巾着田の曼珠沙華

「水天の碑」から先に進むと「高麗川」突き当たります。
「高麗川」は埼玉県南西部から中部にかけて流れる荒川水系の一級河川です。飯能市、秩父郡横瀬町、比企郡ときがわ町の境である苅場坂峠付近に源を発し、南川と北川が合流して高麗川と呼ばれるようになります。その後、飯能市、日高市、入間郡毛呂山町を流れ、その間に長沢川、宿谷川などを合わせ坂戸市で越辺川に合流する越辺川支流ということになります。
「水天の碑」にもあったように昔から増水によって鉄砲水になりやすい川だったそうです。

その高麗川に造られた堰が見えます。堰で遊んでいる人や、堰を伝わって向こう岸に行く人など大勢います。
高麗川の堰
その堰の中に「鹿台堰魚道」と呼ばれる魚道があります。
鹿台堰魚道
魚道とは魚が堰の上流に上がれるように造られた水路でことで、産卵の為等に魚が上がっていくことで、川の魚を増やしていく為にも重要なものだそうです。こういった上流の川ならではのものなのでしょうね。

川を越えると巾着田です。地元では川原田と呼ばれているようですが、文字通り高麗川に囲まれた形が巾着のようなことから巾着田と呼ばれるようになったそうです。
曼珠沙華
その巾着の形の高麗川沿いを歩いていくと既に「曼珠沙華」が咲き誇っています。
途中、そそられる売店があったので10時のおやつ代わりに一つ賞味してみました。
巾着田 栗入りまんじゅう しゃげ
名付けて「巾着田 栗入りまんじゅう しゃげ」というなんとも洒落(駄洒落!?)の効いたまんじゅうです。栗も日高市の名産だそうなので、地元の特産を賞味してみました。
特別どうということはありませんし、かといって不味くもありません。まあ、話のネタに買ってみても良いかもしれませんね、程度です。

河原沿いからちょうど巾着の袋の内側のような中に入ってみるとそこはコスモス畑でした。
コスモス畑
まだ満開とまではいかないまでも、かなりのコスモスが開花していてとても美しい光景です。コスモスの周りには真っ赤な「曼珠沙華」が土手沿いに咲いていて綺麗なコントラストを表現しています。
春には一面菜の花が咲き揃うようで、いずれは一年中楽しめるようになるのでしょうね、夏はひまわり、冬はスイセンとか・・・

遠くに見える山は日和田山です。
日和田山
標高305.1mで日高のシンボルとして親しまれているそうで、頂上には宝篋印塔があり、ハイキングコースも整備され、眺望も抜群だそうです。

その先に入場ゲートがあります。
入場口入場口
正式には「巾着田曼珠沙華公園」というそうで、チャンスンをイメージした標柱です。

2005年からは入園料をとるようになったとかで、200円払って入場します。
チケット

入場した途端”息を呑む光景”とはこのことをいうのですかね。
一面の曼珠沙華一面の曼珠沙華
一面真っ赤な絨毯が敷き詰められたような光景で、いわゆる「レッドカーペット」!
観光客もかなり多く歩くのもかなりゆっくりした歩調です。まあ、それにしても見事の一言で感動の嵐です。

10分ほど歩き感動も徐々に薄れてくると人間、非常にワガママなもので一面真っ赤のレッドカーペットに飽きてきます。すると人間というのは実に勝手なもので、当然あるべきものとは異質の物を見たい欲望に駆られます。

そういった人間の本能を満たしてくれる一つがこれです。
白い曼珠沙華白い曼珠沙華
アルビナとも思える「曼珠沙華」です。
こんなものでもやはり目を引くのでしょう、カメラマンや見物客がどっと立ち止まって、写真を撮ったりじっくり眺めたりで、更に歩みがのろくなります。
近くのご婦人が「色づきが遅い花なの」と仲間に説明していましたが、どうやら違うようで、このような白い種の曼珠沙華のようです。
などと言った会話を楽しんでみても、それに目を奪われているのも5.6分が限度で、結局また先に進むことになります。

するとまた人間の欲求は留まることを知らず、この怠惰(そこまで云う事はないでしょうが)な日常から抜け出す目標をキャッチします。
それが地面からではなく木から生えているという、一応珍しい!?・・・「曼珠沙華」です。
木の上に生える曼珠沙華

