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北本自然と歴史散策

「安き津」で精神的にも肉体的にも満足度はアップし、適度な疲労感とともに帰宅することにしました。
一旦「高尾さくら公園」方面に戻ってバスで帰ろうと考えていました。
道々大勢の人が歩いていて良く見れば件の”駅からハイキング”の人たちです。途中バス通りを左折すれば北本駅には一本道ですが、その交差点を越えてまっすぐ進んでいます。これはまだどこかによって行くのだろうかと、予定を変更して急遽”駅からハイキング”経路を辿ってみることにしました。
少し先に行くと年輩の女性の方が2人左方向へ案内しています。観察公園の遊歩道のような感じで整備はされていますが野原です。

”駅からハイキング”の方は皆さんはピンク色の地図のようなものを持っているのでルートはわかるのでしょうが、一応訪ねると確かにハイキングルートだそうです。遊歩道を進むと例によって池だか沼だか判らない処沿いを通ります。
北本自然と歴史散策 【またまた池だか沼だかわからない場所へ】


少し先に行くと案内板があります。

『緑のトラスト保全第8号地 高尾宮岡の景観地
この高尾宮岡の景観地は、平成17年の県民投票の結果、第一位となり,緑のトラスト保全第8号地に選定されました。平成18年には、県民の皆様からの貴重な御寄付を主な資金とする「さいたま緑のトラスト基金」と北本市により公有地化されました。
ここは、荒川の東側に位置し、大宮台地の侵食により形成された谷津(谷状の湿地)と、それを取り囲む斜面林からなる里山景観が残されています。また、湧水に育まれた豊かな自然環境や周囲の台地に広がる遺跡は大変貴重な財産になっています。
今後は、(財)さいたま緑のトラスト協会や地域のボランティアの方々の協力によって大切に保全され、将来に引き継がれていきます。
平成20年3月 埼玉県・北本市』

”緑のトラスト”については蓮田市の黒浜沼で学習しましたが、北本にもあったとは良くサイトを見ていませんでしたね。確か蓮田市が11号地だったはずです。まあ、蓮田の場合は11号地に決定しただけで整備・保全はまだまだ先の感じでしたが、きちんと整備されると綺麗になるのですね。勿論自然を破壊しない程度に、自然と共存しながらある程度整備・開発をしていくということでしょうね。
特に桜が、というわけではありませんが四季折々楽しめそうな景観地ですね。中途半端な公園よりずっと良いかもしれませんね。
北本自然と歴史散策 【高尾宮岡の景観地】


15.6分ほど歩いて8号地を出ると細い道にでます。道沿いにまた案内板があります。

伝鎌倉街道
関東平野の西部に位置する埼玉県内は、古代から東山道等の交通路が開かれ、その要衝として発達してきました。なかでも鎌倉幕府の成立とともに整備された鎌倉街道は、鎌倉と関東諸国・信濃・陸奥とを結ぶ街道として大きな役割を果たし、畠山重忠や熊谷直実などの武蔵武士が行きかい、彼らの栄枯盛衰を刻み付けた歴史の道として知られています。この鎌倉街道には、上道・中道・下道の三線があり、この幹線を中心として大小の枝道が発達していました。
北本市内の西部には、古くから鎌倉街道と伝わる古街道が南北に通っています。この街道は中道から枝分かれして荒川沿岸を北上し、群馬県へと通じる上野道と考えられており、明らかに鎌倉街道の支道としての役割を果たしていたようです。街道沿いには中世の城館跡や寺院等の文化財が数多く存在し、歴史的にも重要な街道であったことがうかがえます。
この街道のルートは、上尾市の平方から桶川市の川田谷をへて、市内では庚塚(芭蕉句碑)~石戸宿~須賀神社・氷川神社~道標「これより石と舟戸みち」~鉄砲宿を結んでいたと伝えられています。
平成18年3月 北本市・北本教育委員会』

”伝”とあることから当然確証は無いのでしょうが、上尾の平方から延びる鎌倉街道は知りませんでした。
川越から上尾・平方を通って幸手に抜ける東西の鎌倉街道は知っていましたが、南北は始めて知りました。確かに支道は沢山あるようなので何処を通っていてもおかしくは無いのでしょうが、是非地元でも調べてみたいと思います。
この辺りが歴史の面白さでもあるのですね。
北本自然と歴史散策 【細い道でも鎌倉街道】


鎌倉街道を進むと田畑が広がってきます。丁度その曲がり角に結構大きな地蔵があります。
北本自然と歴史散策 【当然北を向いているから”北向き地蔵”でしょうね】


北向き地蔵 所在地 北本市大字高尾
「北向き地蔵」と呼ばれるこの地蔵尊は、願い事を叶えてくれる地蔵として有名で、泥の団子を供えて願い事をし、願い事が叶ったら、御礼に米の団子を上げるという信仰が現在も続いている。
名文に寄れば、享保十四年(1729)に「万人講中」によって建立され、道しるべも兼ねていることがわかる。
なお、市内でも高尾地区は、地蔵尊が比較的多く建立されていた所で、これは、万人講中という信仰集団の存在が強く影響したものと思われる。
〔銘文〕
◆正面:享保十四己酉四月吉日 万人講中 武州石戸領高尾村  右 石戸道 左 鴻巣道
◆左側面:奉造立石地蔵万人講中為現当  二世安楽也功徳云者・・・・・(以下省略)
◆右側面:金子光吉再建  願主 金子利助
昭和61年3月 埼玉県・北本市』

