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柴燈護摩火渡り式

結構な時間境内を散策しましたが、火渡り式にはまだ時間があったので不動尊周辺を散策に行くことにいたしました。
境内の裏手、駐車場の横が庭園?、それとも公園?、…らしいので行ってみました。
一応回遊式の庭園風であずまや風の休憩所も3ケ所もあるのですが、若干メンテナンスが追いつかないような感じでした。事実、途中にメンテナンスは月1回ボランティアによって行われているとのことなので、しかたのないことでしょう。ですが、ここも改修事業区域となっているそうなので改修後がたのしみになります。
回遊式の庭園を抜けると建物が現れます。
水の音がしてたので浄化施設かと思ったのですが、建物の正面に回るとそこは加須図書館でした。ちょうど図書館の裏手が庭園だったと言うことです。まあ、こじんまりとした図書館ですが結構訪れる人も多そうで中々の風情でした。
図書館の前庭に銅像が据えられてありました。見ると元埼玉県知事の畑和(はたやわら)氏の銅像でした。
畑和氏の銅像
畑氏は結構長く知事を勤められていたので、埼玉県民は結構知っていると思いますが、改めてその足跡を調べてみました。

畑 和 (はた やわら、1910年(明治43年)9月29日 - 1996年(平成8年)1月26日)
出身は埼玉県北埼玉郡礼羽村で現在の加須市にあたります。
礼羽村立礼羽尋常小学校、旧制不動岡中学校(現・埼玉県立不動岡高等学校)、旧制浦和高等学校(現・埼玉大学教養学部)、東京帝国大学法学部卒業という結構なエリートコースを歩まれたようです。
弁護士を経て、埼玉県議会議員を2期務めた後、衆議院議員総選挙に旧埼玉1区から日本社会党(右派)公認で出馬し当選し右派社会党の有力議員として活動。4期連続当選後、1972年(昭和47年)の埼玉県知事選挙で初当選、以後連続5期ですから20年間知事の職にあったわけです。 しかも日本社会党・日本共産党などを与党とし、革新・中道系の知事として活躍されたのは特筆されます。
1992年(平成4年)の県知事選挙で6選をめざしたのですが談合・献金疑惑が起き、出馬を断念、政界を引退したそうです。
1996年1月26日死去。享年85。

功績としては県立高校の大量新設による県内の高校進学率の大幅向上、後に公立教育の先進校とも言われる伊奈学園の設立などの教育問題や、さいたま新都心構想により東北新幹線・上越新幹線・埼京線・埼玉新都市交通伊奈線・関越自動車道などを開通させたことが挙げられます。
また営団地下鉄・都営地下鉄各線の県内延伸を要望したり、荒川下流河川敷に河川港を建設する「埼玉港」構想を提起、更に栃木県下都賀郡藤岡町の渡良瀬遊水地(遊水地の一部が埼玉県内に属している)に人工地盤を設けて首都圏第3の国際空港「渡良瀬空港」を建設提唱するなど、首都圏の北の玄関口、交通の要衝としての機能充実に努めたことなど、以降の埼玉県の発展にも関わる重要な功績を残しています。
埼玉県知事在職20年は歴代埼玉県知事の中でも最長であり、退任の際は県庁前に職員約700人が集結しての見送り式が行われたそうです。
改めて見ると20年も知事をされていたのですね。ほとんど私の青春時代の埼玉を築いていたと思うと感慨深いものがあります。そんな訳で銅像があったのです。

ひとしきり散策をし、いよいよ午後1時に近づき境内に戻ることにしました。
ちょうど1時15分前くらいでしょうか、結構な人が集まっており準備も完了といったところのようです。
火渡り式会場 火渡り式会場
さすがに報道まではいませんでしたが、県内外に知れ渡っているらしく、カメラマンや雑誌などのライター風の人が結構いました。
1時過ぎに堂内での読経が始まり、それがPAを通して外の火渡り式会場にも流れ始めました。

