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草加せんべいと草加宿 #1

「札場河岸公園」から目の前の県道49号線に出ます。正式には”東京都道・埼玉県道49号足立越谷線”で、東京足立区から越谷市へいたる道路で”旧4号線”と言ったほうが判り易いです。

旧4号を歩くとすぐ伝右川を渡ります。
草加せんべいと草加宿 #1 【札場公園から草加市街にながれる伝右川】
何回か出てきた伝右川ですが、少し調べてみました。
伝右川(でんうかわ)は、利根川水系の一級河川であり綾瀬川支流のひとつです。
1624年から1644年に鈎上新田(現・さいたま市岩槻区)の伝右衛門により新田開発を目的として開削された河川で、埼玉県さいたま市見沼区膝子の田園地帯が源流で、ほぼ綾瀬川に並行して流れ、件の大学前を経由し、東京都足立区花畑で毛長川とともに綾瀬川に合流する川です。
前述の通り綾瀬川は2004年の調査で日本一汚れた川とレッテルを貼られたのですが、その綾瀬川支流の中でももっとも水質が悪いのが伝右川だそうです。逆に伝右川が汚いので綾瀬川が汚くなったのかもしれません。ですが、現在では随分と水質改善がされているということを付け加えないといけませんね。

伝右川を渡るとすぐ神明町の三叉路交差点となります。まっすぐ進むのは旧4号線で、右折すると旧日光街道となります。
交差点の手前左側に早速、煎餅店を見つけました。
「草加屋本店」で創業寛政八年(1796年)とありますので正に老舗です。
現在では生地造りと焼き上げは別々に製造するケースが多いそうですが、こちらは全て自家製だそうです。 人気は手焼き煎餅で特選醤油だれの風味がよいそうです。
草加せんべいと草加宿 #1 【草加屋本店】


そして神明町の交差点を右折して旧日光街道を進みます。
古の記憶ではこの三叉路の角には、警察署だか消防署だかあったような記憶があるのですが、現在は像がおかれています。
近づいてよく見ると河合曾良のブロンズ像です。河合曾良は芭蕉と共に「おくの細道」を歩いた人です。平成20年制作とありますので本当に最近出来たばかりですね。
まあ、芭蕉一人だけではおかしいということで作られたのでしょうか。それにしても確かにここは警察署だか消防署だったはずなんですが・・・
草加せんべいと草加宿 #1 【神明町交差点とブロンズ像】


ブロンズ像の反対側に「おせん公園」があります。

おせん公園
●せんべい発祥の地碑
草加せんべいの本家本元を全国にPRしようと、草加煎餅協同組合と草加地区手焼煎餅協同組合の2つのせんべい組合が市民から募金を募って1992年(平成4)11月に建立されました。左にせんべいに見立てた円形の花崗岩(高さ3.3m)、右にせんべいを焼く箸に見立てた御影石(高さ5.7m)が置かれています。

●草加せんべいのルーツ
草加せんべいのルーツにはいくつかの伝説がありますが、その代表的なものは、日光街道草加松原に旅人相手の茶屋があり、おせんさんのつくる団子が評判だったということによります。おせんさんは、団子が売れ残ると川に捨てていましたが、ある日それを見た武者修行の侍が「団子をすてるとはもったいない、その団子をつぶして天日で乾かして焼餅として売っては」と教えました。おせんさんが早速売りだしたところ大評判になり、日光街道の名物になったと言われています。』

確かに大きな碑です。
草加せんべいと草加宿 #1 【せんべい発祥の地碑】
せんべいを意味するモニュメントとしてはわかりやすくて良いですね。ルーツも先に伝統産業室で見てきたので判っていましたが、解説板にはせんべいの製造工程のイラストも掲載されていますので非常にわかりやすいですね。
ただ、このモニュメントの隣に「奥の細道」と刻まれた石碑があるのですが、こちらについては何の説明もありませんでした。

「おせん公園」から進むとホンの先に神明神社があります。
草加せんべいと草加宿 #1 【神明神社鳥居と社殿】
恐らく神明町の由来ともなっているくらいなので由緒ある神社なのでしょう。

