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引又宿

「いろは樋」のポケットパークから文化財の「いろは樋」を見て、再び市場坂上の交差点に戻り、そこから県道36号線を志木駅方面に向かいます。
ここはかつての引又宿のあったところだそうで、当時の面影が残っているのかどうか興味深い通りです。

旧西川家潜り門

一旦、市場坂上に戻るとポケットパークの左方向に「いろは保育園」があり、実に「いろは」地区なのだと改めて実感し立ち寄ってみたところ、なんとここにも「ハタザクラ」が植えられていました。
いろは保育園のハタザクラ
どうやら保育園の開園記念に植えられたそうですが、卒園者も何十年も経つときっと懐かしさもひとしきりの「ハタザクラ」となるのでしょう。
後の思い出に「園のサクラ」ではなく「園のハタザクラ」という固有種名で言えるところが志木市らしいところかもしれません。

「いろは保育園」の市場坂上の交差点の反対側の角に歴史のありそうな門が置かれています。
旧西川家潜り門
県道36号線の左側になります。

『伝統的建造物 旧西川家潜り門
この門は、西川家(本町2丁目 当主西川享氏)の中庭に建てられていましたが、取り壊されることとなったため、市教育委員会で寄贈を受け平成8年に解体し、暫く保存してからこの場所に復元したものです。
門の形式は、正式には棟門といいますが、西川家の中庭に建っていたことから潜り門と呼ばれていました。
建築年代は、武州一揆の刀の傷跡が扉や柱に見られることや伝承などから、慶応2年(1866)頃と推定されます。
棟高3.03メートル、総長5.454メートルの欅造り、屋根は切妻土葺き桟瓦葺きで、昭和2年(1927)頃には、門の両袖に一間の長さの腰縦板張り黒漆喰塀が付けられていましたが、解体時には、右側のみが残されていました。
にしくぁけは、江戸時代初期に、この地に来住し、幕末には酒造業・水車業・肥料商を営むかたわら、引又町の組頭役を務めた名家で、今でも西川本家の通称で呼ばれています。
平成13年3月27日 志木市教育委員会』(現地案内板説明文より)

そもそもこのあたりが開発されたのは江戸時代の寛永20(1643)年に引又河岸が開設されたことから始まったようです。
そのとき初代の引又名主が三上又兵衛という人だそうで、三上廻漕問屋を営んでいました。その後続々と廻漕問屋ができ、寛文2(1662)年の「いろは樋」開設を挟んで、天明4(1784)年には三上七郎右衛門、井下田藤左衛門、西川武左衛門、伊兵衛(姓不詳)の四軒の廻漕問屋が繁盛していたそうですが、元治元(1864)年の幕末においては三上七郎右衛門、井下田藤左衛門、西川重五郎ら三軒の廻漕問屋が依然として賑わっていたそうです。
全くの勝手な推測ですが、この西川武左衛門という方が西川本家の祖なのかもしれません。
その後、明治になるとこの西川家は廻漕業から離れ、ここに記載された酒造業などを生業としていたようで、志木市の産業の歴史そのものと言っても過言ではない名家なのです。
その名家の中庭の門ですから、その西川家の敷地の広さが窺い知れるところです。
因みに先の快哉堂でいただいた引又宿の絵図によると、宿場にある名前には三上、井下田、西川、村山が多く、更にこの絵図の時代のこの宿の名主が星野半平であったこともわかります。
三上七郎右衛門井下田藤左衛門西川重五郎星野半平
この絵図からもこれらの各家が引又宿の名家であったことが理解できます。

この門と反対側(県道36号線の右側)に渡るとそこには「下の水車跡」なる案内板が掲出されていました。
下の水車跡

下の水車跡
水車が精穀用に考案されて、造られたのは近世初期とされ、全国的に普及したのは、享保年間(1716~36)とみられており、この頃から特に城下町を中心として白米の需要が増大してきたため、全国各地で水車が造られはじめました。
江戸というわが国最大の白米消費地の玉川上水本支流沿岸地域でも、宝暦11年(1761)に下小金井に第1号の水車が造られ始めてから、たった27年間で33台もの水車が開設されるというスピードぶりでした。
引又宿にもこの間に3つの水車が開設されましたが、この中で最も古い水車がかつてこの場所にあった下の水車(河岸の水車)です。下の水車は、玉川上水筋としては、2番目に古い水車でしたが、野火止用水筋としては、1番古い水車でした。
この水車は、かなり大規模な水車であったらしく、杵の数が14本もあり、玉川上水筋では最も大きい水車でした。
なお、この水車は文政12年(1829)に焼失するまでは、この辺りにありましたが、弘化4年(1847)の再建以降は、台地下の駐車場の最も奥の場所で操業されていました。
平成7年10月20日 志木市教育委員会』(現地案内板説明文より)

恐らく宿屋、飲食店、酒造業など水運の宿場町・引又ならではの産業から必要不可欠な水車ともいえ、このような背景からより古く(早くから)大きく生産的な水車を設置したものと推測されます。
駐車場の奥にはなんとなくそれらしい石段もあるようですが、真偽のほどはわかりません。
下の水車跡

