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大宮公園

氷川神社を出てそのまま北に向かうと、既に「大宮公園」です。
【大宮公園全景
前出で”明治17年に県内初の公園とすべく16万坪が寄付された”とあるとおり元々氷川神社領が明治18年に寄贈され、埼玉県最初の県営公園として誕生した公園です。誕生当時は氷川神社境内の一部で偕楽遊園の地として開設されたそうです。
その後、昭和37年に都市計画公園として決定され、昭和55年「第二公園」が大宮公園の東側に、更に平成13年「第三公園」が第二公園の南側に開設されました。
施設としては、硬式野球場、陸上競技場兼双輪場、サッカー場、水泳場、体育館、弓道場、小動物園、児童遊園地、駐車場(300台)などがあります。 特にサッカー場は、1960年4月9日、埼玉県営大宮公園サッカー場として開場し、日本初のサッカー専用球技場で現存するものとしては国内最古といわれています。
現在は、2007年5月14日より6年間、埼玉県の民放FM局、FM NACK5(エフエムナックファイブ)が命名権を取得しているため、呼称は「ナックファイブスタジアム大宮」となっていて、大宮アルディージャのメインスタジアムとなっています。

大宮公園内の日本庭園を抜けます。
日本庭園
全体面積の比率から言うとそれ程広くは有りませんが、凝った造りの日本庭園です。
日本庭園区画を抜けるとすぐ「行幸記念碑」がありました。
行幸記念碑
これは昭和9年11月18日に天皇陛下が氷川神社を参拝なされたことを記念して建てられたものです。
昭和になってまだ9年ですから当時の人たちは大変な騒ぎでしょうね。それとも近寄ることも出来なかったのでしょうか。
まだ、現人神の頃ですから。

ここからは広大な樹木のある公園です。”自由広場”というそうですが、各自くつろぎ方は自由ですよ的な意味なのでしょう。
自由広場の樹木
きっと春は桜が見事でしょうね。
右側に児童遊園地があります。と、言ってもジャングルジムや滑り台のなかに、一際大きい「飛行塔」があるだけです。
飛行塔
飛行塔の下には電動自動車がある程度ですが、40年以上の年月を経てもまだ「飛行塔」があったことに暫し感動してしまいました。
嘗て小学生だった頃、川口市に在住時、私の小学校では1年生の遠足は大宮公園と決まっていました。更にこの1年生の遠足の際、1年生一人に付き6年生が一人ずつ付き添いで同行します。
つまり1年次と6年次の2回必ず大宮公園に遠足に行くことになっているのです。(勿論、6年生は臨海学校や、修学旅行が別途あるので、こうゆう事になったのではないかと思われますが)
ついでの思い出で2年生か3年生の時どちらかが”ユネスコ村”(どちらかが覚えが無いということになります)4年生が”長瀞”そして5年生が”江ノ島”だったはずです。因みに5年生の遠足は風邪で欠席し、実に悲しかったのを憶えています。
ま、とにかくこの時の遠足の記憶の中に未だに「飛行塔」の記憶が残っていたのですが、実際その記憶が正しいのか間違っているのかさえ判らずじまいでしたが、今でもあるのできっと当時も在ったのだと思います。
ただ残念ながら私の記憶ではモノトーンで色が付いていない夢のような記憶ですが。
折角なので調べてみたら、この大宮公園児童遊園地の 「飛行塔」は昭和25年長岡市博覧会で使用したものだそうで、そう考えると昭和30年代後半にあってもおかしい事はないようです。当然代替わりはしているでしょうが。
やはり実在していた「飛行塔」の”川口探検隊”(古い!)みたいな感動と共に、公園内を先に進みました。

「舟遊池」という比較的大きな池に突き当たります。
舟遊池
池沿いを散策していくと、釣をしている人や結構絵を描いている人を見かけました。公園内はどこでも景色がいいので絵や写真にはもってこいかもしれませんが、さすがに冬ですので草花や樹木は今一ですね。(それが良いって言う人もいるかも知れませんが)
池の辺に案内板がありました。

歴史解説No.10
本多静六林学博士と氷川公園改良計画
日本の公園の父と称される本多静六博士(埼玉県菖蒲町生まれ)は、明治三十四年の日比谷公園の設計を最初に、全国各地の公園設計・改造に携わっています。
大宮公園も本多博士が手がけた公園の一つで、埼玉県の依頼に基づき大正十年五月に同僚の田村剛博士と「氷川公園改良計画案」を作成しています。
その内容は現在の公園の骨格を決めるもので、既存公園の割烹旅館の移転や桜の植栽を始め、向山(現百年の森付近)地区を拡張し、舟遊釣魚の池(現ボート池)や大運動場(現双輪場等)を整備する計画が提案されています。
昭和期になって本格的な公園整備が進められ、現在は双輪場、野球場、サッカー場等が建設され、本多博士が構想したスポーツの殿堂とアカマツとサクラの公園として、広く県民に親しまれています。
平成二十年三月 大宮公園事務所
(現地案内板説明文より)

