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メインストリート散策

東飯能駅から歩き始めると、駅前ロータリーに「森林文化都市宣言」と書かれた石碑がありました。
森林文化都市宣言石碑 【森林文化都市宣言石碑】
あまり聞きなれない都市宣言とは、市が目指す理想や目標、まちづくりへの決意などを明らかにするものだそうで、飯能市としては、歴史的な背景や地域の特性を生かそうとした結果、「森林文化都市」を宣言したそうです。

『飯能市は、首都圏にあって奥武蔵の豊かな自然に恵まれたまちであり、その歴史・文化、人々の情感は、森林とともに育まれてきました。
人々が森林とのふれあいを通じて心身ともに森林の恵みを享受し、環境との調和や資源の循環利用を生活の中で生かしていくことが求められる時代にあって、本市では、森林資源を活用し、新たな森林文化の創造により、心豊かな人づくりと、活力のあるまちづくりを推進します。
ここに森林と人とのより豊かな関係を築きつつ、自然と都市機能とが調和するまちの創造をめざし、「森林文化都市」を宣言します。
平成17年4月1日』 飯能市オフィシャルホームページより

因みに、世界最大の揺れ動く木馬「夢馬」(むーま)を森林文化都市のイメージキャラクターとしているそうです。

2日のこの日は。朝9時過ぎからオープニングパレードが行われていて、11:30過ぎでは山車の巡行までは、まだ時間があり、路上や角々、沿道では様々なパフォーマンスが行われていました。
東飯能駅からすぐ、まつりのメインストリートにあたる中央通りを歩きます。20~30メートル行った交差点で練習でしょうか、5基の山車が集まってお囃子を奏でていました。「曳っかわせ」ではないでしょうが交差点に5基もの山車が集まると、それだけでかなり絵になる風景ですが、あんまり写真は良く撮れませんでしたねえ。
壮観な交差点での山車5基の集合 【壮観な交差点での山車5基の集合】
メインストリートですから、ご多分に漏れず屋台がびっしり並んでいます。これを見るといつも「ああ、お祭りなんだなあ」と実感します。
飯能まつりメインストリート 【飯能まつりメインストリート風景】
東町交差点を過ぎて埼玉りそな銀行の前辺りでしょうか居囃子がありました。提灯には「中藤」・「岩淵」と2つの居囃子です。
居囃子「中藤」「岩淵」 【居囃子「中藤」「岩淵」】
中藤ではお囃子が奏でられヒョットコが踊っています。常にお祭りではお囃子・踊りがついて回るのですが、つくづく大したもんだと感心させられます。好きだからということもあるでしょうが、地元のため、町会のため・・・というボランティア的精神というのは、私には100%ありませんからねえ。しかも若い人が多いのにも驚かされます。伝統の継承、文化の創造、郷土の発展などなど、若い人の参加は不可欠です。そのような意味で年に1度の、或いは2度のお祭りは別の意味でも大変結構なことではないでしょうか。

そうこうしていると、民謡パレードでしょうか、飯能市の美人を一同に会した・・・そこまでは良い過ぎでしょうか、少し前の世代の時にお綺麗だったお姉さん方の踊りパレードです。年に一度の晴れ姿でしょう、艶やかなパレードでした。老若男女が集える場としてまつりは格好の場ですね。
綺麗どころの民謡パレード 【綺麗どころの民謡パレード】
民謡パレードを見送って先へ進むと、メインストリートの更にメインとなる広小路交差点に出ます。交差点を超えるとまた、居囃子があります。こちらは「直竹」と書かれていました。ここもお囃子に踊りが行われていました。
居囃子「直竹」 【居囃子「直竹」】
「直竹」を見た後、しばらく歩くと今度は路上で獅子舞を踊っています。
良く見ると獅子も”タムケン”のような一般的な獅子ではなく、どことなく気品と伝統のありそうな獅子でした。女性でしょうか着物姿ですが、何か大きい円筒の・・・を被っているようですが、あんまり良くわかりませんでした。きっと伝統のある獅子舞なんでしょうが、名前とか、○○流とか聞き忘れました。後日プログラム等で調べてみたところ、恐らく 諏訪八幡神社の獅子舞ではないかなと思われます。(間違っていたらゴメンナサイ)
単に獅子舞と言えども結構全国で様々な獅子舞があり、中には文化財になっているようなものもあるそうで、獅子舞も中々侮れませんね。
諏訪八幡神社獅子舞 【諏訪八幡神社獅子舞】