朝日屋原薬局

「下の水車」から県道36号線を志木駅に向って歩き始めるとすぐ左側に案内板があります。
市場通り

市場通り
寛文年間頃に始まり、月に6回、3と8のつく日(明治維新後は2・7)に立てられた引又の市は、近在近郷の人々が米穀・太物・小間物・荒物・野菜などを売買するための場であった。
昭和40年に暗渠となるまで、この通りの中央を貫流していた野火止用水の両側の道路のうち、東側のものは元来は道路ではなく、「市」を立てるための場所であったという。
市の発展と河岸場の隆盛により、やがて、米穀・肥料・荒物・呉服などの各商店が軒を連ねるようになったが、特に、明治中期以降、盛んに建てられた土蔵造り・塗屋造りの商家がこの通りに重厚な感じを与えていた。
昭和58年12月1日 志木市教育委員会』(現地案内板説明文より)

河岸と市によって引又宿は活況を呈していたのですね。先の西川家も明治になって廻槽業をやめ水車・肥料などを扱うようになったのもこういった背景があったからなのでしょう。
現在の市場通り(この県道36号線)では、全く様変わりしているのは当然ですが、ちらほらとかつての土蔵造りの家などが残っているようです。
市場通りの土蔵造りの家

ここから程なく進むと左側に快哉堂のような古そうなお店があります。
朝日屋原薬局
店舗の上の看板には「薬舗」と書かれていますのでここも薬屋でしょう。
そして店頭の右側には恐らく創業当時の写真でしょうか、古い写真と「登録有形文化財」のプレートが置かれています。
朝日屋原薬局
更に軒下には「朝日屋薬局」と右から書かれた看板が歴史を感じさせます。
朝日屋原薬局
特に案内板もないので調べてみました。

登録有形文化財

1.登録番号:11-0049
名称:朝日屋原薬局主屋 
登録基準: 国土の歴史的景観に寄与しているもの
街道に面して建つ店舗兼用住宅。木造2階建,切妻造,平入で西を正面とし,下屋庇を設ける。屋根はすべて桟瓦葺で,棟瓦を高く積む。1階は開放的な店構えだが,2階は窓に鉄格子をつけ,軒を出桁造とするなど,土蔵造と異なる重厚な外観を呈している。

2.登録番号:11-0050
名称:朝日屋原薬局土蔵
登録基準: 造形の規範となっているもの
東西に細長い屋敷地のほぼ中央,主屋後方に建つ。木造2階建,東西棟の切妻造,桟瓦葺,平入で,南面に扉口をつけ,下屋庇を設ける。外壁は丁寧な白漆喰塗であるが,腰は煉瓦積とする。伝統工法に近代の意匠を取り込んだ当時の造形感覚を示している。

3.登録番号:11-0051
名称: 朝日屋原薬局物置
登録基準: 国土の歴史的景観に寄与しているもの
細長い屋敷地のほぼ中央,土蔵の東方に南を正面として建つ。真壁造で,平屋建(もと2階建),東西棟の切妻造,鉄板葺,平入とする。収納施設らしく長い柱を用いて内部空間を高くつくっている。商家の屋敷構成を把握する上で,欠かせない存在である。

4.登録番号:11-0052
名称: 朝日屋原薬局洋館
登録基準: 造形の規範となっているもの
主屋の南側に建てられた小規模な洋風建築。木造平屋建,寄棟造,桟瓦葺で,西を正面として玄関ポーチを設ける。内部は1室で,東面に縁風の廊下を備える。外壁は漆喰塗だが,腰と開口部廻りは人造石洗い出し仕上げで飾り,瀟洒な外観に変化を持たせている。

5.登録番号:11-0053
名称: 朝日屋原薬局離れ
登録基準: 造形の規範となっているもの
東西に細長い屋敷地の東方に,南面して建つ。木造の総2階建,入母屋造,桟瓦葺で,階境に庇を廻し,1階南面東端に切妻造の玄関を設ける。各階を高くとり,開口部にはガラス窓を多用し,吹寄風で小舞打の軒廻りなど,数寄屋風の軽快な意匠が要所にみられる。

6.登録番号:11-0054
名称: 朝日屋原薬局門及び塀
登録基準: 国土の歴史的景観に寄与しているもの
街道に面して建つ主屋の南側に連続し,屋敷正面の構えを整えている。主屋寄りに建つ門は,1間腕木門形式で,この左右に縦板張,目板打の塀が延びる。いずれも疎垂木の銅板葺屋根をかける。塀は連続して見えるが,両側とも北半分が引き込み戸になっている。

7.登録番号:11-0055
名称: 朝日屋原薬局東雲不動尊祠
登録基準: 造形の規範となっているもの
細長い屋敷地のほぼ中央,物置の東方にあり,不動尊を祀る。当時の生活文化の一端を示す施設。切石積基壇上に建ち,規模は桁行,梁間とも1間と小さく,切妻造,平入で,屋根鉄板葺である。木目をよく現した素木で,内法虹梁の絵様などに造形の冴えをみせる。』
(文化庁オフィシャルサイト「国指定文化財等データベース」より)

