鷲宮神社 #2

ちょうどこの社殿は鳥居から見ると横向きになっています。これがこの神社の特徴らしいのですが、どうしてそうなったかは判りません。
鷲宮神社拝殿
今日は七・五・三なのでしょうか、着飾った子供をつれたファミリーが多いようです。天気も良くなって良いお日柄です。

鷲宮神社 社殿

参拝を済ませて境内を散策してみます。
鷲宮神社拝殿
拝殿は比較的簡素な作りですが、それなりの歴史を感じさせてくれるような重さがありますね。
拝殿の前にはいくつかの写真とその説明が置いてあります。

スウェーデン国国王陛下、王妃陛下御案内・天皇陛下、皇后陛下行幸啓の際の神楽上演
この写真は宮内庁からのご要望に応えて平成19年三月28日天皇陛下皇后陛下がスウェーデン国国王陛下王妃陛下を御案内して川越市へ行幸啓なさった際、その御前において鷲宮神社国指定重要無形民俗文化財、土師一流催馬楽神楽を上演し、御高覧いただいたときの写真の一部です。
埼玉県報道長の撮影によるものです。
内一枚は、お出迎え、自己紹介をしている写真、内一枚は、神楽を御鑑賞いただいている写真です。なお鷲宮神社宮司相澤力と土師一流催馬楽神楽保存会長針谷重威はお出迎え、自己紹介後、保存会長は神楽上演に先立って、ご説明申し上げた後、天皇陛下の後ろの座席で御質問にお答えする、宮司は皇后陛下の後ろの座席で御質問にお答えする光栄に浴しました。』(現地案内より)

もう一方には神楽の写真が並べられていました。

鷲宮の神楽
関東最古の鷲宮神社に古くから伝えられてきた神楽で関東神楽の源流と評価されています。
古い形そのままを今に伝えていること、平安時代に流行した歌謡催馬楽を取り入れていることなどから貴重な神楽として昭和51年五月、国の重要文化財に指定されました。』(現地案内より)

いずれにしても天皇・皇后を迎えるに(立ち寄るには)ふさわしい場所と目的ということでしょう。それだけこの神社の価値が高いということのまさに表れですね。

ぐるっと社殿を回ってみると、一見してなんと本殿が二殿あります。
鷲宮神社本殿
近づいて良く見れば左側の本殿は「神崎神社」と記載されていました。
神崎神社
これは、由緒略伝にあったように、「…当神社は出雲族の草創に係わる関東最古の大社である。神代の昔に天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外27の部族等を率いて当地に神崎神社(大己貴命)を祀り、さらに天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀したのに始まる。」と記載されていた「神崎神社」のことで、ここでいう別宮が現在の本殿ということになります。

つまり現在の御祭神の三神は最初に「大己貴命」が「神崎神社」に祀られ、その後(この間どのくらいの時間が空いたかは定かではありませんが)「天穂日命」が「鷲宮神社」(別宮)の祀られたということです。
そして更にそれから随分と時が過ぎた影行天皇の御世に「武夷鳥命」が「鷲宮神社」に相殿で祀られたという時系列ですね。
横向きの社殿も珍しいなら、見た目本殿が二殿あるのもまた珍しいのでしょうかね。

ところでこの三神のプロフィールは…という事でちょいと調べてみました。
大己貴命(オホナムチノミコト):一般的にあまり聞き覚えのない神ですが、よく知られているのは「大国主」、いわゆる「だいこくさま」といわれている神の別名です。
出雲神話に登場する神で、天の象徴である天照大神に対し、大地を象徴する神格だそうです。素盞鳴尊の子孫(6代後とも言われているらしいですが…)で、因幡の白兎といえば判りやすいでしょう。
大国主を祀る神社の代表はご存知の出雲大社で縁結びの神として知られていますが、国造りの神として農業神、商業神、医療神としても信仰されています。なお、「だいこくさま」といわれているのは「大国」が「だいこく」と読めることから、同じ音である大黒天と習合して民間信仰に浸透したためだそうです。

