鷲宮催馬楽神楽

当初11:00くらいから始まる予定だったそうですが、30分押しの11:30から開始のようです。
お囃子の人も準備ができたようで、まずは挨拶からでした。

鷲宮催馬楽神楽について

はじめに登場されたのが、先に天皇・皇后のご案内をされた保存会長の針谷重威氏の挨拶と神楽の説明でした。
保存会長の針谷重威氏
神楽のパンフレットをいただいていて、それについてより理解を深めていただきたいために一所懸命作られたそうなので、このパンフレットを説明の変わりにします。

『鷲宮の神楽 国指定重用無形民俗文化財 土師一流催馬楽神楽(はじいちりゅうさいばらかぐら)
-催馬楽神楽の特徴-
神楽の始行年代は、明かではありませんが、東鑑に紹介されています。江戸享保年間以前には三十六座の曲目があり、それを時の大宮司藤原久氏が現在の十二座に再編成したと伝えています。
演目の大半は記・紀の神話に材を取った一種の舞踊劇で神楽舞の中に催馬楽を取り入れている特色があり、舞いの形には四方固めとか三度(三歩」ずつ歩く)などといった宗教味の濃い動作が含まれています。なお、関東地方に分布する神楽の多くが、この土師流から出たということから、関東神楽の源流と称されています
昭和35年3月1日 県指定。昭和45年6月8日 国選択。昭和51年5月4日 国指定重要無形民俗文化財。』(神楽パンフレットより)

名称についての補足です。

『鷲宮催馬楽神楽の正式名称を土師一流催馬楽神楽といいます。鷲宮神社は、古代に素焼の土器を製作していた「土師部(ハジベ)」の人々が創建した神社との伝承があり、初めは「土師の宮」と称していたのが、いつからか「ハジ」が「ワシ」に訛って現在の社名になったと伝えられています。神楽の名称もこの伝承に基づき、「土師」の名称を用いています。
また、催馬楽とは、平安時代に流行した歌謡の一種です。一説には、地方から朝廷に年貢を運ぶ時に馬子が歌ったことから、この名前がついたと言われています。このように、古い時代の歌が演目に取り入れられているのです。』(鷲宮町オフィシャルサイトより)

演奏者
この神楽は、一社相伝の社伝神楽です。神楽を奉納する家柄は、代々世襲し、神楽役と呼ばれ、神社より知行(田畑三反歩)を与えられていました。
しかし、この神楽も、昭和20年前後から衰退し始め、伝承者も白石国蔵氏ただ一人になってしまいました。
この事態を売れいていた頃、昭和30年7月31日に「浮橋」と「鎮悪神」の笛がNHK放送によりラジオで流されました。これを機に若者十数人を集め、白石国蔵氏の指導のもと70日間の猛練習をし、10月10日に十二座の一部を公開することができました。このときは、「鷲宮神社神楽復興会」と称し、会長に針谷健次氏、名誉会長に宮司の相沢正直氏、そして、世話人として氏子総代の鈴木福太郎氏が当たり、多大な尽力をされました。』(神楽パンフレットより)

会長の冒頭の説明に、かつて神楽について宮中参内する際、会長(針谷重威氏)の父である健次氏(推測)が亡くなられた後だったので、代わって重威氏が参内したそうです。
その時に聞かれたのが「後継者は大丈夫ですか」との事だったそうで、はっきり「大丈夫です」と応えられたとのエピソードを披露されていました。
いくら文化財に指定されても演じる人がいなければ、何にもなりませんからね。
現在は子供も含めて随分と若い方が多いようなので、一安心と言ったところでしょうかね。これも地道な努力なんでしょう。

編成と曲目一覧
舞人、拍子方と謡方で編成されています。舞人の数は、曲目によって異なり、1~4名です。拍子方は小太鼓、大太鼓、大拍子、笛それぞれ1名で、東から順に囃子座に並びます。謡方は一名で、この西側に加わります。』(神楽パンフレットより)

