誠之堂・清風亭

2008年10月12日(日)、体育の日の三連休の中日に渋沢栄一跡を訪ねました。
深谷の生んだ日本資本主義の父とあるとおり、埼玉県深谷市は埼玉県の北部にある市です。今回もいくつかの場所を訪ね歩く予定なので車を利用しました。

大寄公民館エントランス

大寄公民館エントランス

私の住む上尾市から深谷市へは国道17号線を北上した一本道です。3連休ともあって若干混雑はしていたものの、1時間程度で深谷市に到着いたしました。国道17号線深谷バイパスの大寄を右折して渋沢栄一記念館方面に向かいます。途中、誠之堂・清風亭の案内看板があったので指示通り進むとそこは深谷市大寄公民館でした。
誠之堂・清風亭の建物は見えるのですが柵があって入れません。そこで公民館の方に伺うと、誠之堂・清風亭は公民館が管理しているとのこと。早速、見学したい旨を伝えると係員の方に案内していただき説明をしていただきました。

誠之堂全景

誠之堂全景

公民館事務所から鍵のかかったドアをあけると誠之堂・清風亭のある中庭に出られます。そこからまず誠之堂を案内していただきました。

渋沢栄一は、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、日本の近代経済社会の基礎を築きました。その拠点としたのが第一国立銀行でしたが、明治29年、同行は第一銀行となり、渋沢栄一は、その初代頭取を務めました。

喜寿

“喜寿”の文字が埋め込まれている

1916(大正5)年、喜寿を迎えるのを機に、第一銀行頭取を辞任しましたが、同行の行員たちが喜寿を祝い出資を募って建築したのが誠之堂です。
そして平成15年5月30日、国の重要文化財に指定されました。

まず興味を覚えたのが移築に関してでした。
誠之堂と清風亭は、ともに東京都世田谷区瀬田にあり、第一銀行の保養・スポーツ施設「清和園」の敷地内に建てられていたものを現在地に移築復元したものですが、清和園当時は、あまり公開されることのなかった建築物でしたが、建築史研究者や建築関係者の間では、いずれも日本近代建築史上、大正時代を代表する建築物として高い評価を受けていたそうです。
第一銀行の業績悪化とともに、昭和46年、清和園の敷地の過半は、聖マリア学園(セント・メリーズ・インターナショナル・スクール)に売却され、昭和50年代には、誠之堂は外国人教師の校宅、清風亭は集会所として借し出されていたそうです。
その後、第一勧業銀行となってからの平成9年、両建物やその敷地は銀行の所有ではありながら、学園の施設拡充計画に伴い、これらの建物も取壊しの危機に瀕することになりました。
そこで急遽、渋沢栄一生誕の地である深谷市は、数少ない栄一にゆかりの貴重な建物が取り壊されることを見過ごすことはできず、譲受けに名乗りをあげ、本市へ移築復元することを決定したそうです。本当に取り壊しの危機一髪のところだったようです。

ここに興味深い資料がサイトにあります。
社団法人日本建築学会・尾島俊雄会長から第一勧業銀行・杉田力之会長・頭取に宛てた1997年10月22日付の要望書 【(c)社団法人日本建築学会】です。
要するに建物として設計・建築・歴史的見地から十分残すに相応しい建築物であるということでしょう。
そこで移築するにせよ、保存するにせよ負担が当然あるわけで、そこで白羽の矢が刺さったのが深谷市ということです。建築学会としては建築の歴史として、深谷市としては渋沢栄一所縁として両者の利害が一致したと言うところでしょう。説明によれば本当に急な話で、深谷市としては、と言うより官の決定にしては、かなり早急に決定されたそうです。そこまで切羽詰っていたのですね。

次に建物の説明になるのですが、面白いのが移築方法です。
移築経過についてはオフィシャルサイトに詳しく出ていますが、移築方法として、「大ばらし」を応用した日本初の工法により実施されたそうです。これは、煉瓦壁をなるべく大きく切断して搬送し、移築先で組み直すという工法だそうで、それが写真にあるようなレンガの中の不自然な筋となって現れています。