天穂日命(アメノホヒノミコト):天穂日命が登場するのは「国譲り」という神話のなかです。地上の統治者大国主命から国を譲ってもらうために、天照大神は天穂日命を大国主命の交渉役として遣わされたという内容です。
説得に向かった天穂日命ですが、逆に大国主命から説得された挙句心服し地上に住み着いて3年たっても何の連絡もしなかった不届き者として古事記や日本書紀に記載されているそうです。
ただ、彼の名誉のために付け加えると、「出雲国造の神賀詞」によると、そもそも天穂日命は地上の悪神を鎮圧するため地上に遣わされ、地上の様子をきちんと報告した上で地上を平定した偉大な神と記述されているそうです。
どちらを真実かは個人の勝手ですが、「出雲国造の神賀詞」は天穂日命の子孫が書いたものなので、若干割り引いて考えなければならないでしょうが…
この天穂日命は国土開発、産業振興の神としての性格を持ち、さらに人々の生活全般の守護神として信仰されていたことから、農業をはじめとした産業開発の面で霊力を発揮しているそうです。

武夷鳥命(タケヒナトリノミコト):世間的には「建比良鳥命」と書くのが一般的らしいです。この神は意外と地味な神で、あまり華々しいエピソードがないようです。しいて挙げれば「日本書紀」の記述で、崇神天皇が「武夷鳥命が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言ったとか言わないとか。
この神を祀っている神社はそれほど多くないようです。

このように、超メジャーからディープな神まで、なかなかバラエティに富んだ三神を祀っている神社なのです。(また、罰当たるのかなあ)

しばらく散策していると本殿で何やら怪しい人影が…
本殿の宮司
下のほうが見えないので良くはわかりませんが、おそらく時間的に考えて社宝か、何やらをしまっているのではないかと推測されます。

この後宮司と思われる方をはじめとして、拝殿から出てきて記念撮影をされていましたので。
本殿をバックに記念撮影
あまり見る機会がない光景で、プチラッキーでした。
社殿の周りをぐるっと巡って、次に神楽殿に向かう事にしました。

鷲宮神社 神楽殿

向かうといっても社殿のすぐ目の前が神楽殿です。
神楽殿
ちょうど社殿と神楽殿の間が参道の延長上にある配置です。

『神楽殿は南面する本殿に向かいあっている入母屋造り、三方吹き抜けです。鏡板の前には、日丸に松が描かれています。間口三間、奥行二間半の舞台の奥に三尺の囃子座があります。また、東に間口一間半、奥行一間の橋掛かりがあります。東西に出入口があり、東が舞人、西が拍子方の出入口となっています。
神楽を行うときは、舞台前の中央に朱塗りの机を神座として置き、その上には、中央に大きな白の幣を、右に白の小幣、左に色幣をたてます。…』(鷲宮の神楽パンフレットより)

文政4年(1821)再建されたそうですので江戸末期ですね。古いというより随分使い込まれているなあ、といった感じでしょうか。

神楽殿のまん前にある、これが神座ですね。
神座
大分色があせているようですが、日丸と松の絵です。
神楽殿内
その前にある一番右側の太鼓の奥が西の拍子方の出入口でしょう。
また、日丸と松の絵の上には額が何枚か掲げれれていますが、やはり謂れがあるのでしょうね。
この部分が橋掛かりで、この奥に舞人の出入口があるのですね。
神楽殿内
このようにいたって歴史観あふれる神楽殿です。
ますます、今日の神楽が楽しみですが、もう少し時間があるようなので更に境内を散策することにしました。

鷲宮神社 境内社

鷲宮神社の境内は広く、その中に社殿以外の境内社などが多く祀られているようです。
御祭神は先の三神ですが、合祀祭神は九柱だそうです。
九柱とは、武御名方神・伊邪那美神・大山祇神・宇迦之御魂神・大山咋神・天照皇大神・迦具土神・素箋鳴尊・菅原道真です。

まずは神楽殿のすぐ近くにある「姫宮神社」です。比較的小さな社です。
姫宮神社
初めて聞く名前の神社で、埼玉県宮代町の「姫宮神社」での祭神は「多記理姫命」「多記津姫命」「市杵嶋姫命」の三神だそうです。

時計回りに進むと「八幡神社」があります。
八幡神社
ここは独自の鳥居を持ち短いですが参道もあり、奥に社殿が控えています。
「八幡神社」の祭神は所謂八幡神で、八幡神は応神天皇であるということになっているようです。

その先にまた別の鳥居があり、鳥居をくぐってすぐ右手に「鹿島神社」があります。
鹿島神社
祭神は「武甕槌神」で鹿島神社の総本社は「茨城県の鹿島神宮」です。

「鹿島神社」の前を先に進むと「稲荷社」です。
稲荷社
「稲荷社」の祭神が「宇迦之御魂神」で、穀物・農耕・商工業の神として信仰されていて、伏見稲荷大社をはじめ全国の稲荷社で祀られています。

更に奥に進むと「神明神社」があります。
ここまでくるとかなり杜の奥となり、境内の一番端になります。
神明神社
この「神明神社」の祭神が九柱のうちの「天照皇大神」で「神明神社」の総本社はいわずと知れた伊勢神宮の内宮です。

ここから一旦杜の中の散策道を通って、「金燈篭」のあるところに戻りました。
境内の散策道

ここからまた参道を通って、本殿の手前にあるのが「八坂神社」です。
八坂神社
総本山は祇園さんで有名な京都「八坂神社」で祭神は「素箋鳴尊」です。

右側に「八坂御輿殿」と刻まれた石柱と神輿殿があり、左側にも大きな御輿が格納されている神輿庫があります。
八坂御輿殿 八坂御輿殿神輿

鷲宮の神輿
関東最古の鷲宮神社に伝わる本社神輿は、江戸寛政年間(1789)に造られたものです。
台座は、縦・横とも約1.4m、重さが約3トンあり俗に「千貫みこし」とも呼ばれ県内では最大のものと言われています。
神輿は例年夏祭り初日の7月13日に渡御していましたが、一回に180人、交代要員を入れると500人以上の担ぎ手が必要なため、大正2年(1913)には車に乗せて引くようになりました。
それ以降「人が担ごう」という話は何度となくありましたが、余りの重さと担ぎ手不足からついに実現しませんでした。
しかし、昭和58年地元有志により祭輿会が組織され70年ぶりに見事復活しました。今では担ぎ手も関東一円から集まるようになり、毎年9月の第一日曜日には勇壮な一大ページェントがくりひろげられます。』(現地案内板より)

毎年9月ですか。来年は是非見たいものですね、千貫みこし。

「八坂神社」の隣には「諏訪神社」があります。ここは鳥居があるのですが社はなく、石碑が建っているだけのようです。
諏訪神社
この「諏訪神社」の祭神は「武御名方神」で軍神として知られ、農耕神、狩猟神として信仰されているそうです。

そして更にその先には、ちょうどこのあたりは本殿の真裏になりますが、「栗島神社」と呼ばれる社があります。「栗島神社」という神社は調べてもあまりよくわかりませんでした。
栗島神社

最後に参道に戻り「光天之池」の前に「久伊豆神社」がありました。
久伊豆神社

「久伊豆神社」の祭神は「大己貴命」で元荒川流域を中心としたエリアに分布していて、北埼玉郡騎西町の玉敷神社が、かつて 「久伊豆明神」と称しており、久伊豆神社の総本社とされているそうです。現在は「クイズ神社」として業界では有名だそうです。
以前【岩槻の久伊豆神社を訪れましたね。
以上が一応全部だと思われる(といっても何か資料があって散策しているわけではないので…)境内社です。

ということで、伊邪那美神・大山祇神・大山咋神・迦具土神・菅原道真の五神が出てきていないのですが、何か別名になっているのでしょうかねえ。でも明らかに菅原道真は天神社がなければありえないでしょう。
そう考えると秘密は「栗島神社」にあるようで、”埼玉の神社”(埼玉県神社庁)によれば、この「栗島神社」は「十社相殿」と呼ばれていたそうなので、このあたりに鍵があるのではないかと思うのですが。
いずれにしてもマルチな神々によって御利益たっぷりの鷲宮神社、ということです。

そろそろ今回の目的の一つである神楽の時間が近づいたようなので、再び神楽殿に向かいます。

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