宝珠花神社

牛島の藤からまわってAM10:30ころには到着しました。
ここも江戸川の河川敷ですので土手に陣取っている人が結構いるようです。土手の上には例によって屋台が立ち並んでいます。
河川敷の凧あげ会場
ちょうど河川敷が凧あげ会場となっているようで、向う正面が大会本部のようです。
プログラムによると3日と5日は若干違うようです。

5月3日
午前中:大凧の製作(凧紙と骨の張り合わせ・糸目付け・糸目とり)
12:30:開式(放送本部テント前)
12:50:凧文字採用者表彰(同)
13:00:記念撮影(上下大凧足場前)
13:00:小凧飛揚(河川敷飛揚場)
14:00:大凧飛揚(同)
17:00:終了

5月5日
午前中:全国凧あげ大会
13:00:小凧飛揚(河川敷飛揚場)
14:00:大凧飛揚(同)
17:00:終了

5日は実にシンプルです。
土手に陣取って会場を見渡すと、現在は全国凧あげ大会が実施されています。
全国凧あげ大会での連凧
連凧や変わった形の凧などがあげられていましたが、途中キャラの絵の書かれた凧があげられ、妙に娘に受けていました。
こうゆうのを痛凧って云うのだそうです
こうゆうのを痛凧って云うのだそうですね。初めて知りました。
全国凧あげ大会というとおり新潟、長野、静岡辺りからからわざわざ来ている凧あげ団体がいるとMCが案内していました。
凧あげ自体のイメージとしては正月の風物詩でしょう。正月以外にあげるのはあまりフィット感がないのですが、実は全国的には凧あげ大会は非常に多いようです。

3日(祝)~4(祝) : 第21回青森県弘前市岩木全国凧揚げ大会 青森県
3日(祝)~5(祝) : 庄和の大凧あげ祭り 埼玉県
4日(祝)~5(祝) : 相模の大凧揚げ 神奈川県
3日(祝)~5(祝) : 第21回内灘町世界の凧の祭典2009 石川県
3日(祝)~5(祝) : 第10回高砂凧あげまつり 兵庫県
16日(土)~17(日) : 第31回越中だいもん凧まつり 富山県
23日(土)~24(日) : 第49回田原凧まつり 愛知県
31日(日) : 2009年八日市大凧まつり 滋賀県

このように5月に行われる全国の凧あげ大会は結構多いようです。ま、GWがあるのでと思いきや6月だってかなりあるのです。
4日(木)~8日(月) : 白根大凧合戦 新潟県
6日(土)~7日(日) : ゲールカイトフェスタin椿山 国際凧揚げ大会戦 青森県
6日(土)~7日(日) : 三条凧(いか)合戦 新潟県
6日(土)~8日(月) : 今町中之島大凧合戦 新潟県
13日(土)~14日(日) : 第26回信州凧揚げ大会・「凧と遊ぶ」子供凧揚げ大会 長野県
27日(土)~28日(日) : 第9回石垣凧あげ交流会 沖縄県

ということですから、いかに凧あげの人気があるかが伺えます。毎週どこかで凧が揚がっていると考えても間違いではないようです。
因みに上記は日本の凧の会のサイトに記載されていましたので、詳しくはそちらのサイトで。

参考:【日本の凧の会】 http://www.tako.gr.jp/jpn/index.html

様々な凧あげをしばらく見ていましたが、やはり凧はあげるのが楽しいものです。しいて見るにしても上がっている凧を横から見ているほどアホなやつはおりませんね。
ということであまり面白くないので付近をブラブラすることにしました。大凧まつりまでかなり時間があるようですので。
土手を歩いていると河川敷とは反対の方向に小高い丘があって、子供達が大勢登っていました。
屋台の向こうの小高い丘
とりあえず行ってみると神社でした。
神社鳥居
境内の由来書です。

宝珠花神社 所在地 北葛飾郡庄和町西宝珠花77
宝珠花神社の祭神は、木花開耶姫命、菅原道真公、経津主命、素箋鳴尊の四柱で明治40年12月に、浅間社、天神社、香取社、八雲社を合祀して社号を宝珠花神社と改称する。
各社の創立年代は不詳。江戸川の改修により昭和28年6月に、西方約300メートルの現在地に移転する。
例年、祭礼2月25日、夏祭7月7日、秋祭10月9日が行われる。
境内の浅間山は富士山に模して、一合目から九合目までの標識があり、頂上に浅間大神を祀り亀岩、烏帽子岩などがある。近郷の人々から浅間様として崇敬され、7月1日の初山には、子供の成長を願う参詣者で賑わう。
夏祭には、子供達により雌雄二頭の獅子が、氏子の各戸を廻り疫病退散を願い、また当時の江戸川舟運の繁栄をしのばせる大神輿が、若衆によって勇壮に町内に繰り出される。
昭和61年3月 埼玉県・庄和町
(現地案内板説明文より)

現在の地名にも西宝珠花とあるように、もともと明治時代村の中心地は、この神社とともにここから300m東にあったようです。 つまり現在の江戸川河川敷ということになります。
そもそも宝珠花村は明治22年に3つの村が合併して誕生したものです。高台には貝塚など縄文遺跡が残っていて、中世の古文書にも「宝珠花」の地名が見られているそうで、つまりかなり古くから開けた地であったということが推測されるのです。
寛永年間に江戸川が開削されると、西宝珠花には銚子・関宿・江戸を結ぶ舟運の河岸ができ、周辺地域の物流拠点として栄え、宝珠花村の鎮守としての宝珠花神社が崇敬されたようです。
そして戦後昭和28年の江戸川改修工事により、集落の全戸移転とともに宝珠花神社もこの地に移転したのです。

土手から見た小高い丘、山は浅間山だったのです。 勿論、浅間山といっても群馬県の浅間山ではないことは百も承知、でもなかった。
では、一体何故富士山を浅間山と呼ぶのでしょうか。
浅間「あさま」とは、そもそもアイヌ語系の言葉で、九州の”阿蘇(あそ)”山、青森の”浅虫(あさむし)”温泉、伊豆の”熱海(あたみ)”温泉と語源が同じで、「火山」のことを言うそうです。温泉は火山ではないのですが、火山によって温泉が沸いているという類似性を持っているから、そういってもよいのだそうです。
つまり現在では休火山となっている富士山で、特にあの美しい姿からは火山とはイメージしづらいのですが、江戸時代は幾度となく噴火を繰り返した活火山だったことから、富士山=火山=浅間山というイメージとなったようです。

ついでながら江戸時代に幾度となく噴火を繰り返すこの富士山に対して、当時の人々が鎮火や平安を願って祀った神が浅間大神で、この浅間大神を祀った神社が「浅間(せんげん)神社」となり、浅間大神は富士信仰の流れの中で浅間大菩薩と同一視され、更にその菩薩は「木花咲耶姫」であるとの思想によって浅間神社の祭神が木花開耶姫命になったという伝承があります。
そして、天神社は言うまでもなく天神様=菅原道真、香取神宮の祭神が経津主命、そして最後に日本神話においてスサノオが詠んだ歌「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」の八雲に因む八雲神社の祭神が素箋鳴尊です。
そしてこれらの4社が合祀されたことによって宝珠花神社が誕生し、以前の4神をそのまま祭神としたのです。
その合祀を記念した碑が境内に建立されています。
合祀記念の碑

さて話を境内の浅間山に戻すと浅間山とは所謂、富士信仰で言うところの富士塚のことです。
富士塚
富士塚とは、富士信仰に基づいて、富士山に模して造営された人工の山や塚で、造営の方法として主に、1.富士山の溶岩を積み上げたもの、2.すでに存在した丘や古墳を利用したものがあるそうです。
富士講が盛んになった江戸時代に造られ、関東地方を中心に分布しており、現在、江古田(東京都練馬区)、豊島長崎(同豊島区高松)、下谷坂本(同台東区)、木曽呂(埼玉県川口市)の4基の富士塚が重要有形民俗文化財に指定されています。
そういう観点からいくと、この富士塚はどうも富士山の溶岩を積み上げたもののような気がします。
ではまあ登らないわけにもいかないかと、富士塚に向かうと鳥居の横に何やら解説板があります。

