上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

石龍山橋立堂

浦山歴史民俗資料館を出て、そのまま県道73号線を浦山ダム方面に向かいます。
道路の右手に「橋立堂」駐車場があったので、一旦車をそこに駐車することにしました。無人の駐車場ですが料金を払うシステムで、封筒にお金を入れて、その封筒に自分の車のナンバーを記入して、ボックスの中に入れるという摩訶不思議な駐車場です。 でも、何となく面白いので料金はきちんと払っておきました。残念ながら写真撮るの忘れましたが。
そこから少し歩いたところに橋立堂があるようです。

石龍山橋立堂

橋立堂10分ほどのんびり歩くと「橋立堂」です。
階段を上がったところに本堂があり、その本堂の後ろには断崖絶壁の岩山が鎮座しているではないですか。
ある意味絶景です。


この「橋立堂」は秩父札所三十四ヶ所のうちの二十八番札所だそうです。この秩父札所三十四ヶ所は西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所とともに日本百観音に数えられているほど有名です。
ただ、平安貴族の崇拝を集めた西国札所や鎌倉武士の興した坂東札所に対して、秩父札所は庶民の信仰によって支えられてきたと言う特色があるそうです。
例えば西国札所では「京都・清水寺」「奈良・興福寺」や、坂東札所では「鎌倉・長谷寺」「台東区・浅草寺」など、それ自体が観光地となっているところも少なくないようですから、秩父札所が如何に庶民のための霊場だったかが窺えます。エリアが狭められているから仕方ないかもしれませんが、それだけ親しみやすいと言うことも一方ではあるかもしれませんね。

馬頭観世音坐像まずはともあれ参拝です。
階段を上がった本堂の前に案内板がありました。


『市指定有形文化財 札所二十八番 馬頭観世音坐像
この馬頭観世音は、木造寄木造りの漆箔三眼、三面四臂の像で、現在は四臂の一部と馬頭を欠いているが、像高26.5センチ、鎌倉時代の優秀作である。
昭和33年奈良博物館長石田茂作博士を班長とする秩父観音霊場学術調査団の総合調査により判明したもので、秩父観音霊場の中でも注目される貴重な仏像である。
昭和33年7月9日指定 秩父市教育委員会 札所二十八番石龍山橋立堂』(境内案内板より)

馬頭観音は、もともと仏教における信仰対象である菩薩の一尊で、衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する菩薩なのですが、近世以降は国内の流通が活発化し、馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなり、「馬頭」という名称から馬が急死した路傍や馬捨場などに馬頭観音が多く祀られ、動物供養塔としての意味合いが強くなっていったそうです。
そして民間信仰では馬頭観音は馬の守護神としても祀られ、更に馬のみならずあらゆる畜生類を救う観音としても崇められているそうです。
そして現在の日本においては競馬場の近くに祀られていて、レース中に亡くなった馬などの供養に用いられている場合もあるのです。
ここの場合は正真正銘(といっては変ですが)の、否、由緒ある(とこれも変ですが)、いずれにしても本来の意味の馬頭観世音と言うことでしょうね。

本堂その右手に「橋立堂」についての説明があります。


『市指定史跡 札所二十八番 石龍山橋立堂
この札所は、高さ80mもある石灰岩の直立した岸壁下に建てられ、堂は三間四面、宝形屋根で江戸中期になるものといわれています。
本尊は馬頭観世音坐像で、像高28cmの小さいものですが、三面六臂の姿はひきしまり、鎌倉時代の優秀な作として、昭和33年7月市の指定文化財となっています。
縁日には近在から来る馬を曳いた参詣者で雑踏を極めたといいます。
その昔この地に惨酷非道、仏神の信心なき領主、領地をみまわり、銅をもって鋳し地蔵菩薩像を里人崇敬し得るをみて仏神の益何事あろうと、打ちこわしその財を己に費やせば、領主たちまち病に死し、その子孫すべて跡方もなく消えたという。
まもなく大蛇出て里の憂いとなり、里人は一心に当山に祈ればいづくなく白馬現れ心よげに走り大蛇この馬を一口に呑まんとするに、白馬の額より光明をさせば、たちまち大蛇人語を発し、「吾先に死し領主なりいままさに仏知にひかれた得脱を得たり、吾この姿を末代にとどめて衆生の信心をはげまさん」と池中より出れば金鱗変じて石と成り、白馬は本尊の御帳に走り入りたという縁起があります。
昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定』(現地案内板より)

簡単に言ってしまえば、神を神とも崇めない極悪非道な領主が、悪事を繰り返し私服を肥やしていたのですが、やがてその領主は病気でなくなり、子孫も絶えてしまったのです。
しかし、この世に未練のある領主はあるとき大蛇となって里に人々を苦しめるのですが、そこに颯爽と白馬の騎士(…白馬だけ)が現れて、ウルトラマンのウルトラビームのようなものを浴びせると、大蛇はこれから一生(って、死んでるだろお前は)信心を続けると改心し、白馬は一件落着とばかりM78星雲ではなく、本尊となったと言うことでしょう。なかなか良くできた縁起です。
銅像「馬頭観世音」その馬が、と言うわけではないでしょうが、後ろに、そのまんま馬の銅像「馬頭観世音」が立っています。誇らしげの鞍が神々しさをあらわしているのでしょうかね。


馬のお堂更に更に銅像の右側には「馬のお堂」があります。


白馬よくよく見ればお堂の中には白馬がいるではないですか、しかも2頭、否、2神。縁起に出てくる白馬はこちらだったのですね。


かすれてしまって全部はよく読めませんが左側には「白馬 御本尊…」と書かれた札があり、右側には「黒馬 左甚五郎…」と書かれた札が下がっています。
してみると左側の馬が白馬で、右側が黒馬ということになるのですかね。
いづれにしても馬頭観音にふさわしい境内です。

今度は本堂の周りを廻ってみます。

本堂の裏手の崖裏手に来ると崖崩れも多少あるのでしょうか、防護ネットがかけられていて、まさに本堂に乗りかかるかのような圧倒的な存在感です。


謎の銅像ぐるっと本堂を廻って本堂の左後ろにでると妙な石像があります。黄色い石にどなたかの胸像が彫られています。
服装などから古いものではなく、少なくても洋服を着ているようですから明治時代以降の人でしょう。
石像の左手になにやら石碑がありますので行ってみます。


『埼玉県指定天然記念物 鍾乳洞  秩父市指定遺跡 岩蔭遺跡
この鍾乳洞 岩蔭遺跡は札所二十八番観音堂の背後に75メートルの高さをもって天空をかきる石灰岩の大露頭の西脚部にあります。鍾乳洞は瀑布形のもので、垂直高約33メートル、延長約130メートルと言われます。我が国の鍾乳洞は、新生代の第四紀のものが多いと言われています。この鍾乳洞は現在成長しつつあるものではないといわれていますが、洞内には奇岩怪石が、変化に富んだ様相をしめしており地質学上また信仰上から貴重な存在であるといえます。岩蔭遺跡は、かつて早大教授直良博士によって調査されました。縄文時代から弥生、土師の時代にかけて、長期間先住民によって使用されたところから、数多くの出土品の土器、石器、獣骨、鳥骨、魚骨等がそれを証明しております。
考古学上も重要な遺跡であります。
鍾乳洞県指定 昭和11年3月31日 岩蔭遺跡市指定 昭和30年7月9日
埼玉県教育委員会 秩父市教育委員会』(現地石碑文より)

鍾乳洞についてはこの後行く予定ですが、この崖自体が遺跡とは知りませんでした。
さてこの遺跡を調査した直良博士を調べてみたら、明石原人を発見した有名な考古学者だそうです。

直良博士?直良博士となれば先ほどの石像は直良博士をモデルとしたものかと思い、ネットで写真を調べてみましたが、似ても似つかない感じです。


だとすると一体どなたなんでしょうかね。
ともかくも、これで一旦「橋立堂」は終了して、石碑に説明のあった「鍾乳洞」に向かいます。

鍾乳洞

「鍾乳洞」へは本堂から上ってきた階段を一旦下りた右側に入口がありますが、反対側に「鍾乳洞」について書かれた案内板があります。

鍾乳洞はどのようにしてできたか
石灰岩の上を雨水が流れると、岩がとけて色々と面白い地形ができる。
この絵にあるカレンフエルト、トリネ、鍾乳洞などはいづれも雨水のいたづらで石灰岩だけに見られカルスト地形と呼ばれています。
どうして雨水は石灰岩をとかすのでしょう。
雨水は空気中の炭酸ガスをとって炭酸という酸になり、この酸が石灰岩の主な成分である炭酸カルシウムをとかすことになる。
もっとくわしくのべると次の化学方程式がしめす変化によるものです。
H2O(雨水)+CO2(炭酸ガス)=H2CO3(炭酸)
CaCO3(主として炭酸カルシウム)+H2CO3(炭酸)=Ca(HCO3)2(重炭酸カルシウム)
→H2O(地下水となる)+CO2(炭酸ガスとして逃げる)+CaCo3(炭酸カルシウムが沈殿し結晶したものが鍾乳石や石筒となる)』
(現地案内板より)

鍾乳洞の看板何となく分かったような気がします。結局のところ石灰岩でなければ何も起こらないと言うことでしょうね。ちょっと理科の時間に戻った雰囲気です。
かなり古ぼけた案内板なので分かりにくいですが、垂直(縦方向に)伸びた鍾乳洞なので、瀑布形と言うのでしょう、先の石碑にも垂直高約33メートル、延長約130メートルと書かれていましたから結構高低差があるようです。
それではこれから「鍾乳洞」にはいります。


鍾乳洞入口鍾乳洞チケット「鍾乳洞入口」とかかれた木造の建物の前で入場料200円を支払って入場します。


鍾乳洞ヘルメット中にはヘルメットが置かれています。
注意書きには「子供のためではなく、大人の方がしたほうが良い」と書かれていましたが、いくらなんでもそこまでは必要ないでしょうと、ヘルメットはせずに入ることにしました。


鍾乳洞入口「鍾乳洞入口」と書かれた道標に従って階段を下りていきます。
この鍾乳洞は下から上に登っていくのです。


鍾乳洞入口ここが正真正銘の入口です。
何の飾り気もないスチールの入口で、時間になるとシャッターが閉まるようになっているのですね。


入ってみるとかなり狭いです。特に上に登っていくのに高さが無い鍾乳洞です。
鍾乳洞へは子供の頃に何度か行った記憶がありますが、かなり薄い記憶です。大人になってからは岩手県の龍泉洞に一度行ったきりですが、20年以上前の話です。
そのときの不確かな記憶でも、これほど狭い記憶はありません。中腰で歩かなければならない所が多いようです。

鍾乳洞内部入って最初に出会うのが堂の中のお地蔵様です。左側の赤い電気がついた洞に地蔵が立っていて、右の蛍光色の方が通路です。


石筍少し進むとこのような「石筍」と書かれた場所に着きます。


そもそも鍾乳石とは先ほどの化学方程式にもあったとおり、鉱物質を含んだ水溶液(雨水など)が天井面から落下する際に、炭酸カルシウムなどの沈殿物を濃集させ、天井面から下がるつらら状の棒を発達させることにより作られます。
しかし一方で、この鍾乳石から滴る水滴は直下の床面により多くの方解石(石灰岩の成分で結晶のようなもの)が集まり、最終的にはドーム型や円錐形の突起物を作るのです。これを石のタケノコ、「石筍」と呼ぶそうです。

梯子のぼりその先には恐ろしく急な階段、否、梯子(…といったほうが分かりやすい)を登るようです。
何かとんでもないことになってしまったなあ、などと思いながら行くと結構頭をぶつけそうになります。確かにヘルメットは大人に必要なのが良く分かります。後悔先に立たず…


石柱梯子を登って人一人やっと通れる穴を抜けると今度は「石柱」とかかれた場所にたどり着きます。
この「石柱」とは、鍾乳石と石筍が長い時間をかけて柱状に連結したものを言うそうで、相当な時間がたっているのでしょう。


鍾乳石弘法大師の後姿その先には「鍾乳石」と書かれた場所がありますが、その少し上には「弘法大師の後姿」と書かれた岩があります。


昔、天井の木目や染みをみて人が居るとか幽霊が…などというのと基本は同じでしょうが、やはりここは霊験新たかな霊場ということで、見えなくも無いと思っておきましょう。

だんだん川口探検隊(って、知っている人は50代以上でしょう)の趣となってきました。所々明かりがありますが、適度に暗く、極度の乱視により目測が上手でない私にとっては結構恐怖となってきました。
とにかくゆっくり進むしかないようですが、幸いにも後ろから来る人は居ないようですので助かりました。

下り竜の頭四苦八苦して進むと今度は「下り竜の頭」と書かれた岩があります。
写真では分かりにくいのですが、見る角度によってそれらしく見える位置があるようです。


洞内のお地蔵様また先に進むと洞にお地蔵様が。


こんな通路こんな通路そしてこのような狭い場所や、このような急な昇りをあくせくしながら何とか歩いていきます。


鍾乳洞出口ちょうど15~20分くらいでしょうか、やっと出口にたどり着きました。
なんと出口は昔の家庭の玄関のような造りなのにはちょっと驚きました。


一般的に鍾乳洞は夏でも涼しいと言われ、11月のこの季節なら逆に寒いくらいになるのでしょうが、じっとりと汗ばんでいました。
いやあ、鍾乳洞嘗めたらいけません。結構ハードな鍾乳洞でした。

当然、登ってきたのですから帰りは下ります。石段を下ると入るときにあった「鍾乳洞入口」の道標のところにでます。
道標の写真をもう一度見ていただくと分かるのですが、入るときは道標の左手に下っていったのですが、出るときは道標の右側から降りてくることになります。しかも、この道標は入場券売り場の建物の敷地内ですから、まだ完全に出てはいない訳です。
とすると、もう一回見ようと思えば見れるということです(でも、一度見れば十分ですし、あえてまたあの中に入ろうとは努々思いませんがね)。

注意書きしかし、そのように考えて何度も見る人がいるようです。道標の横の柱に「※入洞見学一回限りです」と書かれていました。
人間同じようなことを考えるのですね。
随分と楽しませていただきました。


売店兼食事どころ「橋立堂」は秩父巡礼の札所であり、かつ「鍾乳洞」などの文化財も多いので、通年人が大勢訪れるのでしょうか、大きな売店兼食事どころがあります。


一休みとも思ったのですが、ちょうどAM10:00少し前なので準備の最中だったので休憩はなしで、先に進むことにしました。

本堂と岩蔭遺跡最後に本堂と岩蔭遺跡を再度写真に収めて「橋立堂」を後にしました。


関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。