まずは歴史解説No.10とありますので、きっと園内にはいくつかの解説板が立っているのでしょうけれど、結局この日はこの1ヶ所しか見つかりませんでした。
更に、本多博士については”埼玉100選”にランキングされていますので、何れ菖蒲町を訪れた時に詳しく調べたいと思っています。
まあ、こんなところで出会うとは思っても見ませんでしたが。

時間は12時半を過ぎていましたが、そのまま公園内の「埼玉県立歴史と民俗の博物館」を訪れます。
氷川神社方面から向かうと博物館の裏手から入る格好となりますが、裏口のスペースが「昭和の原っぱ」と題された展示スペースとなっていました。
博物館内の昭和の原っぱ
所謂昭和30年代~40年代のノスタルジーを再現しています。
郵便ポスト、土管、ホーローの看板(オロナミンCみたいなもの)やスバル360などが展示されているのです。
児童遊園地と共に今日はいやに懐かしさに浸れる日です。確かに昔は無造作に土管がよく有りましたね。
この博物館は2006年4月1日に誕生した比較的新しい博物館ですが、実は埼玉県立博物館と埼玉県立民俗文化センターが統合したもので、歴史・民俗・美術を統合的にあつかう人文系総合博物館だそうです。
今ひとつピンときませんが、県立って言うくらいですからかなり濃厚なのかなと思います。

建物自体は1971年に竣工した旧埼玉県立博物館の建物で、2005年に生誕100年を迎えた建築家・故前川國男氏による設計だそうです。
埼玉県立歴史と民俗の博物館 埼玉県立歴史と民俗の博物館
煉瓦仕様の落ち着いた博物館です。
観覧料を支払って入館しました。
入場券
常設展示室の前に”是非”と受付の方から言われたので、季節展示室に入りました。
「トピック展・吉例 丑づくし」というテーマで、全国の様々な丑に纏わる資料が展示されていましたが、 「……なるほどね」。
特に感想はありません、程度のインパクトでした。
次からが常設展示室です。印象に残ったものだけ書き留めておこうと思います。

第1室 旧石器(先土器)~弥生時代
《狩から稲作へ》 約30,000~1,700年前
-遺跡から発掘されたいろいろな出土品をとおして、狩猟・採集の生活から稲作の開始によって大きく変化していく社会の様子を紹介します。(パンフレットより)-
ここで印象深かったのは関山式土器です。
蓮田市のジャンルAで【黒浜沼】を訪れた時の貝塚及びそこから出土した土器が実際に展示されています。標式遺跡としての土器が見られるのはちょっと感動的でした。

第2室 古墳時代
《鉄剣は語る》 約1,700~1,300年前
-稲荷山古墳出土鉄剣に刻まれた115文字は、大和王権と古代のムサシとの関係を考える重要な資料となっています。また、埴輪、須恵器、武器、馬具などの出土品から、徐々に国家のかたちを整えていく時代の様子を紹介します。(同)-
ここは『金錯銘鉄剣』に尽きるでしょう。実際に行田市のジャンルAの【さきたま古墳群】の”さきたま史跡の博物館”で実物を見てきたので感動を新たにしたというところです。
何しろ埼玉県には4つしかない国宝の内の一つですから。

第3室 奈良~南北朝時代
《武蔵武士》 約1,300~650年前
-奈良・平安時代の律令体制がくずれて誕生した武蔵武士は、源頼朝の御家人として鎌倉幕府の創設に貢献し、後には全国に勢力を拡大していきました。武勇にすぐれ、信仰心もあつかった彼らの活躍した時代を紹介します。(同)-
ここに「短刀景光」という国宝があったらしいのですが記憶が無ありません。見たのか見なかったのか…。
武蔵武士、とはやはり常設なんでしょうねえ。1月31日から「誕生 武蔵武士」という特別展が開催されるようなので詳しくはそれを見ると良いのかも知れません。

第4室 美術展示室
-”博物館の中の小さな”美術館。季節ごとにテーマを変え、さまざまな美の世界を紹介します。(同)-
一週間以上経過すると非常に記憶が薄くなってくるのですが、美術展示室については何にも記憶が無いのです。見ているとかいないとかとかというより、ボケが怖い。

