草加せんべいと草加宿 #2

旧日光街道を歩くとすぐ左手に「元祖源兵衛せんべい」がありました。
明治3年に、初代の源兵衛氏が新潟から草加に移り住み、日光街道を往来する旅人に茶店を開いて日用品を売り始め、副業としてせんべいを焼き始めたそうで、お米は良質米、醤油は一級品、炭は紀州の備長炭を用いて、評判はどんどん良くなったそうです。
大正、昭和と、博覧会や品評会で、数多くの賞を受賞した老舗です。
草加せんべいと草加宿 #2 【元祖源兵衛せんべい】

「元祖源兵衛せんべい」を通り過ぎると、左手に「おせん茶屋」があります。
草加せんべいと草加宿 #2 【おせん茶屋】
「道しるべ」からの解説です。

おせん茶屋
●おせん茶屋
「おせん茶屋」は、旧日光街道に面し、かつての宿場町の雰囲気を漂わせた茶室風の造りとなっています。「おせん茶屋」という名前は、草加せんべいの伝説上の創始者といわれる「おせんさん」にちなみます。
1988(昭和63)、建設省(現・国土交通省)主催の第3回手づくり郷土賞「小さなふれあい広場30選」に選ばれています。

●草加せんべいの今昔
現在、市内にあるせんべいの製作所や販売所は60軒以上に及び、名実ともに草加市を代表する名物となっています。製造工程は機械化されつつありますが、昔ながらの天日干しや手焼きも行われています。「草加せんべい」は円形の醤油味の堅焼きで、「草加せんべい醤油のかおり」は、かおり風景100選(環境省)に選ばれています』

まあ、色々な選定があるもんですね。
国土交通省サイトでの説明です。

『手づくり郷土賞とは、全国各地において、その地域固有の自然や歴史、伝統、文化や地場産業等を貴重な資源として再認識し積極的に利活用した、魅力ある地域づくりの成功例が多く見受けられます。
このような地域の魅力や個性を創出している、良質な社会資本及びそれと関わりを持つ優れた地域活動を一体の成果として発掘・評価し、「手づくり郷土賞」として表彰することにより、好事例を広く紹介し、個性的で魅力ある郷土づくりに向けた取組が進むことを目指しています。
「手づくり郷土賞」は昭和61年度に創設され、平成20年度で23回目の開催となる国土交通大臣表彰です。 』

埼玉県では草加は結構多いようで以下の事例が賞を受けています。
●辰井川6橋 (ふるさとが誇りとする橋) S61 ●草加松原遊歩道 (ふれあいの並木道) S62 ●おせん茶屋 (小さなふれあい広場) S63 ●西町緑道水路 (生活の中にいきる水辺) H元 ●草加六丁目橋 (街灯のある街角) H2 ●札場河岸公園 (くらしに根づく施設) H4

参考:【手づくり郷土賞】 http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/tedukuri/index.html

こちらは環境省サイトでの説明です。

『日本には、私たちにやすらぎやゲンキをあたえてくれるすばらしい景色がたくさんあります。
そんな景色を体全体で感じるとき、そこには必ずすばらしいかおりがあると思いませんか?
環境省は、そんなかおりのある風景をいつくしみ、守りつづけている地域の方々を心から応援したいと思っています。
そして、みなさまに愛されるかおり風景がこれからもずっと続くようにとの願いをこめ、「かおり風景100選」を選びました。』

埼玉県ではここ草加と、川越市の「川越の菓子屋横丁」が選定されているようです。

参考:【かおり風景100選】 http://www.env.go.jp/air/kaori/index.htm

それはともかく「おせん茶屋」自体の説明がありませんと思ったら裏手に説明がありました。

おせん茶屋
街角修景事業として神明一丁目の児童遊園を改修した小公園。
昭和62年3月に完成。旧日光街道に面し、かつての宿場の雰囲気をただよわせる。名前は草加せんべいの伝説上の創始者「おせんさん」にちなむ。
昭和63年、建設省(現・国土交通省)主催の第3回手づくり郷土賞「小さなふれあい広場30選」に選ばれた。かつて草加町役場、鳩ヶ谷警察派出所などのあった場所である。』

江戸時代における宿場町の茶店という草加らしさを表現したシンボリックな公園ということでしょう。正式名称は「おせん茶屋公園」だそうです。公園であるといえば手づくり郷土賞もありえるかなとは思います。
ちょうどこの「おせん茶屋公園」前に「日光街道」の標柱が建っていて、かつてこの道が日光街道であったことを表しています。
草加せんべいと草加宿 #2 【日光街道標柱と左側に「小さなふれあい広場30選」の碑】


「おせん茶屋公園」をでるともうPM12:30頃なので一旦昼食を取ることにしました。
以外に旧日光街道には飲食店が少なく日曜日だと休みが多いようです。仕方なく裏道を行くのですが結局草加駅付近まで来てしまい昼食を取りました。
昼食後、は改めて旧日光街道に戻りますが、ここは先に歴史民俗資料館を訪れることにし、草加駅前一番通り商店会を進みました。
この通りは商店会とあって多くの飲食店がありました。初めからここに来れば良かったのにとプチ後悔です。 ちょうどこの通りに手焼きせんべいの香ばしい香りが漂っています。

「草加煎餅 まるそう一福 草加駅前店」というお店で、ぽんぽこフォレストという商業ビルの一階にあります。
ここではいつも手焼きを焼いているそうで、常に暖かいせんべいが食べられますが、ちょうど昼食後なので香りだけいただきました。
この「草加煎餅 まるそう一福」は300年以上の歴史を持つ老舗中の老舗らしいです。本物へのこだわりのため大量生産ができず、流通への卸売りは行なわずに、工場直売店のみの販売だそうです。
本店には”草創庵博物館”という煎餅資料館・民具館・美術館を兼ねた博物館があるそうです。
草加せんべいと草加宿 #2 【草加煎餅 まるそう一福 草加駅前店】


せんべいの香り漂う中、「歴史民俗資料館」に到着です。

歴史民俗資料館
所在地 草加市住吉一-十一
かつて草加市は、一部の台地を除けば一面に豊かな水田が広がる稲作地帯であった。
しかし、昭和三十年代からの急激な都市化現象は、そこに住む人々の暮らしまで一変させ、堂々と築き受け継がれてきた貴重な歴史、民俗等の文化遺産を消失させつつある。
草加市立歴史民俗資料館は、この失われつつある郷土の文化遺産を収集、保管、展示するため、昭和五十八年十一月一日に開館したものである。
この建物は草加小学校西校舎を改造したもので、コンクリート造り校舎としては埼玉県では一番古く、由緒ある建物である。
館内には、農具、神楽などの民俗資料、古文献、板碑などの歴史資料、土器などの考古資料が保管、展示されている。
ここに集められた文化遺産は、いずれも私たちの祖先が長い歴史の中でつくり、はぐくみ、そして伝え残してくれた文化遺産である。これらを大切に保存し、永く後世の人々に伝えることは、今に生きる私たちの責務ではないだろうか。
近年、急激に進められている地域開発や生活の変化の中で、市民の財産である自然や文化財を愛護する精神を培っていきたいものである。
昭和六十一年三月  草加市教育委員会』

歴史民俗資料館は現在、国の登録有形文化財になっています。
草加せんべいと草加宿 #2 【歴史民俗資料館】
平成20年10月23日付けで草加市では初、また埼玉県では123件目となる国の「登録有形文化財(建造物)」となったそうです。
登録有形文化財とは、文化財保護法に基づき、建築後50年を経過している建造物で、次のいずれかの基準にあてはまるものが対象となります。
1.国土の歴史的景観に寄与しているもの 2.造形の模範となっているもの 3.再現することが容易でないもの
歴史民俗資料館は、2.の「造形の模範となっているもの」に該当するものとされました。
そもそも資料館の建物は、関東大震災後の1926(大正15)年9月、県内の小学校として初めて鉄筋コンクリート造で建てられた草加小学校西校舎を改修したもので、当時としては、時代を先取りした耐震・耐火の近代的建物であったことから、2008(平成20)年9月26日、国の登録文化財として市内で初めて国の文化審議会から有形文化財に登録するよう答申された結果だそうです。

考古・歴史的文化遺産を文化財で展示・保管するなどとは実にベストマッチで、更なる価値が高まるのではないでしょうか。ここにある案内板も昭和40~50年代のアジテーター風で時代感を創出しているかも知れませんね。

そうそう、内容ですがまさに学校跡ですね。廊下の感じが懐かしいです。でも結構中は綺麗なんで大正時代のという感じはありません。
特に特別展として雛人形が展示されていました。もうそんな季節なんですね。
ということで、草加の文化財や史跡などなど知るにはうってつけです。
草加せんべいと草加宿 #2 【歴史民俗資料館内部廊下】

ここからは一旦また、旧日光街道に戻り「氷川神社」に寄りましたが、小さい、実に小さい。よくここで存えてきたものだと感心する位です。地域密着とはこのことでしょう、本当に密着していますから。
草加せんべいと草加宿 #2 【密着というか食い込んでいる氷川神社】
また旧街道を進むと今度は左側に「道路元標」があります。
明治44(1911)年に埼玉県内各地に建立されたもので、谷塚・千住・越谷・浦和・栗橋への距離が尺単位で示されている。かなり老朽化が進んでいるらしく、スチール枠で補強されています。
因みに「・・・越ヶ谷宿へ壱里三拾三町三拾三間三尺」と三並びで記載されていました。これって偶然、それとも故意。
草加せんべいと草加宿 #2 【道路元標】


歩みを進めると旧家の名残でしょうか「藤城家」だそうです。
これは明治初期の建物で、町屋建築として貴重な建物だそうです。草加市保存景観賞受賞しています。
草加せんべいと草加宿 #2 【藤城家前景】


しばらく行くと左手に「八幡神社」の参道入口があります。
草加せんべいと草加宿 #2 【八幡神社鳥居と参道】
八幡神社の創立年は不詳とされていますが、「草加見聞史」によると、享保年間(1716年~1736年)に稲荷神社として創建され、安永6年(1777年)に木造八幡神像を合祀して現在の神社名になったそうです。そして、この八幡神社は明治42年(1909年)4月、草加神社に合祀されたそうです。
更に社宝について記載されています。

『昭和五十六年一月三十一日指定
市指定有形文化財
八幡神社 獅子頭雌雄一対
この雌雄一対の獅子頭は、高さ八十三センチ、幅八十センチ、奥行八十七センチもあり舞に使われる獅子頭と比較すると、大型で重量もあり、獅子の胴衣をつける穴もなく、獅子頭として神幸に供奉したものである。しかし、現在では山車に乗せて曳いたという以外に伝承は残っていない。
かかる大型の頭では、重量の関係もあり彫技に変化をつけることは至難であるが、江戸末期の平面的な技法によって構成されている。この彫工も男獅子の角には、かなり苦心したらしく宝珠との釣り合いもあり、中央に一角の太い角は、獅子の頭部の一部が岩のように盛り上がったごとく彫り込んであるが、獅子の角としては珍しい手法である。塗りは、布着せ黒漆塗りとし、唇・鼻の穴・舌は朱漆塗り。巻毛・耳・宝珠等は金箔押しとし保護のため生漆をかけてある。本体は寄木工法からなり、材は檜でであろう。歯は上顎から二本の牙がでて歯の並びに変化を与える古い手法を用いている。
このような大型の獅子頭は、遺構も少なく貴重なものである。
昭和五十六年三月 草加市教育委員会』

この八幡神社もそれ程大きくありません。先の氷川神社といい地域密着型とでも言うのでしょうか、古い町並みをしのばせますね。

しばらく歩いていくと草加市役所(北)交差点の右側角に旧家と思われし建物と「草加神社の標柱」がありました。
草加せんべいと草加宿 #2 【旧家と草加神社標柱】
この標柱は大正4年(1915)に建立されたものだそうです。
実際「草加神社」は駅を超えた向こう側ですが、明治42年4月6日に草加町にある十一社を合祀したことにより、草加神社と改称し草加の総鎮守としての重要度が増したため、遠くにあるため大正初期に標柱(道案内変わりとして?)が建てられたのでしょうか。


この交差点からちょっと先の左手が「回向院」です。
「回向院」の本堂には、阿弥陀三尊、善導大師、法然上人が祀られ、本堂外陣には、不動明王像、呑龍上人像が祀られているそうです。
草加せんべいと草加宿 #2 【回向院本堂】


「回向院」の先には「浅古正三家」、更に先の草加市役所前に「浅古家の地蔵堂」があります。

「浅古家の地蔵堂」は江戸時代中期の豪商・大和屋の浅古半兵衛が当時の敷地内に建立した地蔵堂です。
草加せんべいと草加宿 #2 【浅古家の地蔵堂と草加市役所】
言い伝えでは、当時、浅古家もわきを流れていた赤堀用水が増水したときに上流から流されてきた地蔵を拾い上げ祀ったところ、子宝に恵まれたといわれています。以来、子育て地蔵と親しまれ戦前までは毎年8月24日になると、地蔵堂に貯まったおさい銭を2銭銅貨に両替し(のちに1銭)、近所の子どもたちに配るという風習があったそうです。
地蔵菩薩立像が祀られ、立像に1667(寛永7)年の銘があることから、造立は江戸前期と考えられています。そして『浅古六代記』には1859(安政6)年に堂が立替えられたと言う記述があるそうです。
現在、市役所庁舎の一角にあるのは、市が地蔵堂を除く浅古家所有の土地を購入して昭和40年に現在の市庁舎が建設され、その後、旧日光街道の拡幅整備や西棟庁舎建設の際など、何回か地蔵堂を移設検討もされたそうですが、市民に親しまれている点を考慮しこのまま残すことになったそうだからです。

地蔵堂手前の「浅古正三家」は20世紀始めごろに完成した蔵造りの家で、旧街道に面して母屋が建てれています。
草加せんべいと草加宿 #2 【浅古正三家】
浅古家子孫または縁者でしょうが、この地域には浅古姓が多いそうです。
敷地内に市の保存木の梅の木があるそうで、先の「藤城家」と同様、草加市保存景観賞を受賞した建物です。
この草加市保存景観賞とは、1988年に市が制定し、まちづくり意識と住環境の向上を目的として、草加らしい味わいがあって人々の共感を呼ぶ建造物などを「まちなみ景観賞」として表彰し、歴史的に価値のある建造物は「保存景観賞」として表彰していたものです。
2005年度からは緑化コンクールと統合して、「建物景観」「保存景観」「緑化」「活動」の4部門で表彰しているそうで、2007年までに124件が表彰されています。
因みにこの「浅古正三家」は第1回で選定されていて、ほかに「源兵衛せんべい店」「獨協大学」なども選定されていたそうです。

この地蔵堂の先は日光街道(旧4号)と合流し、このあたりで草加宿も終わりです。
古いものを残しつつ再生していくのは非常に難しいことでしょうが、”芭蕉”に”せんべい”の草加宿は江戸時代の香りを残している興味深い町でした。
まあ、30年前は気づいてもいませんでしたし、興味もなかったのですがね。

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks