権現堂調整池

花見を楽しんだ後は、先ほど説明のあった調整池に向います。
この調整池も権現堂堤のシンボルとして、地域の重要施設としては勿論、観光資源としても活用されているようです。

外野橋

調整池には向こうに見える「外野橋」を渡ることになります。
外野橋 外野橋
それ程大きな橋ではありませんが、一応吊橋になっています。 一見何気ない吊橋ですが、実はこの吊橋は世界でも例の少ない貴重な吊橋なのだそうです。
斜め吊材を採用した2径間連続自破式吊橋という構造の橋だそうで、優れた構造特性と美観を併せ持っている反面、設計計算や細部構造が複雑で高度な技術を要するために、国内でも数例しかないのだそうです。 そんなすごい橋ならもう少し調べてみたくなるもので、まずはその吊橋の種類から調べてみました。
まず判ったのは、実はこの橋は吊橋であって吊橋ではないということです。
広義では確かに吊られているので“吊橋”なのですが、土木工学分野では吊橋とは区別された「斜張橋」と呼ばれるものなのです。 ではこの「斜張橋」と「吊橋」の違いは何かというと橋を吊るケーブルの違いにあるのだそうです。
斜張橋 《斜張橋と吊橋の比較》
このイラストを見ると一目瞭然ですが、吊橋は塔からメインケーブルが渡され、そのメインケーブルから下に吊り用のケーブルが橋桁に下ろされているのに対して、斜張橋は塔から直接斜めに橋桁に対してケーブルが取り付けられているという構造にあるのです。
そしてそのケーブルの張り方にも「放射型」「ファン型」「ハープ型」の3種類があるのです。
斜張橋 《ケーブルの張り方》
こうしてみるとこの「斜張橋」、どこかで見たような気がしてきます。
首都圏では「横浜ベイブリッジ」「かつしかハープ橋」「鶴見つばさ橋」などがあり、全国的には本四連絡橋で名高いしまなみ海道の「多々羅大橋」が有名で世界最長の斜張橋なのです。
そうすると斜張橋はいくつもあるではないかということになるのですが、上記に上げた斜張橋は殆どが「三径間連続…」と呼ばれる構造で、かつしかハープ橋は「4径間連続S字形曲線斜張橋」というそうです。つまり“三径間”とは主塔が2本ある事からで、多くの橋は長いので最低でも2本の主塔を持っているのですが、この外野橋は主塔が1本であることから“二径間”となり、これが非常に珍しいタイプといえるのだと考えられます。
“二径間”という形式だと、秩父市吉田にある「合角漣大橋」というのが“二径間連続PC斜張橋”という構造の橋だそうです。
合角漣大橋 《合角漣大橋》
写真を見ると確かに主塔が1本のようです。
“自破式”という形式がどういったものかはわかりませんでしたが、比べると規模の違いは否めなく、この辺りが“自破式”と“PC”の違いなのでしょう、きっと。
いずれにしても世界でも少ない橋の例が見られる貴重な場所であることを認識しておきましょう。

中川

外野橋を渡って調整池に向いますが、この外野橋下を流れている川は「中川」で、実に穏やかな流れです。
中川
左手に見えるのが調整池のゲートです。春の日差しでまさに“ひねもす…”といった風情です。
中川
先に「中川」に関する案内があります。
中川は先日の【吉川のなまず】でおとずれましたが、詳細は調べませんでした。

