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与野散策

与野公園を出て朝行きがけに見た円乗寺へ向かいました。与野七福神の一つらしいので折角きたのだから寄ってみようかというところです。
円乗寺
山門の隣には何か立派な塔が見えます。

そして山門の近くに来ると・・・”ガーーーン”何と張り紙が。「16.17日のばらまつり期間中は閉門」・・・ゲゲッ。
入れない円乗寺
これまで様々な寺社を訪れましたが境内に入れない寺社は初めてです。こうゆう期間ですから、なおさら参拝客を入れるのではないかなとも思うのですが・・・
よそ者がよっぽど悪さでもしていくのでしょうかね。確かに城などを初めとした歴史ブームで、禄に参拝もせずに土足で(って意味が違うが)入り込んで、勝手気ままに振舞う人が多いようなので仕方のない措置かもしれませんね。
元々は(今でも)神聖な場所なんですからね。「来てやったんだぞ」的な態度は改めなければいけないですね(反省・・・)。

円乗寺はまたの機会にということで、そのまま先に進みました。10分くらい歩くと「彩の国さいたま芸術劇場」にたどり着きます。
彩の国さいたま芸術劇場
はっきり言ってしまえば100%にちかい確率で縁のないところです。
音楽とか映画とかは好きですし結構出かけて観る機会もありますが、音楽は殆どJAZZ一色ですし映画はミーハーもの専門、演劇やダンスなどは皆無ですから。そうは言っても全く興味が無い訳ではないのですが、コストパフォーマンスが私的に低いということですね。
ですから、蜷川幸雄対談シリーズ「千の目」などは抽選ですが一度聞いてみたいものです。氏といえば川口市出身の埼玉県の誇る大演出家ですからね。
まあ、こういった施設ができることによって、少しでも埼玉県の文化度がアップするのは良いことですからね。(まずは自分から・・・確かに!)

「彩の国さいたま芸術劇場」を通り過ぎて!・・・「与野の大カヤ」のある妙行寺に向かいます。
先日訪れた【牛島の藤】で「新日本名木百選」で埼玉県で選定されているのは「牛島の藤」と「与野の大カヤ」だけだとありましたので是非見てみたかったのです。

ここから妙行寺まではブラブラ歩いて14.5分でしょうか。住宅街の一角に「妙行寺」がありました。
妙行寺山門【結構新しくきれいな山門です】


山門を潜ると牡丹が咲き乱れていました。
妙行寺の牡丹
控えめですが綺麗な牡丹です。
山門の横には妙行寺の縁起掲示があります。

日蓮宗 東永山 妙行寺縁起
総本山 身延山久遠寺(山梨県) 大本山 正中山法華経寺 末寺
当山は古くは臨済宗宗心浄寺と号していたが応永15年(1408)住職・周如禅師は日蓮宗の高僧日英上人のすすめにしたがい日蓮宗に改宗したと伝えられている。
開山日英上人は、なべかむり日親上人の伯父に当たり、市川市法宣院の過去帳には、「三世法宣院日英上人三十三才入院末寺七十六ケ寺建立在位五十五年、応永三十年癸卯八月十日寂七十七才弔う」と記されている。
慶安2年(1649)8月24日、三大将軍家光公からて寺領十石の朱印状を賜り以降万延元年(1860)まで合計七通の朱印状が残されている。その後、享保4年、十五世日隆上人の代に寺院を建立したが、安永2年(1773)正月火災の為全焼し、安永6年(1777)佐渡の人二十世目昌上人は本山の許可を得て赴任し、壇信徒を励まし、安永7年に寺院を復興し、山号も東栄山から東永山と改めた。
それから150年を経た昭和5年(1930)5月20日またもや火災に見舞われ、堂宇を始め仏像10体など惜しくも焼失した。このとき三十三世日誓上人の奔走により壇信徒からの浄財をもって昭和10年になって堂宇を再建し現在にいたる。
現在の山門は江戸中期建立の前山門のいたみがはげしいので昭和58年日蓮大聖人七百遠忌報恩の為に、壇信徒一丸になって再建したものである。