一言に火渡り式と言っていますが、正式には「柴燈護摩(さいとうごま)火渡り式」と言います。
「柴燈護摩」とは野外で行う護摩法要のことで、護摩木を数百本~数千本程度の規模を言うそうで、数千万本以上規模は「大柴燈護摩供」と言われています。
もともと真言宗を開いた空海の孫弟子に当たる聖宝理源大師が初めて行ったと言われていて、真言宗系当山派の寺院で行われる事が多いそうです。
天台宗系本山派が行う野外の護摩供養は、「採燈護摩」と言うのですが、柴や薪で檀を築き、真言当山派の柴燈から「採取」した火により行われたので、その字が当てられるようになったそうです。

この總願寺も真言宗智山派の古刹で、開運、商売繁盛、火防の守護として信仰を集めています。
堂内での読経は護摩供養で、その火を行者が屋外の壇に移し祈願してから先達となってそれを渡り 、続いて信徒や一般の方々が手に手に願いごとを書いた護摩木を持ち、それをくべながら一心に諸願成就を祈って、この火を渡るもので約160年以上前から行われている由緒ある行事です。
この火を渡れば、本尊不動明王の浄火によって、人間の業や煩悩が焼き尽くされるので、すべての願いごともかなうというありがたい行事なのです。

いよいよ本堂での護摩供が終わりいよいよ行者により火がつけられます。
火渡り式 火渡り式 火渡り式
護摩木は5ケ所にキャンプファイヤーのように積み上げられ一つ一つに火がつけられます。火が点火され燃え上がるまで10人程度の行者は、その火の周りを回りながら唱えたり、奇声を発して気合を入れ(?)たりしています。
火の勢いが増すにつれて熱もかなり高くなってきます。ちょうど10mくらい離れた本堂の欄干から見ていたのですが、それでも炎の熱が伝わってきます。炎の周りを回っている行者もさすがに熱いと見えて段々遠ざかりながら回っていました。さすがにこの熱に耐える信仰ではないのですから。
炎の勢いが衰えてくると、行者達が燃えた灰を綺麗に集め火渡りの場所を作ります。
火渡り式 火渡り式
ちょうどその頃堂内での護摩供養も終わり住職を初めとした信者達が火渡り式会場にやってきます。
火渡り式
その数7.80人はいたのではないでしょうか。
そして、殆ど火が消えたところで、いよいよ火渡りが始まります。灰の手前と向こう側(渡る手前と渡った先)に塩がまかれて、まずは行者がその塩を踏んでから渡り始めます。
現実には3~4歩程度の距離ですが、行者の後から信者、そして一般の方が渡ります。当然裸足で歩くのですから靴を脱ぐのは必然ですが、靴を持って渡ってはいけないそうです。
良く考えれば至極当然なことですが、あくまでも仏事、決してエンターテインメントではないのですから、靴を持ってお参りでは明王が怒り出すのも極々当然かと思われます。
そして、実際に渡ったわけではないのでハッキリとは判りませんが、最後の方に渡った人が話していたのを聞くと、「あったかい」程度だったそうです。まあ、最初の方は熱かったのだろうと思いますが、100人くらい渡ればさめてくるのだろうと・・・言うことです。
こうして、火渡り式は終了いたしました。

勇壮というにはちょっと物足りなさがありますが、160年以上の歴史をもつ行事としての魅力は中々です。あくまで仏事ですからありがたい体験として記憶しておきたいと思っています。
なお、この火渡り式は秋季大祭で、毎年2月初旬に行われる節分祭は、火渡り式よりさらに古く380年の歴史を持ち、3mの大松明・こん棒・剣を持った三匹の鬼たちが回廊を駆けまわる、大変勇壮な行事だそうです。
今年の2月は横綱・朝青龍羅が訪れたこともあって大変にぎわったそうです。
是非、来年はこの節分会にも訪れてみたいと思っています。

火渡り式も終了し時刻は2時半頃。いくら遅い朝食でもさすがに空腹感も募り、次の目的である加須名物のうどん【加須の手打ちうどん】を食べに行くことにし、不動尊を後にしました。

2008.10.1記

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