ここでもまた、カメラマンや見物客などが立ち止まっています(結局私も同じことをしているわけですが)。
単調な光景も勿論、裏を返せば見事な光景がずっと続いているという違った意味での絶景でもあるのですが、どうにも私的に飽きっぽい性格なもので・・・
ま、結局ここでも2.3分のプチ感動を得ただけで、更にのっそりと歩み始めます。

ちょうどこのあたりが真ん中くらいで、曼珠沙華の早咲きのエリアのようです。
案内板早咲きエリアの曼珠沙華

ヒガンバナ(曼珠沙華)群生地
巾着田周辺の高麗川の岸辺は、ヒガンバナの群生地であり、その規模は長さ約600m巾約50mにもわたり、全国的にも最大級のものといわれています。
群生した成因の定説はありませんが、種を付けず球根で増える性質のものであるため、一般的に河原にあるヒガンバナは、上流部から流されてきた球根が自生して群落をなすといわれています。また畦道に植えられたものが、洪水のたびに流出して現在の群生地をなしたものと考えられます。
この周辺は秋の彼岸のころになると周囲一面が真紅な色で染められ、ニセアカシアの林の緑と高麗川の清流とが相まって、美しさをいっそう引き立ててくれます。そして、冬になると葉が出て光合成がおこなわれ養分を蓄積し、次の開花に備えます。
地方の俗名が多く、50余りの方言がありますが、「ヒガンバナ」の語源は、秋の彼岸の頃に花が咲くことにより、また「曼珠沙華」は赤花を表す梵語によるものです。
日高市・日高市観光協会』(現地案内板より)

本書の説明の原文となったものででしょう。
「ヒガンバナ」とはヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草で、全草有毒な球根性植物です。
全草有毒ではあるのですが特に鱗茎にアルカロイド(リコリン)を多く含んでいるそうで、誤食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にいたる場合もあるそうです。
日本には、中国からの稲作の伝来時に土と共に鱗茎(球根の6分類の中の1つでタマネギ状の球根)が混入してきて広まった帰化植物(人為的な手段で持ち込まれた植物のうちで、野外で勝手に生育するようになったもののこと)であると言われ、土に穴を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み、あぜや土手に植えたと考えられているようです。道端などに群生し、9月中旬に赤い花をつけますが、稀に白いものもあるそうです。
生長の仕方は独特で、夏の終わりから秋の初めにかけて、高さ30 - 50cmの花茎が葉のない状態で地上に突出し、その先端に5 - 7個前後の花がつきます。
開花後、長さ30 - 50cmの線形の細い葉をロゼット状に出すのですが、翌春になると葉は枯れてしまい、秋が近づくまで地表には何も生えないようで、開花期には葉がなく、葉があるときは花がないという珍しい花なんです。
白のほかに黄色の変種もあるようです。
このように球根で増殖するのは非常に年月のかかることかもしれませんが、小動物たちが荒らせないということも増殖する一つの要因なのかもしれませんね。

名前のついては説明の通りの由来が一般的なようですが、別な説では、これを食べた後は「彼岸(死)」しかないという意味からとも言われているようです。
別名の「曼珠沙華」は法華経などの仏典に由来するのですが、天上の花という意味も持っているようなので、相反しているとも言われています。
また、仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」であるので、ヒガンバナの外観とは似ても似つかぬものであるとも言われているそうです。いづれにしてもすべてがこじ付けでしょうから、何とでも言えますよね。
また、別名については確かに多いようで、50余りどころか1000を越えているようです。

参考:【熊本国府高校サイト内・ヒガンバナの別名】 http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/sizen/higan_name.html

面白いところでは、「死人花(しびとばな)」、「地獄花(じごくばな)」、「幽霊花(ゆうれいばな)」、「剃刀花(かみそりばな)」、「狐花(きつねばな)」、「捨子花(すてごばな)」、「はっかけばばあ」などと、どちらかといえば日本では不吉であると忌み嫌われることもあるようです。
一方、韓国では「相思華」とも言い、彼岸花が花と葉が同時に出ることはないから「葉は花を思い、花は葉を思う」という”すれ違い”といった意味の切ない感情を表したりしているそうです。
このように「ヒガンバナ」については単に花の美しさを見るだけでなく、由来や名前、性質などにも興味を引く花なんですね。

とは言ったものの一面のレッドカーペットはまだまだ続くようなので、一旦休憩です。
休憩エリアの露店
中央に模擬店がたくさん出店されています。目ざとく家内が焼き芋を2本買ってきました。

ちょうど小腹もすいたのでぱくりと食べてしまいましたが、若干満腹感が得られないので、結構人だかりができていた「巾着田おやき しゃくし菜」があったので買ってみました。
巾着田おやき しゃくし菜
しゃくし菜】は秩父郡小鹿野町の名産で、小鹿野町に行ったときに食し、お土産にも買ったもので、何となく懐かしい思いでした。
「まんじゅう」に「焼き芋」に「おやき」と今回は和風ジャンクフードでお腹を満たしてしまいました。たまにはこうゆうのも良いですよね。

ここからまた「曼珠沙華」群生地に戻ります。
ここからは10分ほどで群生地もそろそろ終わりかける場所で、遅咲きエリアになりますが、こちらも既に満開のようです。
遅咲きエリアの曼珠沙華遅咲きエリアの曼珠沙華
特にこの辺りには白い曼珠沙華が多いようです。

先にはうっすらと橋が見えます。「あいあい橋」という橋です。
あいあい橋

あいあい橋
この一帯は、高麗川が蛇行をしてできた巾着(布などで作る小さな袋)のような田園地帯であり、「巾着田」の愛称で人々に親しまれています。
「あいあい橋」は市民憲章に唱われている「いこいある緑と清流を愛します」の”あい”と「笑顔あるふれあいの轍を広げます」の”あい”に由来し、市政の基本理念である「ふれあい清流文化都市-日高」の実現を願って命名されました。
主部材に熊本県産の小国杉を使用し、この風光明媚な景観を損なわないように配慮された木製トラス構造となっています。
「あいあい橋」には、この貴重な自然と訪れる皆様方との橋渡し役となるよう思いが込められています。
平成8年8月 日高市』(現地「彩の国さいたま景観賞」プレート板より)

この「あいあい橋」は歩行者専用の木製トラス構造橋としては長さ91.2mの日本最長級だそうですが、日本一では無いのです。
あいあい橋
そして景観賞は1996年に獲得したようですが、木製がうけたのでしょうね、情緒ありますから。
「あいあい橋」にあがると左側には牧場が見えます。
牧場
2.3頭の馬がのんびりとした風景の中に溶け込んでいます。個人所有の牧場ですかね。

右側には公園の曼珠沙華と高麗川がまさに風光明媚な景勝地を形作っていて、非常に美しい光景です。
風光明媚な景勝地
自然を満喫するにはうってつけの場所でしょうね。

「あいあい橋」を渡ると突き当たりに「高麗郷民俗資料館」があります。
高麗郷民俗資料館高麗郷民俗資料館

開館の趣旨
日高市は、高麗川の清流に臨む、入間台地に位置しており、私たちの先人が住み村づくりをはじめたのは、遠く旧石器にさかのぼります。その間、厳しい自然と闘い、多くの苦難をのりこえて、今日にいたるまでその文化を継承してまいりました。近年は都市化が急速に進み、生活様式の変換を余儀なくされました。そこで、失われてゆく生産、生活用具の収集と保存につとめ、長い間人々の生活を支えてきた農業と林業そして漁労を再確認し、親しみを持っていただけるようにと、レイアウトしてみました。先人の歩んできた生活を見つめなおし、日高市のよりいっそうの発展へと目を向けてご覧ください。』(高麗郷民俗資料館パンフレットより)

主に一昔前の農業や林業にスポットをあて、実際の作業や道具などについて展示・説明がされています。
高麗郷民俗資料館高麗郷民俗資料館
もともとここは昭和37年に高麗公民館として竣工した建物だそうですが、昭和50年に高麗公民館が新館に移ったことにより、ここは民具の収蔵庫となったそうです。その後、平成3年に高麗中学のプレハブ校舎に民具を移して高麗郷門族資料館となっただけあって、民具には事欠かない位、多くの民具展示物がありました。
しかしながら、全くもって申し訳ない話なのですが、私的に民俗史はあまり興味を覚えないのですね、私。ですからここでも「フムフム」と判った振りして頭に残っていないのですね、知識が。 ということで、ここでは2階の展示室のベンチで休憩がてら過ごしてしまいました。大変失礼な話ですが・・・
十分曼珠沙華を堪能して巾着田を後にします。 次なる目的地は「高麗神社」です。

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