中川について 「カッパ博士」への質問
◎「中川」ってどんな川?
羽生市の葛西用水路左岸に起点があり、埼玉県の東部の水田地帯を流れ、都内に入って中川と新中川に分流して東京湾に注ぐ、延長81kmのことだよ。この川は、山岳部からの源流がなく、低平地約987km(埼玉県の面積の26%)の雨水と生活や水田の排水を34の支派川で集めて流している珍しい川なんだ。
◎「源流のない川」ってどうしてできたの?
それはね江戸時代に、それまで東京湾に向って乱流していた利根川、渡良瀬川の流路を東へ変え、常陸川筋を利用して河口を銚子に移したこと。また、利根川に合流していた荒川を入間川、隅田川筋を利用して西へ移したことによって古利根川、元荒川、庄内古川などの山からの源流のない川が生れたんだ。
さらに幕府は、お米を増産するために、水害の減ったこの低平湿地、池沼の水田開発を広く進め、旧川を排水路や用水路として利用したんだ。現在の中川水系の水田地帯は、こうしてできたんだけど、一河川の水系としては、未整備だったんだ。
◎「中川」って名称はどうしてついたの?
昔は、一つの川の呼び名も上下流で違ったんだ。中川は古利根川の下流部の呼び名で、現在の都内の地域は、武州葛飾郡葛西領と呼ばれ、川を境にして東西葛西領に分かれていたため、中間を流れる川 …「中川」と呼んだという説や隅田川と江戸川の間を流れているからという説などがあるんだ。それをこの川全体の名称にしたんだよ。
◎現在の「中川」として整備されたのはいつ頃?
当時この地域は、古利根川筋(隼人堀、元荒川が合流)と島川、庄内古川筋(江戸川に合流)に分かれてたんだ。しかし、低平地の排水を改善するには、東京湾へ低い水位で流下させる必要があるため、島川や庄内古川を最低地部を流れる古利根川につなぐことが最善策として計画され、大正5年(1916)から昭和4年(1929)にかけて内務省(国)の直轄事業として、利根川、江戸川や荒川の改修と合わせて実施されたんだ。また、昭和22年(1947)のカスリーン台風の大洪水の後、24年から37年にかけて東京都によって放水路として新中川が開削され現在の姿になったんだ。
「埼玉県治水協会」事務局 葛西用水路土地改良区
(現地石碑より)

なかなかやりますね「カッパ博士」という事で、一応「カッパ博士」をご紹介しておきましょう。
カッパ博士
意外と、というよりまったく知りませんでした。特に源流のない川であったとは…。
実にためになった「カッパ博士」への質問でした。

権現堂調整池

ここからはまず調整池の右岸へ向かいます。この調整池は中川の洪水調節と取水にあるので、あくまで中川が上流となるわけで、ダムの決まりとして川上から川下を見た場合に右手側が右岸となるわけです。したがって調整池の右側を川下に向って進むのですから右岸となり、その先に展望台があるのです。
後を見れば外野橋と権現堂桜堤も見ることができます。
外野橋と権現堂桜堤
展望台からは調整池が一望できます。
権現堂調整池
中央にある突起部分が大噴水「スカイウォーター120」です。
元々は常に噴水は出ていたようですが、昨年の震災以来電力の節電により噴水は止められていたそうです。現在は、この桜まつり期間中だけ30分間隔で運転されるということで、実に貴重な一瞬というわけです。 現在、10時25分ですから後5分で噴水の開始のようです。
そうしているうちに下流からボートが2艇噴水に向ってきますが、ブイを超えてからUターンし下流に戻っていくようです。
権現堂調整池
妙なのは太鼓の音が聞こえてくるのですが、何かイベントなのでしょうか。
そうこうしている内に噴水が始まりました。
副噴水が噴出 副噴水が噴出
5つの勾玉から5本の副噴水が噴出しています。
しばらくすると主噴水である120フィート噴水が噴出されだしました。
主噴水 主噴水
30分おきに15分間ずつ噴出されるのだそうです。しばらくは120フィートの噴水を楽しみましょう。

噴水を楽しんでからは調整池の左岸に向かいます。
水門を渡って左岸に行くと調整池のモニュメントと「行幸湖」の銘板が置かれています。
水門 モニュメントと「行幸湖」の銘板
ここでもう少し権現堂調整池について調べてみます。
この調整池は元々「権現堂川」という河川で、この事業を行うにあたって昭和46年に一級河川に指定し県の管理河川としたのです。 そして中川合流地点を急きとめ水門とし、洪水調節の“治水”と、不特定用水の確保・上水道用水の開発の“利水”を目的として平成4年3月に完成したものなのです。 したがって河川は「一級河川権現堂川」で、せき止められた湖は「行幸湖」、そしてこの施設は「多目的平地ダム」なのです。
ということで、ダムといえば「ダムカード」です。
基本的には国土交通省と独立行政法人水資源機構の管理する施設のダムにあるのですが、埼玉県営のダムにもカードがあるのです。埼玉県では現在8ヶ所のダムにあるのですが、個人的には、二瀬ダム、下久保ダム、浦山ダム、滝沢ダム、有間ダムの5枚を所有していて、残りの3枚が秩父の合角ダム、さいたま市の荒川貯水池、そしてここの権現堂調節池なのです。
しかしながらなんと言う不運でしょう。この後にある管理事務所で配布されているのですが、何と土、日、祝日は休みのため配布されていないのです。サラリーマンには辛い日程ですが、いつかゲットできるときも来るしょう。
そのときまでの楽しみとしておきます。

