さきたま古墳公園

そもそも「さきたま古墳群」とは、1938(昭和13)年に国の史跡に指定された5世紀から7世紀あたりに作られた9基の大型古墳を指し、その後、さきたま風土記の丘という公園として整備され(現在のさきたま古墳公園)、古墳のほかに移築民家(旧遠藤家、旧山崎家)、さきたま史跡の博物館、はにわの館(実際に埴輪を作ることができる)などの施設によって構成されています。
9基の大型古墳とは、稲荷山古墳(金錯銘鉄剣が出土)、丸墓山古墳(日本最大の円墳)、二子山古墳(武蔵国最大の前方後円墳)、将軍山古墳(後円部に横穴式石室の内部が見学できる展示館が設置されている)、愛宕山古墳、瓦塚古墳、奥の山古墳、鉄砲山古墳、中の山古墳の9つです。
さて、駐車場に車を停めると早速史跡公園に踏み込んだ。明確な入り口は存在していないが駐車場からの流れで入り口と思われるところに「史跡埼玉村古墳碑」が左右の門柱のように新旧2本建っている。
史跡埼玉村古墳碑 史跡埼玉村古墳碑
埼玉古墳群が国の史跡に指定されたのが1938(昭和13)年8月8日であったことから、左側の古いものはその時点で立てられたものであろう。右側にある新しいものは、平成元年に追加指定により各古墳の墳丘だけではなく、約22,3haという広大な範囲が史跡となった時点で改めて建てられたものと思われる。

古墳碑を抜けると目の前に丸墓山古墳の頂上に上る階段が見えます。かなり残暑が厳しかったので一旦は躊躇したものの、折角なのだから上に上がった。
以外と絶景で、見渡す限り「大地」などという景色なら、ことのほか結構なことだが残念ながら古の地の回りは、やはり21世紀の風景である。
丸墓山古墳 稲荷山古墳
だが、公園内に限れば左方向に稲荷山古墳、遠く斜め左に将軍山古墳、やや中央に二子山古墳が、と言うように所謂古代ロマン満載の地であった。
丸墓山古墳を降りてから稲荷山古墳~将軍山古墳~順に…、巡っていくのだが途中で力尽き全てを見る事はできなかった。
と言うことの言い訳ではないが、敢えて古墳の説明は要らないであろう。
様々なサイト(オフィシャルも含めて)で解説されているのでそちらを参考にされたほうが、余程学習効果は高いであろうから。

参考サイト:埼玉県立さきたま史跡の博物館
http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp

興味深いのが上記の9つの大型古墳以外の古墳があったことである。
かつて風土記の丘として整備される以前は一帯が田畑であり、古墳はまったく整備されず野ざらしであったそうである
。そのため、小型のものの多くが明治末から昭和にかけて田畑や埋め立て用土として開拓された(さきたま古墳周辺は沼地が多く、農地には適していなかった)そうである。

◆戸場口山古墳 - 方墳。
一辺40メートル、高さ約4メートルの方墳で、2重の周濠を持ち、今もその痕跡が残っているそうであるが実際に中の山古墳までは全て見ていないが、その周濠は、一部中の山古墳と重複している箇所があるそうだ。
石棺の中から太刀が出土した記述が新編武蔵風土記稿にあり、中の山古墳、奥の山古墳と共に渡柳三大墳と呼ばれたそうだ。また、埋葬施設に関しては、大正年間に墳丘の土取りがされた時掘り出された石は、畳2,3枚分の大きさだったと伝えられるため、中型の横穴式石室だったと考えられている。
その後の調査で、側壁に使用されたと思われる凝灰質砂岩も出土しており、古墳の築造年代は、周濠から出土した須恵質の埴輪壷から、7世紀半ば頃と考えられているが、1918年(大正7年)に消滅しているそうである。

◆1号墳(天王山古墳) - 円墳。
直径27メートル。築造年代は6世紀前半。頂上部に八坂社と神木杉があったが、1908年(明治41年)に合祀とともに伐採。古墳公園として整備される以前は宅地であったそうである。

◆2号墳(梅塚古墳) - 円墳。
直径24メートル。築造年代は6世紀前半。明治初期には大きな白梅があったが、1878年(明治11年)の冬に暴風によって倒れ、枯失。

◆3号墳(ボッチ山古墳) - 円墳。
直径13メートル、高さ2メートル。築造年代は6世紀前半。水鳥埴輪出土地。

◆4号墳 - 円墳。直径18メートル。築造年代は6世紀前半。

◆5号墳 - 円墳。直径26メートル。築造年代は6世紀前半。

◆6号墳 - 円墳。直径22メートル。築造年代は6世紀前半。

◆7号墳 - 円墳。直径22メートル。築造年代は6世紀前半。

◆山宮古墳 - 円墳。
将軍山古墳と二子山古墳の中間にあった。1906年(明治39年)に開拓。

◆天祥寺裏古墳 - 円墳。
直径40メートル。築造年代は6世紀の中頃。二子山古墳の西にあった。1981年(昭和56年)の排水路工事の際に発見された。

◆大人塚古墳(うしづかこふん) - 前方後円墳。
高さ3メートル、全長45メートル。築造年代は6世紀後半。渡柳地区の西端にあった。1913年(大正2年)に開拓。1914年(大正3年)に埴輪数点が出土した。
渡柳地区の西側などに存在していた小円墳十数基(現在はいずれも開拓され消失)と、この大人塚古墳を含めて、「渡柳古墳群(わたりやなぎこふんぐん)」として区別することがあるそうだ。

現在でも残っていれば史跡としては更なる広がりがあっただろうが、現実的に開拓されることもやむを得まいと思われる。

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