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町立郷土資料館 #2

恐ろしいほどヘビーな史料に圧倒された企画展を出て、常設展示を見ることにします。
企画展だけでも結構疲れてますが、常設展はどうなのでしょうか。

常設展は大きく2つのテーマに分かれています。1つは「鷲宮の歴史」でもう一つは「神楽の世界」です。
どのような展示が見られるのか楽しみです。
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

常設展:鷲宮の歴史

常設展は鷲宮の歴史を時代ごとに順をおって展示・解説されています。
ただ、「かぐらの里鷲宮」とPRしているくらい、鷲宮町と鷲宮神社の関係は神社の歴史そのものの多くが町の歴史でもあるくらいのため、この常設展でも鷲宮神社に関するものが多くあるようです。

最初のコーナーは、古代期の「鷲宮のあけぼの」と「太田荘と下河辺荘」と題されたコーナーで、展示品としては町内の遺跡から発見された出土品などが展示され、平安時代末期における開発領主の太田氏と下河辺氏と鷲宮神社、そして人々の関係が説明されています。
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

また、「太田荘と下河辺荘」の展示品としては結構大きな県指定文化財の「木造釈迦如来坐像」(複製)があります。
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

木造釈迦如来坐像(複製)
もと大乗院にあったとされる釈迦如来の坐像です。大乗院が廃寺となった明治時代初め、近くの例樹寺に移されました。
この仏像は平安時代に作られた古い仏像ですが、手足は後の時代の修復の際に新しく作られたものです。
「大乗院由緒書」によると、奈良の唐招提寺のものであったこの仏像を、元禄の再建の際に後ろ盾となった僧の隆光が大乗院へと寄付したようです。
絵図等では、境内に「本知どう」という名前のお堂が確認できます。この釈迦如来坐像は本地堂に安置されていたと考えられています。』(館内説明パネルより)

次は中世のコーナーで、大きく分類すると3つに分かれます。

1.鷲宮神社の登場
鷲宮神社の文化財が展示されています。
ちょうど企画展が開催されているので、重複する部分もありますが企画展にはない文化財が展示されているので非常に興味深いです。

国指定重要文化財「太刀」(模造):
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

『小山義政が永和2(1376)年に奉納した太刀で、備中国青江派の刀工吉次の作です。
刀身の長さ:102cm(3尺3寸5分) 反り:3.3cm 重さ:1.85kg 重ね(厚さ)0.9cm』(館内説明パネルより)

県指定文化財「銅製蓬莢文鏡」:
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

『青銅製の和鏡です。
描かれた文様の特色などから室町時代の作といわれています。
 この鏡も中国の伝説に基づいた蓬莢山の文様をあらわしています。中央に紐をとおす亀甲文の紐、その左側にニ羽の鶴が頭を下げて向き合い、その足元には、二匹の亀がたわむれています。右側には、松の木がそそりたっています。下方には、一匹の亀が海中を泳いでいます。
この鏡の意匠はすでに形式化していますが、室町時代を代表する優品の一つにあがられています。』(館内説明パネルより)

県指定文化財「文安2年銘銅製御正体」:
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

『文安2(1445)年の御正体です。
「施主川口郷藤内五郎敬白武州太田庄鷲大明神文安二年乙丑五月四日」の銘があり、河口郷の藤内五郎が鷲宮神社へ寄進したものであることが分かります。河口郷は現在の加須市川口に比定されます。
この御正体は、鋳ったままで鏡面を研いていないことから、製作当初から鏡としてではなく御正体として製作されたと考えられています。』(館内説明パネルより)

2.戦乱の世と鷲宮
ここには鷲宮神社が所蔵している戦国時代の古文書を中心に展示されています。
ここの展示物は県指定文化財「足利成氏願文」「足利晴氏判物」「北条家印判状」「太田氏房印判状」等があるのですが、いずれも複製で、幸か不幸か今回は企画展で実物を見させたもらいましたので、企画展に無かったものをピックアップします。
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

県指定文化財 足利晴氏判物(複製):
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

『古河公方足利晴氏が鷲宮神社神主大内晴泰に与えたものです。
当社の社領に対し、守護不入・諸公事免許(領主による年貢以外の諸役のわりあてを禁止すること)のとっけんをみとめたものです。「先の御判の旨に任せ」とあることから、鷲宮神社では以前からこのような特権が与えられていたと考えられます。
この文書は、天文15年(1546)頃のものと推定されています。』(館内説明パネルより)

県指定文化財 北条氏直巻数請取状(複製):
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

『北条氏直から鷲宮神社神主大内泰秀に宛てたものです。泰秀が氏直のために新年の祈祷をし、その時の巻数(祈祷したことを示す一種の目録)と鯉十匹と鮭二匹を贈り、氏直はそれを謝し、その返礼に、太刀を贈ったことを伝えています。
この文書は、氏直の花押から天正12年(1584)頃のものと推定されています。』(館内説明パネルより)