第5室 室町~戦国時代
《乱世に生きる》 約650~400年前
-戦国時代、県内はたびたび合戦場となりました。乱世に生きた武将、足軽、職人たちの生活や文化を紹介します。(同)-
奈良~戦国時代にかけては中心舞台が西なので、関東方面(鎌倉期を除いて)では華々しい歴史は比較的少ないようです。戦国時代では、太田道灌が若干地味ながらも埼玉では多くの地域で出没しています。
川越市もそうでジャンルBの【川越まつり】では道灌像の前で祭りを見学しました。

第6室 板碑
《武士の心》
-板碑は板石塔婆ともいい、中世に建てられた供養塔婆です。合戦に明け暮れた時代に生きた人々の心を、板碑をとおして紹介します。(同)-
埼玉県内の主要な板碑が展示されています。当然レプリカですけれども。
ここでも蓮田市のジャンルAの【黒沼浜】で見た都市伝説的な寅子石板石塔婆がありました。これは県内で2番目に大きい板石塔婆で、1番は長瀞の板石塔婆とあり、ここの展示に長瀞のレプリカがあり確かに大きいことを実感しました。
次は実物をみにいきたいです。

第7室 江戸時代 Ⅰ
《幕府の支配と村のくらし》 約400年~150年前
-川越、忍、岩槻の各藩ゆかりの資料や、支配、交通、宗教、学問などの視点から、幕藩体制の確立と江戸近郊に位置する埼玉の役割を紹介します。(同)-
この中で埼玉県を通過する街道として中山道と日光街道をクローズアップしていましたが、そこで栗橋町の関所復元模型があったのには感動しました。
前日の10日栗橋町のジャンルAの【くりはし八福神】で栗橋関所跡碑を見てきた翌日ですから、なんとタイミングの良いことかと思えました。

第8室 江戸時代 Ⅱ
《社会の成長とゆらぎ》 約400~150年前
-水利と舟運、物産を中心に、社会の成長と江戸を支えた埼玉の役割、さらに江戸時代半ばから幕末に至るまでを紹介します。(同)-
ここでは見沼代用水が印象的です。
これもいずれ訪れるところですので興味深い展示でした。

第9室 明治時代~現代
《激動の時代をこえて》 約150年前~現代
-明治維新から現代までの歴史をたどる展示のほか、「埼玉の産業」「トピック展示」「埼玉の人物」などのテーマコーナーを設けて、埼玉の歴史を様々な角度から紹介します。(同)-
恐らく「産業」の位置づけだったのかも知れませんが、川口の鋳物産業を結構なスペースで展示されていました。
嘗て実家周辺には鋳物工場も多く、生まれたその日から鋳物臭い(慣れないと結構鼻につく)環境で30年過ごしましたから、今や懐かしい思い出の展示でした。
また、一角には”あの頃のくらしコーナー”と題された昭和30年代に使用された電気製品などが展示されていました。
木製冷蔵庫(氷で冷やす冷蔵庫)や蝿帳(ハエがたからないように食べ物を入れておくケース)などが特に懐かしかったです。

第10室 民俗展示室
-県内を「山のくらし」「里のくらし」「都市のくらし」という3つの民俗伝承領域に大別し、人々が生活の糧を得るための生業や、心の支えとなっている信仰、さらには祭りや行事・儀礼などを通し、それぞれの地域の豊かで多様な民族文化を紹介します。(同)-
埼玉県の祭りや行事を紹介しており、行ってみた後や行く前の情報収集のためには結構役立つようです。

概ねこういった内容です。県立だからとは思っていたのですが、予想以上に展示品も多くかなり充実している感じです。 ちょうど埼玉県めぐりをしている私にとっては非常に役に立ちますね。
1時間以上見ていたのですが、かなり素通り状況も多かったので何度か通う方が良いのでしょうね。展示品や企画展が随時あるようですので。年間鑑賞券を買っておいても良かったかもしれません。
帰りは正門の方から帰りました。

出口(入口)付近に原寸大竪穴式住居があります。
古代復元住居
縄文時代と、弥生時代のものだそうですが、埼玉県では比較的古い時代、縄文~古墳時代に関する文化財に貴重なものが多いのかもしれません。
まだまだ、大宮公園内は見所もあるようですが一旦これで終了します。
季節ごとに来るのが一番楽しいのではないでしょうか。
懐かしくもある大宮公園ですが、新たな魅力もあるようです。

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