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金鑚神社

先日訪れた【本庄まつり】の例大祭は”本庄の金鑚神社”でした。
本庄児玉インターから国道462号線で城峯公園へ向かう途中に、同じ名前の「金鑚神社」があります。
こちらは”神川町の金鑚神社”です。比較的近いところに同じ名の神社ですが、特別由来があるわけではなさそうです。
因みに金鑚の語源は、砂鉄を意味する「金砂(カナスナ)」に求められ、神流川周辺で、刀などの原料となる良好な砂鉄が得られた為と考えられています。カナスナ(金砂)が訛り、金佐奈(カナサナ)となり、今日では「金鑽」と書き、「かなサナ」と読むようになったそうです。サナの漢字も「鑽(貝の上の字が先)」から「鑚(貝の上の字が夫)」を使うようになったとのことですが。

手前に「金鑚大師」があり、それを過ぎると大きな鳥居のある「金鑚神社」が正面に見えます。もう紅葉の季節で鳥居脇の紅葉が真っ赤に色づいていました。
金鑚神社 金鑚神社 【金鑚神社大鳥居と紅葉】
車でそのまま鳥居を潜り参道をしばらく行き左方向にある駐車場に駐車しました。 駐車場の左側は金鑚清流公園で、石垣などで綺麗に造園されていて神社の雰囲気と実に旨くマッチしています。
金鑚川 の源流の自然を生かし、三波石を豊富に使用したこの公園の見どころは、 6~7月にかけての紫陽花や、11月頃の紅葉だそうで、確かに紅葉は美しい限りです。
金鑚神社 【清流公園】

そして、駐車場から参道を歩いてすぐ、右手に多宝塔がある・・・はずなのですが。
な、な、なんと修復工事中。一面に工事用シートが掛けられて全く見ることが出来ません。
金鑚神社 【残念ながら工事中の多宝塔】
案内板にはこう記されています。

『金鑚神社多宝塔
所在地 児玉郡神川村二の宮
金鑚神社の境内にあるこの多宝塔は、三間四面のこけら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられた二重の塔婆である。
天文三年(一五三四)に阿保郷丹荘の豪族である阿保弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文三甲午八月晦日、大檀那安保弾正全隆」の墨書銘がある。
この塔は、建立時代の明確な本県有数の古建築であるとともに、阿保氏に係わる遺構であることも注目される。塔婆建築の少ない埼玉県としては貴重な建造物であり、国指定の重要文化財となっている。』

そしてこの案内板の隣に工事用看板が立てられています。

『工事名:重要文化財 金鑚神社多宝塔保存修理工事
工期:平成20年7月1日~平成20年11月30日
発注者:宗教法人金鑚神社 宮司 金鑚和夫
指導:文化庁・埼玉県・神川町
設計監理:財団法人 文化財建造物保存技術協会
施工者:株式会社児島工務店』

何と11月30日で工事完了ですか。あと1週間遅ければ見れたのですね、とっても残念です。
ですが、ある意味では大変ラッキーなんです。恐らく特に国指定の重要文化財などの修復工事などというものは、そう年中あるわけではないので、こういった光景を見られたのはある意味大変な遭遇かも知れないのです。(と、いつもこうして自分を慰めている?)
多宝塔自体はまた、いつでも見られるのですから、こんなシートを被った多宝塔の写真など滅多に撮影できるもんじゃないですからね。 ということで、気持ちの整理がなかなかつかない状況で撮影した多宝塔の一部分!!・・・(自己嫌悪)
金鑚神社【多宝塔の僅かに見える尖塔】

気を取り直して参道を歩くと、参道はイチョウの黄色で引かれた絨毯のようでした。
まさに紅葉真っ盛り、次々に落ちてくる落ち葉を清掃している方も大変そうで、「いくら掃いても終わらないでしょう」と家内が声を掛けると、「まあ、しょうがねえよ」と笑っていました。
金鑚神社 【紅葉の絨毯!?】
社務所を過ぎると小川に掛かる赤い欄干の橋があり、その奥に鳥居が見えます。 赤い欄干の橋のところに着くと、右手に「皇族下乗」とかかれた立て札とその奥に注連縄をつけた銀杏の木があります。
これが案内図にあった「旗懸銀杏」で、この神社の御神木だそうです。後から知ったのですが、1062(康平5)年、奥州を平定した源義家が、その帰途に植えたものと言われているのですが、現在のイチョウは2代目だそうです。
しかし、「皇族下乗」の立て札は未だに意味が判りませんが、ここで皇族の方が馬に乗ったり降りたりした・・・等と言うことではないでしょうね、多分。
金鑚神社 金鑚神社 金鑚神社 【皇族下乗高札・三の鳥居・旗懸銀杏】
そして金鑚神社の案内板があります。