====文化財====
・大榧(樹齢千百年) 国指定天然記念物
・木こく(樹齢六百年) 県指定天然記念物
・徳川家御朱印状七通 市指定文化財
・鈴木荘丹の墓(江戸時代芭蕉門下の俳人) 市指定文化財
・稲垣田竜の墓(江戸時代の天文学者) 市指定文化財
・市内最古の板石塔婆(1260) 市指定文化財

====寺 宝====
・なべかむり日親聖人開眼木彫日蓮聖人坐像(本堂)
・木彫毘沙門天立像
・木彫妙見菩薩坐像
・木彫大黒天立像
・木彫金毘羅天立像(金毘羅天堂)
・日蓮聖人の御真筆
・日昭・日朗・日像聖人・神筆・曼荼羅
平成4年4月掲示建立 当山 山主』

実に文化財や寺宝の多いお寺でしょう。それだけ歴史のある寺ということでしょうか。
まずはやはり「大榧」からと思いましたが、縁起掲示の横に別の解説がありましたのでそちらから。

『歴史資料 正元二年銘の板石塔婆
所在地 さいたま市鈴谷4-15-2 妙行寺
時代・鎌倉時代中期
この板石塔婆は市内最古のものです。上部中央に、阿弥陀如来を示す梵字「キリーク」が薬研彫りで刻まれています。その下に「正元二年三月 日(1260)の紀年銘。左右に「気」とよばれる「光明遍照 十万世界」「念仏衆生 摂取不拾」の仏徳賛美の文字があります。「光明はあまねく十方世界を照らし、仏を念ずる人々は必ず救われる」という、浄土教の「観無量寿経」から抜き出したものです。高さ84cm。下部は欠損していますが、主尊種子、頂部の山形、二条線などの保存状態はよく、鎌倉時代の供養塔の特徴をよく残す貴重な文化財です。
平成10年(1998)市指定となる。 さいたま市教育委員会』

やはりここでも板石塔婆ですね。本当に埼玉県は板石塔婆の宝庫でしょうね。

『古文書 妙行寺の朱印状
所在地 さいたま市鈴谷4-15-2 妙行寺
時代・慶安2年(1649)から7通伝在
朱印状は武将が政務・法令・軍事等について発令した公的文書で、花押の代わりに朱印を押し発行、給付した証の文書をいいます。
朱印状は、一般に徳川氏が寺社に対して所領寄進という形式で発行し、その後,歴代将軍の代替わりごとに「継目安堵」として同じ様式のものを発行しました。
この朱印状は、三代将軍徳川家光が所領寄進という内容で妙行寺へ発行したものです。

武蔵国足立郡鈴谷村
妙行寺領同村之内拾石事
任先規寄附之訖全可収納井
山林竹木諸役等免除如有来
永不可有相違者也
慶安二年八月廿四日 -朱印- (朱印は家光のもの)

昭和56年(1981)2月13日市指定となる。 さいたま市教育委員会』

 

こう言った文化財は博物館などに預託するか、檀家の方でないと中々見ることは難しいですね。 でも、こういったものの存在を知るだけでも十分物知りになれるものです。酔っ払ってウンチク語るくらいですから、我々のできることは。
一旦参拝をすませて、まずはお目当ての「大榧」を見に行きます。
妙行寺本堂【妙行寺本堂】


「与野の大カヤ」だけは場所を調べていたので、妙行寺の近くにあるらしいので境内を出て探しました。
民家と民家の間に「与野の大カヤ」は存在していました。近づいてみると確かに大きいことがわかります。
与野の大カヤ【人が判りにくい位の縮尺になります】


「天然記念物 與野ノ大榧」の碑があり、その隣に解説掲示板があります。
「天然記念物 與野ノ大榧」の碑

『国指定天然記念物 与野の大カヤ
所在地 さいたま市鈴谷4-14 妙行寺金毘羅堂境内
大カヤは、イチイ科の常緑高木で,葉は扁平線状,革質で厚く、先端はとがっていて堅い。この木は雌株で、四月中旬頃にひっそりと花が咲き、秋には楕円形の実をつけます。
形状は、樹高21.5メートル、根回り周囲13.5メートル、目通り周囲7.28メートル
推定樹齢は、約1000年です。
縄文時代より舟材として利用されるほど水に強く堅固な木として人と密接な関係にあり、応永年間(1394~1427)には、関東随一の巨木として世に知られていました。また、「榧木金毘羅」とも呼ばれ、古くから信仰の対象でもありました。
この地は、中世に「まち」の中心として大変栄えていました。数世紀にわたり風雪に耐えてきた太い幹と四方に張った枝ぶりからは、「まち」の歴史を見守ってきた重厚さが迫ってきます。
昭和7年(1931)7月25日、国指定となる。 さいたま市教育委員会』

