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まちかど雛めぐり  #1 ~市宿の雑踏を知る~

岩槻の「まちかど雛めぐり」とは、今回で第六回ですので6年目ということです。パンフレットのヘッドコピーにはこのように記載されています。
まちかど雛めぐりパンフレット【まちかど雛めぐりパンフレット】


『三月三日は、雛まつり
人形のまち岩槻で 「雛めぐり」を楽しみませんか
岩槻は室町時代から栄えた城下町
日本一名高い人形の産地です
今も数多く活躍する職人さんたちの作品や 商店に伝わる古い人形などを数多く飾ります』

主催:人形のまち岩槻 まちかど雛めぐり実行委員会 共催:岩槻人形協同組合
後援:埼玉県・さいたま市・さいたま市教育委員会・さいたま商工会議所・埼玉新聞社・埼玉県観光連盟・(社)さいたま観光コンベンションビューロー・岩槻商店会連合会・東武鉄道㈱・埼玉高速鉄道㈱・市宿通り道路整備協議会・NPO地域伝統文化推進機構・岩槻駅前商店会・さいたま市文化振興事業団・JR東日本旅客鉄道㈱大宮支社・岩槻観光ボランティアガイド会・東武医学技術専門学校

町興しの一環なのでしょうが、それ程予算があるとも思えないイベントのようですね。
各団体や店舗、住民が手弁当に近い状態で行っている感じがしますが、あまり陳腐なものにならなければ良いのですが。

東武野田線岩槻駅に到着すると駅には「ようこそ」の垂れ幕が貼られていて、ちょっと期待感を盛り上げます。
駅の垂れ幕【駅の垂れ幕】
駅前には「まちかど雛めぐり」のパンフレットが置かれていて、案内マップと共にスタンプラリーにもなっているようです。 今回はこのマップを頼りに巡る事にしました。
まずは、駅前にある「東玉人形の博物館」へ向かいます。ちょうど駅ロータリーの反対側です。

ロータリーの真ん中には”からくり時計”が置かれていて定時になるとからくりが動き出すようですが、この日は結局見れませんでした。
駅前のからくり時計【結局見られなかった駅前のからくり時計】
また、ロータリーの端に妙な円錐(三角錐?)のモニュメントでしょうか(・・・例によって、私の嫌いな)があります。意味、当然わかりませんが、推測で”人形”・・・ではないかな、まあ、誰が考えても最初はそう考えるでしょうが。
駅前の人形?モニュメント【駅前の人形?モニュメント】


さて、「東玉人形の博物館」は東玉本館の4階です。

通常は大人タ300-ですが、この期間はタ100-だそうで、この心遣いがなんとも嬉しいと貧乏人は考えます。しかも何も買うつもりもないし。だが、そういった方が今後何かの折で・・・とか言うマーケティングを考えるのはよそう、きょうはせっかくの日曜日なのだから。
東玉人形の博物館入り口【東玉人形の博物館入り口】
特にこのイベント時だけ「雛人形今昔展」と題した特別展示会場になっているようです。
これに関しては面白いことが判りました(・・・後の祭りって言うやつですかね)
当然、今昔展ですから当館では江戸時代などの古い人形などの展示があります。その中に置いてあった解説の書かれた印刷物に「お内裏様の左右?」と題されたものがあります。

『”お雛様のプロトコール” ???お内裏様の左右???  天童市立旧東村山郡役所資料部
「天子南面、日の出る方位高し」という古くからの中国の言い伝えがあります。天帝が南を向かれると左手が日の出の方角の東になり、左手が上位であるという意味です。京都ではそのような理由から特別な取り決めが無くても左側に男雛を配するのが当たる前になっています。この場合の左は私たちから見ての左ではなく天皇=男雛の左手をいいます。
ところが、昭和三年の昭和天皇の即位の礼の際に、中央の高御座に天皇が立たれ、そのやや後ろ向かって右の少し後ろの御帳台に皇后が立たれました。正面から見ると、向かって左に天皇、右に皇后が並んでいるように見えました。このことが新聞に写真入で報じられ、東京の雛人形業界では、この昭和天皇の即位式にならって、 正面から見た天皇、皇后の並ばれた姿(京都とは逆)を男雛、女雛として雛人形の並べ方としました。現代の結婚式の新郎新婦に並び方もそのとおりです。
当館では、雛の時代がわかるように昭和三年以前のお内裏様の配置は向かって右に男雛、左に女雛を飾っています。』