もちろん舞人、拍子方は分業ではなく、それぞれが両方できるようにしてあるようですが、謡方は会長お一人が勤めていらっしゃるようです(見た限りでは)。
と言ったことが神楽の概要です。詳しくはオフィシャルサイトに詳しく説明されています。

参考:【鷲宮催馬楽神楽】http://www.town.washimiya.saitama.jp/kakuka/18shiryo/kagura/kagura.htm

土師一流催馬楽神楽

さて実際の神楽の始まりです。
最初に演じられるのは当然ながら第1座です。

第1座 天照国照太祝詞神詠之段
第1座 天照国照太祝詞神詠之段

『素面(面をつけない)の一人による舞いです。中啓(扇)を持って舞い、その後、祝詞を読み上げ、中啓を幣と鈴とに交換します。次に、神詠を詠じ、神楽歌・催馬楽を歌います。
この「天照国照」というのは、天と地をわけへだてなく照らす、また「太祝詞」とは、りっぱな祝詞という意味です。
祝詞は、天照大神が天の岩戸に隠れてしまったときに、その前で天児屋根命が奏上したことが始まりといわれています。祝詞とは、その志しを申し上げることで、この曲目でも「今日、これから神様へお神楽をおあげしますが、安全でありますよう、よろしくお願い申し上げます。」とごあいさつをします。
ここで唱えられるのは、八雲の神詠(「八雲たつ 出雲八重垣 妻こめに 八重垣つくる その八重垣を」)です。これは三十一文字(和歌)の始まりで須佐之男命が出雲で八岐大蛇を討ち果たしときにうたった歌であるといわれています。
この曲目は、12座の最初に舞われます。』(鷲宮町オフィシャルサイトより)

実にゆっくりとした動きです。
冒頭会長からの説明にもあったとおりエンターテイメントではなく、あくまで宗教的・儀式的意味合いの神楽なのが良くわかりますが、逆に内容が良く理解できません。
クラシック音楽のストーリーがわからないと眠くなるのと同じでしょうか(いやまた罰が当たりそうです)。実際笛の音が実に気持ちいよいですので。
囃子方
基本は神話の世界です。天照大神が天の岩戸に隠れてしまったときに、何とか出てくるよう興味をわかせることをすればよいと、岩戸の前でドンちゃん騒ぎをしたという話は本当…ではないでしょうね、まさか。
などと不謹慎なことを考えていると一座の終了です。
観客は6~70人と言ったところでしょうか。そうしているうちに次の演目の始まりです。

第2座 天心一貫本末神楽歌催馬楽之段
第2座 天心一貫本末神楽歌催馬楽之段

『素面の二人による舞いです。一人は山雷神で榊と鈴を、もう一人は野槌神で篠と鈴を持って舞います。
「催馬楽」とは、平安時代の歌謡で、諸国からの貢物を納める際に、それを背負わせた馬を駆り立てる時に口ずさんだ歌などといわれています。
山雷神と野槌神は、山野を守る神といわれており、記紀の中には、天照大神が天の岩戸に隠れてしまった時に「山雷にはたくさんの常緑樹から多くの玉串を採らせた。野槌はたくさんの小竹から多くの玉串を採った」とあります。
よく神事に使用される榊と篠を持って舞うのは、榊が多くの木の祖で「栄え木」ともいわれ、また、竹(篠)も常緑多年草で一年間に真直ぐにのびて親竹に成長するので、ともにおめでたい木だからです。いずれも常磐(永久不変)の木といわれ、どこの神社でもその境内に植えられています。
この曲目は、建築に当たっての清めの舞いともいわれています。
なお、この曲目名は『鷲宮古式神楽正録』では、「天心一貫神楽歌催馬楽之舞」となっており、「本末」という字が入っていません。』(鷲宮町オフィシャルサイトより)

天の岩戸第二幕といったところでしょうか。
普段何気なく知っていた榊や竹の意味がはじめてわかりました。神棚には「榊」という”パブロフの犬”状態でしたから。
結構ウンチクありますね。
この曲目は、建築に当たっての清めの舞いだそうですが、現在における住宅建設の際の柱が組みあがったときに行われる「建舞」はここから来ているのでしょうかね、いやあ、ディープな世界です。

第2座を演じているのは高校生だそうです。心なしか緊張気味に見えるのは「おっさん」の考えすぎでしょうか。でも堂々たるものでしたね。もう一人は実は女性だったそうで、凛とした佇まいが素晴らしかったです。
これも動きはゆったりとしていて、時計回りに舞いながら中央に進んで、また時計回りに舞うと言うところが基本の動きのようです。やはり儀式的な意味合いが溢れ出ているようです。

次の座に移る前にまた会長からの説明があり、あくまでこの神楽が宗教的・儀式的な意味合いを持ち、かつ神に奉納するためにあえて神楽殿が社殿の目の前に相対峙している、大変珍しい配置だそうです。
神楽殿のすぐ前の社殿
次の演目は国づくりのための五穀豊穣を祈る舞です。

第9座 五穀最上国家経営之段
第9座 五穀最上国家経営之段

『二人による舞いです。一人は倉稲魂命で、三番叟の面をつけ、三方、扇、鈴を持ちます。もう一人は、面をつけた保食命で種壺、扇、鈴を持って舞います。
神楽歌の後、種壺より種子(洗米)を三方につまみ入れ、種まきの動作などをします。
「五穀最上」というのは、米・麦・粟・豆・稗の五穀の中で、米(稲)は、「命の根」にも通じて、最も大切な穀物であるということです。
その米をまいて国土を豊かにするので、この舞いを通称「種まき」といっています。
また、「国家経営」とは国づくりのことで、国を治めるには、まず初めに人々に食物の心配がなくなるための農業が大切だといいます。 君主は人々を安心させ、人々は君主を養うために農業に精を出し、それぞれ一生懸命働けば、国家は安泰であるということを教えています。
この神楽は、五穀が実り、国が豊かに栄えることを表わした舞いです。
なお、保食命は五穀をつかさどる神で、倉稲魂命は食物、特に稲をつかさどる神といわれています。』(鷲宮町オフィシャルサイトより)

ちょっとグロい面が印象的です。多少大きな動きもありますが、基本はやはりゆったりとした動きです。
始まる前の説明時に会長から五穀についての質問が観客にありましたが、意外と年配者でも知らない人多いみたいですね。勿論、私は知りませんでしたが、このような演目だったからですね。
時刻はPM12:30頃です。午前中の演目はこれで一旦終了で、PM1:30~午後の演目の開始だそうです。
午後の演目の中には小学生(少女)により舞いもあるようで、是非とも見てほしい旨の案内があったのですが、残念ですがこれで終わりにするつもりです。

主に神話の時代(神の世界)をテーマに世の戒めや祈願を表現したもので、当然ながら各演目に意味合いがあるようです。
簡単に列記してみます。

第1座 第1座 天照国照太祝詞神詠之段:神楽始まりの挨拶
第2座 天心一貫本末神楽歌催馬楽之段:建築にあたっての清めの舞
第3座 浦安四方之国固之段:国を強くするとともに、天候回復の祈願
第4座 降臨御先猿田彦鈿女之段:五穀豊穣、国家安穏、さらに安産の祈願
第5座 磐戸照開諸神大喜之段:「天岩屋戸」の神話を題材にした喜びの舞
第6座 八洲起源浮橋事之段:子孫繁栄あるいは開運を祈願
第7座 大道神宝三種神器事之段:国を鎮め、守る演目
第8座 祓除清浄杓大麻之段:心身を清浄にし、身の過ちを改めなさいという教え
第9座 五穀最上国家経営之段:五穀豊穣、国家繁栄祈願
第10座 翁三神舞楽之段:平和な世の中であっても用心が必要であることを教え
第11座 鎮悪神発弓靱負之段:諸々のたたりを鎮める演目
第12座 天神地祇感応納受之段:祈願成就のための最後の演目
外 天津国津狐之舞:勧善懲悪の舞
*この演目は江戸の郷神楽からの逆輸入されてきたと言われ、鷲宮神社では奏演されず、八甫地区の鷲神社でのみ行われるそうです。
番外 太刀折紙之舞:家内安全、悪魔よけの舞
*12座編成前の古い神楽の名残と言われる演目
端神楽:他の演目と演目の間に行われ、舞台の端から端まで幣で祓い清めるかのように舞う演目

