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入間市博物館

入間市役所を後にして車で約15.6分でしょうか入間市博物館、通称ALITに向かいました。
ALITとはArt・Archivesの“A”、Libraryの“L”、 Informationの “I”、Teaの“T”の頭文字からつけられた愛称だそうです。確かに展示のみならず各種の資料・データの活用、メディアの収集・公開、研究・体験などなど盛りだくさんな博物館といえるでしょう。特に他には無い資料としてはやはり茶に関する資料や物品展示などでしょう。

駐車場に車を止め向かうと建物自体は比較的新しいのでしょうか、綺麗で大きいながらも博物館にありがちな威圧感が無く親しみ易そうな建物です。博物館の前庭では家族連れが楽しいでいるようですから。
エントランスには「夫婦道inいるま、写真展開催中」の案内看板が置かれていました。ここでもタイアップによる夫婦道のPRがされているのですね。
入間市博物館 【ALIT入り口】


観覧料の200円を支払って入館しました。
入間市博物館 【見た通りの入場券】


唐突にロビー右手に鳥の剥製が展示されていました。「トキ」です。説明によると、
入間市博物館 【何故に…トキのはく製!?】


特別天然記念物トキ「ヒロ」のはく製
「ヒロ」は、1967(昭和42)年6月2日、新潟県佐渡の新穂村(当時)黒滝山の営巣地で捕獲された雛2羽のうちの1羽です。
開設直後の「新潟県トキ保護センター」で人工飼育されていましたが、1968(昭和43)年2月15日に死亡し、はく製となりました。

トキの野生復帰について
トキ(学名Nipponia nippon)は、日本全国に分布・生息していましたが、主に明治政府により法律が整えられるまでの間に美しい羽毛や肉を目的に乱獲され激しく減少しました。
日本生まれの最後のトキ「キン」は2003(平成15)年に死亡しましたが、1999(平成11)年に中国から「ヨウヨウ」「ヤンヤン」の夫婦が送られ、よく張る、人工孵化により、そのヒナ「ユウユウ」が誕生しています。
その後、人工繁殖によってトキは年々増加し、2008(平成20)年3月現在、90羽を越えています。
現在、環境省を核に、農林水産省、新潟県、佐渡市、ボランティア組織などが協力して、トキを自然に帰す「野生復帰」に向けた取り組みが進められています。』

様々なニュースなどで凡そは知っていましたが、実物(・・・はく製の場合はどうなんでしょうか)を見るのは初めてです。思っていたものより大きく美しい鳥にちょっと感動的でした。
学名の通り正に日本を代表する鳥で、それなりの気品というものが感じられるくらいです(持ち上げすぎかな)。
でも何故入間に・・・の疑問にもきちんと説明がありました。

「ヒロ」はく製の貸与について
1986(昭和61)年10月12日
入間市と新潟県両津市(当時)が姉妹都市提携を宣言しました。
2004(平成16)3月1日
佐渡島内10市町村が合併して「佐渡市」が誕生し、両津市との姉妹都市提携は佐渡市に受け継がれました。
2007(平成19)年8月6日
姉妹都市提携20周年を記念して、入間市職員・佐藤直人専門員が発見した小惑星に「Sado」と命名して佐渡市に贈呈し、佐渡市庁舎において命名報告会が開催されました。
2008(平成20)年3月17日
小惑星「Sado」の命名の返礼として、トキ「ヒロ」のはく製が佐渡市から入間市に貸与されました。』

貸与された経緯は理解できましたが、その経過の中で小惑星を見つけていたと言う事実もまた興味深いものです。
実際に云ってみないことには、こういったことを知る術はなかったでしょうね。

1階には件の夫婦道写真展がありましたが、とりあえず2階の常設展を先に廻りました。
2階の常設展示は4ブロックに分かれていて、最初が「こども科学室」と題された科学的な実験や体験ができるコーナーです。
そして次の展示室は「入間の自然」と題され入間市の自然環境や化石などの展示がなされています。

