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並木参道

一応今回の主目的である「長瀞と岩畳」の散策を終えましたが、まだ少し時間の余裕があるので、宝登山神社の参道沿いの散策を続けることにしました。
陽が落ちてくると大分寒くなってきますが、まだまだ余裕はあります。

並木参道散策

「長瀞屋」から出て「宝登山神社」方面に向かいます。
並木参道
この長瀞駅前からのメインストリートと国道140号線の交差点が「長瀞駅前」交差点で、ここに宝登山神社の一の鳥居が立っています。
宝登山神社鳥居
来たときは車で通過したので写真をとれませんでしたが、近くで見ると確かに大きな鳥居です。
長瀞駅からこの鳥居までの通りを「表参道」といい、鳥居から「宝登山神社」までの参道を「宝登山並木参道」というそうです。
さすがに参道だけあってなかなか風情のあるお店が並んでいるようです。

ここが天然氷で食べられるカキ氷で今や有名な「阿左美冷蔵」です。
阿左美冷蔵
随分モダンな店舗で、いかにも全国区面の戦略が見え隠れしているといった感じです。
やはり若い女性が多いようですが、今回はパスしておきました。もう少し暖かくなってから味わいたいものです。
その先には「長瀞サル劇場」なる見世物小屋があります。
長瀞サル劇場
さすがに入ることはしませんでしたが、なかなかそそるものを感じます。

参考:【長瀞サル劇場】http://www.sesamistreet.com/index-nagatoro-saru.html

そのほかこの参道沿いには、「うるし工房」や「長瀞焼宝登窯」など日本の伝統文化に触れられるようなお店もありました。
ここは機会があればゆっくり散策したいところです。
そして参道の反対側に「国指定重要文化財 旧新井家住宅」の碑があったので行ってみました。
「国指定重要文化財 旧新井家住宅」の碑

旧新井家住宅

参道から少し奥に入ったところに建物があります。
旧新井家住宅
建物の前には案内板が掲出されています。

国指定重要文化財 旧新井家住宅と長瀞町郷土資料館
旧新井家住宅は260年ほど前に建てられた養蚕農家です。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されました。
この住宅の最も注目すべき特徴は、屋根が板葺であるということです。また、太さが35cmもある大黒柱や家の中にある馬屋、仕切りのない風呂場、土間に接した囲炉裏など、現代の住宅とは異なるところがたくさんあり、家の中に入れば、気分は江戸時代です。
隣接する長瀞町郷土資料館は昭和55年(1980)に開館しました。
ここには長瀞町で出土した土器や石器、そして江戸時代から昭和にかけての民具、秩父銘仙に関する資料等が展示されています。
旧新井家住宅は郷土資料館の奥にあります。郷土資料館の入口からお入り下さい。
(現地案内板説明文より)

更にもう一つ案内板があります。

国指定重要文化財 旧新井家住宅
昭和46年6月22日指定国指定重要文化財
新井家は江戸時代に代々当地方の名主をつとめた高い格式をほこる旧家である。この新井家に三峰山高雲寺の祈祷札が百数十枚保存されていて、その中の古いのに延享2年と記されてあるのでこの祈祷札より推定すると250年ほどの星霜をへて今日にいたっている。新井家住宅は長瀞町大字中野上121番地にあったが当家主人新井正之氏より町に寄贈され、昭和49年1月より解体、移築に着手昭和50年3月、大がかりな工事をもって現在地大威徳城跡に移築復元しました。
長瀞町教育委員会
(現地案内板説明文より)

といったようなあらましで、旧新井家住宅を移築したところにあとから郷土資料館を併設したということなのでしょう。
200円の入場料を払って入館すると、そこは長瀞町郷土資料館ですが、ここは一旦素通りして資料館を抜けた先にある「旧新井家住宅」へ向かいます。
チケット
資料館の裏口を抜けると「旧新井家住宅」がありますが、第一印象はかなり大きな建物という印象です。
旧新井家住宅
さすがに旧家だけのことはあるようです。

