妻沼聖天堂 #2

先の案内板から本堂は修理中とのことで、残念ながら実物を見ることはできません。そして参拝も仮拝殿での参拝になります。
仮拝殿

過日にもありましたが、修理中などで見られないというのも一つの記念ではあります。修理の終わった後を眺めるのは2度美味しいのと同じかもしれません。
それまで楽しみに待つことにしましょう。
工事用の幕には、”重要文化財 歓喜院聖天堂保存修理事業”と大きくかかれています。
修理中の社殿
そしてその横には、修理期間として”平成15年10月~平成23年5月(予定)”となっていますので、後2年は掛かると言う事です。
案内板にもあったのですが、仮拝殿の横にも”重文本殿修理浄財勧進中”と看板が立っています。修理は始まっているのですが、今だ予算確保が出来ていないのでしょうか、所謂寄付を集めているようです。
そこでオフィシャルサイトを見ると、総工費は12億円でそのうち国・県・町の補助金が約9億円なので、歓喜院で調達しなければならない資金が3億円あるということです。
これについては、平成18年3月の熊谷市議会定例会の議事録に記載があります。森新一議員の発言です。

・・・埼玉県内の文化財に国がこれだけの補助金をつけるのは異例のことだそうです。国庫補助金8億1,298万、埼玉県の補助金が1億61万、旧妻沼町が5,000万、自己資金が9,781万、指定寄附金が1億円、合計11億6,140万円で始まるわけです。附帯工事には補助金は出ませんので、まだ資金が足りず、募金が必要なのだそうでございます。合併の記念のお祝いに熊谷市の国指定重要文化財、市民の宝、共有の文化遺産として、市民を初め熊谷市議会の議員の皆様にも深い理解とご協力をいただきながら、後世に伝えていくためには新熊谷市も協賛するべきと思いますが、いかがでしょうか。

オフィシャルサイトには12億円とありましたが、実際には附帯工事もあり12億円をはるかに上回っているのでしょう。
自己資金約一億、指定寄付金一億なので、現実3億は必要ないのでしょうが、総額が高騰しているのであればまだ不足ということでしょう。従って今だ寄付のお願いをしているのでしょう。それにしても新熊谷市は協賛したのでしょうかね。
因みに今回の修復に当たっての文化庁と県の調査によると、この聖天堂は埼玉県内の重要文化財のうちでも国宝に指定を受ける一番近い位置にある価値ある建物といわれているそうです。徳川幕府が造営した日光東照宮のその完成後、腕を磨いた職人たちが25年間かかって完成したのが聖天堂だからこそ、日光の東照宮にまさるとも劣らない立派なものなのだそうです。国宝に指定されると、それはまた大変な騒ぎとなるのでしょうが。

何か生々しいことになってしまいましたが、とにかく参拝を済ましてからは、右側の社務所横を通って広場へ向かいました。
お祭り広場というそうですが、ちょっとしたアトラクションとステージがあります。何かの行事の際には、カラオケとか行われるのではないのでしょうか。
そこから朱の橋と二重の塔が見えます。
平和橋と平和の塔
昭和33年に戦没者の供養と世界恒久平和祈願により建立された「平和橋」と「平和の塔」というものだそうで、一見見ると文化財のような雰囲気があります。
そして塔の裏をぐるっと廻って社殿の裏手を巡ります。
鬱蒼とした林の中のような小道を歩くと、小川に橋が架かっていてそばに像が立っています。
弁天様像
ここは弁天社といわれていて、弁天様を祀っているのでしょう。
先に水の流れている滝のようなものがあります。多少さびの出ている銘板に「軍茶利の瀧」と書かれています。
軍茶利の瀧と軍茶利明王
まあ、そうゆう瀧なのか、だけでしたが後に調べると、そこには軍茶利明王が祀られていたそうで。撮影した写真を見ると偶然にも「軍茶利明王」が写っていました。
「軍茶利明王」とは梵名クンダリーで、軍荼利とはこれを音写したものです。「クンダ」とは水器、瓶、「リー」は止めるの意味から瓶は不老不死の霊薬とされる甘露をいれる器であり、甘露軍荼利と呼ばれるそうです。 他の明王のように強い力を持ち、全ての外敵から人間を守護し、障害を取り除いてくれるようです。
従って、この「軍茶利の瀧」が甘露を表しているそうです。これはなかなか凝った造りですね。