3番目は「入間の歴史」で旧石器時代から入間市の誕生までを紹介しています。
入間市博物館 【入間市の歴史コーナー】


特にこのコーナーでの見所は中世の展示で、「金子十郎家忠」の物語や、「円照寺の板碑」(国指定重要文化財・複製)が展示されていることです。

金子十郎家忠とは平安時代末期・鎌倉時代初期の武蔵国入間郡の武将で、19才で保元の乱に出陣して敵の大将鎮西八郎の部下で鬼神といはれた高間三郎、四郎を討ち、その名を天下にひびかせました。
治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵のときは畠山重忠とともに衣笠城を包囲して三浦大介義明を討破りますが、この戦で家忠は身体に21本の矢をうけたが、それにひるまず戦功を重ねたといわれています。また源義経に従って多くの戦巧をあげ、武蔵、伊豆、下総の地頭を歴任したそうです。
こういった意味では入間市所縁といより、そのものといってもいいかもしれない武将でしょう、現在の金子の地名にもなっているのですから。
因みに子孫の方が現在、鶴ヶ島に金子姓でいらっしゃるようですが、鶴ヶ島市の地名が鶴ヶ島市三ツ木というそうで、入間市西三ツ木とはやはり何かの関連があるのでしょうかね。

さてもう一方の円照寺の板碑は、鎌倉幕府が滅亡した日である元弘三年(1333)5月22日の紀年銘があることから非常に貴重なものなのだそうです。
そしてこの円照寺は加治豊後守家茂という鎌倉武士が建立させ、以降加治氏歴代の菩提寺だそうです。故に元加治駅などの地名もここから来ているのでしょう。
入間の歴史として興味深く、是非とも円照寺などを訪ねたいのですが、まあ次回のお楽しみにしておきましょう。

最後のコーナーが「茶の世界」と題されたお茶のコーナーです。
入間市博物館 【お茶に関する展示コーナー】


初めは世界や日本各地のお茶についての説明・展示があります。特にヨーロッパや中国でのお茶や、お茶の伝播などについて解説されていました。
そういわれてみると、朝からお茶については全て煎茶をイメージしてきたのですが、改めてこのコーナーで中国茶などの存在を思い出されましたので、お茶の種類を把握しておきます。
前出のパンフレットに記載されていましたので引用します。

茶の種類
お茶は、全てツバキ科の常緑樹「チャ」の葉から作られますが、加工方法の違いによって、緑茶、ウーロン茶、紅茶などになります。お茶の葉を摘み取ってすぐに加熱し、発酵(酸化発酵)しないようにして作ったのが緑茶、完全に発酵(酸化発酵)させるのが紅茶、その中間に位置するのがウーロン茶などの半発酵茶です。また、緑茶は、加熱の方法の違いによって釜炒り製(中国式)、蒸し製(日本独特のもの)の二通りに分けられます。
◆不発酵茶
○むし製(日本式)
・せん茶:最もよく飲まれている茶で、新芽を蒸して揉んで乾燥したお茶(深むし茶は、蒸しを強くしたもの)
・玉露:新芽の伸びる時期に、こもなどで日おおいをして作ったお茶で、うまみの増した高級茶
・かぶせ茶:せん茶と玉露との中間的なお茶で、玉露に次ぐ高級茶
・番茶:硬くなった新芽や茎などを原料としたお茶
・玉緑茶:精揉工程を省いて乾燥し曲玉状にしたお茶
・てん茶(まっ茶):玉露と同様に栽培し、蒸したものを揉まないで乾燥したもので、茶うすでひいたお茶が抹茶(まっ茶)
○かまいり製(中国式)
・玉緑茶:かまを使って炒ったお茶で、香ばしい香りがある
◆半発酵茶
・包種茶、ウーロン茶:ほんの少しだけ発酵させ途中で釜炒りしてつくる茶で、緑茶と紅茶の間に位置する。包種茶は花の香りをつけてある。
◆発酵茶
・紅茶:酸化酵素を働かせて製造したお茶で、インド・スリランカで多く作られている』

以上が基本的なお茶の分類になりますが、上記のほかにも麦茶、そば茶、どくだみ茶、ハーブティーなどがありますが、これ等は所謂「チャ」の葉を遣わない「代用茶と呼ばれているようです。
また、焙じ茶や玄米茶などは番茶やせん茶を加工したり加味したりすることから、上記の分類には含まれません。
更にこれ等には含まれない各地独特のお茶などの展示・解説がありますが、これ等に関してはALITのサイトに説明がされているので、そちらを参考にされるとわかりやすいでしょう。

参考:【入間市博物館 ALIT】 http://www.alit.city.iruma.saitama.jp/index.html

先に進むと江戸時代の庶民の茶屋や千利休の茶室などが展示されていて実に立体的です。 また、茶器や茶の製造のための器具などが展示されています。
ここで入間市の茶業についての歴史・解説がありましたので、パンフレット及びALITサイトから一部抜粋・引用しました。

狭山茶業史年表
1356~76(延文~応安):「異制庭訓往来」に、全国銘茶5場の一つとして「武蔵河越茶」が見える
※これは南北朝時代のことで、5場とは上記のほかに「大和室尾」「伊賀八鳥」「伊勢河居」「駿河関」とともに、京都栂尾に次ぐ5大産地といわれていたようです。京都以外の銘茶という意味ですね、これは。
1507(永正4):「旅宿問答」に銘茶として「武蔵ノ慈光茶」が見える
1596~1615(慶長年間):二本木村の権左衛門、茶の実を蒔く(後の老茶樹)
1667(寛文7):行田町(行田市)の弥助、畑茶こぎとり事件を起こす
1705(宝永2):下奥富村(狭山市)村明細帳に茶年貢の記載が見える
1718(享保3):高麗郡新堀村の5~6人が、茶の商売を行う
1743(寛保3):足立郡南村(上尾市)の須田家は、中山道鴻巣宿で俵詰めの茶を売る
1802(享和2):吉川温恭、稲荷沢で摘んだ茶葉を釜炒り製でつくる
1814(文化11):吉川温恭、伊勢参りの途上、宇治や高宮付近の培炉や釜炒り製茶法を日記に記す(狭山地域に製茶技術を伝える最初の記事)
1819(文政2):吉川・村野両名、江戸茶問屋の山本徳潤ほかと売買契約を取り交わす(狭山茶の復興なる)
1820(文政3):狭山地域の製茶農家34人、培炉数102枚となる
1830(天保1):本橋玄逸・柳白「重闢茶場碑」の草稿なる
1832(天保3):林復斎の「重闢茶場碑」の撰文なる
※重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)
天保3年(1832) 入間市出雲祝神社
宇治の蒸し製煎茶法による新たな茶づくりを確立した狭山茶業復興の記念に建碑されました。碑文には、日本での茶の歴史、武蔵河越茶から狭山茶に至る経緯、復興に尽力した人物、茶の効能、茶づくりに対する心構えなどがまとめられています。

1836頃(天保7頃):北野村(所沢市)の北田庄右衛門、宇治より茶の実を買い、これを蒔いて。茶畑を増やす
1858(安政5):堀ノ内村(所沢市)の茶師志村善次郎、京都嵯峨御所に茶を納める。また、横浜の外商に茶を売り込む
1868(明治1):入間郡ほか5郡21ヶ村88人の茶渡世人、明治政府に鑑札の下付願いを提出する
1875(明治8):黒須村に入間・高麗・足立郡の製茶業者30人が集い外国商人を通さず日本人だけで米国に茶を直輸出する「狭山会社」を設立(日本で最初)、明治16年まで
1884(明治17):宮寺村など8ヶ村「狭山元山茶業組合」を結成
1885(明治18):滝沢弁吉ら、「埼玉製茶会社」を設立する
同:高林謙三、生葉蒸器械・倍茶器械の特許を得る
1888(明治21):県茶業組合聯合会議所結成される
1893(明治26):米国、世界コロンビア博覧会で、金子村西三ツ木の池谷長造、三ヶ島村(所沢市)殖産協会が銅牌を受賞する。製茶改良伝習所を県内15ケ所に開設する。狭山茶商組合結成される。豊岡町黒須の繁田家で私立製茶伝習所を開設する。
1912~13(大正1~2):入間村(狭山市)の志村久松、県内初の機械製茶に着手する
1915(大正4):狭山茶商組合、機械製茶を禁止する
1918(大正7):藤沢村の石田平太ら39人、機械製茶解禁陳情書を県に提出する
1919(大正8):藤沢村の石田平太ら25人、機械製の石田製茶工場を設立する。
1924(大正13):入間郡川越市茶業組合、組合立製茶研究所を設立し、県費補助をうけて狭山式機械製茶法の研究に着手する
1926(昭和4):埼玉県茶業研究所の開所式を挙行する
1932(昭和7):繭相場低落で入間郡内の桑園80町歩が茶園に転換する
1947(昭和22):狭山茶振興5カ年計画が実施される
1950(昭和25):埼玉県茶業協会が創立される
1971(昭和46):県茶業試験場は上谷ヶ貫に移転し、記念式を挙行する
1980(昭和55):霜害防止のため、防霜ファンの設置が急増する
1993(平成5):茶刈にレール走行式を導入する』

このような歴史を辿って現在の入間の狭山茶があるようです。
先人達のあくなき探求と行動が今の茶業に面々と脈打っているのでしょうか。

展示コーナーを出るとちょうど12:00少し前で、係りの方から狭山茶についての上映がある旨のアナウンスがあり、映写室がちょうど展示室出口にあるのでみてみました。7.8人の方が入られていたでしょうか。
内容はせん茶の歴史から現在の狭山茶・茶業についての内容です。先ほどの展示コーナーで茶の分類、世界の茶、茶業の歴史を見てきましたが、せん茶そのものの歴史を紐解いていたこのフィルムは興味深いものがありました。
改めて茶の歴史(伝来の)を振り返ってみたいと思います。

茶の歴史、伝播の歴史はやはり中国です。中国からは3度茶の伝来があったそうです。
1度目はあの有名な遣唐使が伝えたと言う唐の時代です。8~9世紀頃中国の留学僧が寺院で飲まれていた茶を日本に伝えたようで、『日本後紀』に記載があります。しかし日本ではこの喫茶の風習は根付かなかったようです。
2度目は宋の時代ですから、日本では鎌倉時代です。
臨済宗の開祖栄西が当時の中国(南宋)ではやっていた茶「抹茶」を伝えました。と、同時に茶樹を植え、種を贈ったそうです。 この頃の茶「抹茶」は二日酔いなどの薬用として普及しました。そして室町時代には庶民にも徐々に広まっていたようです。
3度目は江戸時代、明から伝わったものです。
このときは鉄の釜の上で茶の新芽を炒って作る中国式の「煎茶」が急須などの道具とともに伝来しました。
江戸時代中期になると、現在、日本の煎茶道の中心地といわれる黄檗山萬福寺の僧・月海元昭が禅の精神を実践するため「売茶翁」となって京都地中で煎茶の茶売りを始めたそうです。
この販売と平行して、「煎茶」製法改良の試みが成功しました。
元文3年(1738)、京都宇治湯屋谷の篤農家、永谷宗円(ながたにそうえん)による「蒸し製煎茶」法の発明で、茶の新芽を蒸した後、揉みながら乾燥させる方法でこれまでに無い爽やかな香りと味を生み出したそうです。
この画期的なせん茶の登場で宇治のせん茶は日本全国に爆発的に広まっていったそうです。

このような歴史を経て現在に繋がっているのですが、ここで妙に引っかかる名前があるのでついでに調べてみました。 そうです永谷宗円です。
上記の「蒸し製煎茶」法の功績についてウィペディアではこのように説明されています。

『中国から日本にもたらされた茶は、南宋に渡った栄西が「喫茶養生記」で茶の効能を説いたように、当初は寺院での修行や薬用として飲用されていた。やがて各地で栽培が広がるが、宇治の特定の茶師は、幕府の許可を得て高品質の碾茶の製造を独占していた。富裕層が好んだ抹茶とはちがい、庶民は色が赤黒く味も粗末な「煎じ茶」を飲んでいた。
そんな中、宗円は15年の歳月をかけて製茶法を研究し、味もすぐれた緑の新しい煎茶(正確には「だし茶」である)を作り上げた。この宗円が発明した「青製煎茶製法」はその後の日本緑茶の主流となる製法となった。
宗円は完成した茶を携えて江戸に赴き、茶商の山本嘉兵衛に販売を託したところ、たちまち評判となり、以後「宇治の煎茶」は日本を代表する茶となった。
宗円の煎茶を販売し大きく利益を得た「山本山」では、明治8年(1875年)まで永谷家に毎年小判二十五両を贈った。宗円は自身が発明した製茶法を近隣にも惜しみなく伝えたため、「永谷式煎茶」「宇治製煎茶」は全国に広がることとなった。』

