七福神めぐり -雑司が谷案内処-

昨年から始まったこの「雑司が谷七福神」は、そもそも2008年に開通した東京メトロ“副都心線”により、新宿、渋谷方面への人の流れにより、途中駅である雑司が谷駅周辺が寂れるのではないかという危機感から考え出されたそうです。
南池袋1丁目町会長の渡辺隆男氏が2010年“雑司が谷七福神の会”を結成し地元の21寺社を調査したのです。このうち七福神が祀られ、且つ協力が得られたのは雑司が谷鬼子母神の“大黒天”と清立院の“毘沙門天”の2ヶ所2体で、残り5体をそろえなければならなかったようです。
その後、主旨に賛同した寺社・企業が新たに5体を作成し、2011年から「雑司が谷七福神巡り」として開催されたのです。そして豊島区の観光情報センター「雑司が谷 案内処」を拠点として、官民一体となって活動し始めたのです。

雑司が谷 案内処

その地下鉄副都心線の雑司が谷駅に到着し、地下鉄のコンコースを歩いていると、壁面に雑司が谷のシンボルであろうと思われるイラストや写真が掲出されていて、すっかり散策モードにスイッチが入った気分です。
雑司ヶ谷駅壁面デザイン
そこでまず、この地名の由来について紐解いてみます。

地名の由来
雑司が谷の地名の起源については、1.法明寺の雑司料であったため、2.小日向金剛寺の雑司料であったため、3.元弘・建武期に京都の朝廷で雑式の職をつとめた柳下氏・長島氏・戸張氏がこの地に土着し、その子孫も村民として残ったから、4.郡領等身分の高い人の子息の子を指す曹司等のはじめた土地だから等諸説あります。
いずれにしても鎌倉時代以後に起こった地名であり、「雑司ケ谷」に統一されたのは、八代将軍徳川吉宗が放鷹のため立寄った折、「雑司ケ谷村」と書くべしとしたからと伝えられています。
昭和41年の住居表示実施により、現在の「雑司が谷」に町名が変更されました。
(まち歩きガイドマップより)

上記以外にも蔵司ヶ谷・蔵主ヶ谷・僧司ヶ谷など色々に書かれていた由来も合ったようですが、最後は鶴の一声というところで落ち着いたようです。
要するに地名の由来は“吉宗が付けた”ということになってしまうようです。

地上に上がると目の前に線路があり、すぐ近くに「鬼子母神前駅」があるので、この線路が都電荒川線であることが判ります。
都電鬼子母神駅
都電の踏切が「鬼子母神」の参道入口になっているようです。
踏切を渡って先に進むと参道は二又に分かれています。
右側の通りが参道になっていて、入口のアーケードには文化財などが記載されています。
鬼子母神参道入口 鬼子母神参道入口
まず目に付くのが「鬼子母神」の名称です。
鬼子母神参道入口アーケード
「鬼子母神」の“鬼”の漢字の上部の“ノ”が付いていません。(PCではこの漢字は存在しないので、当サイトでは、そのままの“鬼”を使用します。)
これは「鬼子母神」そのものの存在(伝承)に密着な関係があることから、「鬼子母神」の来歴を確認してみました。

鬼子母神は吉祥天の母とも言われ、鬼神王般闍迦の妻で子供が500とも1000とも10,000人いたとも言われています。サンスクリット語では“ハーリティー”、中国では“訶梨帝”などと呼ばれているようです。
子沢山の鬼子母神でありながら、性格は最悪で近隣の幼児を食べるという、文字通り鬼畜の振る舞いをして人々に恐れられていたのです。
困った釈迦は鬼子母神を更正させるために、彼女の末の子を隠してしまったのです。嘆き悲しむ鬼子母神に対して釈迦は、多くの子供のうちの一人を失っても悲しいのに、お前に子供を食われた両親の悲しみはもっと深いのだと戒めたのです。これにより鬼子母神は過ちを悟り、釈迦に帰依して安産・子育ての神となり人々に尊崇されるようになったのです。
この様に鬼子母神とは、文字通り“鬼”と“神”の間の親子(母子)であることから、信心深ければ神に近づき、信心が足りなければ鬼になってしまうことを著すようになり、そこから現在に残る鬼子母神を描いた姿は大抵、天女と鬼婆の2種類となっているのです。
鬼子母神像天女型 鬼子母神像鬼婆型 《左:天女型:(C)黒神さまは文化財、右:鬼婆型:(C)ポンポロカベツ》
ちなみに手に持っているのは「ザクロ」だそうで、人肉を食べなくなった鬼子母神が人肉の味のする(!?)ザクロを食べて我慢したとか、ビッシリと種が詰まっていることから、子宝→多産→繁栄を象徴していると言われている、いわば鬼子母神のシンボルなのです。

このような鬼子母神のプロフィールから推定すると、雑司が谷の鬼子母神は改心して良い鬼子母神となったのだから天女型であり、それによって鬼ではない、角(“ノ”)の付かない「鬼」の字を使っているのだそうです。
余談ながら鬼子母神には“江戸三大鬼子母神”があるそうで、この雑司が谷のほかには“恐れ入谷の鬼子母神”と詠われた台東区下谷の入谷鬼子母神真源寺と、千葉県市川市中山の法華経寺だそうですが、やはり“ノ”(角)が無いのはこの雑司が谷だけのようです。

アーケードには鬼子母神の文化財が記載されています。
都指定有形文化財:◆建造物:法明寺鬼子母神堂、◆絵画:大森彦七図、三人静 白拍子図
都指定天然記念物:◆鬼子母神境内 いちょう、◆大門通り けやき並木
と書かれていて、このアーケードから先がその大門通りの「けやき並木」のようです。
ケヤキ並木
冬なので青々とした風景はありませんが、それでも見事なけやき並木です。

東京都指定天然記念物 鬼子母神大門ケヤキ並木
所在地:豊島区雑司が谷3丁目16-19 指定:昭和15年4月18日
ケヤキ(欅)は、ニレ科の落葉大高木で、日本の代表的広葉樹の一つである。古名をツキ(槻)という。家具や建築用材、特に社寺の構造材や大黒柱によく使われている。「地誌御調書上」によると、天正(1573~91)の頃、雑司が谷の住人長島内匠が、鬼子母神へ奉納のため植え付けたものと言う。鬼子母神鳥居先の町屋を大門ともいっていた。江戸時代には並木の伐採をめぐって訴訟がしばしば起こった。弘化元年(1844)の訴訟は、江戸城本丸普請のために伐採しようとした村役人等に対して、寺側が御用木の名を借りた伐採は村役人の私欲によるものと訴えて伐採を中止させた争いである。
昭和12年(1937)頃には、18本あったが、現在は4本を残すのみである。目通り幹囲5~6メートル、樹齢約400年以上といわれる大樹である。秋田雨雀・兜木正亨らによって結成された「大門欅並木保存会」が、保存に尽力した結果、東京府の「天然記念物」となった。平成2年3月31日建設 東京都教育委員会』(現地案内板説明文より)

なるほど4本しか残っていないようですが、この辺りの太い樹木がそのケヤキでしょう。途中で折れながらも今だ樹勢のあるこの木等はその1本だとまさしく思われます。
ケヤキ並木
4本だけどといえども樹齢400年以上のケヤキが残っているのは大門欅並木保存会のお蔭なのです。
特に、ここに記載されている秋田雨雀は、劇・童話作家、詩人、小説家で、豊島区にある舞台芸術学院の院長を務めた関係からで、更に兜木正亨は、雑司が谷本納寺33世住職であったことから、一際保存に尽力したということのようです。
何気ない景色にその努力の歴史が残されています。

ケヤキ並木の途中にあるのが「雑司が谷 案内処」です。
雑司ヶ谷案内処
この案内処は平成22(2010)年7月31日に雑司が谷地区の歴史と文化を発信する拠点としてオープンしたものです。建物自体は「並木ハウスアネックス」といい、手塚治虫がトキワ荘から移り住んで創作活動を行った「並木ハウス」の別館なのだそうです。
手塚治虫は昭和29年から34年に結婚を期に代々木に引越すまでの5年間、本館である並木ハウスの201号室に住んでいたそうです。いつ寝ているのか判らないくらい常に多忙だったようですが、ここで“鉄腕アトム”を連載し、“リボンの騎士”を描き始め、“火の鳥”や“ファウスト”の構想を練っていたようで、最も脂の乗っていたころとも言われているそうです。
そしてこの「雑司が谷 案内処」は豊島区の管轄で、「としま未来文化財団」という財団が豊島区から委託・運営管理をしているのです。江戸時代とはまた違った豊島区らしい歴史を垣間見ることができました。