獅子舞を堪能した後、大通りの右側に何となく蔵造り(この辺は川越えで鍛えられた眼力)の古風な佇まいの建物がありました。「見学してください」との声で中に入ってみました。

「店蔵”絹甚”」という建物だそうで、飯能市指定有形文化財だそうです。配られていたパンフレットの説明です。
店蔵”絹甚”正面 【店蔵”絹甚”正面】

『”絹甚”は絹問屋を営んでいた篠原甚蔵、長三親子によって建てられた建物ですです。絹問屋の「絹」と当主甚蔵の「甚」の字を取って「絹甚」という屋号が付けられたといわれています。 現在絹甚には3棟の建物が残されています。入り口の建物が「店蔵」、その奥に木造の「居宅」、中庭を挟んで一番奥に「土蔵」です。通りに面した間口が狭く、奥に長い短冊形の土地に所在しています。 この3棟の中で建築年代が判明している建物は、店蔵です。店蔵は明治35年8月に起工し、約2年工期を経て明治37年8月に竣成しています。居宅は建物の構造から、店蔵建築直後に建てられたものと考えています。土蔵は、この3棟の中で最も古く江戸時代末まで遡る建物と考えています。(以下省略)』

それほど大きいわけではないのですが、店のつくりは豪華で、黒を基調とした重厚感が漂う建物。基本的には大火扉や、うだつなど火災を意識した構造のようです。
現在では、町の景観とはギャップを感じるのですが、まあ、ここだけタイムトリップも結構ではないでしょうか。ふとした処に思わぬ良いものを見させていただきました。

”絹甚”を出ると何基かの山車が揃っていました。まだ時間は12:00頃なので、何かが始まったわけではないでしょうが、準備或いは練習なのでしょう。期待感が向上していきます。
山車を見ながら更に歩くと、的屋の屋台もなくなり多少さびしい感じもありますが、昨日巡行したのでしょう地面に車の跡が残っていました。
すると道の脇に道案内の杭が建っていました。天覧山方面とか何とか、書いてありましたが、八坂神社入り口とあったので、路地に入って八坂神社に向かいました。ほんのちょっと行くと何と立派な・・・というか、こんな路地の神社に道案内が必要なのと思うほど、小さな神社でした。良く東京(神田等には特に多くあったが)にあるようなお稲荷さんのような神社でしたが、その割には鳥居が結構堂々としていて、ちょっと不釣合いな感じです。
小さくても重い飯能八坂神社 【小さくても重い飯能八坂神社】
何か釈然としない心持でもとの大通りへ戻りました。
後に調べるととんでもない神社だったようです。

八坂神社とは、素戔嗚尊(スサノウノミコト)を祭神とする祇園信仰の神社で日本各地に多数あり、有名な京都の八坂神社は、この全国の素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社なのです。
飯能八坂神社は元々は個人の屋敷鎮守だったそうで、1932年社殿が新築されました。1934年に神輿と大太鼓が五ヶ町により奉納されて、それが周りに広まり町内で祭るようになったそうである。
1975年頃からは六町内で祭るようになり、毎年7月中旬に飯能夏祭りとして八坂神社大祭が行われているそうです。これは京都の祇園祭りと同じで、疫病の流行りやすい夏を前に無病息災を祈るお祭りなんだそうです。 故に、小さい神社ですが結構有名なんだそうです。
因みに当然ながら宮司さんはいらっしゃるのですが、どこに住まわれているんでしょうね。 これもちょっとしたサプライズでした。
まつりでにぎわう通りも、歴史と伝統に裏付けられた興味深いものがあるのですね。結構勉強になるものです。
メインストリートもここで終了し、時間もまだあるようなので、とりあえずそのまま中央公民館へ向かいました。

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