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はじめに

【さきたま古墳群】は埼玉新聞社発行の『21世紀に残したい埼玉ふるさと自慢100選』の名所部門で10.948票を獲得して第5位にランクされた地です。

国指定史跡の「埼玉(さきたま)古墳群」は県名発祥の地・行田市埼玉にあり、5世紀から7世紀ごろに造られたと推定される9基の大型古墳が群在している。なかでも115の古代文字が記された国宝・金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳は全国的な注目を集めた。
そのほか、国内市規模の円墳・丸墓山古墳、県内最大規模の前方後円墳・二子山古墳などがある。
県はここを史跡公園「さきたま風土記の丘」えおして整備。県内の県立さきたま資料館には、金錯銘鉄剣をはじめとする貴重な出土品が展示してある。また、1997(平成9)年には将軍山古墳展示館がオープン、復元された古墳内部の石室が実物大で見学できる。
(本書より)

そこで、2008年9月14日、今年においては比較的残暑の厳しい日曜日、埼玉県行田市にある「さきたま古墳群」を訪れました。
同じ埼玉県上尾市の我が家からは国道17号を北上し約40分程度で到着しました。三連休の中日ではあったのですが比較的車の流れもスムースで買い物にでもいくような気軽でした。
行田市は埼玉県の北部にあり市の北部は利根川を境に群馬県に接しており、隣接している市は鴻巣、熊谷、加須市などです。

行田市の大字埼玉(さきたま)は、古くは万葉集に「さきたまの津」という記述があり、風土記にも「武蔵国埼玉郡(さきたまごおり)」とあるように存在は古く、「埼玉県」という地名の発祥地であるとされています。
実際、この「さきたま古墳群」のある史跡公園内に「埼玉県名発祥之碑」があります。
埼玉県名発祥之碑
その碑の説明に埼玉県名の由来が書かれています。

明治4年11月14日、現在の県域に「埼玉県」と「入間県を設置するとの太政官布告が出された。これが埼玉県誕生である。以降、幾度かの変遷を経て、明治9年8月に現在の埼玉県の区域が定まった。
「埼玉」が県の名称とされたのは、当初の県の管轄区域の中で、最も広いのが、埼玉郡であったことによる。
埼玉郡は、律令による国郡制度が発足した当初から設置された郡と見られ、当初はは前玉(さきたま)郡という表示も行われ、正倉院文書神亀3年(726年)の山背(やましろ)国戸籍帳には「武蔵国前玉郡」の表記が見える。また、延喜式神名帳にも埼玉郡の項に「前玉神社二座」とある。
ここ行田市埼玉(さきたま)の地は、巨大古墳群の所在地であり、また「前玉神社」の鎮座する場所でもある。おそらく埼玉郡の中心地であったと考えられるので、ここの碑を建て、県名発祥の記念とする。
昭和62年4月 埼玉県
(現地碑文より)

埼玉県に50年以上在住していて、埼玉県名の由来をはじめて知ったと言う有様です。
その後は、先の古墳時代を経て室町時代には忍城が築かれ、成田氏を中心とする武士団の本拠地として周辺に勢力を拡大していったのです。
戦国時代には後北条氏と結んだため、豊臣秀吉の小田原攻めの際には石田三成に攻撃を受けることとなり、江戸時代には阿部氏、後に松平氏の城下町となり石高は忍藩十万石となったのでした。
江戸時代中期から足袋の生産が盛んになり、転じて繊維産業が地場産業として定着したようです。
明治以降、1889年忍町、1949年忍市として市制施行し即時改称して行田市となるのです。

行田市マップ行田市オフィシャルサイト】 http://www.city.gyoda.lg.jp/

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