加須の手打ちうどん

加須のうどんの起源は利根川にあるそうです。

手打ちうどんイメージ 古の頃、利根川が乱流したことにより土壌の豊かな埼玉平野が形成され、人々は住居を構えて水田や畑が開かれ、加須にも嘗て利根川の支川である「会の川」と言う川が流れていたそうです。
遡ること約400年前の江戸時代、徳川家康が江戸入府(1590年)とともに新田開発が進められ、湿田以外では、米の裏作に小麦が栽培されるようになりました。江戸時代、米は年貢として徴収されてしまいますが、麦は蓄えることができ、農家の日常食としてうどんが食されるようになったのが「加須の手打ちうどん」の始まりだと言われています。
そして、今から約200年前の江戸時代のなかば、利根川の渡舟場や不動岡にある總願寺の門前で参拝客をもてなしたのが、加須のうどん屋の始まりといわれているのです。
そういった意味では加須の”うどん”も”うどん屋”も大層歴史のあるものといえるのです。

そしていよいよその「加須の手打ちうどん」を食べる時がやってきました。
清潔な店内に入って期待を膨らませながら私は”天ざるうどん”、家内は”天ぷらうどん”を注文いたしました。
午後2時半という時間ながら他にも数名お客がいたのは美味しさのあらわれなのか、気持ちがどんどん高まっていくのです。
そのとき一人のお客が「天ぷらそば」と注文。
「おいおい、加須で”そば”…!?」 
年中うどん食べているので珠には”そば”でもと言う不届き者か…。
などと考えていると待望の”天ざるうどん”が目の前にやってきました。

加須市商工会議所のサイトに加須うどんの説明があります。

加須うどんの特徴は、「足踏み」、「寝かせ」といった手打ちうどん独特の作業を通常の倍も重ねることによるコシの強さとのど越し。
さらに、夏場は細うどん、冬場はひもかわうどんと、季節によって太さを変えたりと、各店がそれぞれに手打ちの技を競っています。
加須では、水洗いした冷たいうどんに、あっさり味の冷たいつゆという組み合わせが一般的ですが、うどん店ではもっと加須の特色を出そうと、味においても様々な工夫を重ね、各店独自の一品を作り出しています

と言うことで”加須手打ちうどん会”と称して30店舗以上が加盟しているそうなので期待はいやが上にも高まります。
そして、まぶしげに白きうどんを付けだれにつけて一口食する。
「え、え、え………」
辛い… 否、実際にはしょっぱい、しょっぱすぎる。
通常、そばの場合は、そばの香りを楽しむため余りつゆはつけないため少し辛目で、特に藪系は特に辛いものです。だが、うどん文化は関西発祥、なので薄色でだしの旨みがきいているはず。
確かに、加須独特の味をと言うことはわかるのですが、これほど辛い出汁は始めてです。
私の方はまだ良いほうで、つゆの付ける量を少なくすればなんとかなるのですが、家内の頼んだ天ぷらそばはといえば、出汁は全く飲めない状態で悲惨の一途でした。家内のを一口貰ったがそれ以上食べられませんでした。
更に、「コ、コ、コシが無い………」まさに腰砕け、などといってる場合ではありません。
昔、病気の頃食べた良く煮込んであるやわらかい”病み上がりうどん”を思い出してしまうほど悲しいうどんです。
これが、本当に有名な手打ちうどん? 全く信じられない現実です。天ぷらのさくさく感が無くても、天ぷら屋ではないので許せるとして、うどんと出汁がこれでは…、しばし絶句。

視点を変えましょう。
様々なレビューを見てもどれも絶賛の嵐、ということは、この味、このコシが本当のうどんとするなら、私の口には合わないっていうことになります。決してまずいのではなく私の味覚がどうかしているのだと…。
実際に、このお店の写真などは撮影してあるのですが、出さない方が無難なのかもしれません。まあ、大勢の方が美味しいと喜んでいらっしゃるのですから、あえて波風立てるのもどうかと思いますし。
でも、本当に悔しいくらい悲しいです。

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