この信仰なら爆発的に広がるでしょうね。お試しキャンペーンみたいな信仰ですから、とりあえず誰でもやってみようと思いますわね。実に都合の良い信仰です。
ただ、何故に”北向き・・・”なのか。単に北を向いているから”北向き・・・”じゃあ芸が無いと思うのですが。

「北向き地蔵」がむいている北の方角へ進むと間もなく左側と斜め右側に神社があります。
左側の神社は須賀神社というそうです。由来書です。
北本自然と歴史散策 【須賀神社】


須賀神社 所在地 北本市大字荒井
須賀神社は、天正年間(1573~1591)の勧請と伝えられ、「新井の天王様」とも呼ばれている。
明治六年四月。荒井村村社に列せられ、大正年間には、村社の浅間社・橿城神社・神明社等を合祀しており、祭神は、素戔嗚尊の他・木花開耶姫命・伊弉諾尊・伊弉冉尊・倉稲魂命等が祭られている。
祭事は、節分祭(2月3日)・夏祭(7月14日~16日)・冬至祭(12月22日)で、特に夏祭は、御輿・山車が出て盛大に行われる。
昭和61年3月 埼玉県・北本市』

ここからすぐ右前にある神社が氷川神社です。こちらにも由来書があります。
北本自然と歴史散策 【高尾氷川神社】


氷川神社 所在地 北本市大字高尾字宮岡1077番地
氷川神社の祭神は、素戔嗚尊、市杵嶋姫命、大雷命、誉田別命、大物主命、菅原道真公である。
貞観十一年(869)十月十八日の創建とされ、高尾村、荒井村,北袋村、石戸宿村、下石戸上村他の鎮守としたと言う。また、境内には厳島神社も祭られている。
昔、御手洗川のほとりに御神木といわれた幹周り二丈五尺余(約八メートル)もある杉の大木があり、この杉より龍が昇天したと伝えられる。元禄十四年(1701)十月二日の大風でこの御神木は根元より吹き倒されたため、これを惜しんだ氏子たちが、その跡を掘り上げて島を造り、社を建てたのが厳島神社の起こりと言われている。
厳島神社の御神体の尊像は、宝暦六年(1756)江戸神田新銀町中島久四郎という者が弁財天のおつげにより、この地を訪れ奉安したものといい、現在の石橋、石段もそのとき奉納したものといわれている。
明治以降は養蚕の守護神として参拝されるようになった。
なお、氷川神社の祭事は、春祭四月十八日、例祭七月十八日、秋祭十月十八日におこなわれている。
昭和62年3月 埼玉県・北本市』

両神社ともに歴史的に由緒ある神社のようです。広さも同じくらいでしょうか、どちらも広い境内です。
主祭神はどちらも素戔嗚尊で、歴史的には氷川社の方が古いようです。それにしても何故このような近くに同じような神社があるのでしょうか。
両方の神社をあわせると、常に一年中祭事がある感じで、それはそれで楽しいかもしれませんね。一年中お祭・・・みたいな。
北本自然と歴史散策 北本自然と歴史散策 【左:須賀神社社殿、右:高尾氷川神社社殿、どちらも似たような社殿です】


そしてこうなると厳島神社を見なければなりませんね。ということで探すと丁度氷川社と須賀社の間といったらよいでしょうか、道沿いに鳥居がありますが、社殿は階段下です。件の石橋と階段も健在のようです。
北本自然と歴史散策 【厳島神社の石橋と石階段】


弁財天の幟が階段脇にずらっと立ててあり、社殿は周りを濠で囲まれた(といってもコンクリート製)浮島の感じです。この濠の中の水は湧水だそうです。なかなかこういった境内はそう無いでしょうね。
とにかく三神社を参拝し先に進むこととしました。滅多に無い光景でしょうね、神社密集地帯とは。
北本自然と歴史散策 【浮島のような厳島神社】


氷川社の隣に地元のJAでしょうかトマトを配っていました。ちょうどテント張りで”駅からハイキング”の方先着1,000名に配布しているようです。
よっぽど私の顔が欲しそうにしていたのでしょうか、「どうぞ」と声をかけていただき差し出していただいたので、断るのもなんだし・・・ということでチャッカリ頂きました。
これはJRの企画に地元北本市の協力ということで”駅からハイキング”のプレゼントといったところでしょうか。
「北本トマト」と言って小ぶりですが結構美味しいトマトでした。
北本自然と歴史散策 【北本トマト】


「地元のPRも大変だなあ」などと思っていましたが、あとで調べてみたら何と由緒正しきトマトだったのですね。
地元、”岡乃家”のサイトにちょっとした解説がありましたので引用します。

