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「時の鐘」と「蔵造り資料館」

「亀屋栄泉」をでると、「蔵造りの町並み」もあと半分くらいですが、これからがクライマックスとなります。
札の辻方面に向かって歩くと、やがて”鐘つき通り”を右に曲がり、ほんの10mくらいで「時の鐘」に到着です。普段もこのくらいいるのでしょうか、それともやはり祭りで特に人が多いのでしょうか、午後1:30頃でも食事をするお店はどこも満員で殆ど行列を作っています。

鐘つき通り

鐘つき通り

福呂屋と「時の鐘」

福呂屋と「時の鐘」

1時間以上休みなしで歩いてきたので「時の鐘」の隣にある”福呂屋”という甘味のお店て一服です。

手づくりの店で、「生きんつば」・「いもっちゃロール」・「芋どらアイス」等が人気らしいです。定番の紫イモソフトクリームを注文し、店の中の2人かけのイスが一客あって「どうぞ」といわれたものだから、ついその気で座ってソフトクリームをいただきました。想像通りの味で、久々ソフトクリームなどを食べて至極満足の呈となりました。
帰りがけに「生きんつば」をお土産に購入しました。 きんつば(金鍔)は、和菓子のひとつで、小麦粉を水でこねて薄く伸ばした生地で餡を包み、円く平らな円盤型に形を整え、油を引いた平鍋で両面と側面を焼いたものとあり、四角とか丸形をイメージします。
「生きんつば」(写真を撮る前に一気に家族に食べられてしまい写真がありません)は、洋菓子のバナナオムレツの小さいバージョン的な形で、バナナオムレツの黄色のケーキ部分が紫色で、中にクリームと餡が入っているちょっと変わった和洋折衷な「きんつば」。
味は甘過ぎず上品な甘さ。さすが和菓子。感触はしっとりしたケーキの食感。中々美味でした。他の地域にあるのかわかりませんが、一度食べる価値はあるかもしれません。

時の鐘

これが有名な時の鐘

一息ついたところで、隣の「時の鐘」を見学。といっても訪ねた方が良く写してくる写真そのものがあるだけで、取り立ててほかに何がある訳ではないのを認識できました。
”がっかり”ではないが”感動も余り無い”といったところでしょうか。<

江戸時代の庶民はどのようにして時刻を知ったかというと、シーボルトの「日本」によれば、太陽の影を使う簡単な日時計で時を知ったり、お城や寺の鐘で時を知ったと書かれています。また、落語の「ときそば」に出てくるそばやのおやじさんも時を知っているようですから、どの人も時刻はわかっていたようです。
その時刻を知らせる方法が「時の鐘」で、「時の鐘」には城で使われていた城鐘と江戸の本石町のように市中にあったもの、寺が撞いていた寺鐘の3種類に分けられるそうで、川越の「時の鐘」は城鐘にあたるそうです。
江戸市中の時の鐘としては,江戸本石町三丁目に初めて「時の太鼓」が作られ、後に鐘に取り替えられたそうです。家康の時代には明け暮れの六つ時を知らせるだけでしたが、秀忠の時代に明け暮れだけでは役に立たないということで、昼夜を通じて十二時を知らせるようになり、太鼓から鐘に代わりました。初期の江戸中心住宅地はこの鐘の聞こえる範囲内でした。
ここでおもしろいのは「時の鐘」の聞こえる町の町人から1ケ月で永楽銭で1文づつ徴収したといわれていて、それを表した川柳があります。

 『石町で出しても同じ時の割 』

その後、江戸市中が拡大するにつれて、浅草、上野、芝、目白、本所入江町、深川、市谷、赤坂、新宿、巣鴨、大崎、目黒などにあったようです。
そこで川越の「時の鐘」は、江戸市中の鐘に倣い、寛永年間(1624年~44年)に川越城主酒井忠勝が、城下多賀町 (いまの幸町)に建てたといわれています。
現在の鐘楼は、1893(明治26)年に起きた川越大火の翌年に再建されたもので、現在の鐘は4代目だそうです。

因みに現存する「時の鐘」としては、埼玉県では川越以外に、岩槻市 岩槻城の城鐘(1671:寛文11年、1720:享保5年改鋳) が残っているのみです。また、東京では日本橋石町・十思公園の町鐘(1711:宝永8年) 、上野寛永寺 上野公園の 町鐘、浅草浅草寺の町鐘、新宿天龍寺・天龍寺の町鐘、八王子市・念仏院の町鐘が残っているそうです。
絵になる様は、蔵の町、小江戸川越故であるからでしょう。これからも町のシンボルとして活き続けるのでしょう。

「時の鐘」から一旦、川越一番街へ戻り、再び札の辻に向かいます。 わずか2~3分で「蔵造り資料館」につきました。

案内看板

案内看板

チケット

チケット

入場料¥100-を支払い入館し、最初は奥の蔵から見学してくださいとことで、その通りに進みました。
ここでは、またも予習の大事さを痛感させられるのですが、根本的に予習もせず、且つ、いただいたパンフレットも見ずに行き当たりばったりで見学しているものですから、見るポイントが往々にしてずれるケースが多い。

煙草価格表

煙草価格表

鬼瓦

鬼瓦

ここでも、奥の蔵を見て煙草を扱っていた店だというのは理解できました。
また当時の煙草の名前など、ちょっと興味のあるものもありました。そして、その手前の蔵では「火災と蔵」的なテーマで川越の当時の消防に付いて説明されていました。
蔵からでると鬼瓦・・・でしょう、たぶん。当時の家についていたものでしょう。そして、母屋の座敷?・・・

勝手ながら私の場合、感動パターンは3通りあります。
かなり、感動した、或いは勉強になった場合・・・「ほーーーーウ」です。まあまあ、為になった場合は「へーーーエ」。そうですか、程度の場合は「ふーーーーン」。
で、ここまでは「ふーーーーン」。別に資料館が悪いわけではないんです。予習もしない現地で案内も読まない私が悪いのは重々承知しているのですが・・・

煉瓦塀

煉瓦塀

蔵造り資料館から見る「時の鐘」

蔵造り資料館から見る「時の鐘」

しいて言えば、レンガ塀は深谷で見たばかりだったので「へーーーーエ」。そして資料館から「時の鐘」が見えた時に、余りのマッチングのよさに思わず「ほーーーーウ」でした。
やはり、サイトなどで勉強してから見学しないと、その良さが理解できないでしょう。出来れば、深谷の誠之堂のようにボランティアが説明なんてしていただけると観光客も小躍りして喜ぶんですが、まあ、深谷と川越の観光地としてのランク・観光客数が違うので無理な話でしょうが・・・
確かに、国の重要文化財である「大沢家住宅」すら見学していないのですから偉そうなことは言えませんね。

参考:【蔵造り資料館】 http://www.kawagoe.com/kzs/

幸か不幸か、本日は川越まつり(知っていて来ているのですが)なので、如何せん人が多いです。
もう少し人の少ないときにじっくりと散策すれば、また見えなかったものが見えてくるのかも知れませんし、別な川越の魅力を発見できるかもしれません。
いづれにしても、蔵造りの町並は、奥深い魅力を持っていそうな結構な町だと感じました。

蔵造りの町並と山車

蔵造りの町並と山車

そんなことを考えながら資料館を出るとちょうど神幸祭・御神幸の行列がやってくるところでした。蔵造りの町並み散策はこれにて終了し、「川越まつり」モードに入れ替えました。
また、近いうちに改めて魅力ある川越を散策したいと思います。

2008.10.25記

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