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忍城址

どちらにしても行田市街へと車を進め、前回時間がなく寄れなかった忍城址を訪れました。
忍城址の駐車場に車を停めて向かうと、行田市郷土博物館と忍城址公園とあったので、とりあえず行田市郷土博物館へ入館料¥200を支払って入りました。 常設展示と企画展示があり、まずは常設展示室から見学です。
聖徳太子立像と例大祭 聖徳太子立像と例大祭 【行田郷土博物館入り口と入場券】
最初は”中世の歴史”で鎌倉時代から戦国時代までの行田を中心に展示・解説されています。

『貴族の世から武士の世に代わり戦国時代の動乱を経て、豊臣秀吉による天下統一までの時代です。
この激しい時代の歴史の担い手として、行田および周辺の武蔵武士の活躍が記録に残されています。 彼らの中から、現在の熊谷市上之を本拠地とする成田氏が台頭し、のちに忍城を築城することになります。
忍城は、文明11年(1479)頃までには成田顕泰により築城され、以後約百年にわたり成田氏の支配する時代になりました。
天正18年(1590)年、秀吉と小田原北条氏との戦いの中で石田三成らによる水攻めを受けます。
この戦いにより忍城は開城し、成田氏百年の支配が終り、関東に入国した徳川家康の持ち城となりました。
(《行田市郷土博物館・見学のしおり》より抜粋)』

ここでは、足利成氏の書状、忍城図、板碑などが見られます。
忍城図では、当時の忍城が自然豊かな場所だったことがしのばれ、当時の外堀が現在の水郷公園の一部だそうです。
次のコーナーは”近世の歴史”で江戸時代の行田を説明しています。

『忍城が家康の持ち城となった天正18年に松平家忠が派遣され、水攻めで傷んだ城の修復をします。
修復後の天正20年、家康の四男忠吉が入城。関が原合戦後に清須に移ります。 忍城にはその後城番が置かれ、周辺の河川改修や農業開発が積極的に進められました。
寛永10(1633)年に松平信綱が城主となり、同16年には、阿部忠秋が移り以降184年間阿部氏の時代が続きます。
文政6(1823)年、伊勢の桑名から松平氏が移封し、48年あまりで明治を迎えます。
明治維新の戦火を逃れた忍城でしたが、明治6年に主な建物は競売に付され、かつての面影は全て失いました。
(同)』

ここには”大坂夏の陣で着用されたと言い伝えのある、「松平忠明着用具足」などが展示されています。
競売で殆どがどうなったのかはわかりませんが、以前行った加須の【不動岡不動尊】の黒門がかつて忍城のものと説明されていました。

次では、江戸時代から続く行田市の産業”足袋”をテーマとした展示がされています。

『行田の足袋製造の始まりについての明確な資料はありません。
17世紀後半頃の亀屋某が最初とも言われていますが、記録の上では、明和2年(1765)の道中案内に「忍のさし足袋名産なり」とあります。 また、町明細図によれば江戸時代の終り頃には、足袋製造が最大の産業になっていました。
明治20年代になると、工場生産となり、ミシンも導入され飛躍的に生産量が増加しました。
行田で足袋製造が発達した理由は色々説明されていますが、綿栽培の発達とその糸を使った「青縞」と呼ばれる小巾の綿布が特産であり、それが足袋用の布として利用できたこと。藍染が盛んであったことなどです。
(同)』

コーナーの作り自体が足袋屋の店先を思わせる造作で、写真や実物のミシンなどでわかりやすく説明されていましたが、行田が足袋の町だとは露ほども知りませんでした。
次が”古代の歴史”で、これはさきたま古墳などで有名すぎるほどでしょう。

『行田市は、低地で水位が高い地形をしています。さらには、古くより地盤沈下をおこしている地域で、古代の人々が暮らした地表は深い所で1m以上もの地下から遺跡として発見されます。
中でも特徴的なものは、池上・小敷田遺跡で発見された弥生時代の住居、墓などで、この地方に米作つくりが伝えられた当時の様子を伝えてくれます。
市内には、埼玉古墳群を初め15ヶ所の古墳群が確認されており、この点においても周辺の地域と比べ際だった特色を持っています。
これ以後も、古墳から寺の造営へ、役所の建物の建設、文字の普及、万葉歌四首など時代の移り変わりを示す遺跡遺物が、市内から数多く発見・調査されています。
(同)』

ここにも土器などの展示もありますが、ここはやはり【さきたま史跡の博物館】で鉄剣を含めた出土品を見て置くべきでしょうね。

ここまでが通常の常設展示室でここから先は三階櫓常設展示室と企画展示室に分かれます。
まずは、三階櫓常設展示室に向かい、三階櫓の2階展示室です。テーマは”忍城と城下町”です。

『忍城の城下町は、東に鳥のくちばしのように伸びた形をしており、城の外郭防衛線の中に、町家や武家屋敷が配置されていました。
城下町は各時代に拡張整備されてきましたが、特に阿部忠秋が忍城に移ると、忍城の大改築が始められ、孫の正武の代、元禄15年(1702)頃になりようやく完成したといわれます。
享保年間(280年ほど前)頃の町明細』図によれば、忍城大改築のため大工などの建設関係の職人さんの多い町でした。
天保・弘化頃(約170年ほど前)の町明細図では、約一割が足袋関係の職業で、この時からすでに足袋の町であったことを知ることができます。
(同)』

ここにある様々な絵・図の中に真観寺もあり、その前の道が旧日光街道だと知りました。
そして、三階櫓の3階展示室は”近・現代の行田”です。

『明治4年7月の廃藩置県により忍藩がなくなり、忍県になり、さらに同年11月には最初の埼玉県に合同していきました。
わずか4ヶ月でしたが、忍県が置かれ、かつての忍城二ノ丸にあり殿様ご住居と呼ばれた建物が県庁にあてられました。
明治22年に成田町、行田町、佐間村とその周辺が合併して忍町が誕生しました。 この忍町の時代はまさに足袋に象徴される時代で、足袋は終戦後の需要減まで、行田の町を支えた基幹産業でした。
昭和24年に市制を施行し、行田市となり、以来周辺の村と合併を重ね、今日の市域を形成していきました。
(同)』

おもに明治~昭和における写真展示で、最後に4階の最上階にあがり展望を楽しみますが、構造上視界はあまりよくありませんでした。
聖徳太子立像と例大祭 【三階櫓最上階の眺望】
最後に企画展示室に立ち寄り”むかしのくらし”と題された小学3年生の郷土学習授業に対応した巡回用展示を見て博物館をでました。

博物館を出ると右手がアートギャラリーとありますのでそちらの散策路へ向かいます。
まず目に付くのは斜め左に鐘楼があります。復元された鐘楼ですが鐘自体は先ほどの博物館に実物が展示されていて、ここにあるのはレプリカです。
聖徳太子立像と例大祭 【復元された鐘楼】
右手には大きな石碑があります。 これには”受賞記念”とタイトルがあり「都市景観大賞」と「さいたま景観賞」を受賞しているようです。どちらにしてもこの忍城址周辺の景観が優れていることを誇っています。
聖徳太子立像と例大祭 【受賞記念碑】
そのまま進むと先ほど中から登った三階櫓が見えます。近くに由来書がありました。
聖徳太子立像と例大祭 【公園内東屋と散策路】


忍城の由来
忍城は文明十年(一四七八)頃、成田顕泰により築城された「守り易く攻めにくい」難攻不落の名城であったと伝えられている。
天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉の関東平定の中で戦われた石田三成による忍城水攻めにも耐えこの城は水に浮くのかと恐れられ「忍の浮城」とも称されたという。
寛永十六年(一六三九)時の老中、阿部忠秋が入城し忍城大改築に着手。孫の正武の代にいたり忍城御三階櫓の建設、城門土塀の修築などが完成し面目を一新したという。
文政六年(一八二三)伊勢の桑名から松平忠堯が移封し忠誠のとき明治維新を迎えた。
市では維新後にとりこわされていた城郭の面影を再建し永く後世につたえることになった。
平成三年三月 行田市』

このように再建されたのですが、現実的には外観や構造に根拠はなく位置も史実とは異なっているそうです。
ですから復元というよりはモニュメントととして見るべきかもしれません。
聖徳太子立像と例大祭 【忍城モニュメント】
ぐるっと三階櫓を廻って行くと門があります。
聖徳太子立像と例大祭 【伝進修館表門】


伝進修館表門
この門は、行田市城西の旧芳川家表門を移築・復元したもので、かつての藩校「進修館」の表門であったと伝えられている門です。
一間一戸、高麗門、切妻造、桟瓦葺で、当初は赤彩された赤門であった可能性も指摘されています。また、解体時に発見された冠木柄表面の墨書銘から、天保三年(一八三二)に御奉行後藤五八、大工町世話方大工宋兵衛等によって建立されたことが判明しています。
戦災によって一度移築されていることなどから、藩校「「進修館」の門であるのかは確定していませんが、現存する行田市唯一の武家屋敷の表門として貴重な歴史的建造物であると言えます。
平成十八年三月 行田市教育委員会』

実際に本物であれば市指定にでもなるのでしょうが残念なことですね。
ここからはもう駐車場に戻りました。
行田の歴史を垣間見て帰路に着くことにしました。

最後に大事な事を忘れていました。リベンジとお土産です。
リベンジは水郷公園のゼリーフライです。以前、食したときは胸焼けがおさまらず往生した経験があり、今度は店を代えて食べようと考えていました。 そこで前回目をつけていた水郷公園のゼリーフライにリベンジです。
聖徳太子立像と例大祭 聖徳太子立像と例大祭 【水郷公園のゼリーフライ店とゼリーフライ】
前回は袋に入れられていましたが、今回は割り箸がさしてあります。食してみると「旨い」ではないですが。以外とサッパリしているモンですね。以前は食べた瞬間脂ぎっていましたから。
行田の”ゼリーフライ”・・・「旨かったです、美味ですね」

帰りがけにこれぞお土産、十万石ではなく「鉄剣せんべい」!
聖徳太子立像と例大祭 聖徳太子立像と例大祭 【まんまの、鉄剣せんべい】
行田で鉄剣と言えば、ズバリ”国宝・金錯銘鉄剣”ですね。せんべいの袋には国宝・金錯銘鉄剣の説明と、鉄剣に彫られた文字が印刷されています。これって著作権って・・・!? でも、名前だけでなく結構イケルせんべいでした。
そんなこんなで2回目の行田大散歩も結構楽しめました・・・ですね。

2009.02.27記

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