妻沼聖天堂 #1

妻沼聖天と書かれた案内を頼りに向かうと、参道の入口でした。
妻沼山参道入り口
すぐ近くの駐車場に車をとめて参道を歩いて向かいました。帰りに気づいたのですが、ここは聖天堂の駐車場ではなく、医院の駐車場でした。関係各位に深くお詫びいたします。
参道を歩いていくと、重厚な山門がそびえています。
聖天山貴惣門

聖天山貴惣門
種別 国指定重要文化財 建造物
指定年月日 平成十四年五月二十三日
妻沼聖天山聖天堂の正門として建てられた雄大規模の八脚門で、側面(妻側)に破風を三つ重ねた類例の少ない奇抜な形式に特徴がある。
寛保ニ年(1742)幕命で、利根川大洪水の復旧工事に妻沼を訪ねた周防国(山口県)岩国吉川藩の作事棟梁長谷川重右衛門に聖天堂の大工棟梁林正清が設計を依頼したもので、約百年後の嘉永四年(1851)正清の子孫林正通が棟梁となり完成した。
総欅造りの精緻なつくりに多様な技法の彫物で要所を飾るなど、江戸末期の造形芸術の粋が発揮されている上、主要部材に寄進の名を残す等、郷民信仰の証を伝える貴重な建造物である。
妻沼町教育委員会 (宗)聖天山歓喜院
(現地案内板説明文より)

いきなり重文です。
とりあえず判らないのが”破風”です。これで”ハフ”と読むそうで、簡単に言えば屋根の側面(妻側)にある三角形の外壁部分のことだそうです。
聖天山貴惣門
で、この門の”破風”が三つ重ねられているところが特徴といっています。
なるほど、今写真をみるかぎりこのような”破風”は見たことがありませんですね。当日は良くわからなく、第一”妻側”という言葉も良くわからなくて右とか左とかの意味かと思い、側面の左右の”破風”が違うなどと勝手に解釈し、何処が違うのだろうかと頭をひねっていた、恐れを知らぬバカ夫婦が確かにそこには存在していました。
こうゆう説明って、絵付きでお願いできないものでしょうかね。一般的には理解できるといわれれば一言も返せませんが。
それにしても設計から完成まで100年とはすさまじいパワーではあるのですが、その間頓挫しなかったのは、信仰心と世の安静でしょうね。この2年後黒船が来航するのですから。でもここまでは風聞も伝わらないかもしれませんね。
因みにこの破風様式は日本には3棟しか現存していないそうです。その中でも規模の大きさから重文となったようです。

貴惣門を抜けると右側に銅像があります。
斎藤実盛銅像
平成八年、記念事業として建立されたものだそうです。尋常小学校唱歌「斎藤実盛」が流れる仕組みになっていますが、さすがにその唱歌は知りませんでしたし、聞いたこともありませんでした。
本書の説明にもあるとおり、この斉藤実盛が始祖らしいのですから銅像(ここでは公像と呼ばれています)は当然ながら、唱歌があるくらいなら、それなりに名のある人なのでしょう。
斉藤実盛の概要は聖天堂オフィシャルサイトにありますが、ポイントは因果的なヒーローとでも言うことでしょうか。
かつて助けた木曽義仲と時の流といえども敵味方となり最後の戦いに望む実盛。そこでは年寄りとバカにされるのは御免とばかりに髪を染め若作りで臨みます。
覚悟を決めた実盛は老齢の身を押して一歩も引かず奮戦ますが、義仲の部将・手塚光盛によって討ち取られました。
首実検では判らなかったのですが、池で洗うと黒髪が見る見る白髪に。そして実盛と判った姿に義仲は涙を流した、といういかにも日本人が好きそうな因果的悲劇です。
さらに、義理と人情、そして忠誠心などの表れとしてこの実盛がクローズアップされたのです。
平家物語にはじまり、芭蕉の「奥の細道」や人形浄瑠璃『源平布引滝』などでの取り上げられ方に、戦前教育では実に都合の良いテーマだったのでしょう。それゆえに唱歌にも歌われたのではないかと推測しますが、戦後教育にはそぐわない為に現在歌い継がれることがなくなったのでしょう。

参道をまた歩きます。
聖天山貴惣門からの参道
参道の両側には桜の木でしょうか、ずっと植えられています。もう後1~2週間後には桜の花見には良いところとなるのでしょう。
などと考えながら歩いていると、小ぶりの門に行き当たります。
中門、通称・甚五郎門
通称「中門」と呼ばれている門です。

妻沼町指定文化財
1.種別 建造物
1.名称 四脚門(中門)
1.指定年月日 昭和三十七年八月三十日
懸魚の模様等に室町期の特徴をよく残し、寛文の大火で唯一残り聖天山の建造物群の中でも最古のものといわれる。
平成二年の解体修理により瓦葺の屋根を銅版に葺き替えたが、柱に明治四十三年(1910)大洪水の痕跡を残す。
里人はこの門を甚五郎門と称している。
妻沼町教育委員会 聖天山歓喜院
(現地案内板説明文より)

確かに屋根の葺き替えによって若干の歴史的風情の低下は免れませんが、屋根から下の部分は十分に歴史的なものを感じることが出来ます。それにしても木造つくりは頑丈なものですね。
因みに大洪水の痕跡は判りませんでした。結構目を皿のようにして探したのですけれど。

先ほどから私たちが歩いてくる反対側からビニール袋に何やら入っているものを持った人を随分見かけましたが、どうやら聖天堂名物のいなり寿司のようです。
中門のちょうど左側でしょうか、参道の人通りは少ないのですが、ここだけ車や人が結構行き来しています。 昼にはまだ早かったのですが、せっかくなので買い求めました。
聖天寿し
文字通り「聖天寿し」という屋号のお店です。
中に入ると毛氈の引いてある小さな腰掛があるだけの店舗で、ほとんど持ち帰りだけのようですね。
聖天寿し
奥では何人かでいなり寿司を作っていましたが、かなり売れるのでしょうか次から次へと造られていましたから。
1パックづつになっているようで、1パックいなり寿司が3ケと干瓢まきが4ケ入っています。
聖天寿し
私たちの後にも2人ほど買いにこられた方がいらして、いくつかまとめて買われているようです。おひるがわりにでもするのでしょうか。
とりあえず私たちは1パック430円を一つ買ってお店を出ました。
あとで食べるのを楽しみにしながら参道に戻り先へ進みました。

中門を通り抜けるとまた大きな山門があります。
仁王門
「仁王門」というそうで、1658年(万治元年)の創立と伝えられていますが、明治24年台風によって倒壊したので、明治27年に再建されたそうです。
これは気が付かなかったのですが、門の左右に配置された金剛力士像は向かって右側が「あ」の形で口を開けていて、左側が「うん」と口を結んだ形になっているそうです。
仁王像 仁王像
「あ、うん」の呼吸とは恐れ入った門です。やはり意識して造られたのでしょうか、それとも後からのこじつけでしょうか。
この門の前に「妻沼聖天山」についての案内書きがあります。

妻沼聖天山ご案内
当山は治承三年(八百年前)この地方の庄司斉藤別当実盛公が本尊聖天さまを総鎮守としてお祀りし民衆の祈願所として開創されました。
本坊は実盛公の二男良応僧都が聖天行者の修行所として建立されました。
聖天さまは仏法の守護神でありますので、多くの密教寺院では、寺院を守るために祀られています。
当山では直に祈願を篭める人を守り本尊さまとして祀られています。開運、厄除け、縁結びのご利益がいただけます。
聖天さまは秘仏ではありますが、そのお姿は宇宙の真理、仏法の悟りをお示しになっておられます。信者は自らの信仰によって真理を体得すれば、心眼でお姿を拝することが出来ます。
聖天さまは次のような祈願を篭めることができます。
●厄災消除●結縁成就●病気平癒●学業成就●交通安全●旅行安全●進学成就●身上安全●心眼成就●家内安全●子宝祈願

弘法大師堂改築竣工お礼
既存の弘法大師堂の毀損が甚だしかったため、改築の勧募をお願いしましたところ、多くの方々には率先ご喜拾くださり、お蔭様を以って平成七年十一月に竣工いたしました。関東八十八ヶ所霊場の発足と同じでした。
従来のお堂は解体し、長野県三郷村平福寺様で弘法大師堂として再建されました。
各位のご信助に哀心よりお礼申し上げます。

本殿修理・諸堂伽藍改修の勧進
本殿彫刻の色彩大修理を初め、雨漏りの激しい金剛殿書院・水行堂・経堂・その他の整備修理が続きます。
各位のご協力を切にお願い申し上げます。
(現地案内板説明文より)