春日部市指定有形文化財 宝珠花神社扁額
春日部市西宝珠花77番地 平成14年3月26日指定
宝珠花神社に伝わる扁額で、寸法は縦91センチ・横56センチです。銅版製で、表に「三國第一山」、裏に「武州粕壁住鋳懸師/駒田文吉恐惶謹造/天保四年葵巳正月吉日/不二登山一百二十一度/當所氏子中/行者禄行三志書」とあります。これにより、この扁額は天保四年(1833)西宝珠花の人々が富士山登山121回を記念して奉納したもので、「三國第一山」は富士山を意味し、行者禄行三志の書体を粕壁の鋳掛師が鋳造したものであることが分かります。
禄行三志は、近世後期鳩ヶ谷宿出身の不二道指導者小谷三志(1765~1841)の行名です。富士塚と共に当地域の富士信仰の隆盛を示しており、著名な民間信仰の指導者との関連を示す貴重な文化財です。
平成14年9月 春日部市教育委員会
(現地案内板説明文より)

この鳥居についているのが、その扁額です。
貴重な文化財の扁額
かなりの歴史をしょっているのが見て取れます。
その歴史とともに、よくぞ登ったり富士山と121回とはとてつもない数字ですが、何故に121回という中途半端な回数が記念だったのでしょうか。
それにしてもまた、鳩ヶ谷にそのような指導者がいるとは、これもまた随分と身近な話です。
因みに素朴な疑問として121回って本物の富士山ではなく、この富士塚のことですかね。それじゃ簡単すぎますよね、3日に1回で約1年で終わりますからね。
まあ、何はさておき富士登山です。おおよそ10mらしいです(近くに居た人が言ってました)。

別にどうという塚ではないのですが、今日は結構子供が一杯いるので登山道(階段!)が狭く落ちそうで怖いです。子供を縫って登山する感じです。
途中にはたしかに標識があります。
5合目の標識
因みにこれは五合目です。
更に上ると富士講の碑があります。
そしていよいよ頂上に到達です。これが「烏帽子岩」です。
烏帽子岩
たしかに烏帽子の形状をしています。頂上付近は子供達が陣取っていてあまり身動きができ無い為、残念ながら亀岩は見つからなかったです。
富士登頂記念に撮影を。ということで、本来、富士塚からは富士山が拝める位置にあるそうですが(当時は)、残念ながら今日は曇天で景色は何も見えません。
変わりに下界の境内を撮影してみました。
頂上から眺めた境内
写真で見ると意外と高いように感じます。
また、河川敷方面を撮影すると大凧が置かれている大きなブルーシートを見ることができます。
ブルーシートで覆われた大凧
流石に大凧だけあってかなりの大きさです。これがあとで上げられるのですから見ものです。
ちょっとした絶景!?を堪能して下山しました。下山時も結構登山道(階段!)が急で子供が多くて結構恐怖でした。 まあ、子供にしてみればワンダーランドって言ったところでしょうから、無理もないことです。

無事下山したのですが肝心な参拝をするのを忘れていました。
そぐ横が社殿ですのでまずは参拝を済ませました。
宝珠花神社社殿
若干小さめなのは否めませんが、それなりの歴史を感じるところです。
もう少し境内を見渡すと「太こ神楽」と刻まれた碑があります。
謎の「太こ神楽」碑
夏祭とか秋祭りとかに神楽が奉納されたのでしょうか。由来、縁起等は全く分かりません。
また、片隅には境内社があります。横には「~百度」とか刻まれた石柱があり、石柱の上には動物?でしょうか、生き物みたいなものが彫られています。
謎の石柱
一体どのような意味を持つ碑なのでしょうか。謎の多い境内です。
移転される前はもっと賑わっていた神社だったのかもしれませんが、現在でもこのようなイベント時にかつての隆盛を誇った名残を垣間見れるのかもしれません。

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