なまずの里 #3

吉川のナマズを堪能した後は、引き続き散策を続けます。
ここからは、方向を東にとって最終吉川駅に向います。

芳川神社

料亭糀家の前の道を右折して、東の方向へ1分ほど進んだ左手に「芳川神社」が鎮座しています。
かなり立派な石造の鳥居と“総鎮守芳川神社”と刻まれた社号標が立っています。
芳川神社
鳥居の扁額に庇がついているのも中々珍しいかもしれません。
一の鳥居を抜けた参道のすぐ右手には大きなタブの木があり、ご神木になっているのかもしれません。
タブの木 タブの木
更に進むと車止めの後ろに二の鳥居が立っています。
二の鳥居
この左手に案内板があります。

祭典行事案内
芳川神社 主祭神:建御名方命 文治3丁未年(1187年)御再建
1月元旦:元旦祭 午前零時より、17日:春大祭並武佐弓始式、2月節分の日:節分祭 鬼やらい式、10月23日:例大祭、11月23日:秋大祭
八坂神社 祭神:素箋鳴尊 天正3乙亥年(1575年)御奉祀 7月13日:宵宮、14、5日:夏神幸祭
古峯神社 祭神:日本武尊 弘化3丙午年(1846年)御奉祀 4月21日:例祭
松尾神社 祭神:大山咋神・狭依毘売命 4月1日:例祭
稲荷神社 祭神:宇迦能御魂命 2月初午日:例祭 
芳川天満宮 祭神:菅原道真主命 昭和54年3月25日御奉祀 2月25日:初天神祭
水神社 祭神:弥都波能売命 天明3癸卯年(1783年)3月御奉祀
(現地案内板より)

これによれば1187年に再建とあるので、再建されてからも800年以上の歴史を持っていることになります。
この一帯に興った武士団・吉川氏が1187年に土着神を氏神・諏訪神社として再興したことに始まったようです。従って再建というよりは中興といった意味になるでしょう。
この吉川氏ですが、はっきりとは判りませんが、鎌倉時代初期の梶原景時の変に登場し、景時の首を落とした武士が吉川友兼で、この吉川氏が駿河入江荘吉川の地名に基づくもので、承久の乱で功績を挙げて播磨国福井荘(現在兵庫県姫路市)、安芸国大朝荘(現在広島県北広島町)の地頭となり、時代が下って毛利元就の次男・毛利元春が養子となった吉川氏につながるのです。
この吉川氏がこの吉川市の武士団・吉川氏に当たるのかどうかは釈然としませんが、そうだとすれば実に面白い歴史となるでしょう。
この後、応永年間(1394~1428)には下総の戸張城主の一族である戸張氏がこの平沼に移住し、1575年には戸張将監が北条氏康より朱印状を得て、現在に至るまで戸張家がこの神社を祀っているのだそうで、1846年には火災により社殿が焼失しますが、1850年に再建され現在の社殿となっているのです。
そして明治41(1908)年に34神社が合祀されたのを機に、現在の“芳川神社”に改名されたのです。

二の鳥居を抜けた参道の左手にその境内社が並んでいます。
一番左手の朱の鳥居と社殿が「稲荷神社」で、その右手にあるのは「八坂神社」です。
稲荷神社 八坂神社 八坂神社
この案内板にあるように、この八坂神社の祭礼が7月13日~15日の夏神幸祭で、この100選でもジャンルBの29位で“吉川八坂祭”として選ばれており、早ければ今年7月にも再び訪れることになるかもしれません。
この社殿の隣にあるのが、神輿庫なのでしょう。結構盛り上がる祭りのようなので、見に来るのが楽しみになります。

その神輿庫の隣にあるのが「古峯神社」で、立派な石造の鳥居を持ち、社殿はなく石碑が祀られています。
古峯神社
古峯神社は防火の神として信仰されていて、総本宮は栃木県鹿沼市古峯ヶ原に鎮座する古峯神社です。日本武尊の神徳を慕う藤原隼人なる人が京都から古峯ヶ原に移って日本武尊の神霊を祀ったのが始まりといわれています。
この日本武尊が相模で野火に囲まれた時、奇策により火を鎮め、逆に敵を皆殺しにしたという伝承から防火の神として信仰され、講中の人によりそれぞれの郷里に古峯神社の社殿や石碑・石祠が立てられているのです。
まあ、特に江戸時代において疫病・火災は大変身近な災害でしたから、その信仰の気持ちは強いものがあったと推測されるのです。ちなみにこの古峯神社が奉祀された弘化3丙午年の“丙午”の年は火性が重なることから「この年は火災などの厄災が多い」という迷信から、この年に奉祀されたのではないでしょうか。

その隣にあるのが「水神社」と「松尾神社」ですが、写真が良く撮れていませんで、水神社は完全に見切れてしまいました。
松尾神社と天神社
水神社は文字通りの水難の神様で、松尾神社の祭神・大山咋神は山の所有者の神を意味するもので、全国の日枝神社、および松尾神社に祀られており、農耕信仰の守護神として信仰されているようですが、松尾神社の総本社である松尾大社では醸造の神としても信仰されているようです。いずれにしても農業・酒造ももとは穀物ですから根は同じということです。
そしてその右手にあるのがおなじみ学問の神様、天満宮です。

更に参道を挟んで天満宮の反対側には「●頭大明神」なる石塔が建立されています。●の部分は“广”に“井”と書いてあるのですが漢字がわかりません。
・・・頭大明神
一体どのような神が祀られているのでしょう。
最後になりましたが、芳川神社の社殿を参拝しますが、やはり江戸時代末期の社殿は重厚さとその歴史を誇っているようです。
芳川神社社殿 芳川神社社殿

なまずの里公園

芳川神社を参拝した後は、最後の散策地である「なまずの里公園」を目指します。
ここからは“Go East”ひたすら東方向に歩きます。
少し歩くと吉川市を南北に縦断する「いちょう通り」と交差します。
いちょう通り
市内の通り名は非常にわかりやすく、午前中の南口からの“けやき通り”、そしてこの“いちょう通り”という道の両側にその樹木が植えられているのですから一目瞭然なのです。
現在のいちょうは剪定されて枝が短くなっていますが、春から秋にかけてまた爽やかな新緑と、美しい紅葉を見せてくれるのでしょう。 いちょう通りを超えると、次には「さくら通り」と交差します。
さくら通り
この「さくら通り」は、二郷半用水沿い約4kmに渡って植えられた542本のソメイヨシノが並んでいる脇の通りです。勿論現在桜の花は見ることができませんが、葉も何も無い状態でも開花したときの見事さは、簡単に思い浮かべることができそうなくらい見事な桜並木です。
二郷半用水沿い桜並木 二郷半用水沿い桜並木
さくら通りの角に大きな煎餅の看板のあるお店があります。
二合半堂まつざわ煎餅
「二合半堂まつざわ煎餅」というお店で、ここでもなまずぜんべいなどが販売されているそうですが、既に煎餅のお土産を購入していますので、今回はスルーします。
夏にでも寄ってみたいと思います。

さくら通りを渡って少し南下すると角にモニュメントがあります。
いのりモニュメント
「いのり」というタイトルが付けられていますが、解説できるほど意味合いは良く判りません。
そして、そのモニュメントの両側は建て直しをしているようで、家屋・店舗が壊されています。残っている物を見ると「川魚料理魚竹」とあります。
ここもまたナマズの味わえる店舗のようで、これなどは欄間の彫刻だったのでしょうか。
川魚料理魚竹
とすればここもまた割烹といったところでしょうか。
ここからはひたすらテクテクと10~15分位歩いたでしょうか、大きな公園に到着しました。
なまずの里公園
ここが「なまずの里公園」です。

なまずの里公園
この公園は、地域住民の力を借りて、どのような公園にするか、みんなで考えて、平成14年12月23日に開園しました。
小さな子供が遊べるように考えました。小学生くらいの子供も遊べるようにしました。1から2年後には、シンボルツリーにイルミネーションを付けられるようにしました。暖かくなったらじゃぶじゃぶ池にも水を流し、水に入って遊べるようにもなっています。まだ開園したばかりなので、不都合な点などあるかもしれません。でも、市民の考えた公園はいろんな意見が盛り沢山。
普通の公園に見えても災害時には、負けません。
きっと、納得いただけるはずです。ぜひ、来園して看板を見てください。災害に強い理由がわかります。ローラー滑り台やターザンロープもあるよ。
所在:吉川市大字保921番地 、土地面積:7,940平方メートル
(吉川市オフィシャルサイトより)

そこで見た看板がこちらで、その防災施設の一覧です。
なまずの里公園

・防災広場は、災害時に大型車両を乗り入れることができるスペースを確保しました。
・大雨のときには、約690トンの雨水が貯留ができる構造としてあります。
・ベンチは、かまど兼用ベンチとして、座板を取り外すことでかまどとなります。
・マンホールトイレは、非常用簡易トイレを設置して使用できます。
・トイレは備蓄倉庫兼用で、災害時に必要となる資材・機材を備蓄してあります。
・掲示板は、地域の情報板として、また災害に対する掲示板としても利用します。
・太陽光発電による照明施設を、公園の四隅に設置し、電力が使えなくても点灯出来るようにしました。
・飲料水兼用の耐震性貯水槽を設置し、地震がおきた時は自動でもれないように遮断して飲み水を 確保します。もちろん、消火用水としても利用できます。
・パ-ゴラは防災用にも使用できるものとしました。
・災害時には救護場所、避難者支援のためのテントを設置する事ができます。
(吉川市オフィシャルサイトより)

という事で市民と市が一体となって作った防災に強い公園に、市のシンボルである“なまず”を冠したのは、地震にも負けないといった意味合いが含まれているのでしょうか。
なまずの里公園 なまずの里公園 なまずの里公園
実に吉川のナマズをシンボリックに現した公園といえそうです。
流石に今日は寒々しいですが、春や夏には多くの子供たちの歓声を聞くことができるのでしょう。

最後の目的地への散策を終えて再び吉川駅に戻りました。
駅の北口から南口に移動する際に、香ばしいパンのにおいに誘われて、明日の朝食用にパンを購入することにしました。
お店は「ベーカリー プチフール」という店舗です。
ベーカリー プチフール
香ばしいかおりに包まれた店舗の中で、目を見張るパンが置いてありました。
なまずで健康

なまずで健康
なまずの肉は、白身の魚で淡白なお味。肉に比べ低カロリー、低脂肪、良質の高たんぱく質。
ビタミンE:魚類では、トップクラス。120gで1日量。老化を抑制効果
ビタミンB1:魚類では、多いほう。疲労回復に有効
ビタミンA:魚類では、トップクラス
なまずは、とってもヘルシーな食品

なまず入り よしかわコロッケバーガー 250円
なまず入り よしかわメンチバーガー 280円
(店舗内POPより)

流石に朝食用なので、違うパンを2、3種購入しましたが、このような低カロリー、低脂肪がアメリカではなまずをメジャーな食材としたのでしょう。
最後にナマズの里としての町興しの経緯を記載しておきます。

Q:“なまず”による町おこし
質問
吉川市は、どうして“なまず”で町興しをしているのですか?
回答
稲作をはじめとする農業が盛んだった吉川には、昔から川の水を引き込んだ用水路や小川が各所に流れています。そうした水場は、さまざまな生物の住みかとなり、中でも“なまず”は、いたるところでその姿を見ることができたそうです。
昔の子どもたちにとって、なまず捕りは娯楽であり、家に持って帰れば食材として歓迎されるという一石二鳥の“遊び相手”でした。しかし、その“なまず”も、まちが都市化していった昭和40年代頃から急激に少なくなっていきました。
そのような中、古くからこの地で親しまれてきた“なまず”を吉川のシンボルにしてまちづくりを進めていこうという気運が高まり、商工会が中心となって、市内の業者が“なまず”をモチーフにしたまんじゅう、せんべい、サブレー、ぬいぐるみ、キーホルダーなどのグッズや、地元産の酒米を使った純米酒「なまず御前」を開発。平成7年には吉川駅前に日本一大きな金色の「なまずモニュメント」も完成しました。
また、平成8年には、吉川受託協会が“なまず”の養殖に成功。地下水で育てた良質の吉川産なまずを出荷できるようになりました。
さらに、市民や市、商工会などの努力が実り、平成12年に埼玉新聞社が募集した「21世紀に残したい・埼玉ふるさと自慢の百選」では、「吉川市のなまず料理」が13,000票を超える票を獲得して埼玉県のナンバーワンに輝きました。
現在も吉川市では、なまずの絵を水道の仕切弁の蓋などに使用するなど積極的に活用し、まち興しを進めているところです。
(吉川市オフィシャルサイト)

とかく中途半端になりがちな町興しですが、どうやら吉川市の場合はまだまだ途上にり、かつ本気の町興しに感じます。
上辺だけでないところが、実際に営業している老舗などの店舗からも感じられます。
昭和8年の町並みには戻らないでしょうが、初志貫徹、更にナマズでの町興しによって実に面白い街が出来上がるのかもしれません。
はじめて知った吉川のナマズは、これからも注目していきたいものです。

2012.02.26記

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks