上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

飯能まつり

能仁寺を出て、天覧山に行きたかったのですが、時刻はPM1:00を少し過ぎていましたので、一旦、お祭りに戻ることにしました。 能仁寺からゆっくり歩いても10分くらいです。
祭りに戻って大通り商店街の広小路交差点辺りに陣取りました。次から次へと山車がやってきます。ちょうど中央公民館方面から大通り商店街を通り、広小路交差点を抜けて中央通りの方面へ向かう山車と、銀座通りから広小路交差点に向かい、交差点を左折して中央公民館方面へ向かう山車と、様々で見ごたえのある巡行です。
例によって豪華絢爛な山車と調子のよいお囃子、そしてコミカルな踊り。3拍子が揃って山車としての息吹を感じます。
中央公民館方面から来る山車 銀座通りから来る山車 【左:中央公民館方面から来る山車、右:銀座通りから来る山車】

飯能まつりに参加する山車は11台あります。古くは明治4年、最近では昨年の平成19年に造られたもので、東京の立川市や富山県で造られたものもあります。
大きく分けると川越まつりに代表される人形を乗せた「江戸型山車」と唐破風屋根(からはふうやね)や彫刻が特徴の「屋台型山車」の2つの形式に分類されます。いずれも4ツ車で廻り舞台付きのものもあります。代表的なものを挙げてみます。

「江戸型山車」

原町 ●原町
明治15年建造の四重高欄・欄間仕立ての江戸型山車を昭和55年に囃子台を入母屋造り屋根に改造。
当初御幣を飾ったが、明治24年より神武天皇像を乗せている。
作者の三代目・原舟月は幕末~明治期に活躍した江戸の人形師。

河原町 ●河原町
明治10年代、東京市浅草区茅町山車屋「浪花屋」(庄田七郎平衛)にて静岡浅間神社祭礼用に造られたもの。
明治27年に河原町が購入。
三重高欄・欄間仕立の江戸型山車で、素戔鳴尊の人形。幕に、八岐大蛇退治説話の刺繍が映える。

「屋台型山車」

三丁目 ●三丁目
加藤清正の人形を乗せた八王子型人形屋台だったものを、大正御大典祭(大正4年)に現在の平屋台に改造(棟梁・清水佐吉)、幟の柱を材料にしたという。
平成6年、舞台左右の柱を新調、補強している。

本郷 ●本郷
今回から参加した一番新しい山車。
山車の構造は欅造りで、間口2メートル、奥行3.4メートル。高さ4.5メートル。
前柱には上り龍と下り龍、屋根の左右に唐獅子、前後には鬼板と懸魚などの彫刻が施されています。

また、飯能まつりでは、他ではあまり見られない「底抜け屋台」というのがあるそうです。
残念ながら前日の前夜祭でしか出ないようなので、実際に見られませんでしたが、「底抜け屋台」とは江戸時代宝暦(1751~1764)から明治にかけて江戸から各地で、一般に踊り屋台とペアーで巡行したそうです。
構造は、四本柱に日除けの天幕を張り、床はなく囃子は中で歩きながら演奏します。 四人で担いで巡行していたそうですが、現在はほとんど車輪付きになっているそうです。そして底抜け屋台では祇園囃子が演奏されます。

次に重要なのがお囃子です。
ここはあえて午前中に見た3ケ所の居囃子を見てみます。
居囃子と山車の競演 【居囃子と山車の競演】

●中藤囃子連(ナカトウハヤシレン)
囃子の流派は江戸囃子ということのみで流派は不詳。
昭和54年に囃子連を結成後、昭和56年に同市石原より伝承。だが事情により伝授途中で終了してしまい、肝心の「屋台」という曲が半分ほどしか伝授されていないという。その後、飯能市一丁目から移ってきた若衆により神田大橋流の屋台が伝授され、「屋台」のみ神田大橋流となった。
特殊芸能として足踊りも行われている。狭山市笹井の足踊りを参考に独自にアレンジし演じているといわれる。
底抜け屋台は、昭和59年に製作。

●岩淵囃子連(イワブチハヤシレン)
囃子の流派は小田原囃子若狭流。
一時途絶えたが昭和54年、岩淵囃子連を再結成し、同市宮本町より伝承。山車(屋台)は再結成にともない地元有志の製作であったが平成10年頃に解体されてしまったとのこと。
以前は4月29日の地元八幡神社の祭礼で演奏されていたが、今は演奏されておらず、11月の飯能祭りで演奏されている。