神明神社
所在地 草加市神明町
神明神社の祭神は、天照大神で、そのほか御神霊石も祀られている。
当社は、与左衛門新田の名主吉十郎の祖先が、元和元年(一六一五)に、宅地内に小社を建立したことに始まるという。それから約百年後の正徳三年(一七一三)に、この地へ移され、草加宿の宗鎮守となった。この頃から、五と十の付く日に市が生れ、大変な賑わいをみせたと言う。
このことから、この神社の別名を「市神・神明宮」と呼ばれている。
安永六年(一七七七)に、草加宿の一丁目から三丁目までが、二丁目稲荷社を八坂神社と改称したことから鎮守の分離が行われた。 また、幕末には、神職の稾美濃とその養子稾一尹が、宿の子を対象とした寺子屋を開いた。
昭和六十一年三月 草加市教育委員会』

それ程大きな神社ではありませんが、やはり歴史のある町には、歴史のある社寺があるものです。
因みに神明神社は伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社で、通称「お伊勢さん」と呼ばれることが多いらしい。この神明神社は日本全国に約5千社とも約1万8,000社有るとも言われいて、祭神(天照大神)で全国の神社を分類すると、伊勢信仰に分類される神社は、全国2位(4425社)だそです。
鳥居の形は主に「神明鳥居」で、素朴な形式で全体的に直線的なのが特徴だそうですが、そういわれてみれば味も素っ気もない鳥居・・・と言ったら良いすぎですね。

一渡り眺めると隅になにやら標石があります。
草加せんべいと草加宿 #1 【神明宮鳥居沓石(礎石)の高低測量几号】


神明宮鳥居沓石(礎石)の高低測量几号
石造物に刻まれた「不」の記号は明治九(一八七六)年、内務省地理寮がイギリスの測量技師の指導のもと、同年八月から一年間かけて東京・塩釜間の水準測量を実施したとき彫られたものです。
記号は「高低測量几(き)号」といい、現在の水準点にあたります。
この石造物は神明宮のかつての鳥居の沓石(礎石)で、当時、記号を表示する標石には主に既存の石造物を利用していました。 この水準点の標高は、四・五一七一メートルでした。
その後、明治十七年に測量部門は、ドイツ方式の陸軍省参謀本部測量局に吸収され、内務省の測量結果は使われませんでした。 しかし、このような標石の存在は測量史上の貴重な歴史資料といえます。』

それまでの日本の測量と言えば伊能忠敬が本格的測量としての始まりといわれています。
明治時代となって近代国家としての成立上、初めて海外の測量法でより正確な測量・地図が必要となり実施されたものなのでしょう。
ここに記載されている陸軍省参謀本部測量局は後の(現在の)国土地理院の一部であったそうなので、陸軍省時代の水準点は現在でも有効とされていて、草加をはじめとして各地に残されているこの内務省時代の水準点は、現在は機能(無効扱)されていないとのことですが、それ故、歴史的に貴重なものなのです。
因みに現在の水準点は全国で約20.000点あるそうです。

神明神社から歩いてしばらくすると右側に大きなせんべいの看板(と言っても何も書いてない)が見えました。
草加せんべい「堀井商店」という屋号の店舗ですが、残念ながら日曜日はお休みのようです。
創業は昭和13年でもう70周年を迎えるそうですが、さすがに煎餅の町・草加では単純に比較的新しいお店といえないこともないでしょう。
ですが、逆に現代風にアレンジした煎餅で人気を博しているそうですので、食べ比べでもしてみると面白いかもしれません。
草加せんべいと草加宿 #1 【堀井商店と大せんべい看板】


少し先の交差点の左角にまた煎餅店があります。
「志免屋」(しめや)と言うお店です。創業は明治34年だそうですので結構な歴史を持っているお店です。
草加せんべいと草加宿 #1 【志免屋】
お店の前に”手焼き体験”とあるのでお願いしたらすぐやらせていただけました。その後、5分もしないうちに体験希望の方が3組来られたので、ちょうどタイミングが良かったのでしょう。
お店の一角に手焼きコーナーがあり、この時間は電熱器を使って焼きます。午後からは実際にお店の方が商品として焼くそうで、その際は炭火で焼くそうです。

まずは真っ白い生地を網に載せて焼き始めます。右手に長箸、左手に軍手をはめ押瓦を持ち準備万端です。
草加せんべいと草加宿 #1 【せんべい生地】
まずはこまめに箸で生地をひっくり返します。そうすると徐々生地が反りだし、膨らみはじめます。
草加せんべいと草加宿 #1 【せんべいの焼き】
そうなると今度は押瓦で煎餅を押して、またひっくり返します。最初の方は結構力を入れて押さないと反ったままになったり、膨らみすぎてしまうとの事です。
押して返す、押して返すを続けていくうちに茶色く色づいてきます。全体的に狐色となったら焼き上がりです。
草加せんべいと草加宿 #1 【せんべいの押し】
最後に醤油を塗って完成です。
草加せんべいと草加宿 #1 【醤油塗り】
お店の袋に入れていただき完了です。まあ、1枚作るのに5分くらいでしょうか。
あったかい煎餅を食べるのは初めてです。より香ばしい香りが放たれ、実に美味です。
草加せんべいと草加宿 #1 【手焼せんべいの完成品】


このお店の体験手焼きは予約も要らないので面倒もありませんし、1枚¥60ですから機会があれば是非体験されると良いですね。とにかくあったかい煎餅はそう食べられるもんではありませんし、まして自分で焼いたものとなれば格別でしょう。
まあ、草加せんべいといえば今や全国何処でも食べられますが、こういった経験はやはり地元でしかできないでしょう。それだけでも来た甲斐があるって・・・と、言うほどではないでしょうね。 ただ、これが商売となると結構大変ですね。箸で常に返すのは間違いなく腱鞘炎コースです、私にはできないでしょうね間違いなく。

こちらのお店では色々試食ができ、家内が美味しいという”ごぼうせんべい”をお土産に購入しました。ごぼうの香りと比較的歯ざわりの良い食感で美味しかったですが、後にも先にも結局本来の”草加せんべい”を買うのを忘れたのは、まさに本末転倒なのでしょうか。まあ、草加せんべいは何処でも買えるから良いとしますか。貴重な体験もしたし・・・
草加せんべいと草加宿 #1 【土産のごんぼうせんべい】
因みに志免屋は、単なる老舗ではなく全国菓子大博覧会・通産労働大臣賞受賞と言う実力のあるお店だそうです。


志免屋からまたすぐ近くの通りの左側に「米重せんべい」がありました。こちらは残念ながら日曜はお休みなのでしょうか。比較的小さなお店ですが、創業明治38年という、こちらも老舗です。
こちらのお店は草加市内でも殆ど無いという天日干しをしているせんべい店だそうです。
"天日干し・炭火手焼"という文字通りの今も昔ながらの手作り煎餅として結構有名人も買いに来るそうです。
草加せんべいと草加宿 #1 【米重せんべい】


「米重せんべい」を通り過ぎると右側の路地の先に山門が見えます。ここが東福寺です。
草加せんべいと草加宿 #1 【東福寺山門】
山門に近づくと案内板があります。

『昭和五十七年二月二十二日指定
市指定有形文化財
東福寺山門
この山門は、表の柱間十尺(約三メートル)、妻八尺五寸(約二・五メートル)の桟瓦葺き四脚門である。
四脚門は四足門ともいわれ、本柱(円柱)の前後に控柱(角柱)が四本たつことから四脚門といわれる。 本柱は、礎石上にたち、柱頭は冠木を架し、控柱は、粽を付して礎盤上にたっている。
江戸時代の木割書によって造営されているが、一部手法は桃山頃になった木割書「匠明」と規を一つにする。
妻虹梁の下端を異状にくりあげて、中央の三つ斗を安定した組物にした点など、細部については、工匠の熟練した技術がうかがえる。
各部の絵様彫刻は温和で古様であり、冠木上の彫刻は、宗祖に由来した見事な彫刻を配し、元治二年(一八六五)銘を持ち、彫工後藤常重の非凡な刀痕が見られ、よくまとまった四脚門の遺構として永く保存したい。
平成十九年三月 草加市教育委員会』