国指定重要文化財 旧新井家住宅の説明
新井家は徳川時代に代々当地方の名主をつとめた高い格式をほこる旧家である。この住宅は、長瀞町大字中野上121番地に所在し、かつてこの地方に散在した板葺農家の典型的なものとして国の重要文化財に指定された。建物の年代については明らかでないが、家蔵の祈祷札のうち一番古いものは延享2年(1745)の年記があり、構造手法からみても時代に特性を示すものであり、このころの建立と思われる。その後明治、大正、昭和を数次にわたり改修を受け230数年の星霜をへて今日にいたった。町はこの建物を新井氏より譲り受け当地に移築保存することになり、昭和50年3月、国・県の補助を受け復元工事を完了した。
所在:長瀞町大字長瀞1164番地
名称:重要文化財 旧新井家住宅
構造又形式:桁行20.9メートル、梁間10.5メートル切妻造、一部二階、板葺、東面疵萱葺
指定年月日:昭和46年6月22日
建物は桁行10間半、梁間5間の板葺、切妻造りで、一部に中二階を設ける養蚕農家である。平面は桁行を三分して、土間、「ざしき」、「でえ」が並び、「でえ」裏に「へや」「おくのでえ」が配されている。構造は上屋・下屋の区別がなく、柱は棟木または母屋まで達するものが多く、小屋束は少ない。
この建造物の特徴としてあげられるのは、栗材の板葺石置屋根、内部の屋根裏の「モヤ」に取り付けた竹を「あけび」のつるで結んだのが見どころと言える。又、軒下の関西風の格子を取りつけてあるのが美しい。
昭和51年3月15日 文化庁・埼玉県教育委員会・長瀞町教育委員会
(現地案内板説明文より)

いただいたパンフレットで補足しますと、栗材の板葺石置屋根とは下地となる竹の上に長方形の薄い栗板を重ね、この上に石をのせて板を押さえたものだそうです。
板葺石置屋根
栗板が使われたのは、栗が他の木にくらべて雨に強いからだそうで、かつて秩父地方ではよく見かけられたようですが現在、秩父地方ではここだけだそうです。
その板葺の屋根の下の格子が関西風格子でしょう。
関西風格子 関西風格子
当時としては贅を凝らしたつくりなのかもしれません。
中に入ってみますと、やはりかなり広いのが判ります。
屋根裏
天井は無く屋根裏が竹でできているのは理解できます。これもやはり珍しいのでしょうね。
こちらが「でえ」です。
「でえ」
「でえ」とは「出居」と書き、高い身分の人を招いたり、親戚や知人を呼ぶときに使う部屋です。
そして「へや」と呼ばれるのが所謂寝室のことで、「ざしき」が日常生活の場、所謂リビングとなっているようです。
以前、ジャンルAの【巾着田の曼珠沙華】で訪れた「国指定重要文化財 高麗家住宅」もまた同じような造りでした。
ある程度、地方の名家の家の造りはそれなりの様式があったのでしょう。
こちらは二階というよりも確かに中二階といった感じの造りで、意外と怖かったりします。
中二階
しばし旧家を見聞して郷土資料館に戻ります。

長瀞町郷土資料館

「旧新井家住宅」をみてから長瀞町郷土資料館に戻ると、当然ながら来た時とは反対の順路となります。
裏口から入った付近は「機織のコーナー」です。
長瀞町郷土資料館

機織のコーナー
かつて秩父では養蚕と並んで機織が代表的な産業で、各地に機屋がありました。そして長瀞には村田源三郎氏の発案による野上絣と言う織物がありました。
このコーナーは、この野上絣などの織物の展示のほか、不定期ですがボランティアによる機織の実演を行っています。(冬季を除く)
(資料館パンフレットより)

実際に使用されたのでしょうか、機織機が展示されています。
更に造られた着物や織られた織物の絵柄が展示されています。
機織のコーナー
絣というと結構渋い柄を思い浮かべますが意外と煌びやかな色彩に驚かされました。
一角には村田源三郎氏が紹介されています。

野上絣(村田絣)
秩父絹や根古屋絹と称し、裏地と無地に近い縞以外できなかった秩父織物に明治19年新しく絣を発案したのが、長瀞町(当時藤谷淵村)の村田源三郎氏(1868~1943)である。桐生の技術、両毛・越後の職工女を招き、明治27年まず太織の生地で乱絣を手がけた。その後幾多の研究改善を重ね本場大島風の絣を完成した。この絣を野上絣(明治22年野上村に合併)、あるいは村田絣、ツメ工夫絣、秩父大島などと称し、明治・大正・昭和10年代まで秩父織物を代表する製品として一世を風びした。
(現地案内板説明文より)

かつては長瀞の主産業として振るったのでしょう。そんな当時の栄華を誇るような展示品の数々でした。
その奥に更なる展示コーナーがあり、手前には土器などが並べられています。
遺跡出土品のコーナー