ウンチクもともかく、それそって配置を換えるとは中々の配慮です。でもせっかくの配慮ながらこのパンフを後で見たため、見学中は全く知りませんでした。はたして左右どうだったか、全く記憶がありません。まさに豚に真珠ですね。
その他にも「五節供」や「つるし飾りの個々の由来」など、なかなか勉強できる場所で、最初に訪れるにはもってこいかも知れませんね。
さて博物館を見終わっていよいよ岩槻雛めぐりのスタートです。

今回は昼食だけは決めていたので、昼食処までに距離・時間的に上手く廻れるルートを地図で考えて、市の西側からグルッと東側へ廻るのが効率的かなと考え、スタンプラリーの件もあり「東玉人形の博物館」から次は「コミュニティーセンターいわつき」に向かうルートにしました。

「コミュニティーセンターいわつき」もイベント時だけの特別展示会場で”小学生・高校生創作ひな人形展”と書かれています。
コミセンの創作ひな人形【コミセンの創作ひな人形】
「コミセン」に入ると手前に創作ひな人形が展示されていて、奥に何やら写真などが展示されており、学生らしき人が7.8人いました。それではと奥の展示スペースに向かうと、色々なデータなどが貼られています。
学生の一人が「説明させてください」というので聞いてみると、目白大学の学生だそうで本部は新宿ですが、岩槻にもキャンパスがあるようです。詳しい経緯は聞かなかったのですが、恐らくゼミか何かの関係で岩槻の町や今回のこのイベントなどを調査・探求しているようです。
様々なグラフや数値はこの町興しイベントによって、町がどのように変化したかを表しているようです。
年々、参加店も増え、来訪者の増加により売上等も少しずつ伸びてきていて、何よりも町に少しずつ活気が出だしたということのようです。また、このイベントを企画した・・・女史(名前は失念)へのインタヴューでの思いなども、当事者のように熱く語っています。
途中で何回か「もっと話していいですか」とまで言われ熱意は十分感じたのですが、出だしで余り時間をさくわけにもいかないので、程ほどのところで切り上げました。
直向さとか情熱的とか今時、まだあるんだなあ・・・などと感心しきりではあるのですが、広告屋として一言いうなら「プレゼン」のスキルが今一ということですかね。効果的なプレゼンを行わないと、折角の努力も水の泡とでもいいましょうか。でも将来がある人たちですからね、彼等は。一所懸命頑張って勉強していただきたいものです。

「コミセン」をでて、前の道を直進し交差点を右折すると「東久お人形歴史館」があります。
「東久お人形歴史館」は”東久”店舗に附属しているようで、店舗及びお人形歴史館は館長の福田 東久氏の歴史そのものでもあるようです。
福田 東久氏は1934年、東京台東区で二代続いた江戸工芸職人の家に長男として生まれ、16歳で人形職人を志し1953年、節句人形を扱う株式会社「雛屋東久」を設立しました。
1969年、埼玉県岩槻に工房・営業所を設立、1986年、「お人形歴史館」を設立。1988年からは埼玉大学、県立岩槻高等学校非常勤講師をはじめ各学校の講師を勤めているそうです。
この東久氏が収集品を一般公開すべく開館したのが、この「東久お人形歴史館」です。

それ程広くない1階に入るとすぐ雛人形が飾られています。でもただの雛人形ではありませんでした。その年の干支の雛人形だそうで、丑の人形でした。結構毎年これを見に来る方も多いそうですが、確か栗橋にも似たようなモチーフで石の丑を購入したのが今年の一月でした。
1階ではそのほかには古い人形などがあったのですが、それ程のものでもないと2回に上がるとかなり驚きです。

人形の組立工程や道具類なども飾られているのですが、圧巻は「かみしも雛」です。何体あるのでしょうか、何百体でしょうね。これだけの人形がこのスペースにあると迫力を通り越して恐怖すら感じます。
圧巻のかみしも雛【見るものを威圧する圧巻のかみしも雛】
只でさえ古い時代の市松人形などは、”髪の毛が伸びるのではないか”というサスペンス番組で使えそうな人形ですから、それにくわえて古い何百体の、しかも髪の毛が少し抜けていたりするものもあって、とっても夜一人では入りたくない場所ですね。

ここでは「かみしも雛」を初めとした様々な雛人形がありましたので、「ひな祭り」と「雛人形」を調べてみました。

雛人形の歴史を紐解くために知っておかなければならないのが、ひな祭りの歴史です。
「ひな祭り」の日本での起源は流し雛の風習から本来は祓い神事の人形であったといわれ、「雛祭を過ぎて飾っていると嫁に行き遅れる」という言葉もここからきているそうです。平安時代には貴族の「遊びごと」として行われた記録が現存しているそうですが、あくまで「遊びごと」であったようです。
これが、江戸時代に女の子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」とが結びつき、全国に広まって飾られるようになりました。
「雛あそび」が「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことで、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されています。そして、飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の重要な家財のひとつに数えら、その為、自然と華美になり、贅沢に流れるようになっていったそうです。
これにともなって「雛人形」の歴史は、江戸時代初期においては形代の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られたのが今に続くものとしては初めのようですが、男女一対の内裏雛を飾るだけの物だったそうです。
その後は精巧さを増して、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られましたが、これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた豪勢なものでした。この享保年間、人々の消費を規制するため一時的に大型の雛人形が当時の幕府によって規制されましたが、この規制を逆手にとって、「芥子雛」と呼ばれる数センチの大きさの精巧を極めた雛人形が流行することになりました。
江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れました。
この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは2人だけの内裏人形から、嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていきました。

このように様々な文化や環境の影響を受けながら、雛人形が現代に受け継がれているということです。
先の東久氏のインタヴューでこのようにいわれています。
「朝、機嫌のいいときはいい人形、笑顔でいるときは顔がいい。悪くてはいい人形はできない。あいさつしますからね。ものを鏡にする人はいいものをつくります。人形をみると心が和みます・・・」と。
やはり人形は人の鑑なのでしょうかね。
因みに本来は入館料がかかるそうですが、この期間は無料のようです。結構得した気分です。 そして、忘れずにスタンプラリーの最初のスタンプ”岩槻ひなめぐり”の「岩槻」をゲットしました。

ルンルン気分でもと来た道をもどり交差点をそのまま直進すると、左手に八雲神社があります。
八雲神社社殿【八雲神社社殿】
この八雲神社も特別展示会場で、八雲神社に伝わる四神の展示と、岩槻歴史写真展が行われているようです。
鳥居をくぐって参道を進むと由緒書きがありました。

八雲神社由来
当神社の創建と由来は、当地の旧家勝田氏祖先の勝田佐渡守が永禄三年(千五一六〇年)正月に市を開設した折に市の守護神として鎮座し、市を開いたのが最初には必ず市場の祭文を読みいる習わしだったと伝えられています。
江戸時代は牛頭天王社と称され明治時代になると八雲神社と改称されました。天王様の名称で人々に親しまれております。祭神は素盞鳴尊で商いの神火防の神として霊験あらたかです。神殿は昔、県道の中央に鎮座し神社から下に向かって背中合わせに市が立ち近郷近在からの人出で雑踏いたしました。現在の社殿は明治十七年(一八八四年)十一月二十八日に落成し明治二十一年(一八八八年)に現在地に移されました。境内地に現在緑の広場として子供や市民の皆さんから親しまれております。
例大祭日 七月七日 七月十五日
平成六年 八雲神社氏子中 第一区自治会 第二区自治会』

県道とは現在の埼玉県道2号さいたま春日部線で、ちょうど八雲神社から2号線に出た辺りに、”市宿”というバス停名称が残っているようです。江戸から明治にかけて随分と賑わったのでしょうね。
まずは社殿で参拝を済ませてから、すぐ横にある第一区自治会会館の展示を見学します。

奥には雛人形と岩槻の写真歴史パネルが展示されていて、中央に四神が鎮座していました。
ひな人形と写真展八雲神社の四神【ひな人形と写真展、そして八雲神社の四神】


四神とは東:青竜(竜)、南:朱雀(鳳凰)、西:白虎(虎)、北:玄武(亀)という配置です。これは方位と共に季節も表しているようで、この順に春夏秋冬を指しているそうです。更に五行思想では人生を四季に例えて年齢の移り変わりを表す「青春」「朱(赤)夏」「白秋」「玄(黒)冬」おも表しているそうです。
ただし、「青春」以外で人間の年代を表すことばとして用いられることは一般的な用法では無いそうです。
あえて「青春」だけが使用されているのは、”青臭い”、”青二才”といった言葉のように、若さ、未熟さをしばしば「青い」と表現し、春を「シュン」と読むときは、性的な意味を持つことが多い(春画・売春など)ため、「青春」が人間の年代を表す言葉として用いられるのは、「青」と「春」の言葉の持つ意味も影響していると考えられているようです。
奥の深い四神でした。

次が八雲神社の斜め向かいにある「岩槻郷土資料館」です。ここも特別展示会場で”江戸から昭和のおひな様”展が開催されています。

古びた建造物ですが、案の定”旧岩槻警察署庁舎”だそうです。
岩槻郷土資料館【旧岩槻警察署庁舎の岩槻郷土資料館】
本庄では旧警察署がそのまま文化財になっていたり、草加では学校が文化財で且つ資料館となっているなど、この手の活用方法はいいことですね。
説明によると、

『当館の建物は、昭和五年(一九三〇)に新築・竣工した旧岩槻警察署庁舎です。梁などの天井回りや窓の見られるアーチ状の造形をはじめ、随所に施された装飾は、大正期の建築様式の面影をとどめています。警察署庁舎の名残りの空間構成とともに、当館の隠れたみどころとなっています。』

ということですが、そういわれれば結構横暴なころの警察をイメージした雰囲気です。自白させるのにかなり暴力的だったとか・・・(別にこの岩槻署がという話ではないので誤解しないで戴きたい)という感じ。

1階は常設展示です。常設展示は3つの柱で、
1.大昔の暮らし:国の史跡に指定された真福寺貝塚や、岩槻地域で出土した土器、石器などの考古資料を展示
2.岩槻のあゆみ:岩槻城に関する史料、岩槻藩の藩校であった遷喬館およびその創立者である児玉南柯に関する史料などを展示。
3.くらしの道具:岩槻地域の農村、城下町の生活の様子、使用された道具などの民俗資料を展示
以上です。
その中で比較的立派な内裏様が置かれていましたが、通常はくらしの道具の一つとして”岩槻の雛人形”として展示されているのでしょうが、今回は2階に特別展示があるので若干色あせ気味です。

早速2回に上がると、江戸時代から伝わる雛人形が展示されていました。
特別展示のひな人形【特別展示のひな人形】
中に入ると係りの方がいきなり「停められましたか・・・」と聞かれて「はあ?」と返すと、「工事中なんで車停めにくく無かったですか?」と。「あっ、歩きですので」と答えると「それは良かったです」と言われたのですが、実に心優しい係りの方です。
見所は江戸時代の「御殿雛」でしょうか。当然古さは拭えませんが、立派なもので新しいうちは結構華麗だったでしょう。
御厨子とも言われていて小型の雛人形を飾るためのものだそうです。まあ、よくこういったものが残っているもんだと感心しきりです。

「岩槻郷土資料館」を出ると、県道2号線の反対側にありましたよ、これが。大きな垂れ幕にこう書かれています。
「NHK大河ドラマ 篤姫に登場したひな人形特別展示」と。これは見に行かざるを得ないでしょう。
あのテレビ番組の・・・【あのテレビ番組の・・・】
簡単に言えば、篤姫収録のために貸し出されたひな人形ということです。番組テロップ上は”協力”って言うやつですね。
でもって、篤姫のポスターと収録現場のスナップを堂々と使用。著作権とか肖像権とか・・・まあ、よろしいではないですか。そのお陰で我々も見れるのですから。まあ、これも記念ということで三次使用。
ところで、何というお店だったのか・・・ひな人形素材とか何とかかいてありましたが、思い出せません。
・・・三次使用!?【・・・三次使用!?】


先に進む途中復元された「日光御成道 岩槻藩高札場」がありました。
「高札場」とは現在の”官報掲示板”で、幕府が庶民に対し禁制や法度等を示したものです。本当はこの場所では無いようですが、ここに復元されていました。ですが、高札場の中には自動販売機が置いてあり、歩いてくると真横の看板が無ければ全くわかりませんね。これって意味あるのでしょうか。
意味があるのか無いのか良く分からない高札場【意味があるのか無いのか良く分からない高札場】


更に、その先の駐車場にある竹塀には板が掛けられています。「市宿通り」と刻まれています。名称をつけたローカルロードなんでしょう、判りやすくて便利です。
通り名道標【通り名道標】


この「市宿通り」を東へ進むと駅前通の交差点になります。交差点かどの一つ手前のお店が「藤宮製菓」店でスタンプラリーのポイントです。
綺麗な店内に小さなひな人形がちらほら。早速”岩槻めぐり”の「ぐ」をゲットしました。
藤宮製菓店舗【藤宮製菓店舗】

店から出ようと思ったのですが、若干気が引けることと、店内に香る桜の香りで思わず”道明寺”を購入しました。

ま、僅か2つで申し訳ないのですが、 気軽に受けていただき、店内で食させていただきました。実は”道明寺”って初めてなんですが、一般的な桜餅が見当たらなかったので、てっきりこれが桜餅だと思って買ったのです。
藤宮製菓の道明寺【藤宮製菓の道明寺】
いやあ、実に美味しい。控えめな甘さと塩付けの桜の葉の塩梅、そして香り。矢野顕子なら絶妙なハーモニーといったところでしょうか。
この初めての道明寺は桜餅の一種だそうですね。
1.江戸(長命寺餅):小麦粉あるいは白玉粉の生地を焼いた皮で、餡をクレープ状に巻いたもの。
2.上方(道明寺(餅)):糯米を蒸かして干し、粗めに挽いた粒状の道明寺粉を用いた皮に、大福のように餡を包んだもの。
ということで、上方の桜餅を道明寺と言うのですね。江戸の長命寺餅もけっしてまずくは無いのですが、道明寺の方がコクがあるような気がして、すっかりファンになりました。
それにしても、スタンプラリーを企画・実施したことは何回かありますが、実際に自分で廻ったのは初めての経験です。思わず買わずにいられないスタンプラリー、恐るべしプロモーションでした。
因みに長命寺餅は宮部みゆきの”井筒平四郎”も好んで食していたのを思い出しました。

おおよそここまでで道中、四分の一くらいでしょうか。まだまだ岩槻めぐりは続きます。

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