以上が催馬楽神楽の全演目とその概要で、このような内容だからこそ国指定となったのも頷けますね。
非常に貴重なものを見ることができました。

らき☆すた

鷲宮神社の文化にどっぷりと浸かって、名残惜しいながら後にしました。

参道を戻るとペンタゴンの柵にたくさんの絵馬が奉納されています。
絵馬掛け
ふと見ると、なんと絵馬ならぬキャラ(って洒落になっていない)です。しかもほとんどが。
絵馬掛け絵馬掛け
これがうわさに聞く「らき☆すた神社」の所以なのでしょう。

そういわれてみれば鷲宮神社に着いてから、キャラの匂いがしないので意外とブームは静かなんだと思っていたのでしたが、やはりありましたね。
大宮氷川神社】のところで2009年の初詣参拝客数を調べたところ、埼玉県内では大宮氷川神社の205万人は別格として、川越喜多院とならぶ第2位の42万人動員したのが、この鷲宮神社でした。

そもそもこの「らき☆すた」とは”美水かがみ”という漫画家の4コマ漫画だそうで、2007(平成19)年4月~9月までアニメ版が放映されたものです。
主人公は女子高生4人で、うち2人の姉妹の住む「鷹宮神社」のモデルが鷲宮神社とされて、“聖地巡礼”と称して2007年の夏ごろからアニメファンが詰めかけていたようです。
そのすさまじさを先ほどの初詣参拝客数を遡ると理解できます。

2009年-420,000人、2008年-300,000人、2007年-130,000人、2006年-90,000人、2005年-65,000人(埼玉県警察本部地域課調査数値)と言うように2005年から比べると約6.5倍、アニメ放映後の2007年と比べても約3倍以上の増加です。
これだけ参拝客が増える神社もそうないでしょうね。
更にそれにともなって経済効果もすごいようで、今年の元旦はピーク時に14,000人が並び待ち時間は3時間以上だったそうです。
そして、『冨久銭』というお守りの硬貨の2日で完売。更に正月限定のキャラクターストラップ7000個が即完売で、お詫びを出す始末と言うことですが、地元にとってはありがたい話で、「らき☆すた」様々ですね。

鳥居の外に出ると朝は閉まっていた「大西茶屋」なるお店があります。地元商工会が運営しているそうですが、ここも「らき☆すた」の聖地の一つらしく、2階には「らき☆すた」のグッズなどが展示されているそうです。
大西茶屋
ここもパワー全快ですね。

ある意味古の文化と最新の文化が融合した(…か、どうかは定かではないが)とっても摩訶不思議な魅力のある鷲宮神社は非常に興味深い神社でした。
ただ、いずれブームが去ったときにどうなるのでしょうかね。おそらく町の方も一過性のものと割り切っているかも知れませんね。
そんなことをふと考えながら駐車場に戻り… 

「オオーーーっと」わたしの車の隣に、えっとこういうのなんと言うのでしたか… そう「痛車」ってやつが!!!!
痛車
ハッキリ言ってはじめて見ました。
「す、すご過ぎる…」 でもキャラの是非は別として「族車」よりもアートですね。そう、ここまでくれば芸術ですよ、これは。
そもそも「痛車」って言葉もどうゆう意味だか判りませんでしたが、「痛々しい」から来ていると聞いてなるほど言いえて妙と思いましたね。
たしか、旧庄和町の【大凧あげまつり】で「痛凧」を見ましたね。

これはこれでやはり一つの文化なんですね。実にオッサンには刺激のある鷲宮神社でした。

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