『金鑚神社
所在地 児玉郡神川村二の宮
 金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社である。むかしは武蔵国二の宮とも称された。地名の二の宮はこれによっている。
 社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打石を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素盞嗚命を祀ったのが始まりとされている。
 鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が厚く、近郷二十二カ村の総鎮守として祀られていた。江戸時代には徳川幕府から御朱印三〇石を賜り、別当の一乗院とともに栄えた。
 境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときのものという伝説の遺跡”駒つなぎ石””旗掛杉””義家橋”などがある。  なお、この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体としている。旧官・国幣社の中で本殿がないのはここのほか、全国でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。』

もともと武蔵国二の宮とも称されただけに由緒正しい神社だそうです。
日本武尊の時代を起源としているだけに史跡も多くあり、かつ本殿がなく社殿は拝殿のみという古い祭祀形態の神社も日本でここを含めて3ケ所だけという珍しい神社であるそうです。更に、小野神社(東京都多摩市一之宮)、二宮神社(東京都あきる野市二宮)、氷川神社(さいたま市大宮区高鼻町1丁目)、秩父神社(埼玉県秩父市番場町)、杉山神社(横浜市緑区西八朔町)とこの神社を含めて武州六大明神といわれているそうです。
因みに”駒つなぎ石””旗掛杉””義家橋は判らなかったです。

赤い橋を渡り3番目の鳥居を潜っていよいよ境内に入りますと右側に椿の古木があります。
金鑚神社 【古木 椿】

『古木 椿
郡内最古樹令六百年以上
藪椿の古木で幹回り一米八十糎
昔当社と児玉町宮内の若(若干判読不明)宮神社の祭神が姉妹で喧嘩をして椿の枝で妹を打ったので、以来当社に椿が多く宮内には椿がない
あま、あま、と呼んで打ったので町の境の坂の名を「あまが坂」と呼ぶ』

歴史感と妙に生活感のある不思議な由来の椿です。 余程生命力の強い樹なのでしょう、600年以上も経過しても枯れてはいないようです。
残念ながら「あまが坂」とは、どこにあるのか地図で調べましたが判りませんでした。
それにしても色々歴史を感じさせるものが数々あるのですね、この神社は。

椿の古木を過ぎると正面に神楽殿、左側に手水舎、そして右側に拝殿が配置されています。この拝殿は1903(明治36)年改築したものだそうですが、なかなか綺麗な拝殿です。
金鑚神社 金鑚神社 金鑚神社 【左:手水舎、中:神楽殿、右:拝殿】
そして拝殿の右手には神様にお供えする供物を調理するための建物である神饌所と神庫(くら)があります。
金鑚神社 【神饌所(左側)と神庫】

通常、拝殿の後ろには本殿があり、拝殿と本殿を結ぶところに幣殿があり、これが一つの建物になっている場合権現造りと言われ本庄市の金鑚神社などはこの形式です。そして当然本殿の中に御神体が安置されています。ですが、こちらの金鑚神社は、先の説明でもあったとおり、拝殿の後ろに荘厳な扉と垣があるだけです。
つまり、標高300mの御室山(案内板では御室ヶ嶽)を神体山として仰ぎ見て拝む古神道(原始神道)の形態を残しているのです。所謂、自然崇拝に近い信仰なのでしょう。
金鑚神社 【拝殿と本殿の扉・垣】

そして、扉の奥の神域とされる部分は約0.75haで、周辺をあわせて約3haが神の鎮座する典型的なシラカシ林である神奈備山として崇拝の対象となっているそうです。 このシラカシ林は山に続く傾斜地に広く成立していて、この高木林と山の尾根筋に隣接するヤマツツジなどの群落を含めて、環境庁編の『日本の重要な植物群落 南関東版』にも紹介されているそうです。
金鑚神社 【本殿の扉・垣とシラカシ林】

神体山である御室山を背後に荘厳な本殿扉と美しい拝殿、さらに紅葉の赤や黄色が混じってなんともいえない美しさです。歴史ある神社仏閣は秋や冬の凛とした空気が似合うような気がするのですが、いかがでしょうか。
せっかく来たのですからお賽銭を上げて、家内安全を祈願しました。

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