ただし、これ等の功績はあくまで伝承の域を出ないと言っています。

『「青製煎茶製法」はそうした文化的・経済的需要の中で到達した日本茶の製法のひとつの頂点であるといえる。つまり長い年月を経て製茶法は改良を重ねられたのであり、決して一人の人間によって発明されたものではない。』

と言っているのです。
では現実的な功績となると以下のとおりのようです。

『、「宇治茶の産地」であった宇治田原の茶を、当時の大消費地であった江戸での直販ルートを開拓したことであり、それが現在の通信販売を中心とした全国展開される茶の販売網の礎を築くことになったのである。 』

つまり

『近年の研究では、確かに顕彰すべき人であろう永谷宗円ではあるが、「宗円の功績」について後年になって当事者である永谷家や山本家(山本山)の記した文献以外に、当時の客観的資料が見いだせない以上、業界の宣伝のためとはいえ、伝承を安易に史実としてしまうことはさけるべきであろう。』

と結んでいるのです。

これ等の見解もまた一概に100%正しいとは言い切れませんが、一つの歴史としての伝承でも客観的な事象・資料が無い限りそれも一つの史実として受け止めてもいいのかもしれませんね。ウィキを鵜呑みにするのもどうかと思いますし。

そしてもう一つが永谷宗円に名前からうける感覚です。調べてみればやはりそうでした。
現在、直系の子孫である三之丞家は明治に宇治市六地蔵に移転し、現在9代目が茶問屋「永谷宗園」を継いでいるそうです。そして子孫のひとりが東京で「永谷園」を創業したのです。
これは「永谷園」のサイトに掲載されています。

『永谷の生家は、わが国の煎茶の創始者、永谷宗七郎(宗円)からつながる由緒あるお茶屋。
永谷嘉男の父は、9代目「永谷(宗)園」の店主を務めていました。
父は煎茶の販売以外にも、昆布茶やアイスグリーンティーを自主製作して販売したりと、、思いついたことはすべて実行するアイデアマン。
そんな父の開発した中に「海苔茶」というものがありました。これは細かく切った海苔に抹茶や食塩などを加え、お湯を溶いて飲むもので、いわば海苔を浮かべたお吸い物のようなもの。この「海苔茶」が後の、「お茶漬けの素」と原点となるのです。(以下省略)』

そしてこの永谷嘉男氏が永谷園の創業者となるのでした。やはり思ったとおりの展開でした。

参考:【永谷宗園茶店】 http://www.nagatanisouen.com/
参考:【永谷園】 http://www.nagatanien.co.jp/

さて映画の上映も見終わっって一旦ロビーに向かう途中、なにやらそそられる看板が。
入間市博物館 【ちょっと一服ですね】


「ミュージアムショップ 宇茶戯」で館内で茶や織物などの品を販売しているのですが、お茶をいただけるようなので入ってみました。何か非常によい香りのお茶を頂きました。
市役所での試飲のお茶と根本的に違うのですかね、色も濃いようですし。
入間市博物館 【これが正式な狭山茶!?】


暫し休憩させていただき、家内はショップを見て回っているので、私は例の「夫婦道写真展」を見に行きました。
入間市博物館 【これも当然番宣!の夫婦道写真展】


基本的な展示はドラマのスチール展示と小道具などの展示です。現在も放映中だそうですが、シーズン1も見ていないので全く内容が判りませんので、若干興味薄です。
最後に夫婦道PRペラがあったので頂きましたが、その裏面にはこのように記載されていました。

『狭山茶は埼玉県内及び隣接する東京都で生産される茶の総称で日本3大銘茶のひとつに数えられています。入間市は関東以北で最大の規模を誇る集団茶園が見られる狭山茶の主産地で比較的冷涼な丘陵地帯に育まれる肉厚の茶葉は「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」と謳われるように濃厚なうま味で知られています。
夫婦道ロケ地にもなっている入間市金子台地に広がる茶園は「21世紀に残したい・埼玉ふるさと自慢100選」の第1位になりました。
入間市茶業協会』

100選に選定されたのがかれこれ10年前くらいですので、今回まで随分と100選を訪れましたが、今でも大々的に100選をPRしているのは珍しくなりつつあるようですね。
これで入間市博物館を出ることにしました。ちょうどPM12:30くらいで、結構お腹も空いてきたことから食事にしました。
今回は特に食事どころを決めていませんので行き当たりばったりです。

館外にでるとちょうど敷地内にレストランがあるようなので、てっとり早くそこで昼食をすますことにしました。
「レストラン 茶屋町 一煎」と書かれています。
入間市博物館 【造りはいたって洋風のレストラン】


中に入ると、地味な博物館ではありますがさすがにGW、行列で15分くらいでしょうか待たされました。本来待つのが嫌いな私としてはさっさと別なところに移動することを考えたでしょうが、今回は今までの反省も含めて、さらに「持つほど美味しいのよ」というわけの判らない家内の一言で行列に並んでしまいました。
やっと席も空いてメニューを見ると、この手のレストランにありがちな(県立歴史と民俗の博物館ではひどいものでした。すべてレトルトをチン!ですから)お手軽メニューでは無いようです。
ということで、様々なお茶を取り入れた料理「彩り6鉢」というセットを注文しました。

出てきたのがこれです。
入間市博物館 【彩り通りの彩り】


下列、左から、「マグロのお茶山掛け」・・・山掛けにお茶が混ぜてあります。中:お茶が混ざっているポテトコロッケ、右:ひじきとたけのこの煮物・・・中の豆が薄緑色で全体に茶で煮込まれているのかも知れません。(はっきりとはわかりませんが)
上列、左:お茶の入ったマッシュポテト、中:山菜和え物(お茶が入っているかどうかは判りません)、右:豆腐のあんかけ・・・あんかけにお茶が混ぜ込まれている。
それに味噌汁とご飯です。中々地元っぽくて結構じゃないですか。
味も美味しいし、申し訳ないですがこれほどのものが食べられるとは思いませんでした。

食後には家内は「抹茶セット」。私は「煎茶セット」とおもいましたが・・・コーヒーにしました。
家内の「抹茶セット」には和菓子もついていて上品です。
入間市博物館 【そこそこの風情の抹茶セット】


私のほうのコーヒーと言えば、ちょっと趣向を凝らしたお椀です。
カフェラテボウルと抹茶椀のフュージョンですね、これは。
入間市博物館 【和洋折衷の食後のコーヒー】


最後までお茶を演出する素敵なレストランでした。
因みに「彩り6鉢」は税込み1050円、久々のコストパフォーマンス優れものです。

これにて入間市博物館を終了しました。次はいよいよジャンルAで第1位の入間の茶畑に向かいます。
どのような景色が見られるのか、非常に楽しみで駐車場に向かいますと、。ALITの前提に何気ない樹木があります。
しかも案内板つきで。
入間市博物館 【これが大きくなったやぶきたの樹木ですか】


やぶきた(茶農林6号)
杉山彦三郎氏が明治~大正年間に選抜、昭和28年静岡県茶業試験場育成。品質は極めて良好、広域適応性品種で全国栽培面積の7割以上を占めている。
「やぶきた」の由来は実験茶園の藪の北側で発見されたため命名された。
平成11年3月 埼玉県茶業試験場寄贈』

大ききなった「やぶきた」の樹木ですね。
茶まつりで頂いた「やぶきた」の苗も大きくなって、家で茶を摘めるようになるのですかね。
等と結構満足の散策でした。

普段何気なく飲んでいるお茶も一歩踏み込むと深いものがあるのですね。それゆえ茶道なるものが未だに廃れずに続いているのでしょう。
勿論そのような形式上での茶道も結構ですが、やはり茶は庶民のものでしょう。
「ちょっと一服」という言葉が、何か気持ちを和らげてくれたり、疲れた体を癒してくれるような響きを感じます。 様々な飲料が溢れる現代でも、お茶の魅力はまだまだ失せることなく輝く続けるかもしれません。
そんなお茶の魅力の一端に触れたような気がします。 ここから【入間の茶畑】は目の前です。

2009.05.09記

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