渋谷でフェルメール #2

今回の展覧会の作品は諺や格言などが織り込まれた、当時のオランダの文化・風俗が垣間見えるところが実に興味深いところでしょう。勿論、解説がなければ到底知りえないことなのですが、こういったことを知って見るから余計面白いので、このあたりはクラシック音楽に共通するところでしょう。
そして次が本命のフェルメールのコーナーとなります。

第3章

このコーナーがメインであるフェルメールの展示作品のある「手紙を通したコミュニケーション」です。

手紙を通したコミュニケーション
オランダは17世紀のヨーロッパで最も識字率が高く、手紙のやり取りが急速に増えた地域だった。当時、手紙は個人の気持ちや強い感情を伝えることができるという考え方が一般的となり、画家は手紙によってもたらされる人の感情の動きを探求した。オランダの風俗画において、手紙を読む女性の姿は愛に関連した場合が多く、ほとんどの作品は、隠された意味を解く手がかりを与えでくれている。
背景の壁の地図は、遠方にいる恋人を示唆するかもしれない。また画中の壁に掛けられた海景画では多くの場合、海は愛、船は恋人を表象していた。ヤン・クルル(1601-46)の寓意図像集にある「家から遠くにあっても、心は離れていない」という銘文は、これをく言い表している。ヨハネス・フェルメールは手紙を読んだり、書いたりする若い女性の物思いに沈む美しい姿を描いた。
(パンフレットより)

前出された“アブラハム・カストレインとその妻マルハレータ・ファン・バンケン”で言われたことですが、当時のオランダは出版の主要な中心地であったことから、新聞などのある意味公的な布告、商業上の情報提供が盛んであったことと対照的に、個人間の文字による、いわゆる手紙が急速に増加していたのです。
そしてそのある意味新しい文化である“手紙”をテーマとした作品が描かれ、そこにも様々なメッセージを込められたのです。

最初のフェルメールの作品が「手紙を書く女」です。
《手紙を書く女》 《手紙を書く女》
ここまで来るとやはり作品に込められたメッセージを読み解かなければならないのでしょうが、悲しいかな素人には全体的な暗い空間のなかで、眩しいほど輝いている上着の黄色とのコントラストが美しい・・・、といったくらいしか読み解けないので、正式な解説を見てみます。

この作品では、洗練された若い女性が、アーミン毛皮で縁取りされた柔らかな黄色いモーニング・コートを着て、手紙を書くためにテーブルに向かって体を傾けている。彼女の背後の壁に掛かっている静物画には、うっすらとヴィオラ・ダ・ガンバが描かれている。音楽は、愛と調和の類義語である。この作品において、画家は美と愛の間の調和のある関係をほのめかしているのだ。この婦人は、わたしたちと直接、コミュニケーションをとっている。というのも、プライベートで親密な場で思いにふけっていたところを妨げられた彼女は、こちらに顔を向けて私達を見つめているからである。描かれた婦人は、ラブレターを書いているのだろうが、その内容は明らかにされていない。おそらく、フェルメールは、恋愛そのものが神秘的な性質をもっているということを表現しているのであろう。
(オフィシャルサイトより)

音声ガイドを聞きながら見れば、このような説明があって一段と楽しめるのかもしれません。ただこの説明を音声のみでとなると、かえって判りにくくなりそうだと思うのは私だけでしょうか。
それでも確かに光というよりは明暗のコントラストと女性の瞳と微笑が実に美しい作品ではありました。

2点めが「手紙を読む青衣の女」です。
《手紙を読む青衣の女》 《手紙を読む青衣の女》
ここでもオフィシャルの解説を引用してみます。

ヨハネス・フェルメールは、他の画家とは比較にならないほど、手紙を読む女の姿を印象深く描いている。この作品では、明るい青色の部屋着をまとった若い女が、ネーデルラントの地図が飾られた壁を背に横向きに立ち、両腕を縮こまらせ部屋の片隅で手紙を読んでいる。画家はこうした私的な場面へと見る者を誘う一方で、しかし、我々はその描写から決して彼女の内面をうかがい知ることはできない。
この作品は、最近の画面浄化と修復に伴うX線写真と赤外線写真の検証により、画家が試みた様々な取組みや工夫が明らかになってきている。その結果、画家が地図の幅を当初より数センチ拡大したこともわかる。地図をいっそう強調したことで、その事物に込められた深い意味が作品に付与されることになった。地図はしばしば愛する人の不在をほのめかす、この解釈は、人影のない手前のイスからも明らかであろう。
画家が画面構成の枠組みを注意深く調整しているにもかかわらず、この作品は、そうした巧妙な変化を少しも感じさせない。むしろその光景は、見慣れた出来事がごく普通に繰り広げられているようにしか見えず、真実の感情と愛の本質とがごく自然に表現されている。ここにこそ、フェルメールの芸術的天才があるのだ。
(オフィシャルサイトより)

実に微妙な解説ですが、ある程度理解できます。青い衣装のラピスラズリには触れずに構図そのものに注視しているところが、流石に専門的解説です。
しかし一般的に注目するところは、やはり青い衣服を含めて修復された後の世界はじめての公開ということでしょう。
この修復についてはTVで放映したようで、そのときの印象を元に修復前後の作品を掲載したサイトがありました。
《手紙を読む青衣の女》 《左・修復前、右・修復後:(C)EARTH_blog》
このようにあのラピスラズリのフェルメール・ブルーが甦ったようです。

少し余談ですが、この展覧会が宮城・京都から東京までの開催中、全作品の状況をチェックするコンディション管理をする方がいるそうで、絵画修復家の岩井女史という方です。
絵画修復家とはパネルの傷、亀裂、絵具の剥げ落ち・浮き上がり、キャンパスのたるみなどをチェックし修復する文字通り絵画の医者のようなものです。
今回の展覧会では、最初に日本に到着し絵画の梱包を解いた段階で絵画の状況をチェックし、まず“コンディショニングリポート”を作成するのだそうです。
絵画の大敵は温度・湿度・光で、期間中は絵具の表面の変化や亀裂などをチェックする為に、「エグザミネーションライト」というローアングルの光を当てながら肉眼でチェックするのだそうです。要するにパネルの亀裂などがあった場合、その長さや幅を定期的に計って広がっていないかどうか継続的にチェックすることになるわけです。
要するに国際的スタンダードの“コンディショニングリポート”の記録と記憶を駆使して定期的に作品をチェックしていくことなのです。非常に気を使う仕事ということは間違い無いでしょう。
そして今回のその修復について語られています。

修復に携わる者は誰でも、その絵画を、描かれた当時の元の姿に最も近い姿にしたいと思いますが、思いだけではなかなか実現出来ないこともあります。修復家が「やりたがった」結果、修復しすぎてしまうことも無いとはいえません。
また、今の技術では出来ない修復だと判断して、今は修復に着手せず、あえて未来に残す場合もあります。『今、やるべきなのか』 『今、やっていい修復なのか』を常に正しく判断することが重要だといえます。
本展覧会で展示されている『手紙を読む青衣の女』は修復後世界初公開となりますが、今回の修復の一番のポイントはクリーニング、つまり作品の上に塗られている黄変したニスを取り除くという方法を実行したことです。
この方法は21世紀の今、科学の進歩による技術的な裏づけがあったからこそ着手できた修復です。
そして、フェルメールが本物のラピスラズリから作られたウルトラマリンブルーを使っていたからこそ、色あせずに残っていた「フェルメール・ブルー」がよみがえったのです。フェルメールが描いたそのままに極めて近いブルーを、自分が生きている間に見られるのは、本当にラッキーなことですし、世界のどこよりも早くこの日本で初公開で見られることが何と素晴らしいことか、と思います。
(オフィシャルサイトより)

修復する前の判断が重要ということになるのでしょう。ある意味では修復自体も一つのアートといえるのかもしれません。
ちなみに岩井女史は、(有)IWAI ART保存修復研究所 代表取締役で、これまでの主な修復作品には、『肘掛椅子に座る女』 パブロ・ピカソ作(川村記念美術館蔵)、『ひまわり』 フィンセント・ファン・ゴッホ作(損保ジャパン東郷青児美術館蔵)、『睡蓮』 クロード・モネ作(地中美術館蔵)、『長岡の花火』 山下清作などがあるそうです。
こういった裏方の方々がいるからこそ、安心して日本で展覧会が開かれ、我々がその恩恵に与れるということになるのです。

フェルメール最後の作品「手紙を書く女と召使い」です。
《手紙を書く女と召使い》 《手紙を書く女と召使い》
またまたオフィシャルの解説を確認します。

この作品に描かれている婦人は、机にむかって手紙を書くことに夢中で、まわりのことには関心がない。そのほんの少し後ろに背の高い召使いが立ち、女主人から手紙を受け取るのを辛抱強く待っている。女主人の机の前の床には投げ捨てられた手紙があり、その赤い封印が横に引き裂かれている。
女主人の羽根ペンが紙をこする音以外、部屋のなかにはまったく音がない。この二人の女性は、いずれも自分の世界にこもっているが、画家は、この二人を注意深く構図のなかにまとめあげている。机から垂れ下がる深紅のタピスリー以外には強い色彩を使わず、徹底して似たような色調をくり返し、更に背後の壁に掛かる油彩画の黒い額縁の幅広い四角い形が構図に安定感を与え、二人の婦人を視覚的に部屋のなかに結びづけている。
フェルメールは、主題の示唆の為、背後の壁に「モーセの発見」の油彩画を描きこんだ。オランダでは、聖書の主題は同時代史や日常生活との関連で解釈される。この婦人が手紙を書いているのは、彼女が心を鎮めようとしているからか、あるいは愛人と和解しようとしているからであろう。この場面の直前に、彼女は彼からの最後の手紙を床に投げ捨てた、しかし、この静かな自省の時が彼女の心を変え、心を開き輝かしい新たな将来を考えることで再出発を決意させたのである。
(オフィシャルサイトより)

脇道にそれてしまうのですが、ここに記載のある「モーセの発見」とは、ある時イスラエル人を導く救世主(モーセ)が生まれたとの報告を受けたエジプトのファラオが、この男子を殺すように命じたのですが、モーセの母ヨケべドは危険を察知して、産まれて間もないモーセを葦舟に乗せてナイル川に流したのです。
そしてモーセはナイル川の下流で水遊びをしていたファラオの王女のもとに流れ着き、哀れんだ王女がこのモーセを王子として育てたという内容のもので、特に信者ではなくても映画「十戒」などでお馴染みのシーンなので、御存知の方も多いでしょう。
《手紙を書く女と召使い》
モーセの発見が、この女性のリ・スタートを示唆しているとすれば、随分と壮大な比喩といえるでしょう。

一方ではミーハー的な話もあるはずと調べてみれば、やはりウンチクを語るにはうってつけのエピソードがありました。 この絵画は2度盗難にあっているそうなのです。
当時アイルランドの首都ダブリンの近郊のブレシントンの実業家が所蔵していた時、1974年4月26日に武装した犯人らによって強奪され、約1週間後の5月4日に発見されたのというのが1回目の盗難です。この時の犯人の1人はIRA支持者で指名手配中のイギリス上流階級出身の女性で、懲役9年の判決を受けたそうです。
そして、この事件の直後の修復で絵画上に「封蝋」が描かれていたことが発見されたのだそうです。オランダ流に言えば、いわゆる“禍転じて福と為す”といった諺でしょうか。
その12年後の1986年5月21日に、またも同じ家から2回目の盗難が起りました。この時は直ぐに発見されなかったのですが、1993年、捜査当局は絵がベルギーにあってIRAに敵対する組織に密売されようとしている情報を得、ベルギー・英国・アイルランドの合同囮捜査により、同年9月1日にベルギーのアントウェルペンで無事に絵が回収されたのです。犯人はアイルランドでも指折りの犯罪者マーチン・カーヒルというものだったそうで、逮捕されることはなかったのですが、後にIRAによって殺害されたのだそうです。
そしてこの絵はアイルランド国立絵画館に寄贈され現在に至っているのです。
それにしても前者はIRA支持者で、後者は反IRA支持者というのですから、フェルメールもまた随分な人々に愛されたものです。どちらにしても組織の活動財源として狙われたようですから、当時のフェルメールの価値をうかがい知る事が出来るエピソードといえそうです。

こうしてフェルメールの作品を3点鑑賞したのですが、「手紙を書く女と召使い」は前述しようにアイルランド・ダブリンのアイルランド国立絵画館、「手紙を読む青衣の女」はオランダ・アムステルダムのアムステルダム国立美術館、そして「手紙を書く女」はアメリカ・ワシントンのナショナル・ギャラリーというように普通なら3カ国廻らないと見られない作品が、ここ東京の1ヶ所で見られるのですから千歳一遇の機会といえるのでしょう。

このコーナーにも他の作品が展示されています。
冒頭の「レター・ラック」などもこのコーナーに展示されていましたが、やはりフェルメールの存在感には殆ど影の薄い状態ですので、最後のコーナーに移ります。

第4章

最後のコーナーは「職業上の、あるいは学術的コミュニケーション」というコーナーです。

職業上の、あるいは学術的コミュニケーション
読み書きの能力は商業国オランダで様々な職業においで重要視され、絵画作品においでは弁護士や公証人、著述家などが、商売に関わるコミュニケーションや経営の手助けをする場面が措かれた。一方、伝統的な主題である書斎の学者像は、最も古い大学都市であるライデンの知的な環境とも結びつけることができる。学者たちは、様々なかたちでコミュニケーションを取り合っていたが、同僚や教師間の個人的な接触による非公式なネットワークに加えて、17世紀には最も早い学術雑誌が誕生し、さらに中頃には英国王立協会(1660年ロンドンで成立、1662年に公認)やフランス科学アカデミー(1666年パリで成立)など学会の設立が相次ぐ。当時は学術雑誌や学会誌に加えて、科学書、新聞などの印刷物を介したコミュニケーションも盛んだった。
(パンフレットより)

解説は凡そ判るのですが、何故このコーナーを最後にしたのでしょうか。
主目的(というより、これだけでも良い)のフェルメールを見終わってから、グリコのおまけのようなモノを見せられても、こちらは素人なんですから頭はフェルメールでいっぱいです。ということで、このコーナーはあまりよく憶えていないのです。
折角なのでオフィシャルサイトの解説用の作品を掲載しておきます。コルネリス・デ・マンの「薬剤師イスブラント博士」という作品です。
《薬剤師イスブラント博士》 《薬剤師イスブラント博士》

考えをまとめて書き留めているところを不意に妨げられ、不満げに左のほうを見やっているようにみえるこのイスブラント・イスブランツ博士は、ロッテルダムの有力な一家出身の薬剤師だった。壁に掛かる紋章のところに見える彼の個人的なモット“Circumspecte”は、「用心深く」とか「細心の注意を払って」という意味であり、まさしく薬剤師にふさわしい性質である。
コルネリス・デ・マンは、しばしば肖像画と風俗画を融合させた。なぜなら、こうすることによって、モデルの日常的な環境のなかでその職業を描き出すことが可能になるからである。この作品からも明らかなように、デ・マンは、遠近法、色彩の明確な塗り分け、そして形態の明瞭な把握によって空間を的確にとらえることに優れていた。この印象的な作品においては、テーブル上の静物がイスブラントの学問的な関心の幅広さを示唆し、イスブラントの肖像と等しく視覚的な重要なものとなっている。様々な書物や書類の間に埋もれたつやのある頭蓋骨は、限りのある人生だからこそ十全に生きなければならないと、この作品を見る者に警告する。
(オフィシャルサイトより)

最後まで深いメッセージがこめられた作品でしたが、この博士が着ているローブは当時のインテリエリート層に好まれた「ヤポンス・ロック」という一種のステータス・シンボルだったものだそうなのですが、元々はこれ、オランダに伝わった日本の冬用の着物だったそうです。
当時、日本は鎖国中でしたが、唯一交易を持っていたのが長崎出島でのオランダ(阿蘭陀)ですから、ある意味この当時日本の物が伝わっているのは世界中でオランダだけということになるわけで、その様な意味では希少価値とともにステータスとなったのかもしれません。
絵画ファンなら当然知っていることのようですが、フェルメールの「地理学者」での衣服もまた“ヤポンス・ロック”なのだそうです。
《地理学者》 《地理学者》
妙なところでの日本とのつながりにちょっと嬉しくなってしまいました。

最後に当然ながらスーベニアのコーナーがあります。
まあ、折角なので今回は“ブックマーク”を家内が購入していました。
“ブックマーク”
これもまた記念ですから。
フェルメールを堪能して外にでると、時刻は既に1時を回っていました。

ちょうどBunkamuraのすぐ前にある赤いエクステリアが印象的な【あかなす家】というラーメン店で昼食をとることにしました。
あかなす家
ちょっと意外な中華とイタリアンの融合したラーメンを美味しくいただきました。
この後は銀座線で銀座に向います。

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