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長瀞渓谷

「宝登山神社」をお参りし終わったのが12:00少し前だったので、このまま今回の主目的でもあり、長瀞の一番の名所である長瀞渓谷に向かいます。
当然ながら「宝登山」や「宝登山神社」などの記憶は全くありませんが、「長瀞渓谷」はどうでしょうか。何となく岩畳で記念撮影をしたような気がする(遠足なら当たり前か…)のですが。
一旦車で移動し、なにやら岩畳に一番近い駐車場と銘うった民間の駐車場があったのでそこに止めることにしました。
ちょうど「宝登山」から駅に向かい駅前の踏み切りを越えたところにある駐車場です。

長瀞一周船

駐車場から歩いて4.5分で渓谷に到着です。
長瀞渓谷
冬ということもあってでしょうか、天気は良かったのですが何となく荒涼とした景色です。
岩伝いをとりあえず川岸に向かって行ってみますと、「長瀞ライン下り」のチケット売り場がありました。
「長瀞ライン下り」のチケット売り場
3月以降のシーズンになるとどっと賑わうのでしょう。
チケット売り場を見ると何やら「長瀞一周船」なる船が出ているようです。
12月から3月上旬までは毎年「長瀞ライン下り」は休みの時期で、その代わりに「長瀞岩石園」と呼ばれる「長瀞ライン下り」乗り場周辺の渓谷をのんびり一周する船が出ているそうです。
長瀞岩石園
まあ、寒い時期にライン下りに乗る人もそれほどいないでしょうからね。
但し、今日は非常に天気も良く比較的気温も高いので乗船することにしました。
通常のライン下りのコースはA.B2種類あり、どちらも30分くらいで大人一人1550円だそうですが、この一周船は約20分ほどの乗船で大人850円です。
長瀞岩石園
もうすぐ出航するとのことなので乗船します。今回は7.8人位乗り込みました。
和船
通常船頭は前と後ろの2人だそうですが、一周船は後ろの1人だけです。
実に静かに滑るように走るとはこのことでしょうか、ポカポカ陽気で実に気分上々です。

走り出すとすぐ右手に「岩畳」がダイナミックに映ります。
岩畳
ちょうど上流に向かって船を走らせています。
この「岩畳」は天然記念物となっているようですが、実際に指定されているのは「長瀞」という名称で指定されています。
種別は名勝・天然記念物で1924(大正14)年の指定です。

結晶片岩ヨリ成レル峽谷ニシテ兩岸絶壁ヲナシ勝景ノ地タルト共ニ結晶片岩能ク露出シ且ツ本邦ニ特有ノ紅廉片岩ヲ見ルヘク或ハ層埋ニ沿ヒ或ハ之ニ直角ニ種々ノ浸蝕ノ痕跡アル外地層ノ褶曲斷層明カニシテ特ニ褶曲ニハ其ノ種類多ク斷層ニ基因セル鏡肌アリ蓋シ結晶片岩地方ノ峽谷トシテハ關東ニ於ケル代表的ノモノタルノミナラズ前記ノ如ク各種ノ天然紀念物アリ
(指定解説文より)

これをもう少し平易に訳すと以下の通りとなります。

地球の窓「長瀞」
国指定 名勝及び天然記念物
大正13年12月9日 指定
長瀞の美しい渓谷は, 地下20~30キロメートルの高圧化でつくられた結晶片岩が隆起し, 荒川の清流に磨かれてできたものです。
明治10年に近代地質学が日本に導入されると, 翌年にはナウマン博士が長瀞を訪れました。以来長瀞は, 多くの研究者や学生が訪れるようになり, 「日本地質学発祥の地」といわれています。
岩盤は幅50メートル, 長さ600メートルにおよぶ広大な岩石段丘です。ここは, かつての荒川の流れ出できたポットホールをはじめ, 断層やしゅう曲などがみられ, 地質学の宝庫として自然観察の絶好の場となっています。
隆起した結晶片岩が文字どおり岩畳となって広がる長瀞の中心地。対岸には秩父赤壁と呼ばれる絶壁や明神の滝がある。荒川は、岩畳で青く淀んだ瀞となり美しさを増す。
(現地案内板説明文より)