構造上のこととかは良くわからないのでナンとも言いようが無いのですが、彫刻に関しては、確かに温和・・・そう、刺々しさのないとでも言うか、のんびりした情緒を感じます。直線や角が少ないからそう見えるのかもしれませね。

境内に入るとすぐ左手に鐘楼があります。
草加せんべいと草加宿 #1 【東福寺鐘楼】


『昭和五十五年三月二十二日指定
市指定有形文化財
東福寺鐘楼
草加市神明一丁目三番四十三号
この鐘楼は、石積みの基壇上に建ち、柱の間二メートル七十二センチの方形である。
絵様彫刻は立川流を基本とし、彫刻は江戸に近い関係で、当時の優秀な技法が見られる。基壇に「文久二年七月再造立」(一八六二)の刻銘があり、時代が判明する。この建物は、当時の優秀な工匠によって造営されたと推定され、数少ない本市の文化財として貴重な寺院建築物といえる。
平成十九年三月 草加市教育委員会』

更に鐘楼の隣に生け垣で囲まれた木が植えられています。
草加せんべいと草加宿 #1 【三鈷の松】
そこには高札がありました。

三鈷の松
この松はお大師様が真言宗が広まることを祈って中国より三鈷を投げたところ高野山の三葉の松にかかり以来この松を「三鈷の松」と言う。このいわれは、山門の裏に彫ってあります。なお、この落葉はお守りとして免許証とおさいふに入れています。
木から直接抜くと木が枯れることがあり、その抜いた人にわざわいが行きます。落葉が無ければお線香をつける所にありますので、お分けします。』

三鈷とは、密教の寳具『三鈷杵』(さんこしょ)のことで、仏の身・口・意の三密を表し、また、魔の者と戦うときは三鈷の剣となって、災いを断ち切ると言われるものだそうです。身・口・意の三密とは、水・剣・火を意味し、水は対人関係や世間の流れ、剣は言葉、火は欲望を表すそうです。
松の葉がお守りになるとは・・・
勝手に抜かれると困るので、サラッと無断で抜かないよう釘を刺しておいて、だが、もし落葉が無ければお分けしますと、なんて至れり尽くせりなんだろうと感心しきりで、結局落葉を手に入れるのを忘れました。

でも、ちゃんと山門に戻って”いわれ”と思しき彫刻を見てきましたが、これがそうなのかどうかは良くわかりませんでした。興味深い趣向が凝らしてあると言ったら罰があたるのでしょうか。
草加せんべいと草加宿 #1 【山門の三鈷の松の”いわれ”と思しき彫刻】

本堂に向かうとそこにも案内板がありました。
草加せんべいと草加宿 #1 【東福寺本堂】

『昭和五十七年二月二十二日指定
市指定有形文化財
東福寺本堂内外陣境彫刻欄間
草加市神明一丁目三番四十三号
東福寺本堂の内外陣境には江戸の名工 島村円哲作の三枚からなる見事な彫刻欄間がある。
中央は一メートル四センチに一メートル七十三センチもある大きな彫刻で仏教の守護神である竜の構図である。 技法はすぐれ、波頭を蹴る竜は迫力がある。
左右はやや小さく、中国の二十四孝の一部である。象と耕作しているのは大舜である。大舜の親に尽くす孝養に、象きたりて耕作をたすけ、鳥まで草をとりて耕作の助けをしている構図である。
一方にざまづいて天女をみあげるのは董永である。董永は家まずしくとも、親に孝養の限りをつくし、親の死におよび身を売って葬礼をいとなんだ。 その至誠が天に通じ、天女きたりて、董永の借財をかえしてもあまりある織物を作り上げ、昇天する構図である。
董永・天女ともに別れを惜しむ姿が、いきいきと彫られている。
平成十九年三月 草加市教育委員会』

儒教の考えを重んじた歴代中国王朝は、孝行を特に重要な徳目として治世を行う上で、中国において後世の範として孝行が特に優れた人物二十四名を取り上げた物を二十四孝と言うそうです。
内容はともかくとしてそういったものがあると知っただけでも有意義なのだと勝手に悦に入ってる。

参考:【中国NET雑学塾】 http://www1.vecceed.ne.jp/~watagi/index.html

ここ(草加市)の案内板は実にいいですね。通常文化財で実物が見られないものは結構多く、折角行った先でも案内を読むだけと言うのが多いのですが、ここは写真付きの案内板ですので非常に判りやすいですね。 こうゆうちょっとした配慮を各教育委員会もして欲しいですね。
因みに地元・上尾の案内板も写真つきでした。今のところ訪れた他の地域はなかったですね。
草加せんべいと草加宿 #1 【写真付解説板】

更に例の「道しるべ」の解説板もあり、寺院の概要がありました。

『東福寺は、草加宿の祖・大川図書が創建した寺です。正式には「松寿山不動院東福寺」といいます。1606年(慶長11)に大川図書によって創建され、僧・賢宥が開山したといわれています。本堂は明治年間にわら葺から瓦葺になり、1993年(平成5)には大規模な改修が行われました。境内の墓地には大川図書の墓があります。山門、本堂外陣欄間、鐘楼は市指定文化財で、「草加八景」の1つでもあります。』

また、大川図書についても説明があります。

『大川図書は小田原の北条氏に仕え、土本氏を名乗っていたといいます。1590年(天正18)小田原城の落城によって浪人となり、岩槻城主太田備中守のもとで年月を送っていたようです。そして、徳川氏の天下統一の時、谷塚村に居住することになったと言われています。その後、新しい土地を求めて現・松江近辺に移り住むようになり、草加宿や東福寺の建設に尽力することになりました。』

こういった人を顕彰することは非常に良いことでしょうが、現実的に地元住民がどれだけ知っているのでしょうか。草加に限らず我が地元を含めて調べて見たい気もしますが。
因みに後の歴史資料館で知ったのですが、この図書の直系に大川平八郎という人がいて、草加出身の映画俳優だったそうです。それ程メジャーだったわけではなさそうですが、昭和32年、米国コロンビア映画の「戦場にかける橋」に助監督兼俳優として参加・出演したそうです。
それはともかくとして草加にも八景があったのですね。
調べて見るとこれは、市制30周年を記念して昭和63年11月の市民の推薦の上で選定されたそうです。

[歴史を伝えるふるさとの景観]
①日光街道草加松原 ②音店(おとだな)河岸と下妻街道 ③葛西用水の桜並木(久伊豆神社以南)
[新しいまちのシンボル]
④森と桜の峯分橋(伝右川) ⑤辰井川十橋
[生活にうるおいをもたらす身近な景観]
⑥綾瀬川の桜堤(新栄町団地東) ⑦浅間神社境内(瀬崎町) ⑧東福寺境内(神明1丁目)

いづれ見てみたいと思いながら、99%行かないだろうな・・・きっと。 でも、この東福寺はこれだけではなく、更に見所・楽しみ所いっぱいなのです。

例えば六地蔵とかは、まあ、一般的ですが、「持ちあげ不動明王」とか「ふれあい仏足石」などは始めて見ました。
草加せんべいと草加宿 #1 【六地蔵】

「持ちあげ不動明王」のやり方は”明王の下に手を入れ足形に足をのせ持ちあげて諸願成就をお祈りください”と。
さらに「ふれあい仏足石」は”大御足跡を見に来る人の去にし方千代の罪さへ滅ぶとぞ言ふ除くとぞ聞く(第十七歌) =仏足跡を拝みに来る人は過去の長い間の罪までも消滅するという、仏足跡の功徳を説いている。この歌の出典は「観仏三昧海経」といわれている。= 手でさわって足をのせないで下さい。”という説明がありました。
草加せんべいと草加宿 #1 【左が「ふれあい仏足石」・右が「持ちあげ不動明王」】
六地蔵やら夫婦墓、更に持ち上げると良いことがあるという明王などなど、一遍行かれても損はさせないと思います。
とはいってもここでずっと遊んでいるわけにもゆかず(・・・って、罰当たり)東福寺を後にし、一旦旧日光街道へ戻り草加宿を巡ります。

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