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越生梅林周辺散策 #1

梅林をでるともう昼過ぎでしたのでとりあえず昼食を取ることにしました。
昼食は梅林から歩いても5,6分のお蕎麦や「梅乃里」です。梅林にふさわしい屋号です。 これだけは前もって調べてあったので、県道61号線を歩いてまっしぐらに向かいます。
梅乃里
外観自体はそれ程凝った作りではないのですが、野点傘(この日は開いていませんでしたが)や床机などがあり、そこそこの風情ではありました。
店内に入ると椅子席と座敷があります。平日の1時過ぎでしたが、若干中で待たされました。
入口に「お待ちの方は・・・」という張り紙があったので、通常はかなり込んでいるのでしょう、平日でも待たされるくらいですから。考えようによってはそれだけ期待できると言うことでしょうか。
5分程度で座敷に案内されました。
梅乃里
小奇麗で清潔そうな店内です。

今回は母と私と次女の三人で来ました。
母と私は”天付三色そば”で娘は”鴨汁そば”を注文しました。娘は自宅の近所の蕎麦屋で4年間アルバイトしているので結構蕎麦にはうるさいのです。そして、そこは比較的美味しい蕎麦屋ですので侮れません。
あえて”鴨汁そば”で食べ比べてみたいと注文しました。
店内は8分ほどの入りでしょうか。15,6人くらいまだお客がいましたが、結構蕎麦が運ばれるまで20~30分位待ったでしょうか。通常、東京なら間違いなく席を立っていますが、ここは美味しい蕎麦を食べるために只管我慢です。
待ちに待った蕎麦がくると、旨そうです。実に。
三色蕎麦は、せいろ・白雪・柚の三色です。日によって代わるみたいですがそれはそれです。
天付三色そば 天付三色そば
早速いただきます。
実にコシのある旨い蕎麦です。なかなかここまでコシのある蕎麦はそう無いのかなと思うほどです。汁は比較的濃い目ですが、十分堪能できます。
特に柚蕎麦は、文字通り柚の香りがあふれて風味が抜群です。これほど香りのあるものとは思いませんでしたし、感動的ですらあります。
天ぷらは可も無く不可もなくといったところでしょうか。素材が若干貧弱で、それ程旨いと思える天ぷらではありません。まあ、天ぷらがこちらの店の売りではないのでしょうからあえて言うこともないでしょう。
ここで、鴨汁蕎麦を味見。
かなりコクがあって濃厚です。コシの強い蕎麦にはぴったりの濃厚さで美味です。 娘も天ぷらは今一だが、蕎麦は旨い、とのこと(って、偉そうに!)。
味も量も満足な気分で「梅乃里」を出ました。評判に偽りなしということでしょうか、一度食されても損は無いと思います。
ただし江戸っ子の方は若干の忍耐は必要ですけれど。

食後の腹ごなしを兼ねて梅林周辺を散策します。車は梅林駐車場に置きっぱなしにしておきます。
まずは梅林方面に戻って「梅園神社」を目指します。
越生の梅の発祥の地みたいなものですから、訪れない訳にはいかないでしょう。「梅乃里」からそのまま県道61号線を梅林前を過ぎて南西に向かいます。
途中に石仏があります。
梅林三叉路の道標と石仏群
隣に「62 梅林三叉路の道標・石仏群」と書かれた道標が立っています。越生町制100周年記念というプレートがつけられていますので、色々なところにあるのでしょう、ここが62番ですから。
調べたところによると、道標には「左 子ノ権現三里二十五町」、「右 じこうへ二里」と刻まれているそうです。実際はよく読めなかったですが。
この道標は都幾川村にある慈光寺へ向かう古の巡礼道・慈光道だそうです。本来は鎌倉街道上道の脇道で、軍事目的に当初は使われたそうですが、巡礼としても多く使われるようになった道だようです。
何も説明が無いので良くわかりませんが、結構年代モノの石仏のようです。江戸から明治にかけて建立されたものでしょうか。町役場とかに聞けば一覧とかがあるのですかね。
因みに 町制施行が1889年4月1日で、100周年が1989年とすると、その時点が今からもう20年前ですから現在では町役場の関係者でも知らない人のほうが多いかもしれません。

右にも左にも行かずにまっすぐ進むとまもなく「梅園神社」です。
梅園神社拝殿
境内に入りまずは参拝とばかりに拝殿に向かいます。拝殿の前に縁起書きがあります。

御祭神:菅原道真公、素盞鳴尊、白山姫命
梅園神社ご案内
当社は、元小杉天神と称し、創建数百年の歴史を有し文字難見なれども、観応元年(一三五〇)より嘉永五年(一八五三)年に至る間、二十五枚の棟札が現存している。
明治四十年、堂山の近戸、権現、上谷の三島社を合祀し梅園神社と改称、古来学門の神として広く世に知られ向学の人々の信迎と崇敬を集める。
大祭十月二十五日(参拝の便宜の為二十五日に近い休日を当てる)梅花祭は三月上旬
(現地案内板説明文より)

”棟札”とは簡単に言えば、寺社・民家などの建築・改築を記録した木や銅の札のことで、この「梅園神社」には25枚あって一番古いのが1、350年だということです(って、当たり前)。
梅園神社拝殿と本殿
ということは間違いなく1,350年にはここにあったということ(・・・これも当たり前)になるわけで。確かに歴史の重みを感じざるを得ない神社であるということです。
何は無くとも参拝ですが、拝殿の前には2本の巨木が立っています。元小杉神社だからスギ?とか…。
梅園神社拝殿前の巨木
こうゆうのは全く弱いので巨木ということにしておきましょう。それにしても大きな木です。