●直竹囃子保存会(ナオタケハヤシホゾンカイ)
囃子の流派は江戸囃子神田若狭流。
伝承の正確な年度は不詳だが江戸時代末期から明治初期頃、同市間野より伝承されたという説と川越市近郊から伝わったという説があり詳細は不明。以前は神田大橋流源流を名乗っていた。
山車(屋台)は、地元大工の手により製作。製作年は明治9年という説もあるが、地元の方の話では明治15年の八坂神社を作ったときに作られたものだとのことだった。
以前は飯能まつりに山車も参加していたが、現在は囃子だけ参加している。

それぞれに貴重なお囃子なんですね。ありがたく拝聴しなければと。

最後に踊りですが、これも飯能特有の踊りがあるそうで、人の道を外れた報いを体のもだえで表しているとも言われている「外道」という踊りです。これは、おかめ・ひょっとこ・きつね・獅子などが力強く、迫力のある踊りを特徴としたものだそうです。
確かに見ていると苦しそうな動きですが、疲れて苦しいのかも知れない・・・そんなことは無いでしょうが。
因みに飯能市の美楽堂という文房具屋に「外道」という木彫りの人形が販売されているとか。なんとも楽しい話です。
外道踊り 「外道」人形 【左:外道踊り、右:「外道」人形(c)郷土玩具の杜】

巡行をゆったりと見ていると時間もPm1:40過ぎ。そろそろ引き合わせが行われるので待っているのですが一向に始まる気配がない。(というか「引き合わせ」がどんなものか知らないので、始まっているのか、いないのかすら判らない) とりあえず昼食をと、お店を探し始める。
これだけは抜かりなく予習してあり、飯能に食べ物の名物は無いとわかっていたので、最初から変哲もない中華料理店に入った。 屋号は忘れましたが,中華料理店にもかかわらず「定番ランチ」として、鳥ささ身のフライ・ハラス焼き・目玉焼きランチってのがあったので、取り合わせがちょっと面白そうなので頼んでみました。
ちょうどそのとき半纏を着たお兄さんやら、お姉さんやら、子供が5.6人入ってきて注文をしていましたが、会話をきいていますと、 「引き合わせは延びてるみたいだなあ」「何時からやるのかハッキリしてないみたいだ」と。確かに2時近くになっているのにまだ巡行しているみたいですし。
通常、イベントで5分押し、10分押しともなるとトンでもな事態になるのですが、やはりそこはお祭り、のんびりやっても良いじゃないかとでも言いたげな予感。それはそれで結構なことです。どうせ昼食してるし・・・

そんな中で注文のランチが出てきた。別段言うことも無し。まずくは無いし、特別美味しいわけでもなく、所詮ランチはランチ・・・です。
昼食を終えて再び大通り商店街へもどりました。広小路交差点では何基かの山車が並んでいて、「これが引き合わせかな」などと思いつつ見ておりました。
山車が4基も5基も並んでいるのは実に壮観で、更に各山車の前ではその町会の関係者なのか、扇子を打ち広げてお囃子のあわせていました。華を舞う蝶のような美しさもあり、格別な面持ちです。
引き合わせ!? 【引き合わせ!?】

時刻がPm2:30を過ぎていたので、何がなんだかわかりませんが、後、広小路から銀座通り方面に向かい御輿などを楽しみました。
神輿かつぎ 【神輿かつぎ】
川越まつりの様な観光的な祭りも良いが、地元密着型の祭りもまた味わい深いものがあります。
良い意味で地元活性化の為に行われることについて、誰も口を挟むべきことは無いでしょう。そして地元の人たちが、その文化や伝統を噛み締め、一体となって楽しむお祭りで十分結構なことだと思います。 ただ、その反面、部外者は、やはりどこまで行っても部外者でしょう。(だからといって敢えて参加する気持ちにもなりませんが)したがって観光的な部分であれば十分楽しめるのですが、そうでない場合は、一渡り見ることによって、それ以上は消化不良をおこします。故に一日中祭りを楽しむ気分がなくなるのも事実です。(あくまで私の場合)
恐らく夜は更に盛り上がるでしょう。そしてクライマックスまで人出もまだまだ増えると思いますが、やはりそれは地元の人たちのものなのです。 決して悪い印象ではなく、つまらない祭りでもなく、見所もあり楽しいのも事実ですが、ここで祭りを終えることにしました。
祭りにかける情熱とか意気込みとか・・・色々な風情楽しませてもらいました。

参考:飯能市オフィシャルサイト内「はんのうNOW」 http://www.city.hanno.saitama.jp/syoukoukankou/kankou/kankouguide.htm
参考:飯能祭り連合会 http://f29.aaa.livedoor.jp/~hanno/

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks


    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。