子の権現

サンダーバード秘密基地を出てからふと気がついたことがありました。
そう、名栗湖の有間ダムでダムカードをいただくのを忘れていました。特にダムマニアではないのですが、下久保ダム、浦山ダムでダムカードをいただいていると、ついここでもいただかなくてはと思うものです。
ということで、まあ、有間ダムも近いことなので、もう一度名栗湖に戻ることにしました。車で14.5分です。

名栗湖に戻ってさてどこでいただくかと湖畔を探していると「有間ダム管理所」という施設があったのでいってみることにしました。しかし門は閉ざされていたのでしたが、開けることが出来たのでとりあえずエントランスまで行ってみました。
有間ダム管理所
エントランス横には「有間ダム管理所」という看板が見事な流木に載っていて、まるでオブジェのような見事さでした。
流木看板
その看板の後ろのコルクボードに「ダムカード差し上げています」との張り紙があり喜んだのもつかの間、但し月曜から金曜までの平日と書かれています。
駄目もとでとばかり、インターホンを押すと係りの方がいらして、ダムカードをほしい旨告げると待っていて下さいとの返事。ちょっと待っているとエントランスから係りの方が出てきて「何枚いりますか」とダムカードの束を持ちながら聞いていただけたので、2枚いただきました。
お礼を言って帰り際、「門、閉めていってください」といわれて「ハ、ハイ」といいお返事をしておきました。
有間ダムダムカード
ということで、今回も「有間ダム」のダムカード無事げっとすることができました。めでたしめでたし。

時間も12時ころなので、この辺りで昼食をとることに決めました。
ちょうど「さわらびの湯」の近くに食事処があったので、そこに行ってみることにしました。「ゆきやなぎ」というお店です。
ゆきやなぎ
ちょっと見は極普通の蕎麦・うどん屋ですが、入ってみるとちょっとびっくりです。
ここには喫茶・スナックコーナーがあり、カウンターバーのある洋室と、所謂蕎麦屋の座敷である和室とがあります。
ゆきやなぎ
何となく面白いので喫茶コーナーの方でいただくことにしました。
今日は蕎麦にしようと「家族そば」なるものを注文しました。これは蕎麦の一升盛で2人前~6人前くらいまでありますが、当然家内と二人なので、二人前を注文。サイドメニューで「きのこ天ぷら三種盛」という、エリンギ・まいたけ・しいたけの三種類のきのこの天ぷらを追加注文し、 更に、このお店のお勧めで「手作りよせ豆腐」があったので一つ頼んでみました。
最初にその「手作りよせ豆腐」が出てきて、始めは何も付けないで食べてみてといわれたので、そのままいただくと極端に大豆臭くなく、しかも仄かに塩味がする、なかなか美味な上、ボリュームもあるという結構ずくめの豆腐です。
手作りよせ豆腐
因みに醤油より塩で食べて方が断然おいしかったです。是非近くまで行かれたら一度食べてみても損はないと思います。
次に蕎麦と天ぷらがきました。
家族そばきのこ天ぷら三種盛

天ぷらは特別美味しいというわけではないのですが、ボリューム感ときのこという地場イメージ感でCPは高いですね。
メインの蕎麦ですが、観光地にある食事処だと侮ってはいけません。どちらかというと細い蕎麦ですがコシもしっかりあり、ちょっと甘めの出汁が私好みでした。
最後に蕎麦湯をいただいて「ゆきやなぎ」を後にしましたが、かなりお勧めのお店でした。

時間はもう1時少し前ですが、ここから「子の権現」に向かいます。

子の権現

県道35号線を北上し、暫くして県道395号線へ右折すると風景は全くの山間景観となります。かなり道は登っているようで、途中天目指峠を越えて進むと「子の権現」への右折標識があり、この標識からあと3kmの表示です。
更なる山間を進むとやがて「子の権現」の駐車場へと到着します。

子の権現
一般には子の権現の名で親しまれているが、正しくは大鱗山雲洞院天龍寺と呼ぶ。天長9年(832)子の年・子の月・子の日・子の刻に生まれ、湯殿山で徳をつんだ子の聖が草ぶきの家を建てたところで、弟子の恵聖上人が聖人をまつったのがこの寺である。
環境庁・埼玉県』(現地案内板より)

「子の権現」についての説明ですが、これは環境庁が立てている案内板のようです。
何ゆえに環境庁かと思えば、ちょうどこの辺りは県立奥武蔵自然公園の玄関口にあたる地域で、旧名栗村~飯能・日高・入間に渡る広大な丘陵が指定されているから、このような案内板が立てられているようです。

その先に大きな木と石碑があります。
子の権現の二本スギ子の権現の二本スギ

『埼玉県指定天然記念物 子の権現の二本スギ
昭和13年3月31日指定 飯能市吾野南461番地
天龍寺の縁起によると、このスギは延喜11年(911)この峰に初めて登った子の大権現が食事に使ったスギの箸をさしたものが根づいて大樹になったと伝えられ霊木として守られてきました。
木は南と北に二本並び、樹齢は両方ともおよそ800年と推定されます。
木の大きさは、つぎのとおりです。
目通り:南側のスギ7.8m 北側のスギ5.4m
根まわり:南側のスギ10.9m 北側のスギ7.9m
樹高:南側のスギ36.0m 北側のスギ23.6m
枝張り:二本合わせて約15m四方
昭和49年3月25日
埼玉県教育委員会、飯能市教育委員会、大鱗山雲洞院天龍寺』(現地石碑文より)

伝説としてはなかなか面白い言い伝えで、確かに根回りや樹高等は驚くべき姿です。ただ、残念なのは北側のスギはすでに衰えてしまったようで、途中で伐採されていました。
子の権現の二本スギ
後は何とかこのまま持続していけることだけを祈るだけでしょう。

以前【いわき里帰り旅行】で訪れた福島県いわき市の「勿来の関」でも同じような、源義家が掛けたという一対の「弓掛けの松、鞍掛けの松」という伝説の松がありましたが、弓掛けの松が枯れていてこの二本スギと同じように途中から伐採されていましたのを思い出しました。
1本だけではさすがに洒落になりませんからね。

二本スギの先には朱の鳥居が見え、鳥居の手前には茶店があります。
朱の鳥居と茶店
この門前の茶店は地元のかたが二代に渡って経営されているそうです。また、鳥居は昭和47年のご開帳を記念して東京江戸川教会から奉納されたものだそうですが、何か意外ですね。

鳥居を抜けて参道を進むと、比較的新しい燈篭があります。
黒門
その燈籠の先に黒門が構えており、その先に由緒が書かれています。

足腰守護の神様 子の権現天龍寺
由緒
当山は、延喜11年(911)に子ノ聖が天龍寺を創建したことに始まります。
子ノ聖は、天長9年(832)、子の年子の月子の日子の刻に紀伊の国でお生まれになりました。幼い頃より聡明にて仏教に通じ、僧となっては諸国をまわり修業を積まれました。
特に出羽三山において修業をかさね、ある日、月山の頂上に登り、年来読誦する般若心経を取り出し、「南無三世仏母般若妙典、願わくば、われ、永く跡を垂るべき地を示し給え。」と空高く投げました。すると、そのお経は南へ飛んで、当山の奥に院(経ヶ峰)に降りたち光を発しました。この光を目当てに当山山麓まで来られ、山を開こうとした聖は、悪鬼どもに襲われ火を放たれました。しかし、十一面観音が天龍の姿となって現れ、大雨を降らしその火を消してくれました。その後、当山で修業教化に励まれた聖は、長和元年(1012)「我、すでに化縁つきぬれば、寂光土に帰る。然れども、この山に跡を垂れて、永く衆生を守らん。我、魔火のために腰より下に傷を負い悩めることあり、よって、腰より下に病める物、誠の心で我を念ずれば、必ず霊験を授けん。能除一切苦。」という御誓願を遺し、齢百八十一歳まで化寂されました。
それ以降、子の聖の尊像をお祀りして、足腰守護の神様として広く信仰されることとなりました。尚、「子」には、物事の始まり、全てのものを生み出し育む大本の意味があります。』(現地由緒書より)

山形県から埼玉県まで飛んだ般若心経もすごいものですが、181歳まで生きていたことにも驚きは隠せません。
それにしても足腰守護の寺院というのも全国的にみても珍しいのではないでしょうか。時節柄駅伝選手がお参りに来るなんてことはないでしょうが…。

その先には一対の仁王像が立っています。お馴染みの「阿・吽」の像です。
仁王像

仁王像
当山の黒門に立ちはだかる仁王像は、昭和11年に花井探嶺氏によって造像された尊像です。その勇壮な姿は邪悪なものを退治し、仏法を護持しようとする意味がこめられています。』(子の権現パンフレットより)

珍しいコンクリート製です。夜になると泣く子はいねえかと夜な夜な歩き回るとか…の言い伝えがあるそうです。子供を寝かしつけるにはうってつけなんです。
このように仁王像はどこでみても迫力のあるものですが、ここの仁王像にはややユーモラスさが感じられるのですが、それは色合いと両津勘吉的な体型から来るのでしょうか。
これと同じようなちょっとユーモラスな仁王像は【定福院の羅漢と石仏】で栗橋の定福院でみたものとにています。それはそれで親しみ深くていいと思いますが、子供が寝なくなりますかね。

仁王像の先の聖橋を渡るといよいよ境内です。
聖橋
この聖橋は昭和53年に建設されたそうですが、ここからの眺望もなかなかです。
聖橋からの眺望
右手には歴史のありそうな手水舎があります。
手水舎
いつもそうなのですが、個人的に手水舎ってあまり使ったことないのですね、本当はいけないのですが。何となく面倒で。

参道の突き当りが本坊です。
本坊
もとは本堂だったそうですが、新本堂が出来てからは本坊となったようです。

『江戸時代末期に建てられたもので、茅と杉の皮で何層にも葺かれた屋根は当山の名物となっています。大黒柱は周囲2m30cmの楓の大木が使われています。』(子の権現パンフレットより)

茅葺の屋根が山間の寺院の趣をかもし出しているかのようで、実に風情のある境内です。この本坊もそれなりの歴史を刻んでいるのでしょうね。
巨大な大黒柱も見てみたいものです。

本坊の前を右手に曲がって、Uターンするように境内をあがると正面に新本堂が鎮座しています。
新本堂
右手には「十三層塔」があります。
十三層塔

『大衆が石塔の周囲を経文・真言を称えながら回ることで湧き上がってくるものをエネルギーとして大乗仏教が広がったといわれています。願いをこめて一巡してください。富士見市 増田米造氏寄贈』(子の権現広報誌より)

その隣には「子の権現」たる「鉄のワラジ」があります。
鉄のワラジ

『当寺では往古より、本尊様へ履物を奉納し、願をかける習わしがあり、境内にある日本一の鉄のワラジは、その信仰のしんぼるとなっています。』(子の権現パンフレットより)

さすが、足腰の守護寺たる所以でしょうね。それにしても大きなワラジです。
片方だけで1.5トンあるそうです。

その隣には「鉄のゲタ」もあります。
めおと下駄

『子の権現様にお参りしてからは、40年の長い間夫婦共に健康で働くことが出来たのは、ひとえに子の権現様の御加護であると信じております。
これからも夫婦円満、家内安全、商売繁盛、健康で幸せな人生が続きますようお願いいたします。
丙子大開帳が行われるの当り、謹んでめおと下駄を奉納させていただきます。
ご参詣の皆様にも子の権現様の御加護がありますように。合掌』(現地案内板より)

正式には「めおと下駄」というのですね。それにしてもワラジに負けずとも劣らない立派な下駄です。
まだ25年の夫婦生活の我々はまだまだ「ひよっこ」ですかね。
ここで参詣しますが、本堂には「木造不動明王立像」という文化財があるようです。

『飯能市指定有形文化財 木造不動明王立像
飯能市大字南461番地
昭和62年4月1日指定
この不動明王像は本堂左側壇上に安置されており、像高101.7センチメートルの一木造り(材質は不明)の三尺像である。
不動明王像は護摩の香煙によって木理も判然としないほど黒ずんでいる。そのため、一見忿怒の面相が厳しく見えるが、素地は穏やかな面貌である。丸顔の面部、面高な頭部、肉付きの良い体躯、分厚い条帛を左肩にかけて簡素な裳を薄手に彫り出し、右腰をわずかに前に出している。これらのことから、この像は、藤原様を伝えた地方仏師の作と見られ、12世紀を降らない頃の貴重な平安仏である。
なお、両腕は肩から別材が用いられ、両足も膝下から継がれており、後補されている。
平成11年3月 飯能市教育委員会』(現地案内板より)

