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總願寺の文化遺産

訪れたのは2008年9月28日、日曜日。ちょうどこの日は不動ヶ岡不動尊で火渡り式の行事があるそうなのでこの日を選びました。
自宅の上尾市をでて車で東北自動車道を利用して40分程度で加須に到着し、すぐさま不動ヶ岡不動尊向かいました。ちょうど不動尊の裏側にあたる駐車場に車を止めてほんの1~2分歩くと西側の門に着き、いきなりこの門が、有名な黒門だと言うことを知らされます。
黒門
門の案内板にはこう書かれています。

この黒門は、忍城の北谷門を移築したものである。忍城は文明年間(1469~86)に築城され明治6年(1868)に取り壊されるまでの約400年間続いた。
黒門は、行田から熊谷に抜ける県道工事を請け負った不動岡在住の土木請負師田村重兵衛に払い下げられ、重兵衛が日頃信仰する總願寺に寄進したものである。黒門は総欅作りで、門扉は一枚板からできている。門扉上部の欄間の構造が忍城主松平氏の菩提寺である桃林寺本堂の欄間と同様であることから天保13年(1842)の建造と伝えられる。忍城の現存建造物としては高麗門(行田市)とこの黒門のみである。 平成17年3月 加須市教育委員会
(現地案内板説明文より)

先日行った行田市の【さきたま古墳群】の近くの忍城にあった門で、ちょうど石田三成が忍城を攻略する件です。
行田と加須はかなり近くなのでそれほど驚くにはあたらないのですが、払い下げと言われると何か結構現実的な話ではあるのですが、まあ、実物を見学するとそれなりの感動を呼ぶものです。

黒門を通って境内に入ると、まさにフリーマーケット…、否、骨董市が開かれていました。
境内の骨董市
骨董関連には全く知識が無いので本当の掘り出し物なのか、怪しいものなのか判断がつきかねますが、実際に見て回るだけなら怪しげなものの方が面白いですね。
でも中には60万円の刀などが売られていましたので結構本格的な骨董市かもしれません。
聞けばこの骨董市は毎月第4日曜日に開かれるそうで、関東の骨董業者が出店しており、かれこれ5年くらい続きているそうです。
そんなこんなで火渡り式の午後1時までまだ1時間半近くもあったので、まずは骨董市や境内をブラブラすることにしました。
骨董市を冷やかしていると、境内の中央の本堂脇に不動尊由来が掲げてありました。
本堂

仁和2年(886年)秋、第58代光孝天皇は重い病気にかかられ、どんな名医、妙薬も少しも効き目がなく、日に日に御重態になられるばかりであった。そこで三井寺の開山、智證大師(弘法大師の甥)が、みことのりにより病気平癒を不動明王に御祈願申し上げたところ、たちどころに病気がなおられたので天皇は大師に不動明王の御尊像を刻ませ、同年冬、宮中の仁寿殿で開眼供養し、紫宸殿に安置して歴代天皇の守り本尊とされた。ある時、宮中の役人が明王の宝剣を持ち出して自分のものにしようとしたので明王を御守護申し上げていた堂守は、ある夜ひそかに明王を背負って生まれ故郷の吉見領へ逃れ仮堂を建てて安置した。
長暦3年(1319年)大洪水があり、付近一帯は泥海と化し御尊像はその流れの中を漂い、この地へおつきになられた。里人達は御尊像の尊さに一同ひれふして、明王をおまつりし当時岡村と言われていた地名を不動ヶ岡と変えた。
その後元和2年(1616年)に高野山の総願上人がこの地に来られ不動明王の御霊験を賛えて玉山総領寺(”領”については加須市役所にメールで尋ねたところ誤字だったことをご連絡いただき正式には総願時であるり早急に修正する旨のメールをいただきました。迅速、丁寧な対応に脱帽!)を建立し、明王を御守護申し上げた。
以来今日まで不動明王を尊崇して参詣する善男善女の数多く、関東三大不動明王の随一として、信仰を集めている。   昭和55年3月 加須市
(現地案内板説明文より)

*総領寺と記述のある”領”については加須市役所にメールで尋ねたところ、誤字だったことをご連絡いただき正式には総願寺であり早急に修正する旨のメールをいただきました。
迅速、丁寧な対応に結構感激!

中々ありがちなレジェンドではありますが、そもそも”不動”とか”不動尊”とか耳にするのですが、不動の御本尊である「不動明王」って一体何者…、といことでちょいと調べてみました。
不動明王は悪魔を屈服させるために大日如来が姿を変えて現れたものであると言われています。
大日如来
全ての障害となるものを打ち砕き、従順に仏道に従わないものを無理やりにでも導き救済する役割を持っており、その為に恐ろしい姿が一般的に知られているのが不動明王なのです。
右手に持っている剣は利剣と言い、正しい仏教の智慧で迷いや邪悪な心を断ち切りることを現します。また、左手の綱は羂索けんさくと言い、悪い心をしばり善心をおこさせることを現すそうです。
更に、背中の炎は迦楼羅焔(カルラえん)と言い、カルラは毒をもつ動物を食べるという伝説上の鳥の名前で、この鳥の姿をした炎は、毒になるものを焼きつくすことを現しているそうです。
そして、足下の岩は磐石ばんじゃくと言い、堅くて大きな岩で迷いのない安定した心を現します。お経では「金剛石に座し」と書かれているそうですから、巨大なダイヤモンドに座っていることになるそうです。
色々な写真や絵、或いは実物を見るとどれも怖そうななりをしていたのはこの様なことからなんでしょう。所謂、大魔神的な・・・。
このような神秘的な力を持つことから信仰対象として崇められたのだと考えられるのです。

さて広い境内に戻ると、そこには不動堂、本堂、客殿、庫裏が並んでいました。
江戸・徳川時代の8代将軍・吉宗のころ最盛期を迎えたそうで、市の指定有形文化財である「倶利迦羅不動剣」の説明に見て取れます。
倶利迦羅不動剣 《倶利迦羅不動剣イメージ:(c)京美仏像》

台座は鉄製で、龍及び剣は銅製で、高さは76cmである。剣には、「羽生領不動岡村玉島山不動院惣願寺、元文4年9月吉日佐野天明町住大工長谷川弥市藤原秀勝作之」とあり、1739年8代将軍徳川吉宗の時代の奉納品と考えられる。
倶利迦羅不動剣は、岩の上に立ててある剣に不動明王の化身である龍が巻きつき、剣を呑みこもうとしている様子を示している。
昭和59年4月 加須市教育委員会
(現地案内板説明文より)

また、堂内には、智證大師作と伝わる「不動明王像」が安置されているそうで、黒門・倶利迦羅不動剣など歴史探索としても堪能できるところなのです。このように歴史を堪能できる場所の弱みが、まさに歴史そのものであるのです。つまり、380年以上の歴史が建造物を傷みつけるのです。現実、不動堂は雨漏りのする状況だそうで、現在「平成の大改修事業」が行われており、寄付金等による5億円プロジェクトだそうです。
ちょうど今は入り口にあたる山門が改修中で、追って本堂の屋根改修などなど行われるそうです。
山門の改修
完成は2011年だそうなので、その頃、改修後の不動尊をまた訪ねたいものです。

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