主屋や店舗はともかくも門や塀、更に物置までもが文化財に指定されていることに驚かされますが、更に驚くべきことに現在でも居住、営業されているようです。当然のことながら見学はできませんが、商品を買うなら店舗内には入れるのでしょう。
明治期に立てられた建物のようですが、大切に扱われてきた建造物であることが、店舗からも滲み出ています。
ここも志木市、引又の歴史を形作っているものの一つでしょう。

ちょうどこの朝日屋原薬局の前には綺麗なサクラ(これはソメイヨシノでしょう)と共に道路元標があります。
道路元標
道標には「大和田町へ三拾五町八間・浦和町へ貮里拾三町六間」などと刻まれていて、どうやら当時の道路元標を復元したもののようです。
やはり当時の市と河岸場として賑わっていた土地柄を偲ばせます。まさに市場通りでしょう。

西川地蔵堂

その市場通りを更に進みます。
しばらく行くと左手に堂がありますが、お世辞にも綺麗とか素朴とかのいい意味での形容詞がつけられないほどの堂です。
西川地蔵堂
まさに台風や地震があれば即効崩れるのではないかとも思えるような作りです。
とにかく近づいてみると更に面白い(か、どうか…)ことに、折角の案内板が反対側(道路に対して)を向いているではありませんか。
西川地蔵堂
恐らくかつては反対側が入口だったのかも知れません。

西川地蔵堂
正徳5年(1715)3月に西川四郎左衛門により造立されたこの地蔵尊は、通称西川地蔵または引又地蔵などと呼ばれています。この地蔵尊は、延命地蔵尊で、家内安全、無病息災、安産守護、延命長寿などの諸願に霊験あらかたといわれ古くから多くの信仰を集めていましたが、中でも特に皮膚にできるイボを取り除くのに大変効能があるとして、「イボ取り地蔵」とも呼ばれてきました。
イボ取り祈願の方法は、まずこの地蔵尊の前に来て、ロウソクと線香をともして祈願をし、その後、その線香の灰を持ち帰り、これに熱湯を注いでかき混ぜて、イボの上に塗布して包帯を巻き、乾いたらまた塗布することを繰り返すうちに、硬かったイボがふやけてやわらかくなり、ポロリと落ちるといわれています。
このご利益により願いがかなった人は、縁日で焼き団子を買ってお礼に供えるのがならわしとなっていましたが、このお供えした団子をイボ取り以外の諸病に悩む人が他の参拝人に気付かれぬうちに持ち帰り、食べると病が治るといわれていました。
この地蔵尊の縁日は、毎月4日であり、かつては早朝から夜遅くまで多くの参拝人でにぎわっていました。
平成7年10月20日 志木市教育委員会』(現地案内板説明文より)

恐らく件の西川家か、或いは関連のある方でしょう、西川四郎左衛門という方は。
周りに墓地があり、奥には社もあり江戸時代ではそれなりの尊崇があったものと考えられますが、それにしても霊験あらたかなのでしょうが、どうも内容的は陰惨なイメージが浮かんできます…。
西川地蔵堂
これも一つの歴史でしょう。

このあたりに来て初めて判ったのですが、市場坂上交差点から所謂市場通り沿いに、この西川地蔵尊あたりまでが「いろは商店会」と呼ばれる商店街だったようです。
もともと昭和50年に志木市中央商店会として発足し、平成2年に現在の「いろは商店会」に改称したそうで、やはり切っても切れぬ「いろは」なのです。
折角の商店街なのでこのあたりで今回は簡単な昼食を済ましてから先に進みます。

本町3丁目の交差点の角に水車があります。
上の水車

『上の水車・・・このモニュメントは、大正初期頃までこの地にあった水車をしのんで製作されたものです』という簡単な案内板があるだけでしたが、どうやらこれは「上の水車」と呼ばれていたもののモニュメントのようです。
調べてみると、この引又宿にはじゃつて「上の水車」「中の水車」「下の水車」と呼ばれる3つの水車があったようです。「下の水車」は先ほど市場坂上の交差点付近で知りましたが、「上」はともかくも「中」まであるとはちょっとした驚きです。
この「上の水車」は安永5(1776)年に開設され引又宿では一番新しい水車だそうです。この水車の杵数は天明8(1788)年当時は10本で、玉川上水筋に設置された水車としては極々標準的なものだったそうです。

きっと「上の水車」から「下の水車」までがかつての引又宿だったのでしょう。ここにも道路元標らしきものが立っています。
道路元標
「志木町、向テ 右 宗岡村土合村ヲ経テ浦和市ニ至ル」というように刻まれています。なかなか良くできた演出です。
引又宿の名残を味わった「いろは商店会」の散策を終わり市役所へ戻ります。

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