『「石戸トマト」と言うのをご存知ですか?北本には大正末期から昭和17、8年頃まで全国にその名を響かせたトマト産業があったのです。
当時日本ではトマトを食する習慣が無く、種をアメリカに輸出するために栽培していたのです。トマトの果実はすてられる運命にありました。
そこで何とか果実を生かせないかと思考錯誤の上、開発されたのがトマトクリームでした。ポンテローザという品種で作られましたトマトクリームは農友会の若者達の手で缶詰にされ、精養軒、帝国ホテルなどで大変高く評価されました。
昭和3年には埼玉の名産として、優良国産賞を受賞し日本一の折り紙をつけられるようになり、中国、ヨーロッパにまで広がった国際的商品となったのです。』

ということで由緒あるトマトだったことは判ったのですが、では現在はと言うとこれがまた結構町興ししているんですね。
北本市としては「石戸トマト」の後継ともいえる「北本トマト」のブランド化を図ることを目的に、イメージキャラクターの募集を行い『北本トマトイメージキャラクター』として3点を選出したそうです。そしてさらにこのキャラクターの1点を「キャクター着ぐるみ」として製作したそうです。
結構色々なことを試みているのですね。
北本自然と歴史散策 北本自然と歴史散策 【「北本トマト」キャラクター3点のうちのNo.1と着ぐるみ (C)北本市】


因みに先の”岡乃家”には「トマト大福」なるものがあるそうです。知っていればお土産に買ったのですが。

参考:【岡乃家】 http://www.kitamoto.net/tko/okanoya/index_2.htm

プチハッピーを感じながら先に進むと菜の花が一面に咲いている場所に着きます。
北本自然と歴史散策 【菜の花まつり会場】


ここは”北本市景観作物振興会”が主催している「菜の花まつり」だそうです。屋台やちょっとしたアトラクション、さらに山車ではお囃子が鳴っています。
所謂”ソーラン”踊りって言うやつですか、そんな衣装の女性が大勢いますね。これからなのでしょうか、それとも終わったあとでしょうか。
それにしても一面の菜の花は見事ですね。その菜の花の中で半分はゴルフコース(パッティングのみの)になっているのですから驚きです。お年寄りが結構ゴルフっています。
色々な意味で見事な「菜の花まつり」でした。

「菜の花まつり」会場から5分ほど行った交差点に「伝鎌倉街道」の案内にもあった「道標」があります。解説板です。
北本自然と歴史散策 【道標「これより石と舟とみち」】


『市指定歴史資料 道標「これより石と舟とみち」 昭和53年3月15日指定
この道標は、享保十二年(1727)に、馬室(鴻巣市)から石戸宿へ通じる、鎌倉街道と伝えられる道沿いに建立されたものである。
〔銘文〕
◆正面:西 たかお舟とみち  北 かうのすミち
◆裏面:高尾村 享保十二年未天四月吉日 荒井平兵衛
◆左側面:左川越道
◆右側面:これより石と舟とミち
ここでいう「石と舟と」とは「石戸河岸」のことである。
荒川は、江戸時代から大正時代頃までの長い間、舟運が栄えていたが、この道標は、その河岸の存在を示す貴重な資料である。
現在、実物は北本市教育委員会で保管している。
平成6年3月 北本市教育委員会』

「伝鎌倉街道」では上尾市の平方と結ばれていたそうですが、平方はかつては同じ舟運の河岸の町です。 そういった意味で、荒川を通じた舟運があったのかもしれませんね。

それにしてもこの交差点にはレプリカが立ててありますが、その前に樽型の反射板が置いてあり、最初はこれで隠れていてレプリカさえも気がつきませんでした。
よっぽど突っ込んでくる車が多いのでしょうね。確かに実物を置いといたら間違いなく粉々になるでしょうね。
ちょっと感動的でもある道標を見ていよいよこれが最後となりました。
北本自然と歴史散策 【道標レプリカ】


この道からは一本道で北本駅に向かいます。この道は往復1車線のみの道ですが、途中から片側1車線に広げられています。 まあ、駅からのメインストリートですから整備されているのでしょう。
道の両側には桜が植えられていて、まだ植えられたばかりなのか開花していませんが、いつの日か桜並木の通りとなるのでしょうね。
現在は道沿いの学校の桜が見納めです。
北本自然と歴史散策 【北本での最後の花見】


途中から調子に乗って歩いた”駅からハイキング”は全長12Kmだったそうです。
最初の「自然観察公園」まではバスを利用したのでほぼ三分の二、8Kmくらい歩いたでしょうかね。結構疲労感は拭えません。全工程歩いたら・・・無理ですね、恐らく。
でもそんな疲労感も様々な見聞をしたことによって充実感に変わる、そんな感じです。
”感動桜国・北本”のキャッチコピーは伊達ではなかったようです。更に自然と歴史を満喫できるとは思っても見ませんでした。様々な点で感動桜国として努力している北本市には、結構感動されられました。

因みに”駅からハイキング”を調べていたら6月に上尾で実施されるそうです。
15Kmだそうでかなりきついでしょうが、それこそ平方方面を巡るらしいので、参加してみようかな・・・!?

2009.4.10記

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