上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

高麗神社 #2

神楽殿に戻るともう狂言も終わりかけていました。
狂言
大人と子供の掛け合いの場面の最後の障りだけ見て終わりました。まあ、そんな文化に触れたということで良しとしておきましょうかね。

社殿に向かう前にちょうど神楽殿と参道と斎館に囲まれた真ん中に碑があります。
釈迢空の歌碑
これは先の「高麗神社の獅子舞」の案内板に書かれていた釈迢空の歌碑で
「『や万可介尓 獅子ぶえ おこ流 志々笛八 高麗の 武可志乎 思へと所 日々具』迢空。四月十四日 し々舞を見に来て」
と記載されているようです。

その後ろに妙な石というか・・・にまた妙な像が乗っていて。
木化石
「奉納 木化石」と記載されていますが、木化石とは木が化石化したもので、石炭や珪化木をいうそうです。木の化石なので、断面には年輪が見えることもあり、色は産地によって異なりますが薄いベージュから黄色のモノまであるそうです。
読んで字の如しですね。

そしてその後ろにある樹木が樹齢300年の「ひがん桜」です。
ひがん桜
『大宮の 御前のさくら さきぬらし 誰と共にか 君は見るらむ』 
国学者の權田直助氏の詠んだ歌が掲出されています。
彼岸と言いながら残念ながら季節的に全く逆の季節ですから、愛でることはできませんが、樹齢300年の老木に咲く桜もまた風流でしょうね。

ここからまた参道に一旦戻ります。そこに高麗神社の通称「出世明神の由来」が掲出されていました。

出世明神の由来
当社は遠く奈良時代元正天皇の御代高麗郡を統治した高麗王若光をお祀りした社で、創建より千三百年を数える関東有数の古社である。古来、霊験あらたかをもって知られ、高麗郡総鎮守として郡民の崇敬を受けてきた当社は、近代に入り水野錬太郎氏・若槻禮次郎氏・浜口雄幸氏・斎藤実氏・鳩山一郎氏等の著名な政治家が参拝し、その後相次いで総理大臣に就任したことから、出世開運の神として信仰されるようになった。近年では、政界・官界・財界を始め、各界人士の参拝が相次ぎ、特に法曹界では石田和外氏が最高裁判所長官、吉永祐介・北島敬介両氏が検事総長に就任された。
桜まつり 四月第二日曜日
例大祭 十月十九日
菊花展 十一月三日
高麗神社社務所』(境内案内板より)

まあ、めぐり合わせの妙といったところでしょうか。気になる方は参拝されたらいかがでしょうかね。

すっかり遅くなりましたが、これから参拝です。
社殿前に社殿入口の神門がありますが、この神門の扁額に「高」と「麗」の文字の間に、小さく「句」の文字が彫り込まれていることがわかります。
神門神門の扁額
これは明治末期に、当時の韓国政府閣僚・趙重應が奉納したもので、歴史上10世紀に成立した「高麗」と「高句麗」は全く別の王朝であることを区別するため「句」を入れたものだそうです。このあたりがパトリオットの熱いこだわりなんですね。

拝殿の前には参拝者が行列しています。
正月以外は余り見かけない光景ですが、やはり巾着田からの参拝者が多いからでしょうか。
社殿
行列に並んで参拝を済ませます。それ程大きくもなく、レトロでもなく、意外とスッキリしているので若干拍子抜けです。比較的新しく再建されたのでしょうかね。

社殿の隣の参集殿では”高麗郷文化フェスティバル”の一貫として「高麗神社に伝わる文化財展」が開催されています。
今回は第8回として「江戸時代の朱印状改めと高麗氏」というテーマです。
当然ながら毎年一回開催され、1300年記念事業発足した平成14年から開催されている企画です。

第1回 「古代の高麗郡」  時代=古代 主な展示品=日高市所蔵の埋蔵文化財など
第2回 「高麗神社の獅子舞」 時代=江戸~現代 主な展示品=享保年間に再興された獅子頭など
第3回 「修験道と高麗家」 時代=近世 主な展示品=修験者の法衣と法具など
第4回 「高句麗と高麗郡」 時代=BC1~668と8C 主な展示品=広開土王碑拓本(模刻本)1面など
第5回 「三十六歌仙―受け継がれる信仰―」 時代=近世 主な展示品=三十六歌仙額など
第6回 「高麗氏の中世―武を棄てた在地領主のゆくえ―」 時代=鍍銀鳩榊彫文長覆輪太刀など
第7回 「広開土王碑―高麗神社所蔵本を中心として―」 時代=BC1~668 主な展示品=広開土王碑拓本(模刻本)全面(4面)など
と回を重ねて来たようです。

様々な寺社を巡ってくると多くの寺社で文化財として「朱印状」を持っているところが多いのですが、実際に見ることは今までできませんでした。当然、薄い紙一枚ですから保管・管理上の問題もあるでしょうから、おいそれと一般に見せるわけにも行かないのは重々承知していますが、今回はそれが生で観られるとあってかなりラッキーな気分です。