調整池の左岸をしばらく散策してみます。
ゲートが見えますが、ダムといわれてもイメージが湧いてきません。
ダムゲート
向こう岸に見えるのが展望台です。
展望台
まあ、それ程高いというわけでもありませんが休憩所も兼ねてということです。 そしてこちら側にも桜が咲いています。
桜 桜
ここは結構開花されていて、大変美しい光景です。 もう少し進むと反対側からみえる「スカイウォーター120」で、ここに案内板がああります。
噴水

■大噴水設置の目的
平成3年は、埼玉県が誕生して120年に当たります。この大噴水は、その記念事業の一つとして、新たなる飛躍と豊かな郷土の創造を目指すとともに、権現堂調整池が皆様の憩いの場所になるために、設置されました。
■大噴水の概要
120年を迎えた埼玉県を象徴するために、主噴水吹き上げ高は120フィート(約36.6メートル)になっています。5体のモニュメントは表面を磨いたステンレス製で、埼玉県の県章(まがたま)及び県の鳥(しらこばと)をモチーフにしています。
フロート式架台の上に乗った5体のモニュメントは2県3市町村(埼玉県、茨城県、幸手市、栗橋町、五霞村)をイメージしています。また各モニュメントを結ぶサークル(輪)が21世紀を迎える地域の友愛を示しています。
なお、大噴水の愛称は五霞村(茨城県)の石塚盛男さんが応募された愛称です。
平成3年3月
(現地案内板より)

ここでやっと5体の関係県市町村がわかりましたね。現在栗橋町は久喜市と合併していますので存在しませんが、この調整池の地番に関わっている地域ということのようです。
恐らく経年の水垢などによって現在は表面がかなり曇ってしまっているようですが、一部ステンレスであることを近くから見ると判ります。
噴水
これからもシンボルとして愛されていくのでしょう。

さらに桜並木を先に進むと、噴水時に見た2艇のボートがまた太鼓を響かせながら進んできます。
桜並木 ボート練習
こぎ方はカヌーのようなこぎ方で、太鼓に合わせて漕いでいるようなので、長崎のペーロンのようなものです。
かつて2度目の埼玉国体の際には、ここ行幸湖はカヌー競技の会場となったそうですから、現在でもそれらに関係する団体の練習場になっているのでしょう。
しばらく左岸の桜も楽しみながらゲートの方に戻ります。
ゲートに戻ってからは来たときとは反対方向の中川に沿って上流方面に向かいます。
八重桜通り
この通りは「八重桜通り」といい、道路の両側に八重桜が植えられています。ソメイヨシノよりは遅咲きなので、これから開花するのでしょう。
その先に架かっている「行幸橋」を渡って、最初の行幸堤之碑のところに戻りました。
行幸橋 行幸橋
「行幸橋」かたはは「外野橋」が見て取れます。
外野橋
これで権現堂桜堤から調整池をグルッと半周して生きた格好になるのです。
行幸堤之碑
返す返すも桜の開花がまだ早かったことが残念ですが、それでも桜の名所としての魅力は充分感じ取れましたし、歴史的に見るべきものも多く非常に楽しい花見でした。

第5回幸手観光物産展

最後に順礼の碑のあった辺りの権現堂堤と道を隔てたところにある北公民館で行われている「第5回幸手観光物産展」に立ち寄ってみました。
第5回幸手観光物産展 第5回幸手観光物産展
沢山のお店がテントの中にひしめき合っていますが、ちょっと興味を引いたのがこのインド料理ブースです。
第5回幸手観光物産展
かなり多くのメニューを揃えていて非常に美味しそうでしたが、昼食前なのでここは我慢というところです。 しかしながら甘いものを停める自制心はなく、「権現堂まんじゅう」なる名物をいただきました。
権現堂まんじゅう 権現堂まんじゅう
素朴な皮と素朴な餡、そして桜の葉の塩付けが絶妙でした。
建物前ではライブ演奏も行われていましたが、妙なコントラストに思わず笑ってしまいました。
第5回幸手観光物産展
写真をよく見ると何となく判ります。
そして物産展ですから、当然産直品もあるので、眼を輝かせていた家内は6本200円のネギと、酢漬け大根、そして大根の漬物をゲットして喜々としていました。
第5回幸手観光物産展
結局、これらが今回のお土産となったのです。
帰りがけに幸手商業高校の演劇部の方々の“チンドン”を見ながら、権現堂桜堤を後にしました。
第5回幸手観光物産展

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks