています。
「信州内藤流 手打そば・あずみ」という店で上石神井にある蕎麦屋です。
そこには「信州真田六文銭陣中そば」の文字が浮かんでいます。さらに店内には内藤流の由来書があり、「あさきや」と同じ由緒が書かれているのですが、多少文面が変わっています。

内藤流手打ちそば
日本唯一の流儀をもつ手打ちそばです。
その昔、信州佐久郡の内藤某なる武士が棒術を以ってそばを打ち時の将軍家に献上せし云々…との古事により、長野県下屈指の手打ちそばの名手内藤峰吉翁が更に苦心工夫を加え信州の民芸としてその手打ちそばを作り上げました。
当「あずみ」店主は峰吉翁の遺徳を継ぎ翁の技法に至難とされた早打ちの打法を加え山野にあるがままの風味を生かすべく日夜心がけている次第です。
現在、内藤流は日本全国に於いて「あずみ」が唯一の正統なる流儀保持者であります。

「あさきや」でも「松月庵」でも伝承は安曇野の吉村慶二郎ただ一人とあるので、この「あずみ」店主が吉村慶二郎その人、或いは所縁の人なのでしょうかね。で、更に唯一の伝承者とも云っているのですが…。

参考:【つれずれ蕎麦’09】http://chibiyukarin.blog4.fc2.com/blog-entry-967.html

更にこの「あずみ」を調べてみると次のような店はありました。京都にある「あずみ」という蕎麦屋です。そこに「あずみそば」の歴史が記載されています。

「あずみそば」誕生の歴史
昭和38年のある日、信州松本の片田舎、蕎麦屋の暖簾を 二人の初老の紳士がくぐった。一人は「信州松本の民芸家具の創始者」 池田三郎氏。もう一人は「大原美術館の創始者 大原孫三郎」の後継者 であり「倉敷紡績社長」の大原總一郎氏。そしてこの人こそが "あずみそば"の歴史を創った人物である。
大の蕎麦通として全国津々浦々、 旨いと言われる蕎麦を食べ歩いていた大原氏にとって、地元倉敷に 本物の蕎麦屋を作り、いつでも大好きな蕎麦を食すのが 永年の夢であった。しかし、求める蕎麦に巡り合う機会がないままに、 松本の間口一間程の蕎麦屋に入った。そこで「これこそが自分の探 し求めていた味だ」と、気が付けば六枚の盛り蕎麦をたいらげていた。 これが大原氏と"あずみ"の出会いである。
こうして約二年間に渡る倉敷への誘い・・・。決して無理強いは せず、三顧の礼をもって先代夫婦を遇し、ようやく昭和41年6月、 倉敷美観地区に先代の出身地、信州"安曇野"の地名から名付けた 「あずみそば」が誕生した。
それから40年余り、大原氏のこだわりの味は、先代そして二代 目へと受け継がれ、頑なに「本物の手打ち蕎麦」の味を守り続け ております。
(以下省略)

勿論、ここも信州内藤流を語っていますが、だんだん訳がわからなくなってきました。
ただこうなってくると”信州内藤流”は当時は奥義だったのかもしれませんが、現在ではブランドとしてつけられているのかも知れませんね。これをどう考えるかは個人の価値観しだいでしょうね。

参考:【あずみ】http://www3.tok2.com/home/azumisoba/index.html

探求はこれくらいにして出された蕎麦を食します。

まずは家内の「手毬唄」が先に出されました。
内藤流手打ちそば・あさきや
きれいな盛り付けで実に美味しそうです。サラダをつけたところといい、ネーミングといい女性の喜びそうな感じですが、意外とボリュームもあり男性でもOKのようですね。
そして次に私の注文蕎麦がやってきました。「真田六文銭陣中そば」がこれです。
内藤流手打ちそば・あさきや
五重塔…否、六重塔のような圧倒感で、まさにザ・タワー! です。
そして、これを広げるとこうなります。
内藤流手打ちそば・あさきや
最上段が海老天と煮物、玉子焼き、カマボコ、ほうれん草で、2段目が薬味です。
三段目にはうどんが入っていています。
四段目がノリの掛かった所謂、ざる蕎麦で、五段目が胡麻の掛かったもり蕎麦。そして最後の六段目がとろろそばです。
確かにこれは楽しく変化がありすぎ!、です。

若干濃い目の汁ですが、こくがあって美味しいです。蕎麦は少し太めでコシが強くしこしこです。意外とうどんもコシがあっていけます。
天ぷらは特にいうことはありません、可も無く不可も無くといったところでしょう。
最後の蕎麦湯までのんで「実に旨い蕎麦」だと思います。これで1,360円ですからコストパフォーマンスはかなり高いでしょうね。
損は無いというより、一度は食べておくべきかもしれないお店です。
実に満足でした。

これで今回の大散歩は終了ですが、最後に「うなぎ」とは関係の無い方向に走ってしまいましたが、これはこれで由としておきましょう。

今回は旧中仙道や17号線を中心とした駅西側でしたが、改めて旧浦和市を眺めると、埼玉県やさいたま市の中枢である官庁街であるとともに、埼玉県でも有数の商業エリア。そしてその中に歴史ある寺社が点在していて、老舗の店舗があるグルメな街。更にレッズ本拠地という新しい顔をもった多彩な街、摩訶不思議な街でした。
もっと細かく探索すれば更に面白いかもしれませんが、今回はこれで帰ることにします。まだ、100選に選ばれている地区ですから必ずまた訪れることでしょう。それまで楽しみはとっておくことにします。

17号を北に向かう帰りの車で、「うなぎまつり」会場からそれ程遠くない場所で看板を見つけました。
そこにはこう表示がありました。

『季節限定 うな丼定食 550円 吉野家』


これはハーフカットでしょうか、それとも中抜き… いずれにしても小さいかば焼きであることは明白ですし、取り立てて美味しいわけではないでしょう。
でも、これが基本的に庶民の「うなぎ」です。
「浦和のうなぎ」をPRし広めようとするのは決して悪いことではありません。しかし、うな重2,000円とか3,000円するなら美味しいのが当たり前で、これが不味かったら「浦和のうなぎ」どころの騒ぎではないでしょう。

2009年5月31日の読売新聞にこう報道されています。

「浦和うなぎまつり」が30日、さいたま市浦和区の同市役所で開催された。今年8回目で、雨にもかかわらず約2万人が訪れた。
会場では、市内の19のうなぎ店でつくる「浦和のうなぎを育てる会」の調理実演や、ふかしたもち米にかば焼きをのせた「うなぎおこわ」の販売などが行われ、香ばしいにおいが充満。1700食限定のうなぎ弁当は約1時間で完売した。
(以下省略)

やはり「うなぎ」を身近に食べたいという人は多いのでしょう。ですから通常、庶民は外食チェーンやスーパーのパックで満足している、満足しようとしているのです。
確かに老舗や店舗で上等で高価なうなぎが食べられるのも、一つの魅力ではありますが庶民も気軽に食べられる「うなぎ」、そんな街になるなら「浦和のうなぎ」も悪くないなあ、と思うのですが。

2009.6.13記

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