遺跡出土品のコーナー
長瀞町には縄文時代から江戸時代までの遺跡が約130あります。このコーナーは、発掘調査が実施された3つの遺跡を紹介しています。
川面遺跡(かわづらいせき)は縄文時代中期の遺跡で、町の北部、大字矢那瀬にあります。加曽利E式を中心として大量の土器が出土しました。土器には中部地方の文様を持つものもあり、この地方との交流がうかがわれます。
大滝遺跡(おおだきいせき)は縄文時代後期・晩期を中心とした遺跡で、町の東部、大字岩田にあります。ここからは、川原石を円形に並べた環状列石と様々な石器が出土しました。
上長瀞古墳群(かみながとろこふんぐん)は古墳時代終末期の古墳群で、町の南部、大字長瀞にあります。4基の古墳が調査され、結晶片岩を使った横穴式石室や副葬品の須恵器が出土しました。
(資料館パンフレットより)

出土品のコーナーの奥が「民具のコーナー」です。
遺跡出土品のコーナー

民具のコーナー
長瀞町は江戸時代から養蚕が盛んでしたが、人々はこれに加えて畑作や山仕事、荒川の漁労などによって生計をたてていました。このコーナーには、山仕事や炭焼きの道具、漁労用具や日常性格の道具が展示してあります。
(資料館パンフレットより)

ここでは様々な民具が展示されていて、このスペースが一番大きいようです。
ここで係りの方がいらして色々説明をしていただきました。
先ほどの「旧新井家住宅」で実際に暮らしていた時代の写真がパネル展示されています。
写真がパネル展示
囲炉裏を囲んだ一家団欒の姿に癒される一こまです。
その写真パネルの反対側には「旧新井家住宅」の模型が展示されています。
「旧新井家住宅」の模型
近隣の方から寄贈していただいたそうです。
係りの方は(当然でしょうが)歴史が好きだそうで、長瀞における様々な歴史を研究しているなかで秩父民の偉大さを熱く語られていました。
その意味するところは、ちょうど宝登山神社が今年鎮座1900年を迎えることから、1900年の古から秩父民俗の活動は活発化し、次第に彼らが下って武蔵七党、そして川越や飯能、そして江戸へその文化や民俗が継承されているということのようです。
歴史的な真偽はともかくとして、そういった長瀞、そして秩父の歴史の重みを感じさせられました。

時間もPM3:00近くとなり気温も大分低くなってきたので(って、昼頃が暖かすぎた)これにて散策を終了し駐車場に戻ることにしました。
来る時とは反対側の歩道を歩いてくると右手に和船でできた「長瀞船下り」の看板が目に付きました。
「長瀞船下り」の看板
いかにも長瀞らしい風情かも知れません。
そこからしばらく進んで左側の【「茶店 八兵衛」】なるところに”栗ぜんざい”というメニューが目に入ってので一服していこうと入ってみました。
茶店 八兵衛
家内は”栗ぜんざい”を、私は「フォンダンショコラ」を…、って結構異色のメニューなのですが、店舗自体が実にユニークな店です。
なかなか話のネタにはもってこいかもしれません。

疲れた身体に甘味を補給して元気が出たところで帰路につきます。
「茶店 八兵衛」を出ると隣に「秩父食品長瀞駅前直売所」なる店舗があり、店頭に大きな「こんにゃく芋」が売られています。
秩父食品長瀞駅前直売所
そもそも長瀞はこんにゃくが名産のようなので店自体がこんにゃく製品で占められていました。
何となくおいしそうで、しかも安いので色々と購入してみました。
秩父食品長瀞駅前直売所秩父食品長瀞駅前直売所
「こんにゃくとうふ」「こんにゃく かのこ」「生いもこんにゃく」「こんにゃく牛蒡」「糠付けたくわん」「田楽味噌」など2000円以上購入すると更に「こんにゃく」2個と手ぬぐいがおまけでついてくるといった具合で、何となく得した気分でお土産をごっそり買ってみました。
今夜は田楽で一杯です。

さすがに埼玉県の誇る観光地だけあって見所、遊びどころ満載の地でした。残念ながら古の記憶は蘇りませんでしたが、新たな見識や感動をもらい、実に楽しい散策でした。
100選には「ライン下り」が選ばれていますので、次回「ライン下り」にまた訪れることになるでしょうが、「ライン下り」のみならず四季折々訪れてもきっと楽しいことと思います。
是非、今度は暑い時期に訪れてみたいものです。

2010.3.16記

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