参拝を済ませて境内を見渡すと社殿の周りはうっそうとした林で、案内板があります。
スダジイ林

埼玉県指定天然記念物 梅園神社スダジイ林
入間郡越生町小杉十二 昭和四十九年五月二十八日指定
このスダジイ林は梅園神社の社叢標高九〇メートル立陵山頂で一四四メートルにある。
社叢は高さ六メートル以上でスダジイが圧倒的に優占し次いでヒノキの優占度が高い。三~六メートルではサカキ、ネジキ、ヒカサキが優占する。三メートル以下ではスダジイ、ヒサカキ、アラガシ、ミツバツツジ、タカノツメが優占している。
スダジイ林は暖帯に発達する極相森の最も代表的な林相で関東地方では伊豆半島、三浦半島、房総半島などに広く分布している。
このような性質をもつ森林が梅園神社に残されていたことはかつて、この附近がスダジイ林によっておおわれていたことを示し学術的にも貴重なものである。
昭和五十一年一月  埼玉県教育委員会 越生町教育委員会
(現地案内板説明文より)

”スダジイ”といっても「須田さん家のおじいさん」などと馬鹿なことは置いといて、どれが”スダジイ”なのか、これもまた良くわかりませんが貴重なんでしょう。
因みにスダジイ林は暖帯で発達するため、新潟県、福島県、栃木県など北限周辺の群落は、各県のレッドリストおよび天然記念物に指定されることが多いそうです。

スダジイ林の反対側の境内の隅に梅の木があります。
シダレウメ
「越生町景観樹木・シダレウメ」とあります。こちらのシダレウメはかなり大きくで白い花を咲かせています。梅林の「しだれ梅」とは種類が違うのでしょうかね。
さらに、この梅園神社は越生町の”ささら”(獅子舞)の伝承神社で、町内にはほかに3社の伝承神社があるそうです。
梅園神社の”ささら”は飯能高山から伝わった「庭ずり」「一つ回り」「三つ回り」「雌獅子隠し」「白刃」の五庭の獅子舞で、 10月下旬の日曜日には獅子舞が奉納されるそうです。
”スダジイ”に”梅”に”ささら”、そして越生の歴史をしょった梅園神社は見所満載です。

61号線を歩き、途中、稲荷坂から右折して梅園小学校方面に向かいます。
ここからも梅林が見事です。ずっと先まで梅林が続いているようです。
越生町の実用梅林 越生町の実用梅林 越生町の実用梅林
ですが、ここは全て実を収穫するための梅林で観光用ではないので勝手に入るわけにはいきません。
ですが、一般道の両側に梅林が続くのですから美しさは当然として、壮大にして華麗です。途中には越生梅林の”しだれ梅”より大きいものもあり、町中が梅林であることを実感させられます。
越生梅林がおおよそ1,000本であるに対して、越生町には25,000本の梅の木があるのですから最もな景観でしょう。しばし、梅の美しさを再び堪能します。

梅園小学校前に着くとまたしても石仏があります。
「68 小杉堀之内の石仏群」です。
小杉堀之内の石仏群
「梅林三叉路・・・」が62で、確か梅園神社にも65が有ったような気がしますが、この近辺に結構まだあるということですね。まあ、相変わらず何かは判りませんが。
因みに私が越生町の町民だったら道標探ししているかもしれませんね、暇つぶしに。
よくよく見れば梅園小学校というのも周囲が梅林でこれほど風情のある小学校というのも珍しいかも知れません。

梅園小学校の角を右折して少し行くと小さい橋に到着します。
これが「道灌橋」だそうです。
道灌橋
”龍穏寺縁起”によると、「道真・道灌父子共に越生小杉村に陣屋を建設し居住、そして築根村(現・津久根)に道灌屋敷があった。そして、建康寺の後に道灌の架けた輪橋がある」と書かれているそうです。
ここで注目すべき点は”輪橋”と記載されていていることで、これは当時の一般的には「車橋(引き橋)」と呼ばれ、橋には車輪がついていて手前に道板が敷いてあり、臨戦態勢時に橋を引いて渡れなくした仕掛けがあったものだそうです。現在は当然見る影もありませんが。
この「道灌橋」を渡った先が小字で”陣屋”と呼ばれていて、「道灌橋」の手前(梅園小学校裏)辺りを通称”馬場”と呼んでいて、どうやら馬を調教(飼っていた)場所らしいようです。

橋を渡ると石碑がいくつかあります。
馬頭観世音石碑
手前の石碑には”馬頭観世音”と刻まれています。
そもそも、馬頭観世音(一般的には馬頭観音)とは六観音の一つで、観音としては珍しく怒った表情をしていることから、人を救う力が大きいといわれている観音です。しかし、近世以降は、馬が急死した路傍や芝先(馬捨場)などに馬頭観音像を建てることが多くなったようで、その場合は像ではなく単なる「馬頭観音」の文字を彫っただけの石碑であったりするケースが多いようです。ここも”馬場”跡なのでそのような意味なのかもしれません。
その先にも二つの石碑があり、一つは”庚申塔”で、もう一つは”大黒天”と彫られています。
庚申塔と大黒天石碑
この”庚申塔”は「梅林三叉路・・・」と同じ意味合いの慈光道の案内でしょうか。ちょうど右方面に進めば慈光道ですから。
一方、越生には七福神があり、大黒天は正法寺ですが、正法寺は越生駅方面ですからこことはかなり場所が離れています、と、考えるとここにある石碑が何を意味するのかは、残念ながら良くわかりませんでした。

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