早速、案内処に立ち寄るのですが、ここでの目的は七福神めぐり用の色紙を購入するのです。勿論、この案内処以外にも数ヶ所で色紙を購入できるのですが、見学ついでに寄って情報を収集するといった意味合いからも、寄ってみるのも損はないでしょう。
エントランスには2体の素朴な人形が配置されています。これは「麦藁細工の角兵衛獅子」といって江戸名所図会でも紹介されている古くからの人形なのです。
麦藁細工の角兵衛獅子
左側の大きい方が角兵衛獅子の“角ちゃん”で、右の方が雑司が谷の“司ちゃん”だそうで、実に判り易いネーミングです。
江戸名所図会に「麦藁細工の角兵衛獅子」の記載があります。

この地にて製するところの麦藁細工の角兵衛獅子は、昔高田四ツ家町に任せし久米女といへる者、一人の母に孝あり。家元より貧しく孝養心のままならぬをなげき、つねに当所の鬼子母神へ詣し、深くこのことを祈りしに、寛延二年の夏、ふと思ひつきて、麦藁をもて手遊びの角兵衛獅子の形を造り、これを当所にて商ひしに、その頃はことに参詣多かりしかば、求むる人移しく、つひにこの獅子のためにその身栄え、心やすく母を養ひたりしとぞ。至孝の徳、尊神の冥慮にかなひしものなるペし。
(江戸名所図会より)

これは貧乏ながら孝行娘の久米が母の病気を思い煩い鬼子母神参りをし、寛延2(1749)年に思いついて麦藁の角兵衛獅子を作って売ったところ大変売れ、そのおかげでその後は母の面倒が看られたという内容です。一説には、「ふと思いつきて…」という件を鬼子母神のお告げと解釈しているところもあり、鬼子母神が霊験あらたかであることをアピールする伝承とも言えそうです。
それだけ歴史のある人形だということですが、ここにあるのは一時廃れていた角兵衛獅子を最近復刻したものなのだそうです。

中に入るとそれ程広くない室内には所狭しとパンフレットや物品が配置されています。
店内
壁際の白い棚はレンタルボックスだそうで、物販や展示などに利用できるのだそうです。
その手前にある藁束に挿された風車が「元禄五色の風車」と呼ばれているもので、こちらは江戸名所図会の挿絵に描かれていたものです。
元禄五色の風車 江戸名所図会 元禄五色の風車 江戸名所図会 元禄五色の風車
この風車も江戸名所図会では「風車、麦藁細工の獅子、川口屋の飴をこの地の名産とす。」と記載されており、元禄年間(1688~1704)の頃、専右衛門、又は宇平治という人が作ったと言われているものです。
しかしこれも角兵衛獅子同様廃れてしまっていたのですが、喜多川歌麿が享和期(1801~1804)に描いた「玄英の雑司ヶ谷詣」の風車を手本に郷土史家の矢島勝昭氏が復元されたものだそうです。
喜多川歌麿「玄英の雑司ヶ谷詣」 元禄五色の風車 《喜多川歌麿「玄英の雑司ヶ谷詣」》
そのときの様子が。当時のライブドアニュースで取り上げられていました。
郷土史家・矢島勝昭氏 《写真:(C)ライブドアニュース》

アートイベント「平成の『かざぐるま』で雑司ヶ谷ルネサンス」
【ライブドア・ニュース 2005年05月20日】- 東京都豊島区の雑司ヶ谷では20日、アートイベント「平成の『かざぐるま』で雑司ヶ谷ルネサンス」(目白通りアート・プロジェクト実行委員会主催)が始まった。6月2日まで。
同イベントは、今年初めて開かれる「目白通りアート・プロジェクト」(NPO地域再創生プログラム主催)の一つで、江戸時代に同地域の鬼子母神境内で売られていた「かざぐるま」にちなんだアート作品を展示。実行委員会には、早稲田大学や日本女子大など同地域周辺にある大学の学生や、地域住民らが参加している。
(中略)
江戸時代の「元禄五色のかざぐるま」を復元した、地元の郷土史家の矢島勝昭さん(76)は「何もないところだけど、かざぐるまを通して雑司ヶ谷のことを知ってもらえれば」と郷土玩具であるかざぐるまに、まちおこしの思いを込めている。
【了】 ライブドア・ニュース 吉川忠行記者
(ライブドアニュース 2005年05月20日より抜粋)