ということでこれでしょうかね。
木造不動明王立像
上手く撮れる場所がなかったのでとりあえず雰囲気だけです。

参詣も終わって戻ろうとしたとき、本堂の右側に面白いものを発見しました。「大ハイヒール」です。
大ハイヒール
何気に置かれているハイヒールですが、その隣の椅子の上には「アッコにおまかせ」と書かれたティッシュ箱が置かれていましたので、いつごろのものだがわかりませんが、取材用につくられたものでしょうかね。
まあ、色々と考えるものですね。

参詣を済ませてから本堂の裏手にある「閻魔堂」で参拝です。
閻魔堂
まさしくあの地獄の閻魔様が祀られています。

「閻魔堂」の上には「地蔵堂」があり、「地蔵大菩薩」が祀られています。
地蔵堂

『当山のお地蔵様は享保11(1726)に内藤新宿の不動坊大誉によって建立されたもので、銅の鋳造製です。
「あめみやさま」(ありがたいお宮の事)といわれております』(子の権現広報誌より)

巾の狭い急な石段をあがったところにあります。それほどの高さでもないのですが、今日は高所恐怖症が著しい日です。鳥居観音でもそうでしたが、ここでもくらくらきそうだったので、この上の奥の院には行かずに戻ることにしました。極度の乱視もあって狭く高いところは苦手です。
この上は「奥の院」といわれ「鐘楼堂」や、件の山形から投げた経本が着地した場所を示している「経掛け石」、そして「釈迦堂」などがあるそうです。
鳥居観音もそれなりに興味深いものでしたが、1000年の歴史を誇る「子の権現」は、やはり歴史や由緒というところで興味深い寺でした。

参道を戻ると二本スギの先に「ほうき小僧」という変わった石像があります。
ほうき小僧

『境内をきれいに保つようにし、ひいては世の中をとの願いが込められています。幼い子供にも分かるかな?
富士見市幼稚園理事長 増田氏寄贈』(子の権現広報誌より)

その先が小高い丘となっていて「阿字山公園 打木村治文学碑入口」と刻まれた道標があります。
阿字山公園 打木村治文学碑入口
この小高い丘は「阿字山」というようです。

『鐘楼堂経ヶ峰のある奥の院を中心にして後ろが愛宕山、前が阿字山で東西に並べると”山”の字となり、三尊像の形をも表しております。江戸末期まで大日堂があり、子の権現様の母堂阿字女をお祀りしていました。当山では奥の院と並んで紅葉の一番の見所。落ち葉のじゅうたんを敷いたようです。』(子の権現広報誌より)

どこまでも由緒ある場所なのですね。
残念ながら落ち葉のじゅうたんはありませんでしたが、上にあがってみます。

「四阿」があります。ここは「関東ふれあいの道」の起点となっているようです。
阿字山公園 四阿
「四阿」の右側の先に道標にあった「打木村治文学碑」がありました。
打木村治文学碑
打木村治とは児童文学作家のようですが、詳細なプロフィールは分かりませんでした。
この文学碑には「子どもの騒ぎは雲のさわぐのに似ている」と刻まれています。
ここには近隣の小・中学生が遠足にやってくるそうですから、そんな光景にふさわしい碑なのかもしれません。
「四阿」の左側には、子の権現の母堂「大日像」があります。
大日像
かつては祠があったのでしょうが、現在は吹きさらしで寒そうです。

ですが、ここから眺める景色ももともとは綺麗だったのでしょうが、現在は樹木が高く伸びていtるので360度のパノラマとは行かないようです。
阿字山からの眺望
ここではハイキングの方々が大勢休憩されていました。

最後に山間の紅葉を写して今回の散策を終わりました。
山間の紅葉

名栗湖から始まった今回の散策は、紅葉の中での散策でしたので、いつもより更に気持ちのよい散策でした。
伝承の中での建造物、人智を掛けた建造物、そして現代の技術の象徴である建造物。 そんなヒストリックなシンボルを眺めてきたような散策で、一味違った趣でした。
新緑の中での名栗地区もまた良いかもしれません。自然に恵まれたこの地をまた違った季節に訪れてみたいものです。

2009.12.08記

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