特に言葉も要らないでしょう。推定樹齢1000年の巨木を堪能するだけです。
この大カヤをじっと見つめていて、古からの歴史を思う前に昔から万物の摂理は、女性が長生きだって云う事を感じる私にロマンのカケラも無いようです。 因みにここは妙行寺の金毘羅堂境内といわれていますが、元は現在の本堂境内と一緒の広大な境内だったのでしょうか。境内の真ん中に道路ができたため現在は2分されているのかな、と思えるのですが。
ちょうど境内前の道路から四方を見ると、すべて坂道が下りになっていますので、この辺りではこの境内が丘の上にあって、「まち」の中心として鎮座していたのではないかと推測できます。
妙行寺の金毘羅堂【妙行寺の金毘羅堂】


この後は一旦埼京線の線路沿いを与野本町駅に向かって帰りました。
すでに時間はPM1:00を過ぎていました。 10分ほど歩いていてふと思い出しました。
「木こく、とか何たらの墓とか見てくるのを忘れた・・・」と。大カヤを見て満足してしまったのでしょうか、本堂境内の文化財はすっかり忘れてしまいました。
残念なことに疲労もたまり戻る気力がありませんので、このまま駅に向かうことにしました。
また、円乗寺に来ることもあるでしょうからそのとき寄ればいいかな、と安直に考えましたので。

ブラブラと歩いていくとやがて与野本町駅に近づいてきました。
ちょうど南端になるのでしょうか朝下りた駅前ロータリーからつづく公園に着きました。
ここは正式には「与野本町駅前公園」といい、「彩の国さいたま芸術劇場」にあわせて、平成6年度に完成したそうです。ちょうどこの公園から西へ向かうと「彩の国さいたま芸術劇場」に到着するようになっているようです。

そして、いきなりオブジェです。
オブジェ
人が時計を持てって・・・って言う意味ではないでしょうが、これは動いていますね。とにかく意味不明のオブジェでしたが、後ろにははっきり意味の判る綺麗なバラが一面に植えられています。

赤、ピンク、白、黄色が絨毯のように咲いています。特にこのピンクと白のバラは非常にコントラストもよく綺麗ですね。
バラ一杯の公園
意外と咲ききる(満開)よりも7分咲き位のほうがバラらしいイメージを感じます。

しばらくバラの歌壇を歩くとこんなバラのベンチがありました。まさにお姫様イメージ。家内の写真をとりましたが・・・本人は気に入っているようですが。
バラのベンチ表バラのベンチ裏【バラのベンチ、表と裏側】


また、その先にはベンチですが単体ではなく幾つか並んだベンチの後ろに半円のバラが取り巻いています。
ベンチの後ろに半円のバラ
美しい光景と構図ではあるのですが、白ではなくピンクとかの方がもっと美しく見えるかもしれませんね。

そして先に進むとまたまたオブジェ2連発です。
オブジェ2連発
これは何となく花の一部分をデフォルメしたオブジェに見えます。

ですが、こちらは・・・アメーバ? スライム!? やはりよくわかりませんがオブジェです。
オブジェ2連発

規模はかなり小さいにしても、芸術や文化を意識して作られた公園のバラ園は、ある意味では与野公園のバラ園より趣向は凝らされているのかもしれません。
バラの街・中央区をアピールするには、実にイメージのわかりやすい公園かもしれませんね。

今回はこれで帰宅することにしました。
歴史のある公園と街のシンボルのバラ園でそれなりの趣を堪能することができました。 ですが、今後このままではあくまで地元の1公園としての使命を全うするだけでしょうね。ふるさと自慢として今後更に発展していく何かがなければ地元住民以外にとってはそれ程魅力的なところとは思えないでしょうね。
若干拍子抜けの大散歩でした。

2009.5.26記

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