御嶽山と鏡岩

参拝を済ませてからは、御嶽山に向かいます。境内の左手方向に進むと、御嶽山へ登る道があり、ここにも黄色い絨毯を敷いたように紅葉が美しい限りです。
金鑚神社 金鑚神社 【御嶽山入り口と案内板】
そこに鏡岩の説明板があります。

『御嶽(みたけ)の鏡岩(かがみいわ)
所在地 児玉郡神川村大字二の宮
鏡岩は、ここから約四百メートル登った御嶽山の中腹にあり、約三十度の傾斜をもった岩面が、幅五メートル、高さ九メートルにわたって赤褐色に光り、わずかの日射でもにぶく輝いている。地質学的には”紅鉄変岩スレ肌”という約九〇〇〇万年前の岩断層活動の跡とされ、断層面ができるとき強い摩擦力で岩面が鏡のように磨き上げられたものとみられ、摩擦方面に斜めに幾本もの筋が走っているのがわかる。貴重な地質学資料として、昭和三十一年に国の特別天然記念物に指定されている。
また、伝説によると高崎城(群馬県)が落城したとき火災の炎が明るく映ったと伝えられ、また月の光に反射し敵の目標になることから、松明でいぶしたので赤褐色になったとも伝えられている。
この山は標山五百五十メートルあり、尾根続きには御嶽城跡のある城山もあって、周囲の眺望にすぐれ、神流川、利根川沿いの北関東を一望できる。
昭和五十三年三月 神川町』

400メートルと知ってグッと構えてしまったのですが、やはり登らざるをえないでしょう。折角来たのですからと、ゆっくり歩き始めました。天気も良く紅葉の季節で三連休ですから、もう少し人がいるかなと思いましたが、それ程多くなくのんびり散策ができます。

鏡岩の案内板の反対側には、「鏡岩・句碑の丘」と彫られた石碑がありました。そして、その隣に芭蕉と書かれた句碑があるので、芭蕉が訪れて読んだのでしょうか。また、その次には”・・・彩の国”と読まれた句碑があり、前の土屋埼玉県知事の句でした。
金鑚神社 金鑚神社 【芭蕉(左)と土屋・前県知事の句碑】

そしていよいよ出発してまもなく道は二股となります。どちらも御嶽山コースと書かれていますが、右は”鏡岩・見晴台・御嶽城跡”とあり、左は”蓮池”とあります。真ん中に”日本武尊”の石像があります、とりあえず鏡岩の右のコースを進みます。
金鑚神社 【”日本武尊”の石像と分かれ道】

かなりの階段数ですが、きちんと整備されており、更に路面がクッションになっているので大変歩きやすいです。ここまで整備されているのも珍しいかもしれませんね。回りはシラカシ林(?)でうっそうとした感じですが、時折陽射が入り込んで、所謂、都会の喧騒を忘れさせてくれるといった風情でしょうか。実に良い感じではありますが、夏はさすがに避けたい気がします・・・。
金鑚神社 【シラカシ林】

階段を上がっていくと右側に一定間隔で句碑が並べられています。年代や形、大きさは様々ですが、読まれた句が石に彫られています。かなり年代が経過していて殆ど読めない句碑もありますが、かなり壮観です。 本庄市の誰々、とか神川村の誰々とか書いてありますので、一般の方の句碑だと思いますが、どのような基準で、どのような仕組みで句碑が配置されているのかわかりませんが、結局鏡岩近くまで続いていますのでかなりの数(100以上はあるでしょう)でしょう。こういうのが好きな方は一つ一つ読みながら登るのも一興かと思いますね。
金鑚神社 【ずっと続く句碑】

歩き易いとは言え所詮階段、坂道には変わりなく、オッサンには少々疲労感が出てきたところで左手に錆びた鉄柵が現れました。ここからほんの少し登ると鏡岩に到着です。この鉄柵は鏡岩に入れないようにする鉄柵でした。
ここにも鏡岩の案内板があります。

『御嶽の鏡岩
昭和三十一年七月十九日 国指定特別天然記念物
 御嶽の鏡岩は、約一億年前に関東平野と関東山地の境にある八王子構造線ができた時の岩断層活動のすべり面である。岩面の大きさは、高さ約四メートル、幅約九メートルと大きく、北向きで約三十度の傾斜をなしている。岩質は赤鉄石英片岩で、赤褐色に光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯び、表面には岩がずれた方向に生じるさく痕がみられる。岩面の大きさや、断層の方向がわかることから地質学的に貴重な露頭となっている。
 鏡岩は古くから人々に知られていたようであり、江戸時代に記された『遊歴雑記』には、鏡岩に向えば「人影顔面の皺まで明細にうつりて、恰も姿見の明鏡にむかふがごとし」とあり、『甲子夜話』にも同様の記述がある。また、鏡岩がある御嶽山の一帯は、中世の山城である御嶽城跡が所在することでも知られているが、鏡岩が敵の目標となることから、城の防備のため松明でいぶしたので赤褐色になったという伝説や、高崎城(群馬県)が落城した時には火災の炎が映ったとも伝えられている。このように鏡のように物の姿を映すということから、鏡岩といわれるようになった。
平成九年三月 神川町教育委員会』

境内の案内板は昭和に神川町が、上の案内板は平成に神川町教育委員会が設置したものですが・・・ここは突っ込むのはよしましょう。「約一億年と約九千年の千年の誤差は?」とか。
赤褐色には見えませんでしたが、確かに光沢を放っています。それに確かにさく痕も見られます。自然のなせる技とでもいうのでしょうか。一度は見ておいて損はないでしょう。 因みに三十度の傾斜の下に小さい石仏とお札があるのですが、何か意味のあるものなのでしょうか。
金鑚神社 金鑚神社 【左:鏡岩、右:鏡岩の下にある石像とお札】
神社からずっとそうなのですが、ここは実に謎の多い史跡です。後でまとめて尋ねてみることにしようと思います。

鏡岩を見終わって見晴台に向かいます。後0.15Kmという立て札と、後0.2Kmという立て札がすぐ近くに立っています。50m差ですから、ほんの僅かですがオジサンには結構大きな差で・・・五十歩百歩というわけにはいかない事情もあります。そこで、ここは最後の頑張りをみせなければと思うのですが、ここから階段が急になっているという不安材料もあります。

なんとかかんとか見晴台に到着しました。 家内は足がパンパンのようで、とりあえず休憩です。東屋と小社があります。回りには多くの石仏があります。
金鑚神社 金鑚神社 【左:見晴台にある東屋と小社、右:石仏群】
石仏の案内板が掲げられています。

『御嶽山の石仏群
武蔵二の宮金鑚神社の神体山である御室ケ嶽の南に連なる御嶽山(標高三四三m)周辺には、かつて本山派修験聖護院末法楽寺の回峯行場があり、「袖すり岩」「胎内くぐり」と呼ばれる場所が現在でも残っている。石仏は、現在七十余体を残すのみであるが、当初はこの一帯に八十八体配置され、弘法大師巡錫の遺跡である四国八十八ケ所の霊場を模したようである。
巡礼は、江戸時代にもっとも盛んに行われた。亡くなった親や子を弔ったり、重病や眼病を患う者には特に巡礼が勧められた。御嶽山の石仏の中にも、肉親の菩提を弔うものがある。
これらの石仏は、その銘文からほとんどが近辺の武州・上州の人びとから寄進されたものであるが、中には遠く江戸から寄進されたものもある。
法楽寺は、明治維新の神仏分離令により廃寺となる。石仏は、明治末期に御嶽山東の観音山に移され、ここでも毎年盛大な祭りが行われた。その後、大正初期頃現在の地に移されたようである。
石仏に関する地名は、御嶽山周辺に現在まで多く残っている。弁慶岩の下東には、地蔵石仏の安置されていたといわれる「地蔵穴」と呼称する岩穴がある。また、御嶽山の北西部麓に落ちる滝は、不動石仏が祀られているので「不動の滝」と呼ばれる。御嶽山頂の不動石仏は大不動といわれ、その前の石組は護摩壇であり、かつて修験者により紫灯護摩が修行された場所である。
平成二年三月 神川町教育委員会』

この見晴台の周りにも結構な数の石仏があります。70体以上あるのでしょうか。 ちょっと雑然と設置された感じで壮観さはありませんが、古の空気を漂わせている感じです。

小社の近くに道標があり、ここは「岩山見晴台」で、左手奥を差す道標に「弁慶穴」と書かれています。 石仏群の説明にある「地蔵穴」と呼称する岩穴のことを「弁慶穴」と言うのか、それとも全く別な由来なのかわからぬまま、「弁慶穴」を覗いて見ました。確かに”穴”です。”マルコビッチ”ではなく”弁慶”ですが、それでどうしたと言うところです。 実に謎が多いのは先にも述べたとおりです。
金鑚神社 金鑚神社 【弁慶穴道標と弁慶穴】
更に、岩山展望台とあるのに実に眺望が悪いです。樹の影からほんの少し遠景が見える程度です。折角階段などきちんと整備されているのに、ここだけ樹が生え放題で眺望が悪いのとは、ちょっとがっかりでした。
後に判ったことですが、「岩山見晴台」と書かれた板の形が⇒になっていて、奥に進むよう記された案内だったようです。⇒の矢の部分が樹に隠れていたので、てっきり□(長方形)の板に「岩山見晴台」と書かれていると思ってしまったようです。この場所は鞍部というそうですね、見晴台ではなく。なんとも実にカッコの悪い話でした。

ちょっとした疲労感もあり降りることにしました。
鞍部から戻ると三叉路なっていましたが、何の思慮も無く右側の登ってきた階段を下りていきました。 これも後から知ったのですが、三叉路の真ん中は御嶽山の山頂に向かう道で、左側は蓮池に向かう道だったようです。
てっきり見晴台が頂上と思い込んでいましたし、蓮池のことはすっかり忘れていました。更にその頂上に御嶽城跡が有ったらしいのですが。まあ、左手の蓮池方面の道を行けば、また戻ることになるので、せめてこちらの道を行けば良かったかなと思っています。
いつものことですが、また予習の大切さを知らされました。何度しくじっても懲りないのですが・・・

歴史と自然を味わえる金鑚神社と御嶽山はちょっとした一時を過ごすにはかなり精神的によい場所です
ちょっとストレスが溜まった時など、癒し空間としては最適なのではないかなと思います。また、春夏秋冬、それぞれの顔が見られる場所として一年中楽しめるのではないでしょうか。機会があれば、暖かい春にでも訪れたいものです。

最後に社務所に寄りお札を購入しました。勿論、交通安全のお守りです。
そして、一気に数々の謎を解こうとお聞きしようとおもったのですが、かなり年輩の宮司さん(?)らしく、お札に名前を書いていらっしゃり、大層お忙しそうだったので、お札だけいただき金鑚神社を後にしました。
ですが、見れなかった多宝塔、見晴台、山頂、そして数々の謎の解明に、必ずまた訪れようと思っています。

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