志木市立郷土資料館

市役所に戻り、そこから車で本日最後の散策へ向います。 「志木市立郷土資料館」です。
市場坂上交差点とは反対方向にいろは橋を渡って宗岡地区に向うこと、車で10分程度です。締めくくりには相応しい(…?)資料館です。

志木市立郷土資料館

旧西川家潜り門を簡素にしたような正門がある資料館です。
志木市立郷土資料館正門
なかなか粋な演出をしています
門を入ると中庭がありそこでは数人の子供達が絵を描いたりして遊んでいます。その子供達を指導しているのがこちらの館長のようで、我々が入ると資料館へアテンドしていただきました。

資料館自体は極々一般的な建造物です。
志木市立郷土資料館

入館するとそれ程広くは無いスペースですが所狭しと展示物が並べられています。
志木市立郷土資料館志木市立郷土資料館
また、壁には市の文化財のパネルがズラッと掲出されていて、判り易い展示の仕方でもあるようです。
当然、地元の特色である「いろは樋」関連の展示が多いようで、実際に使用された樋の材料の木など展示されているのですが、そのなかに簡単ながらも「いろは樋」の仕組みが実に判り易い模型がありましたが、単純明快とはこのことでしょうかね。
いろは樋
ちょっとディスプレイに欲しいくらいです。
いろは樋
「いろは樋」組み立てキットで販売すれば…、売れないですね。

展示品のひとつに「長勝院の版鐘」がありました。
長勝院の版鐘

長勝院の版鐘 元禄5年(1692) 
志木市指定文化財
この版鐘は、昭和60年に解体された長勝院の本堂の廊下にかけられていたもので、小型ながら注目されているのは、施主9人の居住地として「大塚村」の地名が記されているためです。
江戸中期以降は舘村の小字と化し、また今では辛うじて町会名の名称に名をとどめるに過ぎなくなっている「大塚」が、かつては「村」であったことがわかるからです。』(館内説明パネルより)

歴史的発見も当然ながら、やはり市のシンボル「ハタザクラ」の代名詞である長勝院の存在を示す唯一(?)のものとして、我々市外のものには貴重に思えます。
そのほか古代の出土品や、中世・近世の品々など様々な資料、展示品を見て資料館を出ました。
返り間際に資料館の中庭に入ってきたときには気が付かなかった大きな展示物に気が付きました。
中庭の展示物

いろは水門(宗岡閘門・洗堰)人力捲揚げ装置
新河岸川は源から荒川に合流する間、約30キロ、その経路は屈曲多く、ために流れが悪く、年々水の被害が多かったので、大正10年から9ヵ年の継続事業として改修工事が施行された。
その主眼は水害除去に置き、傍ら水運の便を図る運河とすることにあった。
それまで志木から上流は水が浅く舟運に不便であったので、ここに洗堰(水門)を設け上流の水位上昇を図り、同時に段差のある上下水位連絡のための閘門(通船ドック)を設けて舟運の便を図った。
昭和3年3月3日着工、翌4年10月31日竣工。扉は鋼鉄製引揚げ扉であった。
昭和6年通船停止の県令が出されて舟運は終止符をうったが、宗岡地区水田給水の必要性から洗堰、閘門共に残された。後、新河岸川の水質汚染が進み、農業用水に不適格となったために、洗堰も不要となりまず閘門が、次いで洗堰も姿を消すにいたった。
昭和54年3月1日 志木市教育委員会

いろは樋の鉄管
玉川上水を分水してできた伊豆殿堀(野火止用水)の水を、新河岸川を越えて宗岡の地へ引くために工夫されたのが「いろは樋」である。始めは木の樋を川の上に架して水を通した。「江戸名所図絵」にも描かれて天下の評判となった。しかし長い年月の間には何度も大洪水に見舞われ、その度毎に破損して、その修理は大きな負担であった。その上次第に巨木が得難くなったので、明治36年大改修をし、鉄管を川底に埋めて通水するに至った。昔日の偉観はなくなったが、用水の恩恵は引き続き宗岡の地を潤した。
昭和の御代、東京の大発展とともに水不足をきたし、野火止用水への分水も次第にその量を減じ、いろは樋はその命脈を保つことが困難となった。昭和40年市場地区の伊豆殿堀を暗渠となし下水路としたので、いろは樋は完全に機能を失った。
昭和53年柳瀬川改修に際し、その川底の「いろは樋」の遺構が発掘されたので、その一部を記念として、ここに保存するものである。
昭和54年4月1日 志木市教育委員会』(現地案内板説明文より)

最後にこういった「いろは樋」に関わる遺構品を見て終了となりました。

「チョウショウインノハタザクラ」で始まった今回の散策でしたが、意外にも水の町志木市を始めて知ることができました。
埼玉県にずっと在住していると当然ながら「野火止用水」の名は知っていながら、どうも平林寺と共に新座市のイメージがあったため志木市との関わりは全く知るよしもありませんでした。
現在は遺構としか残っていませんが、訪れてみて初めて知った「いろは樋」は大いに知識を増やすことができた気がします。

川とサクラの町といっても過言ではないような志木市の魅力を見た思いで今回の散策は終了です。

2010.5.3記

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