県指定文化財 太田氏房印判状(複製):
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

『岩付城主の太田氏房が発給した印判状です。岩付から鷲宮まで一日に三駄ずつの兵糧(戦時の将兵の食糧)を運ぶので、支障なく通すように命じた一種の通行証明書です。
なお、この文書には宛名がありませんが、これは後に切断され失われたようです。』(館内説明パネルより)

3.中世を生きる人々
ここは中世時代の人々の暮らしに関係する資料があり、「板碑」や町指定文化財「銅製阿弥陀如来立像」が展示されています。
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

4.江戸時代となった近世のコーナーです。
ここも大きく分けて3つのブロックとなります。
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

1.近世の鷲宮神社
これは徳川家康から鷲宮神社に寄進された400石の領地の寄進状(複製)などが展示されています。実物は企画展で見ることができました。
2.近世の村のすがた
近世における「支配のしくみ」等に関する資料を中心とした展示です。
3.近世のくらしと新田間発
近世の「村びとたちの信仰」等に関する資料を中心とした展示です。

これ以降は明治時代以降の町の歴史として、「明治期の鷲宮や当時の暮らしと学校」「戦時下と戦後の鷲宮」「水とのたたかい」などをテーマとしたパネル解説・展示がされています。

今回はちょうど鷲宮神社の企画展があったので、若干影が薄れた感じがありましたが、通常はこの常設展の鷲宮の歴史コーナーだけでも十分堪能できるのではないでしょうかね。
それだけ貴重な財産が多いということでしょうね。

常設展:神楽の世界

鷲宮の歴史の次は「神楽の世界」です。
言わずもがなの「催馬楽神楽」についての展示・解説です。
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

主に衣装や面、太鼓などの道具類などが展示されています。
結構スペースを割いて展示されているのは、それだけ鷲宮町にとっての貴重な財産であり観光資源と考えているからでしょう。
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

神楽についての内容は一通り知ったので、ここは神楽の歴史を見てみます。

鷲宮催馬楽神楽の歴史
「…武蔵国鷲宮…去十九日、於社頭御神楽之砌…」これは、「吾妻鏡」の建長3年(1251)4月の記事です。
鷲宮神社の神楽が、歴史にはじめて登場する記録です。

◆江戸時代の神楽再編成
鷲宮神社の大宮司大内国久の神楽再編成により、鷲宮催馬楽神楽は、現在の形になりました。
記録によると、「国久は、廃れた祭祀を再興しようと、それまで奥秘とされてきた神楽を神楽役に伝授し、宝永5年(1708)に12座の神楽を行った。」とあることから、再編成は宝永5年以前であったことが分かります。
また、完了した時期は、国久が「土師一流催馬楽神楽歌実録」を書いた、享保11年(1726)頃と思われます。

◆江戸に伝わった鷲宮の神楽
鷲宮の神楽は、関東神楽の源流といわれています。これは、国久の再編成以前の神楽が、17世紀末から18世紀初めに江戸に伝わり、江戸の里神楽の基になったといわれているからです。』(館内説明パネルより)

遅くとも鎌倉時代には存在していた神楽が、脈々とした歴史の中で息づいているということです。
そんな中でも知っておかなければならない人がこの人です。
※久喜市立郷土資料館(旧鷲宮町立郷土資料館)からの無断利用抵触ご指摘のため写真削除 2011/1/18

昭和の神楽復興
◆神楽が消える?
鷲宮催馬楽神楽は、第二次世界大戦が終わる昭和20年(1945)前後から衰退が始まり、20年代末にはその継承者は一人を残すのみになってしまいました。
しかし、昭和30年、神楽の笛の音がラジオで全国放送されると、これを機会に、町内の心ある人々のもとに若者10数名が集まり、同年「神楽復興会」が組織されました。

◆今に伝わる白石国蔵の技
若者への指導に当たったのは、ただ一人の継承者白石国蔵氏でした。
国蔵氏は、神楽役の家に生まれ、15歳から神楽役として活躍しました。後に「笛の国蔵」と呼ばれるほどの名人で、いつも腰に自作の笛をつけ、寝食も忘れるほど神楽に没頭したといいます。
「だめなんだなあ。そこんとこはもっと芸があるんだよ」を口癖に、国蔵氏は多くの後継者を育てあげ、昭和41年にその生涯(享年74歳)を閉じました。
今、その技は、鷲宮催馬楽神楽保存会に受け継がれています。そして、さらに伝統あるこの技を後世に伝えるため、保存会は子供達の指導に努めています。』(館内説明パネルより)

また一つ神楽の奥深さを知ると同時に、この町の魅力もまた新たに感じた気がします。
実に有意義な散策でした。

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