一般的に郷土史家というと実に地味なイメージがありますが、この矢島勝昭氏というのは結構メジャーな方のようです。
1929年雑司が谷生まれで、高等無線電信学校卒業後、東京中央電信局(現:NTT)に勤めます。幼い頃から絵が好きだったことから東京中央電信局で電信電話のイラスト画を約300点、日テレ「テレビ画報」での放映などをきっかけに画家・郷土史家となったようです。

主な作品
■書籍、画文集
1999年 「江戸地誌五十編・雑司が谷風土記」、画文集「二十世紀の情景・池袋/雑司が谷」出版
2000年 サライ「鬼子母神名物の元禄のかざぐるまを復元・奉納」を掲載
2003年 画文集「昭和・思い出の日々」豊島区郷土資料館友の会発行
2005年 絵本「雑司が谷いろはかるた」雑司が谷ルネサンスの会発行、「としまの村ばなし」(共著)としま♭みち草の会発行。(豊島区教育委員会推薦)ほか
■テレビ放映、出演
1962年 日本テレビ「テレビ画報」で影絵『山神退散』作品放映
1985年 テレビ朝日「超高層と都電の昭和史」に出演 (1995年も出演)
2000年~04 NHK札幌「もぎたてラジオ便北海道」にて電話出演(雑司が谷を紹介)
2001年 日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」でかざぐるま作り放映
2008年 テレビ朝日「ちい散歩」で「郷土玩具と戦地からの絵てがみ」放映(2009年も放映)
2010年 日本テレビ「おはよん」で、「かざぐるま作りと鬼子母神堂内のかざぐるま」、テレビ東京「出没アド街ック天国」でかざぐるま作り放映ほか
■他、主な作品
<企業関連 作品>
・国鉄池袋駅(現:JR)パンフレット、交通公社月刊「旅」、小学館「マドモアゼル」に影絵連載
・日本電信電話公社(現:NTT)CMのアニメ「パラボラは唄う」テレビアニメ原画作成
<公共機関関連 作品>
・雑司ヶ谷霊園内「御鷹部屋と松」の碑文・絵・レイアウト草案(東京都)
・豊島区雑司が谷郷土玩具「元禄のかざぐるま」「麦わらの角兵衛獅子」復元・頒布。
・「ぞうしがや」(豊島区都市整備部等発行)に随筆「雑司が谷発見」連載
・豊島区内の旧鎌倉街道(未解明部分)を検証、タウン誌「ぞうしがや」で発表。
・地下鉄雑司が谷駅構内の壁画に「かざぐるま/角兵衛獅子/鷹匠」の資料提供
・豊島区雑司が谷案内処で郷土玩具「かざぐるま・角兵衛獅子」を常設展示・販売
など、多岐に渡っており、郷土史家という括りでは収まらないジャンルで活躍をされているようです。

このように復元・復刻されたものは歴史的には雑司が谷にとっても意義深い玩具です。
思い出せば、地下鉄雑司が谷駅の壁画には、ケヤキ並木、角兵衛獅子、風車の写真が掲載されていましたので、まさに雑司が谷のシンボルといいえるものです。

その隣にある稀有な電車の模型には“都電荒川線9000型26号車 ボール紙製一部ベニヤ板 Gゲージ「のぞみ会」”とキャプションにあります。
都電荒川線9000型26号車
そして「のぞみ会」会長 伊藤信男さんより制作・寄贈いただきましたと書かれています。かつてNゲージを持っていた私としては、つい目を輝かせてしまいそうなものです。よくよく考えれば雑司が谷、鬼子母神といえば都電の街でもあるわけで、このような古い車体を模型として復刻するというのもまた結構なことと思いきや、意外なことに実車でもレトロ車輌として復元されて、平成19年から実際の営業運転もされているものだそうです。流石に1両しかないようなのでイベントなどに使用されているそうです。
プチ鉄っチャンとしては興味深いものです。
七福神めぐり色紙 情報盛りだくさんの案内処で、最後に色紙を500円で買い求めて、いざ七福神めぐりに出発します。

参考資料

東京レポートvol.1
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