高山不動尊 #2

深くて長い歴史を垣間見て、つくづく「火渡り式」の伝統や神秘性といったところを感じます。
古刹だからこそありえる「火渡り式」と言えるかもしれませんが、中止となったのも確かに少し残念な気もします。

高山不動尊文化財

重量感のある本堂を目の前にして、今度は本堂の中に上がります。
高山不動尊本堂
正面に「高山不動尊」と「不動堂」のやはりこちらも重みのある扁額が掛けられています。

埼玉県指定有形文化財 常楽院不動堂
平成4年3月11日指定  付 棟礼2枚 控帳2冊
常楽院不動堂は、桁行・梁間とも5間で、3間に二間の内陣の前に、3間に一間の札堂がつき、その周囲に1間通りの庇を廻した形式である。内陣と外陣の境は格子戸で仕切る密教仏道の特色をそなえている。
本堂は江戸時代後期の建物で、文政13年(1830年)高山一山が焼失したのち、幕末にかけて再建したものである。
寺に残されている再建文書によれば、再建にあたったのは、地元の棟梁たちであるが、後見人として、当時県下でも著名な林兵庫正清、飯田和泉の二人の名匠がおり、一山をあげて復興した様子が、詳しく記録されている。
平成4年3月 
埼玉県教育委員会・飯能市教育委員会・高貴山常楽院
(現地案内板より)

この格子戸の先が内陣で、こちら側が外陣ということになるわけですね。
この外陣に多くの額などが奉納されています。
高山不動尊本堂 高山不動尊本堂 高山不動尊本堂
それにしても実に複雑そうな屋根裏の梁です。
高山不動尊本堂梁
これだけの屋根を支えるのですから梁も太く数多いのかもしれません。
左手には「大黒殿」があります。
高山不動尊本堂大黒殿 文字通り大黒天がまつられているのです。
当然ながら内陣に入ることも見ることさえもできませんが、充分歴史の一端に触れた気がします。
なお、ここに記載のある「林兵庫正清」とは現在の熊谷市妻沼の在で、妻沼聖天の本堂や、日光東照宮五重塔などを設計したようです。また、飯田和泉もまた現在の熊谷市の在で、こちらは彫工師で、秩父常泉寺の彫刻などがあり、いずれも江戸時代中期から後期を代表する匠なのです。
不動堂の左手にある地蔵尊と宝塔の隣の休憩所でしばし休んで、改めて不動堂の威容を感じるとともに、復興の様子を思い浮かべてしまいそうです。
高山不動尊 高山不動尊本堂

一息ついて境内地図を見ると、不動堂の裏手に「宝蔵殿」なり建物があるようなので行って見ます。
ちょっとした坂道を登っていくと、コンクリートで作られた「宝蔵殿」が見て取れます。
高山不動尊宝蔵殿
ここに「軍茶利明王像」などの文化財が収蔵されているのでしょう。

常楽院(高山不動)の文化財
飯能市大字高山346

国指定重要文化財 木造軍茶利明王立像 一躯
昭和24年2月18日指定
本像は、檜材を用いた一木造で内刻はなく、像高は226.8cmをはかる。髪を逆立てた怒りの表情、頬骨高く鼻の大きな神秘的な風貌、長くたくましい脚など、その独特な作風は、地方仏師の手によって造立されたことを物語っている。県内の平安仏の中でも最古に属するものであり、当時、盛んに作られた五大明王(不動、降世、軍茶利、大威徳、金剛夜叉)の遺例として貴重である。

県指定有形文化財 絹本着色不動明王画像 一幅
昭和33年3月20日指定
この画像は、素絹三枚を縫い合わせた絹布(248×112.7cm)に描かれ、着色されている。画面中央には、不動明王が火焔光背をつけて岩上に立ち、左脇侍として明王を仰ぎ見る姿で矜謁羅童子、右脇侍として正面を向いた制咤迦童子がそれぞれ描かれている。構図、着色などから室町時代の制作と推定される。以前、毎年七夕に開帳されたので「七夕不動」とも呼ばれている。

県指定天然記念物 高山不動の大イチョウ 一本
昭和22年3月25日指定
樹齢約800年といわれ、目通り10m、根回り12m、樹高は37mに達する。露出した根には乳と呼ばれる気根が垂れさがっている。土地の人は古くから「子育てイチョウ」として信仰しているという。

市指定工芸品 常楽院ムゲンの鐘 一口
昭和37年5月1日指定
昭和57年1月
埼玉県教育委員会・飯能市教育委員会・高貴山常楽院
(現地案内板より)

全山焼失という事態もあったことから、防火対策も含めての宝蔵庫となっているのでしょう。
「宝蔵殿」の周りの植栽はトピアリーになっていて、“高山”と作られています。妙なところで妙に凝った演出を見せられたものです。
高山不動尊宝蔵殿トピアリー
この「宝蔵殿」の後ろに“見晴台へ”という道標があり、坂の上を見るとなにやら建物の屋根のようなものがうっすら見えます。
見晴台
もしかしたら件の「関八州見晴台」までは近いのではないかと、少しばかり歩いてみました。
途中、下山する方がいらっしゃったので、ここからどのくらいかお聞きしたら、「まあ、結構ありますよ」との返事で、暗に“あなた達では無理、無理”と目が訴えていました。ここはアドバイスに素直に従いうことにしました。
最後に境内からの遠景を眺めて、最終の目的地へ向うことになりました。
眺望

関八州見晴台

車で約10分くらいでしょうか、見晴台の麓に到着しました。 やはり、徒歩ではとんでもなく時間と距離がかかるようです。
麓には「関八州見晴台入口 高山不動尊奥の院」と刻まれた石柱があります。
関八州見晴台
ここからゆるい登り坂を上がっていくのです。
3,4分も登ると最後の急坂となります。
関八州見晴台
この急坂を上りきったところが「関八州見晴台」で、6~7分で到着しましたから、ハイキングなどで歩きなれている人なら3,4分で上りきってしまうでしょう。
頂上にはベンチなどが設置されていて、奥に四阿と堂宇が並んでいます。
関八州見晴台
こちらが「高山不動尊奥の院」です。
奥の院
前述されたように、白雉5(654)年、藤原鎌足公の第二子・長覚坊上人、三輪の宝勝坊上人、岩田三兄弟によって関東鎮護の為に最初に堂宇を建てた場所なのです。しかし災害により不動堂は現在地に移され、ここを奥の院と呼ぶようになったのです。
そしてその奥に「関八州見晴台 771.1m」の道標が立てられています。
関八州見晴台
この「関八州見晴台」とは、文字通り相模(神奈川県)、武蔵(東京都・埼玉県)、上総、下総、安房(千葉県)、上野(群馬県)、下野(栃木県)、常陸(茨城県)の関東八州が見渡せる高台であることから付いた名前です。
昔は空気ももっと澄んでいて、確かに関八州が見渡せたかも知れませんね。

しばらくはその関八州の景観を楽しみます。
こちらが北方向で、熊谷市方向から群馬県の赤城山方向となります。
眺望北方向 眺望北方向
こちらは西方向で、秩父方面を臨みます。
眺望西方向 眺望西方向
視界がよければ富士山の見える方角ですが、全く影も形も見えませんでした。
最後のこちらが南方向で、東京から房総半島方面です。
眺望南方向 眺望南方向 眺望南方向
こちらも視界がよければスカイツリーも見えるようですが、今日は全く無理なようです。
やはり、眺望を楽しむには冬が一番でしょう。
それでもこれらの山々を見ているだけでも、充分気持ちも良くリフレッシュすることができました。

歴史と自然が織りなす、時間と空気の流れを感じる事のできる吾野方面もまた素晴らしい地で、 3度目の飯能市ですが、また新たな一面を垣間見ることができた散策でした。
現在は車で楽々と自然を楽しめますので、歴史は除いても自然を堪能しに来ても充分満足できるでしょう。

2012.04.28記

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コメント

  1. 四季歩 | ipmCGEIo

    高山不動には、まだ行ったことが無く、
    今年行くつもりでいます。
    火渡りは、去年高尾山のに初めていきました。
    とても良かったので、今年もどこかにと思っていて、
    ついつい逃してしまいました。
    残念!!

    ( 20:25 [Edit] )

  2. 薄荷脳70 | -

    とにかく気持ちの良いところです

    私も当然初めてなのですが、とにかく高山不動も含めて気持ちの良い場所です。
    流石にハイキングコースとなっているほどです。
    これだからハイカーは辞められないのでしょうが、でもやはり私にはできないですね(汗・・・)

    ( 04:08 )

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