切断筋

筋が重要なポイント

この筋が「大ばらし」の際に切断された部分だそうで、深谷市としては、移築した際のこの筋をきちっと埋めて無くしたかったそうですが、建築学会がこれだけは絶対に譲れないと(日本初の工法跡を残しておきたかった思惑があったそうです)残された跡だそうです。

外壁で面白いのが煉瓦壁と装飾積みです。

濃淡煉瓦使用の壁面

濃淡煉瓦使用の壁面

立体的壁面

突き出した積み技法による立体的壁面

当時、外壁は煉瓦タイルによる均質な壁面が通例と言われましたが、敢えて濃淡煉瓦仕様と小口面の突き出した積み技法により装飾性と立体的な工夫がされていたそうです。
この移築解体の際、誠之堂のレンガは、深谷の日本煉瓦工場のホフマン窯で焼かれたものであることが、レンガの「上敷免」の刻印から判明し、80余年ぶりのレンガの里帰りとなったそうです。
ハーフティンバー ハーフティンバー

華やいだハーフティンバー

更に外装ではハーフティンバーが用いられ、華やいだながらも落ち着いた情緒を醸し出しています。

室内

暖炉とレリーフのある室内

漆喰天井

煌びやかな漆喰天井

ステンドグラス

中国の物語りステンドグラス

内装に関しては、室内の漆喰天井、出窓などの金具、そしてステンドグラスなど見所は一杯です。
つまり、外観は英国農家に範をとりながらも、室内外の装飾に、中国、朝鮮、日本など東洋的な意匠を取り入れるなど、様々な要素が盛り込まれ、それらがバランスよくまとめられているところが非常に貴重な建造物だそうですが、素人目に見ると「ごった煮」的な印象はぬぐえないかと感じました。
まあ、住居でもなく、贈り物なのだから敢えて居住性等は余り考えることは無く、純粋に設計としての面白さを追求したらこうなった・・・風な結果かもしれませんが。
従って、渋沢栄一と言うより設計者の田辺淳吉の作品と言う事が評価されたものだと考えられます。

もう一方の清風亭ですが、これは1926(大正15)年に、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して、清和園内に誠之堂と並べて建てられ、建築資金は、誠之堂と同じくすべて第一銀行行員たちの出資によるものだったそうです。

清風亭

白が眩しい南欧風建築

こちらは南欧田園風な建築物で、全体にスペイン風な感じを醸し出しています。こちらも特に鉄筋コンクリート造の初期の建築物としても建築史上貴重なものといわれているそうで、こちらの設計は田辺淳吉の片腕といわれた西村好時だそうです。
室内

3連で窓が美しい

室内

こうしてミーティングなども行われたのでしょう

内装は落ち着いたブラウンの色調で、暖炉や出窓が素敵です。

このような貴重な建造物も公民館のミーティングルームなどと同じように一般の方(主に企業や団体)にも貸し出されているようです。以外と使用される方は、踊りの会やミニコンサート(サロンコンサート風?)などの音楽グループで使用されるケースもあるようです。
説明によりますと公民館自体の周りは、殆ど住宅などがないので結構なボリュームでも迷惑にならないのが、使い勝手のよさのようです。ただ、使用中に窓は開けないよう依頼しているのだそうですが、うっかり開けてしまって締まらなくなった場合も多々あるそうです。窓の桟は木製でかなり痛んでいるためだそうです。また、敷地のすぐ隣が野球場なので珠にボールが飛んできて窓ガラスが割れることがあるそうです。
その際は文化財ですので、国や県に申請しなければならないそうですが、窓ガラス1枚を入れ替えるために、その窓ガラスが過去3ケ月間どの様な状況だったかを合わせて添付、提出しなければならないそうで、大変厄介なこともあるそうです。

現在、渋沢栄一の足跡として訪れるかたは当然大勢いるそうですが、結構、佐々木勇之助の関係の方や、建築関係・設計関係に携わっていられるからの来訪も多いそうです。県内外や各方面の来訪者のために、わかり易く、それでいて郷土の誇りを持った説明に、深谷市及びそれに携わるかたの渋沢栄一にかける、並々ならぬ思いを感じさせてくれました。

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