まあ、突っ込みどころ満載ですが、ここのところ体調が優れない日が多いのは、日頃の信心の足りなさ、というよりは罰当りが原因ではないかと思うこのごろ。あえて「沈黙は金なり」を貫きたい気持ちで一杯です。
これ以上罰が当たり続けると、本当に体が参ってしまうようで。
そんなこんなでここはすんなりと参拝に向かいたいと思います。
この案内板の左反対側には文化財についての説明書きがありました。

聖天山所蔵文化財
1.本殿(妻沼聖天堂) 国指定重要文化財 建造物 昭和五十九年十一月二十八日
源平合戦で名を馳せた斉藤別当実盛公が、治承三年(1179)古社を修造守本尊の大聖歓喜天を祀って聖天宮と称し長井庄の総鎮守としたのに始まり、幾多の変遷を経て宝暦十年(1760)林兵庫正清・正信の手により、二十五年の歳月をかけ現堂が完成した。本殿は奥殿、中殿、拝殿よりなる廟形式の権現造りで桃山建築美を伝える江戸中期の貴重な文化財である。昭和四十三年(1968)屋根替えを終わる。

2.錫杖 国指定重要文化財 工芸品 昭和二十五年八月二十九日
実盛公の外甥宮道国平らが公の孫実家・実幹と建久八年(1197)四月聖天堂の本尊として奉鋳寄進したもので、鐶内中央に大聖歓喜天の御正躰を配し柄部に建立氏人及び鋳匠紀年などの刻銘がある。
高さ五一、八cm。 重さ十二、五Kg。
大正三年四月国宝に指定、秘仏にして当地方の信仰の中心となる。

3.紵絲斗帳 埼玉県指定文化財 工芸品 昭和三十四年三月二十日
中国時代の織物で忍城成田長泰が、聖天堂の厨子に懸ける為に奉納したという。享保十六年(1731)八代将軍吉宗ご覧になり嘉賞。
荻生徂徠編「度量衡考」に嘉靖の古物也(嘉靖は明の年号で、1522~66)と紹介されている。
布の墨書銘にこの織物を紵絲と呼び中国福建省の機戸袁宗太が織ったと記されている。縦147cm 横170cm。

4.口 埼玉県指定文化財 工芸品 昭和三十六年三月一日
直径三一cm銘帯に「武州福河庄聖天堂常住也大檀那當庄住人沙弥來阿」外帯に、「暦應ニ年」(1339正月下旬の陰刻があり、南北朝時代に福河庄の存在を証する貴重な資料である。
平成八年四月御開扉記念
妻沼町教育委員会 聖天山歓喜院 妻沼町観光協会
(現地案内板説明文より)

残念ながら2~4は見る術もありません。1については修理中で追ってどのような状況かが判ります。重文を3つも有するのは埼玉県ではなかなかありません。そういった意味でも実に興味深い寺院であるとともに、歴史の重みを感じます。
オフィシャルサイトで写真を見ることが出来ますので参考に。

参考:【妻沼聖天山オフィシャルサイト】 http://www.ksky.ne.jp/~shouden/index.html

「仁王門」を抜けるとすぐ左側に妙なものが置いてあります。
お百度参り
「百度石」と刻まれています。上のほうに何やら細かく文字の刻まれた車輪のような石があり、その下に石でつくられた算盤のようなものがついています。
名前とこの算盤からさっすると、どうやら「お百度参りマシーン」でしょう。確か一往復するたびに石を1ケ置いて100ケ(100往復)になると願いが叶うという、あれです。
恐らくそれを一往復するたびに、算盤のような石を1ケ弾く。以後それを繰り返していくという…。
車輪のような石の意味は判りませんが、現代に表れた「お百度参りマシーン」実にユニークですが、使う人いるのでしょうかねえ今時。
さらにちょうど門の左手には古そうな建物があります。
水行堂
「水行堂」とうそうですが、何をするところなのか良くわかりません。
名前から判断して水をあびて身を清める、的なものなのでしょうか。
そして「水行堂」の右手に太子堂があります。正式には「弘法大師太子堂」というそうです。
弘法大師太子堂 弘法大師太子堂
先ほどの案内にもあるとおり平成7年11月に建て替えられ、従来のお堂は解体し、長野県三郷村平福寺に譲られたそうですが、この平福寺もなかなか由緒ある寺院のようです。
平福寺は長徳2(996)年、開基と伝えられ枝垂れ桜の参道が美しい信濃百番観音霊場の16番にあたる真言宗の古刹だそうです。そして古い様式の観音堂とともに県重要文化財指定の木造聖観世音と百体観音が往時をしのばせているそうです。
そしていよいよ遅ればせながら参拝に向かいます。

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