これをまた更に噛み砕いてみます。
そもそも「結晶片岩」なるものは、もともととは地下に堆積した土砂で、それがマグマなどの200~300度の高熱や地殻変動などによる数千気圧という圧力などで固まってできた岩のことで、この生成された経緯から主には薄くて水平にはがれやすい性質を持った岩石なのです。そしてこの「結晶片岩」が造山運動によって地表に顔を出したのが、この長瀞渓谷なのです。
したがって本来は地下にあったものが直接肉眼で見られるということから、この地を「地球の窓」と呼ぶようになったようです。
そのきっかけが明治10年の日本への近代地質学導入でした。
ここに記載されているナウマン博士は、「ハインリッヒ・エドムント・ナウマン」と言うドイツの地質学者です。
明治8(1875)年、明治政府の招きで20歳で来日し明治18(1885)年までの10年間、日本の地質調査をしたのです。
具体的には、東京大学地質学教室の初代教授となって地質家を養成し、茨城県つくば市にある国の調査機関、地質調査所の設立に尽力し、設立後は、調査責任者として、日本列島の地質調査に従事し、日本初の本格的な地質図を完成させたそうです。
因みにこの「ナウマン」博士は日本のフォッサマグナを発見した人としても知られ、野尻湖の湖底発掘で有名なナウマンゾウの名前は、日本でゾウの化石をはじめて研究した博士の名前にちなんでつけられたそうです。
そして明治11年、このナウマン博士がこの長瀞を訪れ調査したことから、一躍長瀞の地質が脚光を浴びるようになったそうです。
その地質学の宝庫としてこの長瀞には、三波川変成帯と呼ばれる変成岩帯が地表に露出している「岩畳」、荒川による侵食のため急な崖である「秩父赤壁」、荒川の急流が屈曲部で渦をつくり、岩石の河床の凹部に閉じ込められた礫や小石が河床をすり鉢状に削り取った「ポットホール」、そして表面の紋様が虎の毛皮のようになっている幅15mほどの結晶片岩「虎岩」などをはじめ、褶曲、断層、不整合、懸谷、インブリケーション構造、河岸段丘などを見ることができる地質学の宝庫といわれているのです。
したがって現在見ているこの「岩畳」は一枚岩の地底にあった岩盤という貴重な地質なのです。

よくよく見れは実に壮大な景観ではあります。
岩畳
四阿などがあるのはまさに観光地風情ということです。
しばらく「岩畳」を眺めながら進むと川の水の色が変ってきます。変るというよりより透明度が増してきます。
渇水
船頭さんの説明によると冬のこの時期は荒川が渇水するので、場所によりかなり浅くなるため川底が見えてくるのだそうです。
したがって1月から3月上旬は渇水時期なので「ライン下り」は休船となるようです。寒い為に客が集まらないので出航しないのかと思っていましたが、そうではなかったようです。
そもそも川の流れがゆっくりしている部分を「瀞」といい、この「瀞」が長く続くことから「長瀞」と呼ばれたように、ゆっくりのんびりした船廻りは、ライン下りとはまた一風違った風情で、まさしく「長瀞」を味わえるのです。

左側には「秩父赤壁」と呼ばれる崖が見られます。
秩父赤壁
高さ100メートル、幅500メートルある絶壁で中国揚子江の景勝地「赤壁」にちなんで名付けられたそうです。最近では「レッドクリフ」といったほうが理解が早いかもしれません。
この「秩父赤壁」から流れ落ちる「明神の滝」というのがあるのですが、冬の時期は渇水で水が流れ落ちないそうです。
船頭さんの説明ではこの赤壁の上に遊歩道があるそうですが、名勝に指定されているので簡素なロープのようなガードレールしかないので、そこからの景色はかなり絶景ではあるそうなのですが、若干命がけの部分もあるようです。
季節の良い時期に歩いてみたいものです。

「秩父赤壁」を通り過ぎると間もなく右側の「岩畳」も終りです。
長瀞渓谷
そして川の中央に大きな岩が突き出ています。どうやら一周船はここまでで、ここから引き返すのだそうです。
この突き出た岩の先はもう和船は走れない水量および喫水なのです。3月以降はこのずっと先からライン下りの和船が下ってくるのです。
このあたりで方向転換をしてもどりますので、当然ながら左手が「岩畳」で、右手が「秩父赤壁」となります。
長瀞渓谷
またしばらく自然の造形美を堪能し、いよいよ「一周船」も終了となります。
長瀞渓谷
ここから先はまた「ライン下り」のコースとして通常は下って行くのだそうです。
長瀞渓谷
下船して「一周船」は終了です。
長瀞渓谷
ちょうどこの時間帯だけ妙な「ポカポカ」陽気だったので、実に気持ちのよいひと時を過ごすことができました。
次はやはり「長瀞ライン下り」に乗ってみたいものです。
そういえば船頭さんが「ライン下り」はかなり込むので、極力日曜日は避けて、尚且つ早めの出航に乗ると比較的すぐ乗れるそうです。
次回は計画して来ないといけませんね。