ここからはちょうど社殿の裏側にあたり附属神社があるそうです。
一部カバーが除かれ修理中の堂を見ることが出来ます。主に屋根の葺き替えのようです。銅版での屋根になるのでしょうか。
最初が荒神社でしょうか。2番目は比較的大きい五社神社です。
荒神社 五社神社
最後の天満宮はかなり見ることが出来、美しい流造りの屋根を見ることが出来ます。
流造りの天満宮
裏山三社も修理され美しい姿を表してくれるのでしょう。
その間に修理中の本殿がうっすら見ることが出来ます。本殿修理の模様は見学会などが行われているようで、そちらのサイトを参考にしてください。

参考: 【妻沼商工会】 http://www.menuma-syoukoukai.jp/syoydenkankou.html

まあ、後2年後には美しく蘇った本殿をみられるでしょうから、それを楽しみにすることにいたしましょう。
裏山をグルッと一周すると最後に「赤子稲荷社」に到着します。
赤子稲荷神社
右側には境内を出る門があり、まっすぐ行くと「太子堂」方面です。
途中に古そうな狛犬が設置されているので見ると”文久”年の日付が彫られています。
古い狛犬
江戸時代末期に奉納されたようですが、ちょうど本堂の左側にあり、2基の狛犬を通って反対側には門がありますので、かつて何らかの参道だったのかも知れません。
そうして仮本堂に戻ってくると、仮本堂の隣に土俵があります。
相撲土俵
所謂「相撲場」ですが、これも戦前教育の一環で造られたようなものではないのでしょうか。
ちょっと子供の頃に体験した”探検”的な雰囲気を味わうことの出来る散策でした。
地元に人たちにとっては憩いの場ともなっているのかもしれませんね。

ここから参道を戻りますが、来る時「千代枡」というお店は見ていたのですが石碑があったことは気付きませんでした。
割烹・千代枡と残雪の碑
石碑にはこう書かれています。

千代枡(割烹)
残雪の家
文豪田山花袋 残雪の舞台となる
妻沼町教育委員会
(現地石碑碑文より)

確かに田山花袋は知っていますが、読んだことは一度もありません。そこでチョっと調べました。

田山 花袋(1872年1月22日(明治4年12月13日) - 1930年(昭和5年)5月13日)は、日本の小説家。本名、録弥(ろくや)。群馬県(当時は栃木県)生れ。 尾崎紅葉のもとで修行したが、後に国木田独歩、柳田国男らと交わる。『蒲団』『田舎教師』などの自然主義派の作品を発表し、その代表的な作家の一人。紀行文にも優れたものがある。 1907年(明治40年)に、中年作家の女弟子への複雑な感情を描いた『蒲団』を発表。女弟子に去られた男が、彼女の使用していた蒲団に顔をうずめて匂いを嗅ぎ、涙するという描写は、読者、さらに文壇に衝撃を与えた。この作品によって、日本の自然主義文学の方向が決まった