展示会場へ通じるアプローチには市内で出土された土器などが展示されています。
土器展示
いかにも手作り風の入口を入りパンフレットをいただき館内を順を追って見学します。
江戸時代の朱印状改めと高麗氏
最初に展示されているのが「高麗氏系図」です。
高麗氏系図
これは高麗王若光の長子家重から高麗家代々の名前が記されていて、霊廟を建てて若光を高麗明神として崇めたことや勝楽寺の創建の由来が書かれているそうで、日高市歴史資料指定文化財となっている貴重なものです。

そして、その隣に朱印状があり、これが初代将軍である徳川家康の朱印状です。
徳川家康の朱印状

大宮と高麗氏
高麗王若光の没後に建てられた霊廟は、高麗明神と崇められました。これが高麗神社の始まりで、若光の子孫が代々奉仕して今日に至っています。
高麗氏14代一豊の時代に「大宮」号を許され、江戸時代の末まで「高麗大宮大明神」「大宮大明神」「大宮」などと称されました。
高麗氏23代麗純が、大峯修行をして、初めて修験者になりました。それから約700年間、高麗氏は修験者として大宮の別当職を世襲しました。その別当寺の名を大宮寺(だいぐうじ)といいました。

徳川家康と大宮領
徳川家康は関東に入った翌年の天正19年(1591)に各地の寺社に対して領知の安堵と寄進を行ないました。大宮(高麗神社の古称)にも朱印状(寄進状)が与えられ、3石の領地が寄進されました。これが朱印地で、大宮領と称されました。
2代将軍秀忠以降の歴代将軍からも朱印状(継目安堵状)が交付されたので、大宮領は江戸時代の末まで保障されていました。

朱印状と朱印改め
朱印状とは、その名の通り朱色の印判が押してある書状のことです。朱印状によって、将軍は各地の寺社に領地を認めて、租税免除など一定の権利を与えました。
将軍の代替わりごとに新将軍による朱印状が交付されました。これを継目安堵状と言います。新将軍の朱印状を得るには、前将軍までの朱印状を確認する手続きが必要でした。この手続きを朱印状改め(朱印改め)と言います。
朱印改めは、将軍の威光に関わるので、手続きの方法、提出書類の書式等厳重なものでした。

大宮の朱印改め
高麗氏は、大宮の祭祀を司る別当(大宮寺)として、朱印改めを受ける必要がありました。
高麗氏に伝わる朱印改めに関する現存最古の記録は、享保2年(1717)の吉宗(8代将軍)襲職の際のものです。
江戸での手続きが必要であったのは、在所の新堀村の領主、大宮寺が属する本山派修験の江戸触頭、2名の朱印改奉行の計4ヵ所でした。
触頭の指示で朱印状の写しを複数作成し、最初に下調べを受けました。さらに、朱印改奉行のもとで下調べを受けました。その後、日を改めて習礼(予行演習)を行い、翌日に2名の朱印改奉行立会いの下で朱印状本紙の確認を受けて朱印改めの手続きが完了しました。
朱印改めの数年後に新堀村の領主を通じて新将軍の朱印状を受領しました。』(館内案内パネルより)

意外と面倒な手続きがあるもので、「朱印状の写しを複数作成・・・」とあるのも現在と違ってコピー機があるわけでもないので、半紙でも重ねて写し取ったのでしょうね。
朱印状の写し
これがその写しでした。

フロアの中央に家康以外の将軍の朱印状11通が展示されています。
家康以外の朱印状11通家康以外の朱印状11通

大宮の徳川将軍朱印状
高麗神社には、徳川家康をはじめ江戸幕府の歴代将軍から与えられた朱印状が12通伝えられています。
6代家宣、7代家継、15代慶喜は寺社宛に朱印状を交付していないので、家康以来全て揃っていることになります。これは朱印改めに臨み、時期に応じて虫干しをしてきた高麗氏の当主の努力の結果でもあります。』(館内案内パネルより)

このほか、大徳院の朱印状や様々な文書が展示されていましたが、中でもちょっと目を引いたのが「天保小判」とか・・・!!!!。
天保小判

或いは、御朱印櫃、御朱印御用札、御朱印箱の御朱印豪華3点セット・・・!!!!。
御朱印櫃、御朱印御用札、御朱印箱の御朱印豪華3点セット御朱印櫃、御朱印御用札、御朱印箱の御朱印豪華3点セット
朱印状を江戸まで運ぶ時に使われた、朱印状を入れる箱と運ぶ櫃ですが、札の使用方法はわからないようですが、「頭が高い」みたいなものですかね。
実に貴重なものを見ることができ、良い経験となりました。

一渡り境内を見て回ったので、次に境内のおくにある「高麗家住宅」に向かいます。
境内を抜けたすぐ左側に「なんじゃもんじゃの木」と書かれた樹木が植えられていますが、一体何?
なんじゃもんじゃの木

季節の花300】サイトによると、

『明治時代、東京の青山練兵場(今の明治神宮外苑)の道路沿いにこのなんじゃもんじゃがあり、名前がわからなかったので「何の木じゃ?とか呼ばれているうちにいつのまにか「なんじゃもんじゃ?」という変わった名前になってしまった。(おもしろい♪)
「何でふ物ぢゃ」→「なんじゃもんじゃ?」
「なんじゃもんじゃの木」という名前の木はいろいろあり、「くすのき」「あぶらちゃん」「かつら」等に「なんじゃもんじゃの木」の名前がつけられている(関東地方で多いらしい)。
千葉県神崎町の「神埼(こうざき)神社」(利根川沿いにある)にあるくすのきは、水戸黄門が自ら「なんじゃもんじゃ」と言ったとの伝承もあるそうです。
ただし、一般的によく知られているのは上記青山練兵場に植えてあったのと同じ、「一葉(ひとつば)たご」と呼ぶ種類。 』

ということで非常に綺麗な白い花を咲かせるようです。4~5月に・・・

その先に「高麗家住宅」が見えます。
高麗家住宅と枝垂桜
住宅の手前には大きな枝垂桜があります。樹齢推定400年だそうですが、当然咲いていません。
「高麗家住宅」の前に来ると案内書があります。
高麗家住宅

『国指定重要文化財 高麗家住宅
高麗郡建都1300年記念事業「高麗神社に伝わる文化財展」の期間中(9月中旬)に公開しております。
国指定重要文化財 高麗家住宅 一棟
高麗家は代々高麗神社の神職を勤めてきた旧家です。
この住宅は、江戸時代初期の民家として昭和46年6月22日に当時の文部大臣により重要文化財の指定がされました。
建築年代については、慶長年間(1596~1614)との伝承があるのみで明確な資料はありませんが、構造手法から見て17世紀中頃まで遡り得るようです。
建物は山を背にして東に向けて建てられ、間口は約七間半(14.292メートル)、奥行は約五間(9.529メートル)、総面積は約37.5坪(136、188平方メートル)あります。屋根は茅葺の入母屋造です。間取りは古4間取りという形式で、奥座敷(奥と四帖)、表座敷、勝手、部屋と比較的狭い土間で成り立っています。
また表座敷には長押を打ち、押板(床の間の前進)を構え前面三間には格子窓がつけられました。柱や梁は全て手斧や鑓鉋で丸みを持たせて仕上げられています。大黒柱は用いられていません。そのため柱の数は多く、太目の材木を使っています。梁は細い材木を使い、全面的に細やかな造りです。
なおこの住宅は昭和51年10月解体修理が始められ、解体工事中に調査発見した痕跡、資料等により、当初の構造を復元しました。
そして昭和52年9月竣工しました。』(現地案内書より)

沿革
この住宅を住まいとした高麗氏は、高麗神社の御祭神高麗王若光の子孫です。現当主は、若光から数えて60代目にあたり、高麗神社宮司を勤めています。
高麗氏は、平安時代末期から江戸時代末まで修験道を信仰していました。この住宅は、江戸時代初めの44代良道から46代良賢の頃に建てられたと考えられます。
江戸時代には、居宅を庫裏として、枝垂桜の東側に不動堂を設けていました。また、幕末の55代明純と56代衍純は、近隣の子弟を集めて漢字塾と手習塾(寺子屋)を開いていました。
さらに、高麗神社の氏子の集会や、例祭で奉納される獅子舞の練習「獅子習い」などにも使用され、昭和29年(1954)頃までは社務所としての機能も果たしていました。』(「高麗家住宅」パンフレットより)

まあ、60代もよく面々と続いてきたことでしょうか。江戸時代の初めとあるので凡そ400年以上経過した住宅ということです。 ある意味神社であったから残されてきたといっても良いかもしれません。
ここから中に入れるのはこの時期だけなのですね。何か得した気分です。

入口が土間になっていて、奥に竈が設けられ、天上に煙抜きの穴があります。
土間の竈
すぐ左手が座敷で、手前が表座敷で21畳あるそうです。
表座敷
すっかり月見の風情で古民家に良く合います。
右奥の何か掛けられている所が押板でしょうかね。
押板
奥の間が一般的に「出居(デイ)」と呼ばれる客間で、10畳あります。
奥の間
その横にある間は「四帖」で、奥に通される来客はここから出入りしたそうです。
勝手
そしてここが「勝手」で囲炉裏があり、ここで調理がされました。
勝手の囲炉裏

結構広いのですが、意外と部屋数が少ないのですね。最も昔は子供部屋などは大名でもない限りありえない時代ですからね。
古きよき時代の遺物ということで、良き機会に恵まれたました。

こうして「高麗家住宅」を見終えて、最後(本当は最後ではなかったはずなのですが)の聖天院に向かいます。
いづれにしても歴史ある神社と言うだけでなく、ある意味では日高市の始まりとも言うべき由緒ある高麗神社でした。
建都1300年記念事業中は何かとお得かもしれません。イベントはまた来年からのようですから、桜の季節に行くのもまた風情があって良いかもしれませんね。

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。