長瀞岩畳

「岩石園一周船」を降りたところから下流を眺めると渓谷とは違ったまた美しい景観を眺めることができます。
四季折々の景観が楽しめそうな場所です。
長瀞渓谷
春は桜や新緑、夏は渓流、そして秋には紅葉が楽しめるのではないでしょうか。
かなり綺麗な景観でしたが、なるほど、ちょうど「ライン下り」の乗船場を見渡せる場所に記念撮影用の台が置かれているくらいですから、団体観光客用の記念撮影スポットなのでしょう。
岩畳
まさか、40年以上前の遠足の写真もここで撮られた(といっても遠足の写真が無い!)ってことはないでしょう、恐らく。

ちょうど次の「一周船」が出たところのようです。
渓谷
俯瞰的に眺めるのもまた水と崖の織り成すコントラストが綺麗なものです。
「岩畳」の上を実際に歩くと一見して、以前【草津温泉家族旅行】で訪れた「鬼押出し園」を思い出すようなちょっと荒涼とした世界です。
まるで雲母のように薄くはがれるような感じが「結晶片岩」の特徴でしょう。
岩畳 岩畳
実際に近寄ると良く分かります。
しばらく歩いていくと先ほど川から見た四阿がありました。
四阿
春になると木々もより美しく映えるでしょうから、ここもかなりの観光客で埋め尽くされるのでしょう、きっと。
更に先に進んでちょうど「秩父赤壁」の対岸あたりに案内板があります。

国指定 名勝・天然記念物「長瀞」
岩畳のすがたとそのおいたち
大正13年12月9日指定
この岩畳をつくっている岩石は、関東山地から九州まで細長く分布しています。
これらの岩石は結晶片岩とよばれ、うすく、水平にはがれやすい性質を持っています。また、垂直な割れ目もたくさん見られます。どんな方向の割れ目が多いかは、生えている草の並び方から知ることができます。秩父赤壁とよばれる対岸の絶壁も割れ目の方向と無関係ではなさそうです。割れ目は、地下深くで大きな圧力を受けてつくられた結晶片岩が、地表へ押し上げられたときにできたひび割れだと考えられています。
昭和57年3月 長瀞町教育委員会
(現地案内板説明文より)

恐らく小学生でも判るように平易に書かれていますが、ここでは「結晶片岩」について少し詳しく調べてみます。
前述した通り「結晶片岩」は熱と圧力で固まったという内容でしたが、学術的にこれは変成作用と呼ばれるそうです。そしてこの変成作用によってできた岩の総称を「変成岩」と呼ぶのです。
一つの例が「泥」で、この「泥」の変成作用が以下の岩石の変遷なのです。
「泥」→「泥岩」→「頁岩」→「粘板岩」→「千枚岩」→「結晶片岩」→「片麻岩」→「花こう岩」という変成作用です。
「泥岩」はその名の通りに泥がそのまま固まったような岩石で、「頁岩」は圧力を受けたために一定方向に鉱物が並び少し薄くはがれやすくなったものです。硯として利用されている「粘板岩」や「千枚岩」はさらに薄くはがれやすくなったもので、「結晶片岩」になると鉱物の再結晶がかなり進んでもとの岩石とは似てもにつかないものになっています。
「片麻岩」は「結晶片岩」と似ていて、低温で変成があまり進まなかったものを「結晶片岩」、高温で変成が進んだものを「片麻岩」というそうです。
「花こう岩」は石材として御影石と呼ばれるポピュラーな岩で、このように変成作用の一過程の中でつくられたのが「結晶片岩」なので、いわゆる「変成岩」の一種といえるのです。
更にその「変成岩」には4種類の作用によって作られています。
一つは「接触変成岩」と呼ばれるもので、マグマに接した岩石がその変成作用を受けるもので、当然マグマに近いところはその作用を一番強く受け、離れるに従って変成作用が弱くなることから、精々数Kmの範囲でつくられる「変成岩」です。
もう一つは「広域変成岩」と呼ばれるもので、一般的に大山脈を造るような変動(造山運動)での中心部では高い圧力や高熱が発生します。このような圧力や熱によってできた「変成岩」をいいます。そして造山運動であるのでかなり広い地域で作用することから「広域変成岩」と名付けられており、「結晶片岩」はこの「広域変成岩」に当てはまるのです。
三つ目は「動力変成岩」というもので、断層運動に伴って、短時間岩石の温度や圧力が上昇したり、また変形を受けてできる岩石をいい、「結晶片岩」も嘗ては「動力変成岩」とも呼ばれたそうですが、現在は分けられているようです。
四つ目が「衝撃変成岩」といわれるもので、隕石の落下などによる局所的超高圧で生じた変成岩のことです。

以上のように「結晶片岩」は「広域変成岩」にあたるのですが、この「広域変成岩」は文字通り同じ岩石が広い範囲に分布していて、その範囲が帯状に広がっていることから変成帯と言われています。
日本の代表的な「広域変成帯」には以下のような変成帯があります。
飛騨変成帯(北陸地方を中心としたエリア)、三郡変成帯(鳥取・島根県を中心とした中国地方北部)、神居古潭変成帯・日高変成帯(北海道日高地方)、三波川変成帯(九州から千葉・茨城県に亘るエリア)、領家変成帯(三波川変成帯と同じエリアだが三波川変成帯は中央構造線の南側で、領家変成帯は北側のエリア)などで、そしてこの「三波川変成帯」の中の代表的なエリアが「長瀞」ということなのです。
ここでちょっと「三波川」の名前に聞き覚えがあるので確認すると、やはり嘗てジャンルAの【冬桜の城峯公園】で訪れた「国指定名勝及び天然記念物・三波石峡」に「三波川」がありましたが、ここで取れる庭石などに使用される「三波石」は三波川流域で取れる青緑の結晶片岩なのです。
こういったことから「長瀞」にしても「三波石峡」にしても、三波川変成帯は学問的にも名勝地としても貴重な地ということになるのです。変成帯ゆえに名勝地という考え方もありますが…。

対岸から見た「秩父赤壁」もまたダイナミックな姿を見せてくれています。
秩父赤壁
ちょうどその先に、「一周船」でみた川から突き出た岩がみえます。
長瀞
上から見ると意外と大きいのですね。
一周船はこのあたりでUターンして戻ります。
長瀞
ちょうど上流からゴムボートが一台下ってきていますが、この時期はゴムボートでないと走れないようです。
長瀞
「岩畳」もそろそろこれで終了です。
岩畳
長瀞渓谷は実に景観に富み、そして学術的にも興味をそそる地でしたが、ついに遠足の記憶は蘇りませんでした。

ここから一旦「ライン下り」乗り場まで戻り、そこから徒歩で長瀞駅方面に向かいました。
岩畳通り 岩畳通り
川岸を抜けると長瀞駅へ向かう道につながっていて、「岩畳通り」と看板が立っていました。
この通りの両サイドに飲食店や土産物店が連なっています。
陽も幾分翳ってきて多少肌寒くなり、もうPM1:00過ぎなのでまずは昼食をすることにしました。

「岩畳通り」をまっすぐ進むと線路を越える踏切があり、そこがちょうど長瀞駅です。
長瀞駅 長瀞駅
駅前のロータリーでは、地元の方が和太鼓を演奏し観光客を出迎えているようです。
和太鼓
ロータリーの中央付近に「さくら名所100選の地」碑が立っています。
さくら名所100選の地
これは(財)日本さくらの会という団体が指定しているようです。この「長瀞」以外の埼玉県内では、「熊谷桜堤」「大宮公園」の2ヶ所が指定されています。
名所中の名所といっても良い東京都の「千鳥ヶ淵緑道」が指定されていませんので、何か独自の判断基準があるのでしょう。

ロータリーから「宝登山」に向かうメインストリートの一角にある【長瀞屋】で昼食をとることにしました。
やはり地元の名物をということで、長瀞の名物である「おっきりこみ」といううどんがあるようなので、この店に入ってみました。
長瀞屋
なかなか観光地の中の食堂といった風情がちょいと懐かしいような気持になりました。

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