なんとか「蒲団」くらいは学校で習ってタイトルくらいは憶えていますが。ただ、紀行文を結構書かれていて、埼玉県の紀行文も多いようです。
そして「残雪」(「残雪の家」とういうタイトルかと思ってしまいましたが・・・)の触りだけでもと青空文庫を調べましたが、残念ながら作業中のリストでした。
そこで他で調べると若干ながら解説がありました。
『残雪』の書き出しは「町の四つ角のところに来た。そこには乗合馬車が一台待っていた。馬はすでに杭につけられてあった。『妻沼町へはもうすぐ出ますか?』」です。
花袋がモデルの主人公は女性問題で苦しみ全国を放浪し、妻沼の聖天院隣の割烹旅館(千代桝屋)に泊まり、聖天様境内で当地出身の源平時代の武将斎藤実盛を回想します。「彼はまたこの本尊を勧請した歴史に名高い髪を染めて北国に戦死した健気な武士のことを頭に浮かべた。無限に長い過去であった。また無限に長い将来であった。その長いライフの流れの上に、こうして一夜泊まって黎明の境内を歩いている・・・」と書かれています。
このように、この『残雪』は、「ある僧の奇蹟」と合わせて花袋の宗教小説と言えるもので、煩悩の克服を仏教に求めたこの時期の作者の転機を示す作品なのだそうです。
これは羽生市の建福寺住職で詩人でもあった太田玉茗との親交の篤さから生まれたものかもしれません。
このような所以のある「千代枡」だそうです。
蔵を改装したような造りの風情でよほど寄ってみようかとも思いましたが、別な目的もあり今日は通り過ぎることにしました。
因みに割烹料理とありますが、鰻料理が美味しいそうです。嘗てあったどこかの料亭と同じではないかな。ちょっと懐かしい風情を感じました。

中門のあたりから本坊を訪ねて見ました。歩いてもホンの2~3分です。
途中に板碑があります。
板石塔婆「善光寺式三尊板碑」

熊谷市指定文化財
1.種別 考古資料
1.名称 板石塔婆「善光寺式三尊板碑」
1.指定年月日 昭和四十年三月十六日
表面の主尊に、阿弥陀如来、脇侍に観音、勢至両菩薩を半浮き彫りにし、光背部に七化仏を配した所謂「善光寺式三尊像板碑」で通称「ひら仏」と呼ばれている。
裏面には釈迦如来と文殊、普賢の両菩薩の種子が刻まれている。
紀年銘はないが、鎌倉時代のものである。
この板碑はかつて妻沼小学校の敷地内(もと大我井森)にあったが昭和三十年十二月、校舎増築のため現在地に移転したものである。
高さ一七八cm・幅五九cm。
熊谷市教育委員会
(現地案内板説明文より)

今まで巡った蓮田など埼玉県には実に板碑が多いように感じます。
それもそのはずで主な分布地域は関東だそうです。設立時期も鎌倉時代から室町時代前期に集中しているようで、分布地域も、鎌倉武士の本貫地(本籍地)とその所領に限られ、鎌倉武士の信仰に強く関連しているそうです。
”いざ鎌倉”の鎌倉街道が埼玉県には少なくとも3本あるということと関連しているのではないでしょうか。
種類は形状・石材・分布地域によって武蔵型、下総型などに分類できるそうです。 武蔵型とは秩父・長瀞地域から産出される緑泥片岩という青みがかった石材で造られたものを言うのですが、阿波周辺域からも同様の石材が産出するため、主に関東平野に流通する緑泥片岩製の板碑を武蔵型、四国近辺に流通していたものを阿波型と分類しています。また下総型とは主に茨城県にある筑波山から産出される黒雲母片岩製の板碑をさしているそうです。
そしてこの板碑が現在の卒塔婆=略して”塔婆”に繋がっているそうです。

この板碑のすぐ先が本坊の山門です。
聖天山歓喜院本坊山門
前述した案内板にもあったとおり、本坊は実盛公の二男良応僧都が聖天行者の修行所として建立されたものです。
本坊本堂
通常、本坊本堂の内拝は決まった時期にしかできないようで、こちらには殆ど人は居ないようです。
本坊本堂の左側には妙に現在的な時計の掛かった「金剛殿」があります。
金剛殿
また本坊本堂の右手には「空海筆・いろは歌碑」といわれる碑と「加行堂」といわれる小さなお堂があります。
「空海筆・いろは歌碑」と「加行堂」
この碑は大同4年秋に「いろは」を作った弘法大師の真筆と伝えられ、空海と署名があるそうですが、よく読めませんでした。
そして聞きなれない”加行”について調べてみました。
”加行”とは密教における修行のことで、正式には”四度加行”というものだそうです。
”四度加行”は、十八道・金剛界・胎蔵界・護摩の4つの段階があり、4つの段階それぞれに加行・正行があるそうで、この修行を終えるまでには30日~100日掛かるそうです。 したがって、この本坊が修行所として建立された故に「金剛殿」や「加行堂」が設置されたのだと考えるのが妥当でしょう。
このように理解すると、仁王門の近くにあった「水行堂」も単に”水をあびて身を清める”などと簡単に言ってしまいましたが、もう少し深い意味があるのではないかと調べてみると確かに意味のあることでした。
”水行”とは多くの人がイメージするとおり滝に打たれる”滝行”や河に入る”川行”などがあるそうですが、単に水をかぶる行もあるのだそうで、所謂我々のイメージするところの”行水”です。ここでバカにしてはいけないのは、そもそも”行水”とは仏教語なのだそうです。
行水は「鉢から手を離して」を意味する古代インド言語のバーリー語を漢訳する際、「手自斟酌。食訖行水。(自ら手に水を汲み、食事の後に手を洗うこと)と訳され、「行水」の字があてられたのを由来としています。ここから「行水」は潔斎のため清水で体を洗い清める行の意味で、仏教語として用いられていたそうです。
現在では、たらいに湯や水を入れて体を洗う意味として、「行水」が用いられるようになったそうです。ですから本来「カラスの行水」等と言ってはいけないのでしょうね。
ですからこの「水行堂」も身を清めるてお参りをするということで建立されたのでしょう。
まあ、こういったことも、このような機会が無いと知らないままで過ぎてしまうので、ひとつ賢くなった気がします。

本坊を見学してまた聖天山の参道に戻りました。
時間も12:00を過ぎていました。それもあってか聖天山と本坊の間にある通り周辺はは人通りも少なく、のんびりした風情でした。何か行事があるときには商店街も一斉に賑わうのでしょう。
ここで少し小腹が減ったので先の聖天寿しを摘んでみました。昼食は別途考えてありましたので、味見的に食べてみました。
聖天寿司
我が家でたまに造る”いなり寿し”よりは数段甘く感じますが、決してまずくはありません。いたって一般的な”いなり寿し”としての味でしょう。ただ、珍しいのは”いなり寿し”1ケが油揚げ1枚そのままの長さ(20センチくらいあるのでしょうか)だと言う事です。今だかつて見たことのない”いなり寿し”ですね。

埼玉県熊谷市(旧・大里郡妻沼町)名物の稲荷寿司(聖天寿司)は通常の倍ほどの長径があり、これは江戸時代のいなり寿司の形を反映しているとされている。(ウィキペディアより)

全国的にも珍しいものでしょう。妻沼にきたら一度は食さないといけないかもしれません。
因みに”いなり寿し”のルーツは名古屋の豊川稲荷だそうです。
これで聖天堂を後にしようと思ったのですが、ちょうど車を停めていた駐車場の近くにおいしそうな和菓子屋があったので寄ってみました。
聖天寿司
入口付近に高札があります。

梅月堂菓子匠
創業七十余年、老舗の逸品を求め「手の技」「心の技」をみがき、美味をお菓子にたくす処

これって、かなり良いコピーだと思いますが、相当自信が無いとここまで言えないですよね。
店のキャッチコピーは”ヘルシーな創作野菜菓子の店”ということで、手づくりで造られているお菓子が多いそうです。
さらに、熊谷市優秀技能賞、埼玉県経営革新承認企業として認定、 埼玉県優良小売店、第18回全国経営優良小売店コンクール会長奨励賞受賞などの受賞・認定歴があればこそなのかも知れません。
ということで店内に入ると何やら香ばしい香りが漂っています。
香りに誘われて”あげまんじゅう”とやはり野菜ものとして”野菜スティック”かぼちゃ・にんじん・ほうれんそうの三種類を購入しました。
梅月堂
帰ってから食べましたが、あげまんじゅうは中華とは違って、外はカリカリで中はもっちり、そして黒糖の香りで相当美味です。野菜スティックも上品な甘さと味で美味です。 家族四人の我が家ではあっという間になくなりました。機会があれば”あげまんじゅう”はまた買いたいですね。

お土産を手に聖天堂を後にし、次の目的地【日本一のグライダー滑空場】へ向かいました。

2009.3.25記

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks