まちかど雛めぐり  #4 ~過去から未来へ思いを馳せる~

岩槻城址公園を後にして、その前の道をそのまま北上し「久伊豆神社」へ向かいます。

途中交差点角に「岩槻本丸公民館」があります。城下町岩槻にふさわしい日本瓦と白壁を基調にした「城」をイメージした建物だそうです。公民館ですが意外と大きいです。
”本丸”とありますので、このあたりが岩槻城の本丸あたりだったのでしょうかね。
岩槻本丸公民館【岩槻本丸公民館】


更にこの交差点角には「久伊豆神社」の石柱が立っていました。本来は”郷社 久伊豆神社”と掘られているのですが、郷社の部分が埋められています。
久伊豆神社石柱【久伊豆神社石柱】


ここから歩いて5.6分でしょうか、東武野田線の踏切の先に狛犬と鳥居が見えます。ここが「久伊豆神社」の入り口です。
久伊豆神社参道入り口【久伊豆神社参道入り口】


鳥居をくぐると樹木に覆われた長い参道が続いています。参道を歩いていると案内板があります。
久伊豆神社参道【久伊豆神社参道】


『埼玉県指定文化財 螺鈿の鞍
指定年月日 昭和三十七年三月二十日
指定の種類 有形文化財(工芸品)
所有者 岩槻市宮町ニ-六-五五 久伊豆神社
漆塗りの地に螺鈿(貝殻の裏の光沢のある部分)を用いて装飾をあしらった装飾鞍です。
前輪中央に「丸に鶴」、その両側と後輪に「丸にかたばみ」の紋所を散らし、両側には螺鈿がちりばめられています。
居木に寛永九年(1632)七月の墨書銘があります。高さ約二十九cm。

埼玉県指定文化財 久伊豆神社の大サカキ
指定年月日 平成九年三月三十一日
指定の種類 記念物(天然記念物)
所有者 岩槻市宮町ニ-六-五五 久伊豆神社
サカキは、ツバキ科に属し、関東南部以西に自生する常緑の亜高木です。枝は神事に用いられることがあります。
久伊豆神社の社殿奥に生えるこの大サカキは目通り一m五十cm、高さ十三mに達するもので、埼玉県でも最大級のサカキです。
ほぼ同じ高さの二大幹にわかれていて、それぞれの幹にたくさんの枝葉が出てよく繁茂しています。』

岩槻市久伊豆神社社叢ふるさとの森
昭和五十七年三月二十五日指定
身近な緑が、姿を消しつつある中で、貴重な緑を私たちの手で守り、次代に伝えようと、この社叢が、「ふるさとの森」に指定されました。
久伊豆神社は、飛鳥時代に土師氏により創建されたと伝えられる由緒あるもので、近在の人々の崇敬を受けています。
境内には、県の天然記念物指定のサカキも生育するなど市民に対して貴重な緑地を提供しています。
林相は、主に、スダジイ・スギ・クスノキ・ケヤキなどの樹木から構成されています。
昭和五十八年三月 埼玉県』

結構歴史も有り文化財も豊富で、さらに自然一杯の神社ですから市民から親しまれるのも頷けます。
”鞍”については上尾市の妙厳寺にも信長から賜ったとされるものが文化財としてありますね。これほど装飾されては居なかったようですので、こちらは実用ではなかったのでしょうか。
ふるさとの森については、栗橋も指定されていましたね。

この先には、悠仁親王殿下の「おしるし」の木『高野槙』と付けられた樹木があります。「おしるし」とは皇室の人が身の回りの物に名前代わりに付けるものだそうで、話題になった秋篠宮の長男が悠仁親王殿下です。
おしるしの高野槙【「おしるし」の木『高野槙』】
その先に久伊豆神社由緒書があります。

『岩槻市総鎮守 久伊豆神社由緒
御祭神 大国主命
御例祭四月十九日、十月十九日
久伊豆神社は、今を去る千三百年前、欽明天皇の御大出雲の土師連の創建したものと伝えられる。その後相州鎌倉扇ヶ谷上杉定正が家老太田市に命じ、岩槻に築城の際城の鎮守として現在地に奉鎮したといわれている。江戸時代歴代城主の崇敬厚く、特に家康公は江戸城の鬼門除として祈願せられた。
神社境内は城址の一部で、元荒川が東北に流れ、市内でも数少ない貴重な社叢として知られている。
明治八年一月十一日、火災に遭い、時の城主、町民より寄進された社殿等烏有に帰し、現社殿は、その後氏子崇敬者の誠意により再建されたものである。現在神域は次第に整い、神威はいよいよ高く神徳ますます輝きわたり岩槻市総鎮守として広く人々の崇敬を集めている。
附記
●旧社格 県社
●境内地面積三町歩余(県指定「社叢ふるさとの森」埼玉自然百選)
●主な文化財
1.県指定有形文化財(螺鈿鞍)
2.高力高長奉納太刀
3.城主小笠原長重公奉納宗源宣旨
4.旧城主阿部家奉納太刀
5.県指定天然記念物(大サカキ)
6.岩槻市指定保存樹木(モッコク)
神社関係機関 岩槻保育園
岩槻市観光協会』

久伊豆神社は、埼玉県の元荒川流域を中心に分布する神社で、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致しているそうです。北埼玉郡騎西町の玉敷神社は、かつて「久伊豆明神」と称していて、久伊豆神社の総本社とされています。 県内では越谷と岩槻が有名なそうです。
旧社格は県社とありますが、これは近代社格制度上での社格です。
近代社格制度では、神社の格を大きく官社と諸社に分けられ、官社とは、祈年祭・新嘗祭に国から奉幣を受ける神社で諸社はそれ以外です。
官社・諸社ともに順があり、諸社は府社=県社=藩社>郷社>村社>無格社の順です。
ここ岩槻の久伊豆神社は、明治6年に村社、大正12年に郷社に列格し、神社では県社への列格を希望していたそうですが、県社に昇格したのは昭和20年10月19日までかかったそうです。
そう言われてみれば、「岩槻本丸公民館」角の交差点にあった石注の郷社の文字が埋められていたのが理解できます。ということは大正12年以降に建立された石柱ということですね。
勿論、現在この社格廃止されていますので、旧社格となっているのです。
また、ここ「久伊豆神社」の”久伊豆”は「クイズ」とも読めることから、「クイズ神社」とも呼ばれて第11回アメリカ横断ウルトラクイズ(1987年)の国内第二次予選会場として選ばれました。
この影響で岩槻久伊豆神社の知名度が高まり、近年クイズ番組での優勝祈願に訪れる者も増えているそうです。

所謂二の鳥居から先が境内です。境内とは言いながらもまだ長い参道が続いているような感じですから、境内もかなり広いようです。
二の鳥居と境内【二の鳥居と境内】


二の鳥居からすぐ右手に境内神社の庚申社があります。祭神は猿田毘古神だそうです。
境内神社の庚申社【境内神社の庚申社】
境内神社とは所謂、摂末社のことで神社本社とは別に、その神社の管理に属して、その境内又は神社の付近の境外にある小規模な神社のことです。諸社の場合は摂末社とは言わずに境内神社というそうです。


少し先に進みますと庭園が左側にあります。
枯山水の神苑【枯山水の神苑】


神苑  奉納者 斉藤善八氏
此の庭の様式は「枯山水」といい水を用いずただ地形によって山水を表わす庭である。
昭和六年九月起工 翌七年九月竣工
作庭者は會田常蔵氏である』

これが名前だけはきいたことのある「枯山水」という庭園ですね。確かにより日本の和を強く感じます。
その先の右手には神楽殿があり正月など奉納神楽が行われているようです。

ここもイベント期間中は特別展示会場で、神楽殿の反対側にある社務所に奉納雛人形が置かれていました。
奉納雛【久伊豆神社奉納雛】


三の鳥居をすぎると拝殿があり、まずは参拝しました。
久伊豆神社拝殿【久伊豆神社拝殿】


拝殿の左側に順路という案内があったのでそちらに向かってみました。ちょうど社殿をグルッと一周する様になっています。

まずは「霊水」と言われているところで、鯉がたくさんいました。霊験新たかな水が湧き出ているのでしょうか。
霊水【霊水と鯉】


右側に本殿が見えます。ここは弊殿を持たずに本殿が独立しています。結構珍しいのではないでしょうか。
久伊豆神社本殿【幣殿の無い久伊豆神社本殿】


「霊水」の先に境内神社の「伏見稲荷神社」があります。
伏見稲荷神社といえば京都の総本宮です。千本鳥居の神社といえばわかるでしょう。稲荷神が農業の神であるので、五穀豊穰・商売繁盛・交通安全といったご利益があるのでしょう。
境内神社の伏見稲荷神社【境内神社の伏見稲荷神社】


更に本殿の後ろ側にあるのが「榛名山神社」で、祭神は火産霊神・埴山毘売神です。色々なご利益はあるそうですが、安産祈願で訪れる人も多いようです。
境内神社の榛名山神社【境内神社の榛名山神社】


「榛名山神社」の前に天然記念物の「大サカキ」があります。私たちが良く見るのはサカキの枝で神棚にお供えするものです。ですのでサカキの木が通常どのくらいの大きさなのか、そして、それに対してこの「大サカキ」がどれほど大きいのかが想像できません。まあ、天然記念物に指定されるくらいですので相当大きいのでしょうね。樹齢400年とありますので様々な風雪に耐えた強い樹木なのですね。
判りにくいが天然記念物の大サカキ【写真では判りにくい天然記念物の大サカキ】


そして最後の境内神社である「北野天満宮」がちょうど社殿の向かって右側にあります。これで社殿をグルッと一周したことになります。
「北野天満宮」といえば秀吉・秀頼の京都にある天神様ですから、祭神は菅原道真です。したがって学問の神として祈願されるのでしょう。
横に大きな丑の像があります。恐らくこれは菅原道真の誕生が丑年で、牛にまつわる縁起が多く伝えられ、牛は天神様の使いとなっているからでしょう。
北野天満宮と牛【北野天満宮と臥牛の像】


更に興味深いのが、延喜三年大宰府で亡くなった道真の遺骸を運ぶ途中、車を引く牛が座り込んで動かなくなったため、仕方なく付近の寺院である安楽時に埋葬したのですが、この故事により京都北野天満宮境内にある神牛の像は臥牛(横たわった牛)の姿となっているそうです。それでここの牛も臥牛なんですね。

グルッと一周で交通安全から安産・学問成就まで、様々なご利益と共に祭神を祀っているのですが、最後に主祭神である大国主命について調べてみました。
大国主命とは日本の神様のなかのスーパースターであるそうです。恐らく一番知られているのは出雲大社の縁結びの神様でしょう。更に、「因幡の白兎の」主役、七福神の大黒様、そして全国の国つくりの神の総元締めなどなどといえば理解され易いでしょう。
そして、日本の素盞鳴尊やギリシア神話の英雄のように怪物退治といった派手なことはやっていませんが、国土の修理・保全、農業技術の指導、温泉開発、病気治療、医薬の普及など地味ながらも確実に人々の役に立つ偉大な神なのです。
それでここ久伊豆神社では、一般的な家内安全 商売繁昌等のほかに地鎮祭・上棟式・竣工式などの法人祭典などをおこなうのでしょう。
このように久伊豆神社は歴史もさることながら、岩槻の総鎮守として荘厳でありながら親しみ易い神社だと窺い知ることが出来、ここを後にしました。

一旦、本丸公民館に戻ってそこから久保宿通りを経由、丹過通りを通って「丹過長谷川家」を訪れました。
ここも特別展示会場として、旧家のお雛様が飾られていました。
丹過長谷川家【丹過長谷川家】


長谷川家についてパンフレットの説明です。

『長谷川家は江戸時代から白木綿問屋を営んでおり、明治10年頃初代長谷川宗七氏が、火災・盗難防止の為にこの店蔵を建てたことが、昭和56年に修復した際出てきた「棟札」から明確になりました。
蔵造りといえば「重厚で圧観」なのが印象的ですが、長谷川邸は、「いかにも白木綿問屋らしい品格ある穏やかなたたずまい」です。
この建物は、壁芯に丸竹を縦横格子状に組み麻紐で結わいた木舞がきの上に幾重にも土と漆喰を塗りこんだもので、壁の厚さ30cm以上の本格的土蔵造りです。大正12年の関東大震災にも耐えて120年以上の歳月を経ても少しのゆがみもなく威風堂々としております。
店蔵とその奥の住居部分は、厚い土壁で仕切られており、その出入り口は、間口一間(1.8m)ありますが、二枚の分厚い土蔵造りの観音扉で完全に遮断されており、そのみごとさに驚きます。
糸箪笥を兼ねた箱階段、二枚の揚げ戸、総欅の神棚、格子戸、釜屋、風情ある土間、鬼瓦など・・・多くのものに目が止まります。
無節柾目の欅の廊下を通って二棟の「文庫蔵」を過ぎると中庭を望む「離れ」へと繋がります。ここの二つの部屋は三方廊下に囲まれた客間で、枯山水を眺めながら別世界のひと時に浸ったのでしょう。建物全体が「コの字型」に配置された整ったお屋敷です。』

特に文化財になっているわけではないのですが、城下町で宿場町、そして市の賑う岩槻のシンボルとしての土蔵つくり建築物が数少なくなっていく中で、今や貴重な建物として残っているのが、ここ長谷川家なのでしょう。

そして、このイベント期間中はこの店舗跡に”享保雛”といわれる古いお雛様が飾られているのです。
丹過長谷川家の旧家のひな人形【丹過長谷川家の旧家のひな人形】
歴史ある建造物に歴史ある雛人形こそ岩槻の真骨頂なのかもしれません。そういえば、今日はTV埼玉がロケに来ているそうですが、ここにも取材に訪れ4月には放映されるそうです。


最後にスタンプラリーの”岩槻ひなめぐり”の「り」をゲットしてラリーも完了しました。
スタンプラリー【スタンプラリー終了】
時間ももうそろそろ4:00になりそうな時刻でしたので”岩槻ひなめぐり”を終了することにして、岩槻駅に向かいました。

官民一体となったイベント「まちかど雛めぐり」は大変興味深く、また楽しいイベントでした。
町中が雛祭りと言っても過言ではないでしょう。それだけ町興しとしても力が入っているのです。人形の町だからと言ってしまえばそれまででしょうが、それ以上の魅力を感じました。
もっとコマめに見て歩くとより魅力を見つけることが出来るのではないでしょうか。このイベントは3月一杯で終了しますが、この後、流し雛や人形供養などはじめとしてイベントも年間を通じて行われているようです。よりたくさんの人が訪れると良いですね。十分楽しむことができました。

最後に桜餅とスタンプラリーの記念品”雛人形ポストカード”をお土産に帰路に着きました。
お土産の桜餅スタンプラリーの記念品【お土産の桜餅と景品のポストカード】

2009.3.20記

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